▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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山国ニッポンだから、山岳信仰が昔から根強くかつ広範囲だというのはわかっていたけど。。。こうもたくさんあるとは。

今回は、関東限定のレクチャーだったのに2時間では短くて短くて。西海先生はどんどん話を飛ばし、内容もあっちこっちに及ぶ。予備知識のない人には何のことやらだったでしょう。でも、お話が面白かったので、(私はなんとかついていけましたけど)そうでない人にも楽しい時間だったみたいです♪

現代は情報が簡単に手に入るし、いろんな人とのつながりも持てる。でも昔の人は血縁者以外で助け合うことはそれほど容易ではなかったのです。同じ信仰を持つ人達との集まりはもちろんですが、日常生活で助け合う為・結束する為に「講」はごく自然に必要だったのだ、ということがよくわかりました。(山岳信仰に関係なくても講の種類はおびただしい。何でも講になっちゃう。「マッチ講」なんてものもあったとは!まあそれはまたの機会に。。。あ、女人講は近々書くことになるかも)

で、日本に霊山は数あれど、関東の山々はまあこんな。



私が気になる富士講は「出羽三山講」「木曽御嶽(おんたけ)講」同様、関東から離れた山を信仰するものですが、山が近くにあって盛んな講は「大山講」「秋葉山講」「武州御嶽(みたけ)講」「三峰講」「成田不動講」「筑波講」「筑波山大同講」「加波山大同講」「足尾山大同講」等まだまだ。。。

大山講は結構ポピュラーですが、北関東もこんなディープです。



講はひとつに入るとは限りません。一軒で数講に入るのは日常でした。たとえば、下の図録にあるように、旧家の天井裏から発見された御札からは「富士山/成田山/大山/三峰山/榛名山」を信仰していたことがわかります。(こりゃ年中忙しかったね〜と思われますが、お山の信仰は自分で行かなくても富士塚やミニ木曽御嶽山のような、築山が村内にあったり「代参=代表者が参詣」というシステムをとっていたのです)



ついでにローカルな話。練馬区で催された講義というわけで、資料室にも練馬の面白い品々がたくさん。これは「上石神井村絵図」にある「道者道」の部分(図録から)です。



今も富士街道ってありますね。練馬区を北東から南西に横切る道。これが相模の大山へ続く「富士大山道」のことで、この図で「道者道」と書かれた道のことです。近くに私の馴染みのある土支田町(村)も出ていて、しみじみ面白く感じましたよ〜♪

つづく。。。(たぶん)


現在、練馬区郷土資料室(石神井図書館地階)で「講」に関する特別展が催されています。(11日まで)
講がさかんだった練馬区にはたくさんの資料や貴重な品々が残されています。いくつかのお宅から提供もあったようです。

今回の特別展に合わせて、3月2日に「関東地方の山岳信仰と講集団」の講義、4日には「江古田富士の見学会」がありました。



著書も多い西海(にしがい)賢二先生は、ただの研究者ではなくバリバリの修験者です。父上は大山講の強力、先生ご自身も若い頃、武州御嶽講(ぶしゅうみたけこう)でまかない・強力を経験、現在は(イシヅチ派?で)加持祈祷もされています。

そんな方なので、世になかなか知られない裏話や講のエピソード満載の講義は、とても貴重で面白かったです!



やはり富士講と大山講は密接でした。先日、流山の富士塚で見た山犬の石碑のこと(これは御嶽講)やら、いろいろ先生にお聞きしたかったのですが、時間がなくて断念しました。やっぱり聞けばよかった!と、今頃、激しく後悔していますが、まあ、今後チャンスもあることでしょう。めげない、めげない(笑)。

講義の内容に関しては、つづく。
こんなセリフ、大人にならないと言えないです。



メモ取るのも楽しい。「知る」って楽しい。
あ、もう行かなきゃ。



今日は江古田富士へ登ります。(↑は75分の1の模型、一部分です)

つづく


まずは、その背景から。

琉球と中国の関係は、実は琉球と日本の関係よりも歴史的に密接でした。中国は琉球をひとつの国と見なして関係を持っていたからですね。地理的に近いこともあって中国からの移民も多い。特に中国南東部の福建省とはつながりがあります。(世界中に散らばった華僑の中でも福建省出身者は多いのですが)

また、琉球人が福建省に移り住んでもいます。現地に琉球人のお墓もあるそうです。

福建省の首都、福州市は長崎と那覇と友好都市です。とりわけ那覇には福建省出身の人達が移り住んだ地区があるほど関係が深いです。14世紀に福州から「久米三十六姓」という特別な職人達が渡来し、久米村「くにんだ」と呼ばれる一帯に定着しました。それが福州園のある久米という地区です。

福州園が作られたのはそう昔ではありませんが、これは那覇と福州市の友好都市締結10周年の記念事業として福州市の町を再現したものです。この回遊式中国庭園は、四季を表現したパーツに分かれていて、小さいながら見どころ満載です。何度行っても飽きません。(私は那覇に行くたびここに寄ります)

中国庭園ですから、沖縄の様式は全くありません。でもガジュマルの木があったり、どこかしら琉球に通じる風土を感じさせます。なぜなら、福州市はガジュマル(榕樹)の木が植樹され、特徴的な景観をつくっていることから、「榕城」(ガジュマルのまち)とも呼ばれているのです。

そしてこの庭園は、故郷のミニチュアを通し、祖国への想いをはせる華僑の人々にとっての憩いの場でもあります。

富士塚のような築山は、福州市の中にある「烏山(うざん)」の再現です。

ここまで書いたらもうおわかりでしょう。この烏山には、富士塚に登ることによってバーチャルな富士山を味わう人々や、日本を想って現地の山々を富士山と呼ぶ海外の日系移民との共通の「想い」があったのです。

ある時このことに気づいて、私は言いようもない感慨にひたりました。人間てこんなに似かよった気持ちを持つんだなと。富士塚ではないけれど、私はこれを「久米富士」と呼んでいます。あ、正確には「福州富士」?ま、どっちでもいいですけど。

下の画像について。

少し前の記事にも書きましたが、那覇市の中心に中国からの移民が移り住んだ地域があります。その地区、久米という町に中国式庭園の「福州園」があります。そしてその中に、中国の人達にとっての【富士塚的築山】が存在するのです。その山は「烏山」と称されます。なぜ私がその山に着目したかというと。。。

とりあえず、そのように命名しときます〜(笑)。

滝も流れる築山です。裏側に見える屋根は民家ではありません。東屋です。

場所は。。。

現在八重山にはジュゴンは一頭もいません。(確認されている北限ジュゴン数十頭は沖縄本島付近です)でも、八重山ほどジュゴンと密接なところはなかったのではないでしょうか。


いくつかの島々(石垣島、小浜島、黒島、竹富島、新城島)の、古い歌謡にも出てくる(ユングトゥ、ジラバ、ユンタ等)など、ジュゴンの存在は日常生活の中にあったようです。八重山でジュゴンは「ザン」と呼ばれ「海馬」と表記されてました。



例えば、竹富島の「ざんぬユングトゥ」にはこんな歌詞で出てきます。



道端みっきやー…………………………道端に住んでいたミッキヤー

川端(カーバタ)かーりや、ばぬと……川端に住んでいたカアリヤー

三人(ミタイ)ぬむにぬどう……………と私の三人の言葉です

東(アイ)ぬ浜(ハマ)なはんまな………東の浜に

ざんなまぬ 寄(ユ)りんと……………ザンが打ち寄せられているそうな

たど見(ミツ)たね目(ミ)ぬど…………だれが見たか、目が

見(ミツ)たとう…………………………見たそうだ

たど聞(ヒ)くたね………………………だれが聞いたか

耳(ミン)ぬど聞(ヒ)くたとう…………耳が聞いたそうだ

たど走(ハ)つたね………………………だれが行ったか

足(パン)ぬど走(ハ)つたとう…………足が行ったそうだ

たど取(ト)つたね………………………だれが取ったか

手(テ)ぬど取(ト)つたとう……………手が取ったそうだ

たど食(フオ)つたね……………………だれが食べたか

口(フチ)ぬど食(フオ)つたとう………口が食べた

食(フオ)つたる口(フチ)やくらさな…食べた口は叩かず

尻(スビ)くらすった、尻(スビ)や……お尻を叩いたら、お尻は

泣(ナ)なー、目(ミ)ぬ泣(ノ)つたー…泣かずに、目が泣いた

鼻(ハナ)やすぶんてー…………………鼻も涙を流したそうだ



伝承話では違ったニュアンスもありますが、興味深いですね。
このように、ジュゴンはかつては食の対象(または食の興味の対象)でした。しかし、八重山諸島のひとつ「新城(あらぐすく)島」だけはジュゴンにまつわるつらい歴史があります。


ジュゴンの肉が珍味であることまた不老不死の薬と扱われた理由で、この島はジュゴンの肉を献上すべく首里王府によって漁を強いられました。首里では中国からの冊封使(さっぽうし=琉球国の国王が交代するたびに中国皇帝が使者を派遣して新王を承認しました。その皇帝の勅使たちのこと)を歓待する宴にはジュゴンの肉をふるまったそうです。通説ではあの悪税「人頭税」としてジュゴンを納めさせられたと言われていますが。


歴史を書くにはスペースがないので、祀られるジュゴンについて進めます。


ふたつの島からなる新城島は神高い島とされています。島にひとつずつ、ジュゴンの御嶽(うたき)=「アールオン(東御嶽)」と「ナナゾウワン(七門御嶽)」があります。
御嶽にはジュゴンの骨が納められているそうです。決して近寄ってはいけない神聖な場所なので外からの撮影も禁止です。


私は5年前にこの島のひとつを訪れました。隣の黒島から数人のシュノーケリングツアーで上陸しました。ガイドの人が島の区長(公民館長)さんに挨拶をした後、ジュゴンの御嶽以外を案内してくれました。人口が5人ほどの島は、静かに夏の日射しを受け、独特の空気を放っていました。集落や浜の他、私たちは豊年祭が行なわれる「ナハウガン」、そこに近い「イルオン(西御嶽)」に立ち寄りました。ジュゴンを祀る「アールオン(東御嶽)」がこの地続きにあるんだ……と少し緊張した気持ちになりながらも。


(私が行った2か月前には「やしの実大学」の公開講座で、公民館長によるワークショップがありました。参加したかったな)


秘祭とも呼ばれる神事がある島だと知ったからでしょうか。ジュゴンの御嶽があるからでしょうか。確かにその島は違っていました。太陽の光が濃いのです。風が吹いてもなぜか密なのです。でも、とても清清しい気持ちでいられました。おそらく太古からその空気は変わっていないでしょう。その「なにかフシギな感覚」こそ神高いとされるゆえんでしょう。


神格化されたジュゴンは私にとってGODDESSでもマーメイドでも構いません。
島の土を踏みしめ自然神に対する畏敬の念を味わえたのは、有り難い贈り物だと思いました。


画像は「タカニク」と呼ばれる火番盛です。頂上から他の島々がよく見えます。
(御嶽でもよかったけど、こっちが富士塚に似てるから。笑。当時セピア写真に凝ってましたー。)

はい。ジュゴンです。

最近は知っている人も増えましたが……海棲哺乳類の1種。ジュゴン目(海牛目)ジュゴン科に属する生物であります。人魚伝説のモデルとなったということで記憶されることも多いでしょう。世界中で10万頭程度、そのうち北限の50頭未満のジュゴンが今、生存の危機です。毎日のようにジュゴンの命を脅かすニュースが伝わって来ます。
ジュゴンを守ろうと活動家たちも大勢います。

さて、ゾウの祖先が海に入って進化したと言われるジュゴンは「菜食主義」です。彼らの食用となるのは海中のアマモ等「海草類」。海藻類ではありません。実はアマモも陸上の植物が海に入って適応したのですから、深いつながりですね〜。

ちなみに、マナティーも同じく海牛目でジュゴンに似てますが、海にしか住まないジュゴンに対してマナティーは川が多いです。また、尾ビレが全く違う(ジュゴンは三角、マナティーはしゃもじ型)し、顔も違う。

私は数年前「美ら海水族館」のマナティーに会ってきました。でも、ジュゴンに会うには鳥羽水族館しかありません。(飼育は世界でここだけ!)

下の骨格展示は、今月オープンしたばかりの沖縄県立博物館にあります。先月、取材のライターに同行させてもらった折、暗い館内で撮影したスナップです。奇妙な雰囲気なのは公開前だからです。でも暗がりの中、数ある生物の骨格展示のうちこれだけが、妙に何か語りかけてきているような気がして、撮らずにはいられませんでした。

そして、その手が5本指であることにいたく感動し、案内の学芸員の方に「ジュ、ジュゴンですね!?」と問いながら心の中でGODDESSを連想していました。

【水の中のGODDESS】

生身の生き物、それも未だナゾにつつまれる、ヒトではない生き物がGODDESSとは!?
でもGODDESSについて考える私にとってはこれも自然な思考の流れです。実在の人物が起源であっても偶像でも、性別があいまいであってもなくても、ヒトとしたカタチであってもなくても……GODDESSの共通項はひとつです。ここまで読んでくれた方には、キーワードを出さなくても伝わっているでしょうからそれは伏せておきましょう。あえてヒントとしては「ジュゴンさん、ありがとう」ってことでしょうか(笑)。

ジュゴンにひかれる人は、その姿形がかわいいからとか無抵抗な菜食主義者だからとか、生存が危ぶまれる政治的な現状を背景とするからとかいろいろあるでしょうが、やはり母性を象徴とした姿が一番強いでしょうね。(イルカとも違い、立って子供に授乳するジュゴンには胸に乳があるそうです)

たとえ5本の指がヒレの中に隠れていても、そのヒレで子を抱く、包む。その行為は、水の中のGODDESSと呼ぶにふさわしい存在感です。神の立場で教えを説かずとも、人に伝わるものがある。う〜ん。すごいです。

つづきは、沖縄での「神としての」ジュゴンについて。

沖縄で出会った第3のGODDESSです。

何だかわかりますかー?

石門の左側にある「天妃宮跡」の碑と、説明のサインです。那覇市の文化財に指定されています。

かつて天妃宮は上下の廟があって、ここは上の廟、このすぐ南西に隣接して下の廟があったようです。跡地は天妃尋常高等小学校が1899年(明治32年)にでき、戦後一時期、市役所として使われその後現在の天妃小学校となりました。

ところで。。。
ミロクもそうですが、媽祖も救世主として【今の時代にこそ人々に求められる存在】であります。

航海安全の神であり、やがて祈願全般に崇められるようになった媽祖は、元々天候を予知する霊力を持っていました。人々に「今こそ」と求められるのは、異常気象を鎮めてほしいとの想いからです。特に水に関する気象。東南アジアを襲った大津波、米大陸で被害をもたらしたハリケーンなどなど、世界で水が暴れています。潮位が上がって国が沈んだり洪水の憂慮もあります。近年、シャーマンたちも媽祖の存在に着目しているそうですよ。

しかし媽祖様の力を借りて……というより、このGODDESSの存在を通し人類が改めなければならないことに気づくべきですよね。


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HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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