▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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「烏帽子岩」は富士塚には重要なアイテムです。たいていは「えぼしいわ」とか「烏帽子岩」とかの文字の刻まれた碑がのっているのですが、文字がなくてもこれも烏帽子岩じゃないかと思うのがこれら。

 @音羽富士

 @高田富士

 @鉄砲洲富士

どうですかー? 全部、烏帽子のカタチの岩でしょ?可能性高いと思いますーよ。
こないだからどうも気になっていたのですが、先日、音羽富士へ3度目に行った際に「やっぱりな〜」と思いました。これらすべて7合5勺の位置にあり、同じ富士講「丸藤講」の作ったものだからです。(音羽富士は山護講が塚を築造しましたが、塚には丸藤講による石造物も多いのです)

文字を刻まずにカタチで表現とは。う〜ん。私好みです♪


他には千駄ヶ谷富士、行徳の押切富士にもこれに準ずるものがあり。。。
「瀬崎富士」から、東武伊勢崎線の谷塚駅まで歩いてすぐ。そこからひと駅だけ乗って竹の塚まで行って。。。

とここで、割り込み記事をひとつ。

元禄の頃から赤羽に住んでいるというおうちに生まれた友達が、先日実家に寄った際にこんなものを見つけて送ってくれました。北区の区報新聞です。(6月20日発行)

北区にあった富士講のこと、十条富士のことなど書かれています。

読むには「拡大版」をドゾ!

十条富士のお山開きも間もなくですね! 去年のお山開きの様子は→こちらです♪
おとりさんじゃないよ、おからすさんだよ。

以前、「富士山牛玉(ごおう)」を調べていくうちに「熊野牛玉」に行きつき、ちょっと書いたことがあります。

富士山に欠かせないものが猿ならば、熊野に不可欠なのが「八咫烏」ですね。熊野牛玉を形づくるのは88羽の八咫烏の烏文字。なんと白鳳時代に始まったそうです。約1300年前!

元々、起請文(契約書)として使われていたけれど、修験者や熊野比丘尼(びくに)によって全国に配付され、これを家屋玄関に貼れば盗難除け、病気には烏を切り抜いて浮かべた水をいただくと効果があったと言われていました。今では参詣者がこれを受け取ることがポピュラーですね。デザインは三山とも少しずつ違います。「お烏さん」と呼ばれます。

「熊野本宮大社」

「熊野那智大社」

「熊野速玉大社」

 

他の2社が一枚一枚手摺り木版なのに、速玉大社のだけちょっと印刷っぽかったですが、ここは、牛玉符を大事にしつつ牛玉アイテムにしたものも多い。ゴオウTシャツなんてぐっときますよ〜♪ 富士山の金剛杖なんか持って撮影してみました(笑)。右はちっさなお守り。カラスに見えませんけど。



で、以前から気になっていた牛玉の中の宝珠の件。ここで以前書いた、私の仮説はしゅるしゅるとしぼんでいきました〜(笑)。これを見たらやはり宝珠ですもん。速玉大社社殿に巨大な絵馬が架けてあって、干支の鼠がまとわりついておりました。「やっぱり???」

確認のため、社務所で牛玉符を指さし聞いてみたら……やはり「あっそれは宝珠ですね」。



しかし、最近この古代文字が気になっていました。左がイズモ文字、右がアヒル文字。いずれも「ハ」です。意味は天地(アワ)。他に「ひとつにまとまって出るもの」「地面のこと」「土(地球)のこと」。他にもありますが……なんか宝珠に似ていませんか?
最近、日本橋人形町や小網町、蠣殻町あたりをうろついていました。あ、富士塚に関係なくです。でもなぜか、表通りよりも裏の、ある一角に足が向いていました。足の向くまま気の向くまま……? それでも路上観察で出会うものは、おそらく偶然ではありません。この時もこんな看板に出会っていました。



この時は「行徳かあ。日本橋と行徳は縁があったんだー!でもまあ、そのうちね」という程度で忘れていました。

ところが富士塚求めて散歩に出た日、「つながった」のでした。



はい。
私が歩いた旧街道というのは「行徳街道」です。(map上、旧江戸川の北側が東京都江戸川区となります)
妙典駅下車の後、旧江戸川を目指し直角に歩き、行徳街道にヒットしたら左折。行徳方向へ歩いたのでした。(帰路はそのまま家まで徒歩ね♪)

↓ちょっとトリビアってことで。

「行徳は古くから塩の産地として知られ、この塩を江戸に運ぶために開発された航路も、やがては人や物資の輸送に使われるようになった。この航路の独占権を得たのが本行徳村で寛永9年(1632年)にこの場所へ船着場を設け、新河岸とよんだ。この航路へ就航した船数は当初16隻であったが寛文11年には53隻となり嘉永年間(1848〜54)には62隻に増えた。
これらの船は明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)まで江戸小網町からここ行徳新河岸の間を往復したので行徳船と名づけられ、その間3皇8丁(12.6キロ)という長い距離を渡し船のように就航したところから、長渡船ともいわれた。
行徳船を利用した人達には、松尾芭蕉、十返舎一九、小林一茶、渡辺崋山、大原幽学など歴史上、または文学史上に著名な人物も多く、特に文化、文政(1804〜30)の頃からは、行徳を訪れる文人墨客や、当時ますます盛んになってきた成田山参詣の講中たちによって、船着場は非常に賑わいを極めたのである」

街道沿いのふたつの富士塚も大事ですが、こんな学習がたまらなく楽しいですよ。
行徳は隣町ながら(だからこそかな?)町の歴史など何も知りませんでした。中古車販売の店が多いとか、ラーメン屋がしのぎを削っているくらいしかの印象しかない(笑)。ただ、何の用だったか覚えていないけれど、昼間、タクシーで行徳を走ったことがあり、その時あまりの寺の多さに驚きました。ドライバーはちょっと得意げに「寺町だからぁね〜♪」

日本橋小網町で「行徳」の名を見つけたのは、早く行けってことだったのかしら(笑)。



おまけ。「湊」は「港」のことですね。近くに「本塩」とか「伊勢宿」という地名もあります。

ちょっと引っぱりすぎでした。では、行徳街道沿いの富士塚へご案内〜♪



「八幡宮」の入り口から。


結局伊丹のオープニングには行けず。でもヘコむ私ではありません(笑)。

家で作業が残っていたけれど、私を外に引っぱり出してくれたのは春の日ざしでした♪最近は日も高くなり、午後3時から出かけたって充分取材は可能です。

「畳屋」と「蕎麦屋」と「葬儀屋」と「神輿制作所」が目立つ古い町。

↓畳屋は多すぎるので、画像いちまい。



↓巨大看板がやけに目立つ中台神輿。



↓こじんまりの浅子神輿。



↓本宅が素晴らしい後藤神輿。



後藤さんちの彫り物を見上げて近寄ってみると、家の両脇には



左が桃から生まれた桃太郎。そして右、翁と媼だな。

看板の住所でわかるけれど、ここはかつては「○○千軒寺百軒」と言われるほど、つまり10軒の家に1軒の割合で寺があったほどの寺町で、神社も負けずに密集しています。その○○とは?

つづく。。。(もちろん富士塚は出てきます〜)
2日前の講義でお会いした人もいたけど、ふらっと自転車でやってきた参加者もいました。富士塚そのものの見学だけでなく、昔の情景も思い描くことができ、皆とても満足気でした。

一応ここの講を紹介。



小竹丸祓講(こたけまるはらいこう)。解散してます。

よその講からは、山万講(やままんこう)と丸三講(まるさんこう)。



神社の入り口にタイムリーな言葉が。。。(月変わり)



山岡鉄舟の言葉です。絵描きの山岡鉄斎(南画家)や富岡鉄斎(富士の絵を残した)と混同しそう〜(私だけ?)ですが、幕末の武士ですね。これは、鉄舟が剣の悟りを得た時に詠んだもの。

人はとかく自分の幸不幸を周囲のせいにしがちなのだが、本来あるべき自分をただそのままに生きて行けばよいのだ。平常心是道である。ってこと。

う〜ん。ありがたきおことば!




下山いたしましょう。(頂上から煙突が見えます。「浅間湯」とはさすが♪)



後発隊が路上探索から戻ってきたようなので、交代です。我々は境内を出ます。



石柵をまわり、駅を背にして神社の後ろに向かいます。遠くからでも頂上の奥宮がよく見えます。高さ8mもの大きな富士塚はかなり立派です。古墳を利用した塚であります。形は違いますが、駒込富士のようにね。



裏側にやって来ました。もうひとつの班がちょうど頂上に登ったようです。左(富士塚の真北)にある駐車場あたりは昔、池があって、そこにあの大山不動尊座像が祀られていたのです。



一行はもう少し神社から離れてみます。明治&大正時代のここ一帯の略図を眺めながら、Kさんの説明を受けました。現在江古田斎場になっている建物の向こう側に富士塚が見えます。おお!建物と富士塚の間あたりに池があった。おお!そして自分達が立っているあたりが川でした。おお!(たぶん現在は地下を流れてます)ふむふむ。石神井川の支流ね。そうですか。富士登山の前のみそぎは近所の川でやっていたのですかー。面白い。実に面白い!

ではさっそく、15人ずつ2班に分かれて登拝へ参りましょう。案内人は学芸員のKさん。



門を開けるとすぐ……変わらぬ姿の猿の像!(私のお気に入りです。笑)



こんな位置関係。後ろに「同行=どうぎょう」の大きい石碑、その奥に頂上が見えます。結構距離があるんですが。



おっと、登山の前に、禊ぎのためのこんなスポットをチェックしときます。



大山不動尊座像が滝の上にあります。前回(去年正月)には滝は枯れていましたが、やはり水があるのはいいものです。この不動様は大山講のためのもの(だったと思います)で、この富士塚の裏手から移築したものです。では、登山道に戻ってふたたび。



合目石を確認しながら一歩ずつ。ちょっと進んだ右側には……



太郎坊。奥の鳥居は5合目の小御嶽神社。



それをくぐると……



カラス天狗と(鼻のない)大天狗。



木漏れ日が美しい。



一旦引き返し、左側登山道からまわると「経ケ嶽=きょうがだけ」と身禄の碑。



中腹から頂上を仰ぐの図。気持ちいいなあ〜。



後ろの班はこれから神社の外に出て、周辺の探索へと出発だそうです。

「関東地方の山岳信仰と講集団」の講義の2日後、再び西武池袋線に乗りました。

この日は「江古田富士見学会」という課外講座です♪ 講師の先生はいませんが、郷土資料室の学芸員の方2名と一緒に、江古田の富士塚へ登ります。



江古田の(江古田生まれの私はエゴタと呼びますが)駅前に茅原浅間神社があります。



社殿の奥に富士塚がそびえています。集合時間までまだ余裕があるので、人はまばらです。前夜の大雨もすっかり上がり、ぽかぽかいい天気♪



浅間神社本殿にお詣りしました。拝殿の奥がガラス張りになっています。写真ではわかりませんが、このガラス越しに富士塚がよ〜く見えるようになっています。



そうこうしているうちに、参加者が集まって来ました。定員30名様。


ホントは講義のつづき、いくらでも書けるんだけど、きっと読んでも面白くないと思うのでこのへんで。あとは自分だけの楽しみに。(ノートびっしり取ったし♪)

ただひとつだけ。



これは昔、東武美術館があった頃見に行った「富士の美」展で出ていたものですが、今から300年前に噴火した「宝永山」の様子。1707年12月16日の噴火だから、正確には300年と2か月ちょっと前ですね。(去年、噴火300年記念ということでいろいろあったようですが)

宝永の噴火によって富士登山のルートががらりと変わったのです。灰が重く積もり、東側つまり静岡のほうが壊滅的なダメージを受けました。そこで、吉田御師が山梨側からの北口登山を宣伝し、富士吉田は最盛期に突入しました。

「御師=おし」は、【御祈祷師】の「御」「師」が残った言葉で、いろんな講に重要な存在です。参詣する山の麓で宿坊を営み、参詣者の世話をする人です。伊勢講の御師だけは「おんし」と呼びます。

御師は地元を離れ、遠方まで講を広めに出かけました。一に「営業」二に「営業」。客取りは大変だったらしいです。

富士講に限りませんが、講の普及に関し「御師が先にいたのかそれとも講があって御師が発生したのか」を質問した人がいましたが、先生の答えは「卵が先か、鶏が先か……みたいなもんです(笑)」。

御師は誰かがどこかへ参詣したという噂を聞きつけては、そこへ出向き「○○詣では、よかったですか?」「講をつくりませんか?」などと誘ったりしたそうです。

そう言えば、私も富士吉田の御師のお宅で「講をつくりませんか?」と言われました♪



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士山」のこと▲です。富士山
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ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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