▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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先にアップした足利市富士塚マップ内、★の位置は男浅間にありますが、
女浅間は、道路を挟んで少し北側。渡良瀬橋のたもとです(鳥居マークあり)。

森の中をずんずん歩いて登頂する男浅間に対し、女浅間は小さい。
規模で言ったら、品川富士や目黒富士、小山富士(松戸市)に近いでしょうか。



自転車を置いて鳥居をくぐり、振り返ったところです。
鳥居越しに渡良瀬川の河川敷、その向こう側には青い中橋が見えます。



歩きやすい登山道を登ります。
ペタンコ祭の際に、大勢の登拝者が登下山しても、ヨユウな広い道幅&低い段差。
当日は、乳幼児が主役の家族登山ですからね。



マップ看板です。女浅間は右上にあります。



ここがキッズの額に捺す御朱印の申し込み所。
兄弟姉妹が多いとセット料だとお得ですね。



拝殿への石段近くにあった看板です。これには龍神のくだりはありませんが、
私が2008年に男浅間に登った時、求めた麦藁蛇に添えられていた由来書には、

「かつて、大雨が続き渡良瀬川から大洪水が起こった時、突如龍が現れて、
下浅間神社の山に登った。龍は雲の中へ消えると、嵐がおさまり、
その頃流行っていた疫病も消えるように治ってしまった。以来、人々は
龍を『浅間神社の使い』として崇め、初山祭りに麦藁蛇を配るようになった」

とありました。
上浅間(上の宮)を男浅間、下浅間(下の宮)を女浅間と呼びますから、
祈りの発祥はここ女浅間なのです。

↓2008年の麦藁蛇です(男浅間にて)



では、お参りしましょう。



川上講と刻まれた水盤。大月町東耕地の仙元宮も川上講でした。



しっかりした作りの石段を登ります。結構、急!



拝殿に掲げられた扁額は、鮮やかな青にゴールド。



社殿が開放的なのは、ここでペタンコする(子供の額に捺印)からですね。

振り返ると、



こんな感じ。さらに、



本殿を目指します。お代官様田部井氏の末裔のお名前がありました。



拝殿(ペタンコ会場)と本殿の位置関係はこうです。本殿のある頂上には、



絵馬掛所が♪ どなたさまも健やかに!(キッズは日本の未来です)



頂上にあった石碑(山型ですね)には、初山の文字。
江戸時代から催されてきたこの祭りは、明治時代に最高潮だったでしょう。



本殿の玉垣下には「水行五年」!
こちらは卍講。正確には逆卍。(講には両方存在します)



安全性を配慮された下山道。沿道には、川上講と逆卍講が混在してますが、

三国第一山……三十三度大願成就

食行身禄クウ御霊前…烏帽子岩…

北口登山三十三度…

中腹に降りたら、まだありました。



山型の石碑は、





立派な小御岳石尊大権現!日輪月輪つき。
それにしてもこの富士山型はよくありますが、
ただの三角でなく一方が反り返っている部分は、
私は宝永山を表しているのではないかと思っています。



コミタケ碑の土台はしっかりしてた。
角を曲がると、お宮の見える位置までやって来ます。



その前に、もうひとつ拝所がありました。(これは何だったかな)
屋根の細工と色彩が斬新でした。



これで元に戻ったことになります(反時計回り)。



登って来たジグザグ道を降りれば、



WATARASE RIVERのサインが待っている。しかしこの「瀬」の字は???



何が釣れるのでしょう。渡良瀬川は結構いい釣り場のようです。
日の暮れるまで、何人もの釣り人が川につかっていました。

時間がゆっくり流れるいい町でした。自然豊かで、のびのびと。
日本最古の大学ができたのも頷けます。(勉強に集中できそう)

実は、まだつづく。。。





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さて、昨年秋に訪れた足利市の富士塚も最後となりました。
もう一度、今回訪れた足利市の富士塚マップです。



樺崎町馬坂の浅間神社から、国道293号を戻りました。
途中、菊屋本店で門前そばを食し(足利はお蕎麦も名物です♪)、



地元で「大日様」と呼ばれる鑁阿寺(ばんなじ)に寄ったり。





境内内の出世稲荷にお参りしたり。



足利学校には泣く泣く寄らずに。。。
市立美術館の横を走り、中橋(116号線の通る)を渡り、
最後にどうしても行きたかった「女浅間」へと急ぎました。

地図と上空写真をセットでアップします。



ピンクの☆マークをつけたところが「女浅間」です。
東武伊勢崎線を挟んで南側にあるのが「男浅間」です。
関東でも有名なこの足利浅間山は、
上浅間として男浅間、下浅間として女浅間。両方合わせて足利富士です。
こちらも他同様に、自然地形の富士塚と言えるでしょう。

かつて「初山祭り」で訪れた男浅間のことは、
こちら や、
こちら や、
こちら に書きましたが、

それらの記事にあるとおり、その時は男浅間しか行けなかったので、
(時間があればのオプションとしてだけど)今回楽しみにしていました。

東武伊勢崎線沿いに自転車を走らせて、渡良瀬橋の交差点に到着。



正面の山が女浅間山です。サインにバッチリと「初山ペタンコ祭」とある!
車道を横断しながら撮った写真は、



渡良瀬川にかかる渡良瀬橋です。左側の橋のたもとに近づくと、



車道の横には、人が歩いて渡れる橋が隣接されていました。
向こう岸、山の中腹に見えるのは赤い社殿の「織姫神社」です。

来た道を振り返ると、



右手が女浅間山。
向こう側に線路があり、その先にそびえるのが男浅間です。
そして、正面を向くと、



浅間神社(女浅間)の登山口となります。では、登山開始。



すぐ目に入る「ペタンコ祭」のサインです。

つづく。。。







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SBS (静岡放送) の「イブニングeye」では、富士山の文化遺産登録に向け、
昨年から月1回のペースで富士山にさまざまな角度から迫っています。

1月25日に放映されたのは、富士塚紹介でした。
コマ割りでアップしてみました。左上から右方向に移動し〼。



私が撮った開山式の画像(昨年の千駄ヶ谷富士)も出ました〜♪
静岡の方たちには新鮮だったかもしれませんね〜。






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ひと月以上空いてしまったけど、足利の富士山信仰の続きです。
マップをもう一度アップ。



樺崎(かばさき)町の堤谷(つつみやつ)仙元宮から、
再び国道293号(黄色い車道)に乗り、時計回りに大きく
ママチャリをギコギコこぎました。

右手に樺崎工業団地、左手に樺崎八幡宮の入り口を見ながら
風を切るも、馬坂に入る頃から上り坂がキツ〜〜い!
まわりの風景を撮るヨユウもなし。汗だくでした。

越床トンネル近くにある浅間神社を目指しました。
樺崎町馬坂。(越床峠を越えると佐野市です)



トンネルから200m手前地点。車道の向こうは、



ダンプが出入りしています。
なんとハイキングコースの道も兼ねて! 仰天です。



上空からの画像でおわかりかと思いますが、
浅間神社の向かいに足利鉱山の敷地が広がっています。
ダンプは、石の採掘場から出て来たのでした。



歩道から数段上がると、鳥居と拝殿があります。水盤も。
これ以上後ろに下がれません。鳥居の内側から外を見ると、



こんなですもん。
神様はこの光景をどう思って眺めておられるのかな。





荒れて朽ち果ててはいますが、かなり立派。
右奥には、後ろに控えた山に続く道と小さな社が見える。
山の麓に浅間神社があるということは、山を富士山として
祀ってあるということでしょう。つまり天然の富士塚ですね。

よほど登拝をさせていただこうかと思いましたが、
(293号を走る大量の車と、採掘場を出入りする大型車の)
騒音が凄まじく、私は神様に向き合う気持ちにフォーカスできず、
「またいつか来させていただきます」
と挨拶し、今回は断念しました。

入り口近くにあった講碑は大きく、



富士登山三十三度……
(扶桑教とあるので、明治以降の新しいものでしょう)

この後、293号をまた走り、足利市街に入りました。
つづく。。。





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私が生まれて育ったところ、
練馬区にて楽しい勉強会に参加させていただきました。
あ、講師としてですが。

近年、練馬区では練馬区観光協会による「ねりまのねり歩き
という練馬区民のためのイベントがあります。

ボランティアガイドによる町歩き案内ではありますが、
ガイドの方たちは皆博学で、養成講座を経た猛者揃い!
時折催される勉強会にも参加される、頼れる人材であります。

今回、そんな方達のために富士塚講座が開催され、
私めが富士塚について一席語らせていただいた次第です。

とはいえ、最終目的は区民の方を楽しくご案内するわけですから、
私がお話する内容は、「富士塚がいかに面白いものか」
に絞り込みました。



参加者は約30名。



1時間半のレクチャーは、とことんマイペースで
富士山信仰の概要、富士講のこと、富士塚の構造、



江古田富士と大泉富士の逸話あれこれ+ヒミツなどなど♪♪♪
特に富士塚まわりの地形(水垢離に関わる水源&川)を
お話しました。



ローカルな話題でもご理解いただけることに
私の熱も上がるばかり。私にしかできない話もあり〼た。

ちなみに、「富士塚マニア」を英語で言うと
「Fujizzz Fanatic」でしょうかね〜。



質問を受けて喜ぶ私。
富士塚にかなり詳しい方とのやりとりにニンマリ♪
メチャ楽しかったです! ありがとうございました!

私がお伝えしたかったこと。
それは、富士塚の面白さは3つあるということ。

1: 造形的な面白さ。
  ミニチュア富士として。登山できるしくみ。
  アイコンとしてのトリック。ボク石を「踏む」意味。

2: 聖地としての面白さ。
  遥拝する場所&祈念を飛ばす送信装置。
  富士山の神を降ろしたありがたい場所。

3: 学べる面白さ。
  史跡として。地形を知る。地域の歴史。
  先人とのコミュニケーションが生まれる。

そんなところが伝われば嬉しいと思っています。

ちなみにレクチャーの場所は高層階。



ひとつ上の展望台では、夕陽が綺麗に見えました。
(分厚い雲のため、富士山は姿を見せませんでしたが)





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世界文化遺産登録が注目される富士山を、改めて見つめてみようと、
朝日新聞の静岡総局と甲府総局の合同企画で、
新年特集「まるっと富士山」が、元旦から約10日間にわたり
静岡/山梨のそれぞれの紙面に掲載されていました。

「一合目」から「山頂」まで毎日テーマが変わり、
自然に迫るのはもちろん、産業や地域の人々を浮き彫りにしたり、
信仰やパワースポットの紹介もされ、面白かったです。

連動したり、地域性を反映した微妙な違いが面白かったり、
取材の苦労も感じました。

私は「九合目」で、富士塚紹介をしています。テーマは信仰と聖地♪
静岡版:1月11日付「人をひきつける力」
山梨版:1月10日付「信じる心 昔も今も」

↓静岡版の紙面です



↓ウエブではカラーでご覧になれます



同じテーマでも、もちろん山梨版は違います。
九合目は同じ記事内容(掲載写真は違います)ですが、
他はそれぞれ違う展開になっていて、とても読み応えあります。

新聞の紙面は全部アップできないので、
サイトをそれぞれご覧ください。「まるっと富士山」をまるっとね♪

静岡版
山梨版







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足利の富士山信仰レポのつづき(まだ終わってない!)に
戻る前に、正月ネタをもうひとつだけ。

練馬区では大泉富士にも登って来ましたが、
やっぱりまた発見してしまいました〜。
私が一番多く登っている富士塚なのに……お宝多すぎ!

気を取り直して。。。(有り難いことですから)



亀磐の近くにあった「龍石」です。

たぶん富士山の名所岩だと思いますが、とにかく珍しい。
過去に一度だけ、龍石に出くわしたことがありますが。



埼玉県和光市の浅久保富士にあった龍石です。

↑その時の記事にも書きましたが、漢字表記は少し違います。
大泉富士のは「龍」だけど、浅久保のほうは偏が帝。

大泉富士も浅久保富士も、同じ丸吉講だし、互いに
交流はあったのだけれど、今のところこの2富士以外で
龍石に出会ったことはない。なぜだろう。。。。。。

ま、とにかく、大泉の龍石を見てみましょう。

まず上部。原新田というのは古い地名です。
和光市の新倉地区にあった村の名で、今では本町あたり。
(和光市駅から西南方向にほど近い一帯)

今でもバス停名や屋号などに残っています。
ちなみに、浅久保はそのすぐ東隣にある。ふむふむ。

では、左右下側にある人名は?

上原鉄五郎さんは、旧・新座郡上新倉村の人で、
「明治初年に富士講碑に名を刻んだ」との記録あり。
(埼玉苗字辞典より)

鈴木彦右エ(衛)門さんも、旧・新座郡上新倉村の人で、
文政7年生まれというのもわかりました。
そして「明治3年に白子村の富士講碑に名を刻んだ」と。
(同上・埼玉苗字辞典より)

ふたりとも原新田の住人で、ほぼ間違いなく富士講ですね。

大泉富士のあるあたりは、かつては橋戸村だったから、
鈴木さんの「明治3年に白子村の富士講碑……」とは、
別の富士塚のこと(たぶん白子富士以外?)でしょうが、

上原さんの「明治初年に富士講碑……」には、村名の記述
がない。もしかしたら、この碑のことかも???

ところで、大泉富士の築造年は、明治7年(1874)という
のが通説ですが、それは、碑に刻まれた中で一番多い年号
が明治7年だったから、という理由です。

実は、数の碑の中には、
慶応4年(1868)もあれば、嘉永7年(1854)もあり、
文政5年(1822)なんてのもある!

最古の文政5年の碑が「富士仙元大神・木花開耶姫命」です。

やっぱり江戸期には大泉富士があった(少なくとも原型は
存在した)と考えるのが自然なようです!これはすごい!

ついでに、浅久保富士の龍石の文字も調べてみました。

右側にある文字は「小山岳みち」。
左には、丸吉講……と思ったが山吉講!の紋。え?
(丸吉講と山吉講は、紋は似てるが違う講)

その下が「○に清」の紋。これは……???
「清」がつく講紋は、品川にあったふたつの講だけど、
○の中に清はない。う〜〜〜〜ん。。。

それと、「○に清」の下に続く文字が「ふか川」です。
これにもええっ???ときました。深川って。。。

でも、他の講碑も調べてみたら、この講は、
かなり広範囲の交流があったことがわかりました。

近隣の講はもちろん、先の山吉講からは、番場、渋谷、
本ん所、西久保、堅川、市兵衛町、扇ばし、沼部、すな村、
奥澤、木場、目黒、年番、三軒茶屋、深川、神田の地名が
残っています。
山真講の名前もあります。(渋谷の講)

すごいぞ、丸吉講!
きっと羽振りのいい講だったんでしょう。

ちなみに、先の鈴木彦右エ(衛)門さんの名が刻まれたものも
ありました。

あ、しまった!私が知りたかったのは、
「龍石」が富士山のどこにあるかってことでした!

う〜〜〜ん。






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お正月に、江古田茅原浅間神社にお参りに行きました。
江古田富士のある、私の産土神です♪

もちろん富士塚登拝もさせていただきましたが、
とってもステキなお守りが頒布されていたので、アップします。

霊峰「富士」クリスタル御守



ピラミッド型のクリスタルの中に、
富士山の姿と神社名(練馬・江古田浅間神社)が、
上部には「願」の文字が刻まれています。(レーザー加工)

横から見ると、



こんな感じ。
四角錐なのは、富士山の御姿を「四方から拝せるように」とのことです。

今年の正月限定で100体のみでした。
火をあらわす橙色の紐と、水をあらわす水色の紐の
2バージョンありました。

これはいい!
コノハナ様は火にご縁があるけれど、水の神とされますからね。

このお守り、とてもパワフルに感じます。
今年の自分のキーワード「輝く方を見る」にふさわしい、
素晴らしいお守りに出会え、とても幸運でした!



さて、守られることに甘んじず、しっかり仕事をしたいです。







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また時間が遡ります。
実は、大晦日の1週間前にも砂町富士を訪れていました。



元旦から富士山の連載がスタートした朝日新聞(静岡版&山梨版)の取材で
ここに来ていたのですが、いつものことながら取材そっちのけで
つい新しい発見はないかと物色してしまいます(笑)。

富士塚の頂上には、「浅間嶽大日如来」の碑があるのですが、



以前から私はこの「大日如来」の文字が気になっていました。
この名があることからも、この富士塚は相当古いのですが、
この日、中道にてこの仏像を発見しました。(今頃ですけど!)



破損した部分がセメントで修復されていますが、



長い耳たぶや装束からも、大日如来像に違いありません。
現場でお会いしたY講元に聞いてみました。

「ようやく大日如来像に出会えましたよ♪」
「ふっふっふ。前からありますよ〜〜〜」

私がここに来たのはおそらく10数回は下らないでしょう。
さすがに普段からちゃんと見ておけとも思いますが、
それでも、こういうものが目に入るかどうかは御縁次第。
出会えるのはありがたいことです。

それからこれ。



中央に「氏子中」の文字が目立つこの石碑。

「砂町富士にはホンモノの富士山の土が混ざっている!」と、
東京人10月号の中でも書かせていただきましたが、
この碑を画像で記録したのは、実はこの日が初めてでした。



右側に、
「御尊山土持 土方
 世話人 植草喜左衛門 矢沢捨次郎 畑 長吉」とあり、
「御尊山」つまり富士山の土を「土持」つまりその土を運んで来た
という記録なのであります。

「土方」の文字も見えますね。名前の明記はないけど
土方をしていた誰かということでしょう。3名の世話人のもとに。



左側には、
「御山造 植木屋竹次郎」とあり、
届いた土を盛って山を造ったのは、植木屋竹次郎さん。

これらの文字を読んで、かなり興奮気味の私でした。
記者さんも驚いていた様子。



暖かい日差しが冬であることを忘れさせるほどでした。

さて、3つめの発見は富士塚から少し離れた場所にありました。



最近、御水講の方たちがとても大切にしている「元八まん道」の標。
亀戸浅間神社にあった道標を思い出させます

で、その右側に鎮座するお不動さん。



その手前の水盤を見て驚きました。
奉献の文字に挟まれたのは、まぎれもない富士山マーク。

「Yさん、これは御水講のですよね?」
「そうですよ〜〜〜。古いですよ〜〜〜」

参りました!!







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年が明ける少し前に、南砂の元八幡に滑り込みました。



「山吉丸す御水講」の提灯も煌々としています。
知った顔を探しているうちに、あっと言う間に氏子の方達が
本殿に集まりました。



宮司によるお祓いが始まりました。私も一緒になって頭を下げます。



雲間から出てきた月が気になったので、抜け出して横から撮ってみた。
右上、泳ぐように写り込んだ2012年最後の月光。



立派な神輿も一般公開。デカイです。
すでに氏子さんたちの気合いが込められている!
なぜなら今年は大祭(本祭)があるそうな。
区長も駆けつけ、檄を飛ばしていました。



火の粉にフォーカスしてしまったけど、いい光景です。冬の。



撥が早くて写らない。



友人も駆けつけ、富士講の方たちと飲んだのは、日本酒とコレ。
「富士山五合目奥庭みやげ『富士のこけもも』」のお酒です。
不老長寿ですって? 嬉しい!(やっぱり長生きしたいもの)
美味しかったです。ありがとうございました。

ちなみに私は「コケモモ」という名の響きが好き。
子供の時、ムーミンの本を読んで憧れたもんです(笑)。



奥の浅間神社も見に行きました。
夏みかん(?)がたわわに光っていて驚きました。

この光と影。色彩と闇。次元の階層。非日常な。。。

子供が立ちつくす。誰かを待っている。
去年(数分前)の自分の後ろ姿?いや、先を行く自分か。



灯籠にも明かりがついて、お宮が照らされています。
まっさらな紙垂が眩しい。



「富士塚もライトアップしたらー?」なんて言いながら、
イチョウの落ち葉を踏みしめて登拝しました。
(よい子はマネしないようにね)



参拝者はどんどん来ています。列もできました。



暖かい年明けでした。






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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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