▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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実りの秋、収穫の季節です。そして今日は中秋の名月。天に輝く月を仰ぎ、宇宙や地球や自然を感じませう。ありがたい気持ちになりませんか?

満月の夜によくするように、私は今夜も(不動明王を彫った)クリスタルを月光浴させています♪ そして、ちょっとかぐや姫のことなど思い出して。不死の薬を富士山(不死の山)で焼き、満月に還って行ったストーリーを。

「マイハーベスト」という情報誌があります。
名月にあやかって、画像にもちょっと光を入れてみました。



HARVEST…いい言葉です。自然に感謝するとともに、自分が今までやって来たことを認め、実らせましょう。自分自身を信じてあきらめず、前向きになりながら。
(自分に言い聞かせています)



この中で、富士塚(と私)が取りあげられましたので、アップしました。感謝しております。

今号の特集はズバリ「富嶽360度」、富士山です。

富士塚のコト。

太宰ゆかりの「天下茶屋」。

富士が見える温泉。行きたい!

写真家の素晴らしい作品。

ほかにもグルメが唸りそうな料理や宿など、16ページに満載です。

中でも気になったのが、小岩井大輔さんの写真、



富士山上空に現れる「吊し雲」。気圧や気流の条件が重なって生まれる独特な雲です。私はこれが好き。だって、UFOがカムフラージュに作った雲ですもんね(笑)。

あ、満月の夜のお話ですから♪
お焚き上げの儀式は、通常毎月1回の月拝みの日に行なわれますが、今回、Eさんが講の方に取材を申し入れたところ、特別に儀式を披露してくださることになったのでした。

昔は、毎月3日13日16日17日と、4回も拝んでいたとのことですが、現在は17日のみ。それでも欠かさず行なわれているとは!

お焚き上げは約20分。
「儀式が終わったら、皆で飲んだり食べたりするのがありまして……」
「直会ですね?」
「え?『ナオライ』なんて知ってるの〜?」 講元から驚かれました(笑)。
私は素性を明かさず見学させていただいたので、というか、まぁ一般的に直会に馴染みのある人はあまりいないのでしょうね。



↑これは「浅間まんじゅう」。講元の奥様のお手製です。あんこは甘過ぎず、とっても美味♪地元では欠かせない食べ物だそうです。このあたりの富士講に女性は参加していません。奥様ほか、女性の方々は「子安講」/「安産講」に入っていて後に念仏講に移るとのこと。生活習慣が受け継がれているとはいえ、昔ながらの生活サイクルがしのばれます。

このほか、素晴らしく美味な「初秋刀魚」(8月上旬のことです)や、お寿司などを御馳走になりました。お酒ももちろん!本当にありがとうございました♪



稲毛浅間神社の氏子の方たちに配られたという、立派な資料を見せていただくと、昔の写真が多数ありました。一の鳥居がこんな海の中だったことは知っていましたが、例大祭で歩くのは、桟橋と思いきや、小舟を並べた上に渡された橋だったのです(左上)。

今回おじゃましたのは、3丁目の富士講の方たちでしたが、1〜2丁目にも講があり、もっと活発に動いているらしいです。3丁目講社の先達はまだまだお若い方でした。講元(60代?)が富士講に入られたのは40歳のとき(それまでは青年会)とのことですが、先達も同じ道を辿っているようです。



この方たちは、稲毛浅間神社境内にある神楽殿にて、千葉県無形文化財に指定されている「十二座神楽」を舞います。出雲神楽が原型の江戸神楽の形態です。「11月23日に見に来てね」と。

1【巫女の舞】 2【猿田彦命の舞】 3【五穀豊穣祈願の舞】 4【事代主命の舞】
5【大国主命の舞】 6【三韓征伐の舞】 7【山神退治の舞】 8【鍛冶屋の舞】
9【大蛇退治の舞】 10【扇の舞】 11【天の岩戸開きの舞】 12【御囃子の舞】

(看板の解説にあるように)講元のO氏が旧家の長男ですが、なんとこの方は平家の末裔だとか。源頼朝由来の稲毛浅間神社で舞うわけで……面白いですね。
拝み箪笥の火鉢に建てられた線香の富士山に点火すると、



勢いよく燃え上がりました。
折り本(経本仕立て)のお伝えを広げ、講の方たちの拝みが続きます。
火は感動的に立ち上がります。それは、浄める意志があるようにも見えました!



鈴(レイ)を鳴らしながら、歌の詠み上げに入ります。
これは全て暗記してらっしゃいました。



火がおさまります。火鉢の奥には3本のお線香。自らのペースで燃えていました。実はこの3本、なぜか手前の富士山線香の火がいくら強くても、決して燃えうつらず、最後までこのようにゆっくりと燃えるとのことでした。これには正直驚きました。線香と言えど、それぞれの役割があって儀式を全うしているように感じました。



お水を火にかざすのも「お浄め」なのであります。

つづく。。。
ひょえ〜! ひと月以上経ってしまいました〜。

千葉市稲毛の富士講のお焚き上げレポの書きかけでした。→コチラ

では最初から。火をつける前の状態。







講員は3人。講元(左の方。中央は先達)のお宅の神棚の下、掛軸を掲げ、
拝み箪笥でのお焚き上げです。
掛軸は1枚。富士山が描かれ、角行と食行が並んでいるのが見えますが、
その上に、おびただしい数の御朱印が捺されています。



やはり、北口から登られています。それにしてもすごい朱印の迫力。



掛軸は、こんな立派な銅の筒の中に収まっていました。「新宿」は各地にありますね。現在は別の表記になっていたりします(ここでも地名には残らず)が、昔ながらの呼び名で説明されると、地域のことがわかりやすいです。これを背負って富士登山をしていたとのことでした。



「浅間神社三丁目富士講社」というのが彼らが名乗る講名で、千葉市の稲毛浅間神社の氏子さんたちです。富士講ですが、稲毛浅間の斜面で目にした山水講とはどうやら無関係のようでした。

この日は千葉の富士塚友達 Eさんからお誘いを受け、お焚き上げ見学に同席させていただきました。稲毛地区の富士講に関しては、おそらく彼が追跡調査をしていることと思います♪

つづく。。。
竹富島のことにふれ、もうすぐ竹富島の種子取祭だと気づきました。

今年は行けないけれど、一昨年の祭りでアップした、ミルク(弥勒)の登場を思い出し、ちょっと気になることが出てきました。

子供達のかぶりもの、「サージ」というのですが、



何かに似ていますね♪



「宝冠」です。

「山村民俗の会」発行「あしなか」の「修験道覚え書」によると、山伏の頭襟(ときん)つまり宝冠(ほうかん)は、即身即神(その身そのまま神)の体性を表わすもので、五智円満の神の宝冠とのこと。五智とは神の五つの智恵、即ち人間として覚るべき五つのことがら(大きく円満な心、円満で平和な心、正確に観知する心、働きに無駄のない心、神に通じ覚りに通じる心)だそうです。

長さ1丈2尺(1尺が30.3cm/1丈=10尺なので、1丈2尺は約3.639m !?)の白色のサラシを巻きます。



これはその冠り方(富士吉田市教育委員会の資料から部分転載したイラスト)。

上の写真、火祭りの時の3人は、微妙に違う個性が出ていますが、この基本で結んでいるようでした。斎藤先達(左)によると、「いざという時にこれを解いて命綱として使うこともできる」。

では、子供が冠っているサージの由来はなんだろう???

(サージにはいろんな種類があって、エイサーでよく見るサージは違う冠り方)

多少、結び方が違うかもしれませんが、見た目は宝冠とよく似ています。
ナゼかしら。
う〜ん。う〜ん。う〜ん。

こんなサイトに行き着きました(竹富島では「サジ」と言うらしい)が、それ以上のことはわかりません。
お墓参りの後は、必ず裏の海に出ます。
いつも浜で遊んだりしますが、今回は海岸沿いにススキの群生が目にとまりました。大きな穂が風になびいてワイルド。ふと、「そうだ、『サン』を作ろう」と思い立ちました。



サンとは沖縄の魔除け(この日の日記で、軽くふれました)。ススキの葉を結んで作ります。新鮮な葉で作ったサンを、お供え物の上に乗せたり、玄関に飾ったりするのが通常です。
私も生の葉で作りたかったのですが、葉で手を切りそうだったので、とりあえず引っこ抜いただけ。数日ねかせて柔らかくなったものを結びました。



こちらは、先日火祭りで行った富士吉田で購入した「魔除けの麻紐」。ごくフツーに、荒物屋の店先にぶら下がっていました。(たまたまこのように結んで売られていたのですが、私はどうもこのカタチに敏感です)
長さは1m50cmくらい、幅は最も広いところで5cmくらいあります。店の人によると、「魔除けとして何にでも使えます」とのことですが、神具類にも使われるようです。富士講の方たちは、これを鈴(レイ)に結んでいました。麻は浄めの意味があるようですね。様々な儀式に使われますから。
素材としてもよいので、2本購入しました。値段は忘れましたが、わりと安価だったと思います。

実は、私はサンをいつも持ち歩いています。



神社寺社は、たとえ聖地であっても、ちょっと避けたい気配も漂っていますからね。これは、八重山竹富島の神司(かんつかさ)に作っていただいたもの。宿で寝つけない夜、枕元とかに置くのもいいそうです。結界を張るわけですね。

私にとって、サンと塩と水晶は心強い魔除けアイテムです(笑)。
富士山が臨めない土地でも、富士山を思う人がいる。

「富士館」のタイル画。

割烹の店先にも♪

それは招福のアイコン。ありがたき姿。 町を歩けば、目に飛び込んで来ます。

本を出させていただいた感謝の気持ちを込めて、ご先祖様に報告をしました。

あ、間違えた!

これは、この先また、新しい展開で活動できますよう、願いを込めて
イメージ画像を作ったのでした。(もちろん違う媒体でね!)

でも、願いを叶えるためには、こういうことって結構効果あるんですよ。
実は昨年、本を出したいなと思った時、見本を作ってみたのでした。
その直後、短期間に出版の運びとなりました♪ つまり「イメージありき」です。

富士山が「いいよ」と言ってくれたのか、宇宙が力を注いでくれたのか。。。

実際の図はこれ。

墓石を丁寧に洗ってお掃除しました。ありがとう、ありがとうとつぶやきながら。
ほんのり桃色をした石は温かく、「よく来てくれたね」と答えてくれました。

私は感謝の涙をこらえ、かけがえのない時間はあっという間に過ぎていきました。



ありがとうの気持ちは、ひたひたとまわりにも伝わったみたいです。
吾亦紅(われもこう)や、ピンクのりんどうが、一層鮮やかに見えました。

やはり、先祖への感謝は基本です。
富士山信仰でも言いますね。「モトノチチハハ。。。」
天地創造主のことですけど。
近くの盆踊り会場から聞こえる「炭坑節」が合図となって、講の方たちは一瞬気が引き締まります。
時計を見れば、ちょうど9時。

先達を先頭に、講員が「掛け念仏」を唱えながら、下山を始めます。



掛け念仏は、バランスを考慮して、前半分・後半分を交互に唱えられるように並びます。



地上に下りました。麦藁でできた大松明のまわりを、右回りに3回まわります。

先達が大幣束(大麻 おおぬさ)を振りかざし、「四方固め」の形でお祓いをします。
正面→左側→裏側→右側→正面の5箇所です。

そして、火を招くためのいくつかの儀式が始まります。四方固めにて両手を使って「火の道を開く」所作や、



経本仕立てのお伝えをパラパラと開き、火に向かって「言霊を投じる」。鮮やかです!



待ちに待った「点火」。



そして、参加者に向けてお祓いが始まります。位置は四方固めにのっとって。



今年は火のまわりがとても早い。松明は巨大な生き物のように燃え上がり、人々に襲いかかるようでした。すごい迫力でした。強風が吹いたのと、松明がふんわりしていた(麦の量が少なかった)からです。自然を相手のことですから、火の表情は毎年違います。

この後、講中が再び掛け念仏を唱えながら登拝を始めると、群集はスコップとバケツを手に、松明の燃えカスに突進します。

昨年の様子はコチラです♪



そして、一瞬にして静寂が戻って来ます。
富士塚を仰げば、そこには森の中に吸い込まれそうな幻想的な光景が!

今年はまた、ひと味違った気持ちでお焚き上げに立ち会うことができました。ありがとうございました♪

後片付けをし、先達のお宅へと向かいます。荷物は車で運びますが、私は講の方たちと歩きます。これが、とても気持ちのいい数分間なのです。
「この向こうに川があってね。。。」
「自分が生まれた家はそこでさ。。。」
お話を聞きながらのんびりと「夜道の散策」です。



先達のお宅で直会です。
床の間には、今まで使った大幣束が立て掛けてあって、その多さに驚きました。

心づくしの手料理に感謝しっぱなしでありました。本当に美味しい。

「では、また来年ね♪」
そんな言葉をかけられた私の心にも、火が灯ったのでした。うるうる。
「火の花祭り」は、午後6時頃から富士講の方たちが中里富士に集まり、儀式を行ないますが、10分前になっても静かな富士塚だったので、ちょっとだけ、そこから目と鼻の先にある盆踊り会場へ行ってみることにしました。



実は、清瀬駅から中里に向かうバスの中で、ここで太鼓を叩くという方と御一緒したのですが、その方がこのちょっと後、やぐらの上でパワフルなドラミングを披露していました。御年配の女性です。バチ持参でカッコイイ♪



富士塚に戻った6時、中里講社の方々が集まって来られ、祭りの準備が始まりました。これは富士塚一面に取り付ける108本の蝋燭です。



間もなく、頂上で「拝み」が始まりました。



「お伝え」を見せてもらいながら私も唱えます。あれ?今どこだ???
靴下を通して刺した蚊がニクイ。足の裏に刺されました。



頂上では、掲げたゴゼンサマが晴れやかに見えます。
子供達が覗き込んでいる奥宮の祠と、その右には大日如来。



拝みが終わるとしばらくはのんびり。ちょっと記念撮影などしてなごみます。少しずつ参詣者が登ってきて、ふるまい酒(キッズにはお菓子)が配られます。私もこの手拭いをありがたく首にかけて♪

「吉田の火祭りでは筒屋さんで御一緒しましたのに、ゆっくりお話できずに残念でございました。あの時、先達の他に何人かはいらしたけど、○○さんや○○さんはいかれなかったんですね?」
「中里からは3人、他は下里からだったんです」
「ああ、なるほど。皆さんいつもは上文司さんのところにお泊まりなんですよね」
「そうそう。必ず上文司なんだけど、今年は宿の都合で筒屋に移ったんですよ〜。」



実際はこんなに暗くはないけれど、夜に包まれた中里の富士山は徐々に幻想的になってきました。



そして、蝋燭に火がともされ。。。



講の皆さんは出番を待ちます。
「盆踊りが『炭坑節』になったらそろそろだ。みんなこっちに移動してくるよ。」


つづく。。。
中里富士の頂上には、石祠やいくつかの石碑があります。
石祠には神様が祀られているわけですが、その隣の石碑には、



大日如来座像が刻まれています。つまり仏さま。(右側は寄った図)

富士山頂上に、神社ができる以前に大日寺が建立されましたし、
長い間多くの仏像があり、仏さまを拝むことはあたりまえでした。



江戸時代になっても、このように。(青いのがそうです)

そう言えば、だいぶ前にも書いてました。こんなことあんなこと
それから、実際、富士塚にも大日如来像はおわします。
江古田富士
山田富士
熊野堂富士
目黒新富士

ほかにもまだまだ。それにしても、講の方たちはどこかな?

つづく。。。


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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