▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
富士塚でのお炊き上げの儀式が終わり、皆で下山、
そして、場所を移動しました。 とても立派な中里地域市民センターの大広間。 お昼をいただいてから(御馳走さまでした!) 直会の準備に入ります。日射しがぽかぽか気持ちいい! 富士塚でのゴゼンサマをここでも掲げ、 立派な祭壇ができ上がりました。 塩の盛り方、御三宝の方向など、いろいろ教えていただき、 勉強になりました。ありがとうございました。 あとは、尾頭つきの魚を待つのみ。 そうそう、真鍮の燭台(明治33年奉納)を磨いたり。 あぁ、なんだか子供の頃を思い出す。祖母がやってた燭台磨き のお手伝い。。。その時もやっぱり日溜まりの中でした♪ 確か縁側だったっけ。 次にひかえしは、幣束(へいそく)作りと注連縄作り。 富士講は、神職の役割を先達および講員が行なうのです。 (かつては加持祈祷もやっていた時代があったのですよ) まず、2種類の紙垂(しで)を作ります。 先達所有の型紙を使い、紙を切り、折っていきます。 シングルは注連縄用。ダブルは幣束用。 使う和紙は、とても丈夫で上質です。 切り切り班、折り折り班なんて命名しながら(笑)分担し、 私は切り切り班でお手伝いさせていただきました♪ できたダブルの紙垂は、朝、中里富士裏の竹やぶから切り出した 26本の串に、大麻の紐で結びます。これもいい紐でした。 先達と先達夫人が監督です。「そうそう。そんな感じだね」 幣束は、こんなきれいな26本ができ上がりました。 こうして幣束を新しく作り変え、年内に、塚の全ての 石碑や石祠など、つまりすべての神様の場所に供えて、 初詣に、富士塚(=富士山神社)に来る人達を迎えるのです。 シングルの紙垂は、縄の間に挟み込み、夜の直会の 際に使います。 あとは、魚を待つだけとなりました。。。
富士塚頂上での儀式です。
行衣を羽織り、講の皆様は儀式の準備に入ります。 「火の花祭り」の時と同じ位置に「ゴゼンサマ」を配し、 奥宮に蝋燭を供えます。 線香によるお炊き上げは、このように富士山の形に盛り上げます。 「なんかうまくいかね〜な。手がかじかんじゃって」 というわけで、僭越ながら私めが仕上げさせていただきました。 でも、こんなスカスカになっちゃいましたが。。。 さて、皆様も準備が整い、中村先達もビシッとキメられました。 冬至のこの日にあげる祝詞はこれ。 お伝え本や、アンチョコを見せ合いながら、確認いたします。 私も自前のアンチョコを持参です♪ 「星祭祝詞」の最後、画像にピンクの★をつけたところ、 「善星皆来 悪星退散」は13回繰り返します。 頂上にて読誦するうちに、とても清々しい気持ちになってきました。 こんな気持ちは、本当にありがたいです。 先達が、星祭のお札を、線香でできた富士山から立ち昇る煙にかざします。 これで、お札に霊力が宿りましたね。 日射しはだんだんと富士山に注いで参りました。
冬至の日は、昔から「星祭り」が行なわれてきました。
今年「火の花祭り」を取材させていただいた中里の富士講の方たちに 再会するべく、21日の朝9時に中里富士に参りました。 丸嘉講田無組中里富士講のHPによると、この日に、 生れた年により定まる「本命星」、本年の廻り星である「当年星」をお祭りし 供養することにより、来年の除災招福を祈念する行事とされています。 今までは、集会場でやっていたお炊き上げを、諸事情により今年から富士塚の 頂上でやることになり、新年を迎えるための富士山の清掃をかねて 富士塚に集合したのです。 日は上がっていますが、富士塚はまだ森の影。でも、日が射してくると その暖かさに言い知れぬ安堵を覚えました。
100年に一度しか咲かないという、龍舌蘭が咲く先達のお宅にお邪魔しました。龍舌蘭はビックリするほど背が高く、先端は、夜空に隠れて見えました。
直会(なおらい)にお邪魔させていただきました。昔の先達の仰天話とか、出て来て面白かった。「JN先達は裸足で登ったって言われてるけど、ホントかね〜♪」なんて言いながら。 お野菜の美味しいことといったらありません。おうどんも腰があってたまりません。煮物もテンプラも格別でした。御馳走様でした! ちょっとトボケたOさんが、行衣の「朱印」を見せてくれながら、「はい。一印につき300円(撮影料)だよ」(笑) Mさんがお伝え本の中を見せてくれました。 中里富士の頂上に掛かっていた掛軸、「おみぬき」には、こんな文字が書かれています。これは、お伝え本の1ページ目。作字が多いので、ふりがながふってあります。富士講にとっていちばん大事な題目です。 北口浅間神社や小御嶽神社や頂上の奥宮でいただいた「朱印」のページは、朱肉の油のいい香りが残っています。「たくさん捺してありますねー!」「いや〜あんまり捺すと読めなくなっちゃうんだけどね〜」(笑) 富士山の頂上は8つの峰があり、8神がいるのです。仏教だと8枚の蓮華の花弁に9仏(8仏+真ん中に1仏)。 コノハナさまのことが書いてある。真ん中あたりに、産んだ3人の神々。海彦、山彦とあと誰だっけ? で、どんなことをお祈りするかっていうと、「家内安全とかね」 ああ、清々しいですね〜。 皆様、本当にありがとうございました。お世話になりました。 次は冬至の晩の「星祭り」ですね。ロマンチックだな〜♪皆さんお元気で! M様、またご連絡いたします。
「そろそろ松明に点火だ。みんな山から下りて下りて。暗くなるよ」
空きっ腹にふるまい酒をいただいて、ふらっとしますが、講の方たちは大丈夫なんだろうか。 提灯の明りは消えました。登山道に沿ってジグザグに光が浮かびます。細い青竹に刺した108本の蝋燭の灯です。幻想的ですが、いつもはこんな姿の山ですよ。 講中が詞を唱え鈴を鳴らしながら、下りて来ました。さすがに頂上での表情とは違っている。 先達も地上に到着。 これからお焚き上げの儀式です。富士塚の前に設置された藁の山を回ります。 講の方が順番に、藁の山に向かい、4方向から祈祷を始めます。 そして、てっぺんに点火。 特別に大きな「大麻・おおぬさ」(神主がお祓い・お浄めにバサバサ振りかざすアレ)が 人の頭上を舞います。私は顔をなでられました(笑)。 大麻の白い幣にまとわりつく火の姿に見とれてしまう。火の形は生き物のようだ。 火は浄化をいたします。火から霊力をいただいている姿がそこにありました。 火力はすごく、熱さはハンパでねえ。「あぢぃよあぢぃよ。」子供たちも汗だくです。 「毎年来てるの?」「うん。毎年」「僕は初めて♪」 すると、ひとりが別の子に何か手渡した。金バケツとスコップでした。 この時点で私はまだピンときていませんでした。「?」の表情をした私に、バケツを受け取った子は「おばあちゃんに頼まれたんだ」とにっこり。 登山道にはぎっしり人が立ち、上からお焚き上げの様子を見ています。と、カランカランと金属の音がして何かが私の足元を通過し、落ちて行きました。拾い上げた人の手には、片手鍋。 「な・べ?」思わず声に出した私。でも、まわりは平然としています。そのワケはすぐにわかりました。 ああこれかー!まだ火が消えていないのに、炭になりかけた下のほうに向かって人が近寄ります。その数はだんだん増え、あれよあれよと松明に集まって来ます。消防士は落ち着きはらって見守ります。フシギな光景。 今まで気づかなかったけど、ほとんどの人の手元がこんなでした。この消し炭を持ち帰り、門口や畑に撒くといいとされているそうです。この地域の人にとっては大事なお守りです。バケツにあふれんばかりに盛った炭を下げている人も多い。そんなにたくさんどうするのかと聞いたら、近所にも配るのだと教えてくれました。なるほどね。 駒込富士の鎮火祭の時は、いったん上空に舞って、その後ひらひらと落ちてきた炭しか記憶にありません。「笹の葉っぱ、そのままの形だねー!」と、地面に散らばった黒い笹を見て、私は友人と驚いたのでした。同じ鎮火祭でも違うもんですなー。 炭拾いを誰かに託した人たちは、山から見物しています。 私もお山に登って見てみました。わー、火はまだ勢いが止まりません。 でも、ほどなくして、黒い炭と化した麦藁富士に人々は突進して行くのでした。 ちょっと他をうろついていた間に、炭の山はきれいさっぱりなくなって、人もまばらになってました。お山もこんなにひっそりと。お地蔵さんも火のそばで熱かったでしょうね。 夢のようなひととき……いや、狐につままれた気がしました。 でも、夢でも狐のしわざでもなかった証拠に、この後、講の方たちとまた杯を上げることになったのです。 つづく。 昔は畑が遠くまで続いていたであろう武蔵野。その面影が残る中、バス通りから入った細い鋪装道を行くと、ひときわ背の高い木立があります。富士塚の場所を確かめるため、路上で遊ぶ少年たちに聞きます。「このへんに富士山てある?」 するとその木立を指差し「あそこだよ」と即答されました。 その一角に立つと、道路に面して大きな鳥居。その向こうの富士山が目に飛び込んで来ます。たっぷりと大きな姿です。そしてなめらかな形。思わず「土まんじゅう」という言葉が頭をよぎりました。岩山でないからです。 ここに社殿はありません。この富士山そのものが浅間神社なのでしょう。正面につけられた電光状の登山道が丸太で留められていて、公園の一隅のようでもあります。じっくり石碑を見てからと思いつつ、やはりまず登りたくなる。健康的な印象の築山です。一合目から規則正しく登山道が折れ曲がります。直線的な道の雰囲気から、富士山6合目のあたりを思い出しました。少し行くと右手中腹には大きな小御嶽神社の石碑があります。大天狗、小天狗の文字も刻まれています。頂上近くに石祠がひとつ、頂上にも2つの祠、2つの碑があります。頂上は平坦で広く、10人以上でも楽に立てそうです。来た道を見下ろしたり、木漏れ日をぼんやり見たり、天に伸びる木々を仰いだりと、すぐ下りるのはもったいないような、実に気持ちいい空間です。 祠は他に、鳥居を背にして左斜面に2つ。石碑はあまり多くはありませんが、大振りのものや陰刻が見事なものが下のほうに見ることができます。左下には「富士山太々講社」の大きな碑があり、登山口両側には丸吉講の碑。丸吉講の碑には猿が手を合わせて拝む姿が対になって彫られています。猿の碑の土台には、この塚で唯一ボク石が使われています。小さいものでは、1合目あたりに小室浅間、鳥居のそばに丸嘉講の碑があります。 現在も続く「丸嘉講田無組中里講」の方達がこの富士山を守っています。8月26日には富士吉田の火祭りに行くそうです。そして9月1日、その再現とも言える火祭りがこの中里富士で行なわれます。清瀬市指定無形民俗文化財にも指定されて有名な「火の花祭り」です。登山道には丁寧に点火されたろうそくがゆらめき、富士塚前の大きな麦藁の松明からは、立ちのぼる炎が夜空を焼きます。 東京都指定有形民俗文化財、清瀬市指定有形文化財の指定をうけるこの中里富士はかなり古く、江戸時代のものだということです。個性ある富士山は嬉しいです。 |
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………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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