▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
富士塚の詳細は後で書くとして。。。 神鳥前川神社にある「恩田富士」は、近くから移されてきたものです。 恩田富士の前身は、マップの中に記した「榎が丘富士」です。 今はもうないので「恩田富士跡」が正しいのでしょうが、 ちょっと疑問も残るので、保留の意味で、曖昧に榎が丘富士としておきます。 まず、榎が丘富士の位置ですが、場所の特定がちょっと曖昧なのです。 246のすぐ近くにあったということは、文献や地元の方によるものですが、 榎が丘という地名からは、もうちょっと離れた場所ともとれます。 土地感のない私には断定できないので、保留であります。。。 もうひとつ。 現在の恩田富士にある石碑を観察してみたところ、 榎が丘富士からだけでなく、もうちょっと離れた「通称・六角富士」からも いくつかの石碑が運ばれた可能性が出てきたのでした。 つづく。。。
榎が丘富士
分かる範囲で整理させていただきます。(苦笑)
「榎が丘富士」の所在地は「榎が丘24」だったので、地図の南側の方ではないかと思います。 元々は「下恩田富士」と呼ばれていたようですが、所在地の住所が「榎が丘」に改称されたので「榎が丘富士」と呼ばれるようになった経緯があるようです。 「六角」の方は正確には(?)「上恩田富士」と呼んでいたようです。 「榎が丘富士」が前川神社に引越ているのがわかって探索終了にしてしまいましたが・・・ 「恩田富士」のモノも前川神社に引越ていたのは驚きでした。
情報ありがとうございます!
hozhoさん
六角富士は「上恩田富士」のことですね? わりと大きな富士塚だったようですね。(高さ5m、径25m) しかし、なんで六角なんでしょうかねぇ。。。 いい名前ですけど(笑)。
訂正&六角
申し訳ありません「榎が丘冨士」の所在地(だったトコロ・・・)を訂正させて頂きます。
『都筑の丘のそぞろ歩き 3』 (昭和57 緑区郷土歴史研究会) ↑コチラのP20によると「榎が丘20」でした。 そして「六角」の方は・・・ 『田奈の郷土史』 (昭和39 田奈の郷土史編集委員会) ↑コチラのP50によると「はじめは六角形に築きあげられたものか。」との記述がありました。 「六角形だった説」が有力(?)かもしれません。
六角形
hozhoさん
追加情報ありがとうございます。 なるほど〜。郷土史の資料には出てるんですね。 私も今、先日地元の方にいただいた資料を読み直してみたら、やはり、 神鳥前川神社に移った富士塚のあったところは、榎が丘にあった神社で、 今は住宅のある位置(マップ上ではサニーヒルズのあたりか南側)とのこと。 道を挟んで鈴木造園の北側のようですね。 つまり、このページのマップでは、しらとり台に近いほうの榎が丘で いいんでしょうね。 その資料には、榎が丘に「六角形をしていた恩田富士」があったという、 間違いが書いてあったのですが。。。 神奈川大学日本常民文科研究所の「富士講と富士塚」によると、 榎が丘にあった富士塚と六角富士は別物ですね。 六角富士は、恩田町5525(これは旧住所?)となっているので、 私は地名がよくわかりませんが、やはり上恩田のようですから、 桂台のほうなんでしょうかね。 う〜ん。やはりちょっとややこしいですね。緑区の地名が変わったこともあり。 でも、おかげさまでちょっと整理つきました。ありがとうございます! 六角形の富士塚の古い写真とか見てみたいですね〜!
無題
上恩田富士と思われる碑や水盤が青葉区桂台1丁目15-17にあります。
くわしい情報、大変ありがとうございます!
ご訪問ありがとうございます。
青葉区桂台1丁目15-17というと、 地図で見たところ、桂台公園の西北(グラウンドの西)のあたりですね? 近い内に訪れてみたいと思います。 石碑や水盤がまだあるということは、神鳥前川神社にある山富講の水盤は、 桂台から移されたものではない可能性があるわけですね! これはまた、振り出しに戻って考察する必要が出てきました。 (私が知らないだけでしょうが)面白いです! また詳しい情報やご指摘ありましたら、どうぞよろしくお願いいたします!
無題
前回に続き投稿致します。
推測ですが山富講については、横浜・あかね台のポータルサイト「あかね台ネット」→あかね台の歴史→字地書上に見る恩田村の「曲坂」の項小名「菩薩講」にも関連がありそうな気がします。もう一項の「苗万坂」の項に小名「富士塚」の名があります。「苗万坂」の名はバス停で現在も残っていてこちらの富士塚は六角富士と思われます。 造成前の空中写真を「国土変遷アーカイブ」のサイトで見ることができます。現在の地図と照らし合わせると参考になります。
興味深いですね♪
あかね台のサイトを見てみました。
歴史が複雑ですね。土地カンがないとなかなか把握しづらいですが、 興味深いと思いました。旧名が残っているのは、手がかりになって いいですね!推測するのも楽しくなりますね。 菩薩講は、初めて知りました。昔はいろんな講で交流があったり、 まざったり、兼用してたりだったんでしょうが。。。深いです!
無題
引き続き恩田富士の情報です。
六角富士分譲地の中に一見お墓のようにみえます。 六角富士に調査へ行く前に以下のサイトを開いて見てください。 横浜市青葉区地域の「廣田新聞店」より発行の広域し「ひろたりあん通信」に大山街道の連載10月号~1月号に谷本富士・下恩田富士・六角富士の記事が載っています。 ひろたりあん電子通信withe yoppiのホームページです。 http://www.hirotarian.ne.jp/ このページをEnter→バックナンバー→歴史探偵→地名推理ファイルに10、11月号がアップされています。 12月号はhttp://www.hirotarian.ne.jp/tusin.htm →歴史探偵 高丸の地名推理ファイルにアップされています。 1月号は配布はされましたが、まだホームページにはアップされていません。 廣田新聞店に尋ねると詳しい情報を持っていると思います。 もう一つ横浜市都筑区富士見が丘にも川和富士と言う富士塚があります。 場所は横浜市営地下鉄グリーンライン、都筑ふれあいの丘駅と川和町駅の中間地点です。 こちらは見晴らしの良い富士塚です。
面白いですね
ひろたりあん通信♪ レポートに地域愛がありますね!
それにしてもたくさんの富士塚があるようで、ビックリです。 上谷本富士、谷本富士。。。 六角富士のことはこれからなんですね? 楽しみです。 川和富士は存在を知っていましたが、まだ行ってないです。 池辺富士へ行った時、ハシゴしようと思ってましたが、 時間がなくなってしまいました。
無題
恩田富士についての情報です。
現在横浜市の青葉区役所にて 813【恩田富士】おまけ・・・富士山の方角 項に出てくる散策しながら地図を作るサークル「まっぴい・青葉の街?」の方々と思われるメンバーの展示会を開催しています。 その中に恩田富士、下恩田富士の資料があります。 4月17日(金)まで展示しているそうです。
見たいです。
ありがとうございます!
私も最近、まっぴいの方たちと知り合いになり、恩田富士、下恩田富士の調査にもお誘いいただいていたのですが、自分の富士塚ツアーの準備に忙しく、とうとう行けませんでした。そうですよね。もう展示が終わってしまいますね。なんとかして行きたいのですが。。。
訂正です
上恩田富士の所在地は桂台1丁目15-17ではなく桂台1丁目15-11です。
旧地名は恩田町字富士塚5525番で区画整理による等により現在の場所に移ったようです。 敷地には祠、手洗鉢他7基の石造物があります。 下恩田富士(六角富士)の旧所在地は榎が丘20番地(恩田町字供養塚)にあり六角形の富士塚だったそうです。平成元年に現在の神鳥前川神社に移ったそうです。 以上は「恩田の二つの富士塚」「桂台の富士講碑」郷土史研究家による資料からです。 他、奈良町の住吉神社にも富士塚があり、ちい散歩の「ひと駅散歩」恩田駅⇒こどもの国駅で放送されました。
ありがとうございます!
東風さん
上恩田富士の所在地は、桂台1丁目15-17ではなく桂台1丁目15-11とのこと、ありがとうございました。 このブログではその後のことはアップしませんでしたが、実は、2009年1月に地元の方たちとたくさんのやりとりをしました。正直なところ、(思い違いを含む情報の錯綜があったことから)まだ決定的な検証には至っていませんが、一応、ある程度の結論が出ました。 整理しますと、 現在、桂台1丁目つまり桂台公園西側の、住宅街の一角にある石造物が、上恩田富士(通称「六角富士」)にあった7つ(正確には9つ)の石碑群で、 もうひとつが、下恩田(現・榎が丘)にあった富士塚。ここにあった石碑が、神鳥前川神社に移築されたもので、現在「恩田富士」と呼ぶ富士塚にある。 私は土地カンがないのですが、地元の方でも時折、思い違いがあります。 上恩田富士と下恩田富士は別物ですが、 東風さんが「下恩田富士(六角富士)の旧所在地は榎が丘20番地(恩田町字供養塚)にあり六角形の富士塚で、平成元年に現在の神鳥前川神社に移った」と、書いてくださったように、 双方とも「六角富士と呼んでいた」という混乱が実際ありました。 信頼できる調査報告書を元に考えた結果、 上恩田富士(六角富士)→壊された後、桂台の住宅街に石碑が残る。 下恩田富士(榎が丘富士)→石碑が神鳥前川神社に移され、富士塚が再築。 と解釈しています。 とはいえ、神鳥前川神社にある富士塚には、下恩田富士(榎が丘富士)以外の場所から移された可能性のある水盤もあり、おまけにそれにうりふたつのものが、桂台の住宅街にもあります。推測が二転三転したのはそんな経緯もありました。 まだまだ調べ足りないところで恐縮ですが、もし、他にも情報がありましたら、どうぞお知らせ下さい。よろしくお願いします。 |
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………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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