▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
ここからはひとり。 内房線で千葉に戻り、総武本線に乗り換えて降りたのは稲毛駅です。 以前から行ってみたかった「稲毛浅間神社」があります。駅を背に、西に向かいます。「せんげん通り」と呼ばれる街道には、 レトロな光景があちこちに。ゆるやかな坂を登り、 一番高いあたりで、西日が迎えてくれました。そこを過ぎるとすぐ下り坂。 京成千葉線の踏み切りがあります。左の駅は「京成稲毛」です。 せんげん通りは続きます。あっと言う間に 浅間神社。ここは 浅間神社の3つの入口のうち、上の鳥居ですね。(この地図は上が東を向いています) 入ってすぐに富士講ゆかりの場所があるのですが、まずは 本殿に向かいます。頭上には参詣者を迎えてくれる龍雲でしょうか。ありがたい。 広い境内。ゆったりとして参拝も心おきなくできます。ひとりで訪れる若い参拝者が多いです。 境内であるこの浅間山の頂上は、眺望もよく、この一帯の地形がよくわかります。 埋め立てられる前、神社のふもとはこんなだったのですね。ビックリ! さてこの画像でもわかるように、子供連れの人々が参拝しています。そして「例大祭」というのが、 今でも大勢の人で盛り上がるという「稚児行列」です。 このような縁起物が頒布されます。笹の枝を使う点が、(浅草のお富士さんでの)麦藁蛇や、高田富士祭でいただける登拝記念の品とよく似ています。 「稚児行列」は千葉県では定着した行事ですが、もともと「初山祭」の催しとして子供が主役のお祭りです(埼玉、群馬、栃木、茨城でもさかんです)。 ちょうど、この日に稚児行列の参加者募集の告知が貼り出されました。そう言えば、私が子供の頃も「お稚児さん」の行事に参加した記憶があります。あれは何のお祭りだったのかな。。。 ところで、今でこそ浅間神社は、祭神であるコノハナ様をシンボルとし、「御利益=安産・子育て」一色ですが、実は昔は違っていました。 ここ、稲毛浅間神社もそう。千葉常胤という(平安後期から鎌倉末期の)武将が信仰をしていたという記録があるように、浅間神社はかつて「戦いの神様」だったのです。(千葉氏は源頼朝と深い関わりがあります。世田谷区にある多摩川富士と呼ばれる浅間神社も、北条政子の頼朝の無事と勝利の願いから発生したものです) 富士講が生まれるよりずっと前、コノハナ様が浅間神社の神様となるずっとずっと前は、富士山に「武運長久」を祈っていたのですね!面白い! 時代が変わり、神様も御利益も変わるように、願いのカタチは人々の想念によって柔軟に変わります。それも興味深いです。現在、浅間神社は「コドモノミカタ」です。 ちなみに、ここ一帯がどのくらいの高台だったか定かではありませんが、文治3年(1187)の社殿再建に際し、「富士山の形に盛土をした」とあります。社殿はもちろん、富士山に向いております。東京湾を隔てて。 さて、境内の下の斜面には八坂神社や稲荷神社、大宮神社をはじめ数々の神社が祀られています。 その一角、どこにも属さないスペースに、この「山水講」の碑を発見いたしました。 穐月真行というのは先達の行名でしょうが、そう言えば、穐月(あきづき)は、五井付近でもよく目にした名でした。山水講は確か木更津が発祥地、穐行日穂という人物が祖です。講碑は、北五井富士、そして文京区の白山富士で見ました。 裏には「明治11年寅〜」。 もう一か所。東の鳥居から入って来た途中にあった「小御嶽社」です。 小御嶽石尊大権現の左右に、大天狗と小天狗の文字。そして その土台(賽銭箱ウラ)には「山水講」の証がありました。この一角は、おびただしい数の出羽三山講の碑に囲まれていました。さすが房総。 正面の参道に戻り、西側へ出ることにしました。 二の鳥居の外側から山を仰いだ図。 すぐ脇の上州屋さんもお山の裾です。沖は遠くにありますが、東京湾を感じながら帰路につきました。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
稲毛浅間神社
昨年の早春頃に、この神社を参拝しました。当時は工事をしていたのですが完成したのですね。境内から、大空を見上げられるところが好きでした。
空が大きいですよね♪
ひささんはこの神社はもうご存じだったんですね。
山に登ると、スカッとして気持ちいいよかったです。ヒーラーさんから、「あなたに縁のある神社をお参りしてください」と言われた直後、ふと、ここに寄ることを思いついたのでした。夕暮れでしたが、とても印象深い時間が持てました。 |
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芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
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▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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