▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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私が富士塚を気にし始めた頃、友人から「多摩川沿いに富士塚があるよ」と誘われ、一緒に出かけたことがあります。



通称「多摩川富士」です。「ホントだ♪ 富士塚だねっ」確かに小山に溶岩が貼りつけてあって登山道もある!



「でも、ずいぶん大きな富士塚だね」



頂上には浅間神社(多摩川浅間神社)の社殿があります。その造りは、東京都内では唯一の浅間造です。【浅間造】とは、静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」の様式で、「正面五間側面四間」の上に、「三間社流造」の本殿が載っているという、 二重構造のことです。



こちらの社紋のひとつ、桜の花はコノハナ様のシンボルでもあります。(駒込富士神社でも同じ紋の提灯が出ますよね)



頂上である境内に神楽殿があり、その足元には溶岩を配した枯山水があしらわれています。



手水鉢の向こう側に空が広がっています。



富士塚のたもとにある社務所の屋上にあたるこの場所からは、多摩川が目の前に見え、



晴れた日の夕刻にはこんなふうに富士山も拝めます。

でも、神社の方によると「これは富士塚ではないのです」。一般的にもこれは富士塚とカウントせず、私も本には紹介しませんでした。その理由。もともとこの山は古墳であり、そこに浅間神社を勧請した形態だったので、先人の富士講研究家たちが「浅間山」の範疇に入れていました。山の上に浅間神社があるってことですね。

神社の御由緒によれば、鎌倉時代にさかのぼります。源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した折、夫の身を案じた妻北条政子が後を追ってここまで来ました。わらじの傷が痛み出して多摩川畔で傷の治療をし、傍にあったこの古墳、亀甲(かめのこ)山に登ってみると富士山が素晴らしい姿を見せた。そこで、自分の守り本尊である富士吉田の浅間神社に向かって夫の武運長久を祈り、身につけていた「正(しょう)観世音像」をここに建てた。村びとはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼んだことから、ここが多摩川浅間神社の起源となったということです。

千葉県の「稲毛浅間神社」のように、こちらも富士講ができるずっとずっと昔、コノハナ様が浅間神社の祭神として登場する以前には、いくさの神だったようです。では、これはただの「浅間山」でしょうか。富士塚ではなく。



いったん、山を下りて観察してみましょう。



すると、登ってすぐのところにこんなものがありました。石板で塞がれているものの、これは胎内に見えてなりません。



そして、中腹には「小御嶽石尊大権現/大天狗/小天狗」の碑。傍に石祠もありますが、



古い石祠は頂上の一角にも。そして、「目玉」は、



頂上近くにある、勝海舟の直筆「食行身禄」の文字であります。

宮司が言うには「勝海舟が富士信仰があったのではないでしょうね。地元の富士講の誰かが、勝海舟に書いてもらってそれを碑に造ったのだと思います」

真偽はどうあれ、ここでちょっと面白い設定ができます。
富士塚になるためには、4つのパーツ「胎内」「小御嶽」「烏帽子岩」「奥宮」が必要だとすると、あらら、全部揃ってるみたい??? 先の塞がれた洞窟を胎内、勝海舟筆「食行身禄」碑を烏帽子岩にあててみると、ですけどね。

「ホントそうですね〜♪」参加者の方たちとそんな話をしながら、登拝を楽しみました。はい。楽しんでこそ、そして、有り難いという気持ちになってこそ、御利益があると思います。どれがあっててどれが違うから、と穿った見方をしていると信仰の本質を見失いますね。(以前から私は、宗教と信仰は別だと言っていますが、先日も同じことを言ってらした方にお会いしました。嬉しかったです)
文献を探したり研究に関しては、専門の方たちに任せましょう。(調査が必ずしもあっているとも限らないし)それよりも、キモチが大事♪ 神社にしろ、富士塚にしろ、庶民のためのものです。今ある姿に人々が手を合わせて「有り難い」と思うなら、それがイチバンです。

いずれにしても、こんな石碑やあんな講碑があったりするから、限りなく富士塚に近い浅間山と言ってもいいかも? 塚っぽいのは、南斜面から東斜面のあたりですけどね。

冨士仙元道!

○の中に「玉川」の文字!

やはりこのあたりに富士講があった証拠ですね。渋谷道玄坂に元講があった「山吉(ヤマキチ)講」の講碑です。金名水、弘汲元、南北講社。。。 

さらにおまけの記事もあり。。。


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芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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