▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
登山道に埋まった枯れ葉がふわふわし、滑りやすく足元をふらつかせる。 でも、富士塚の頂上は平坦で、かなり広い。立ち拝みなら30人でも余裕あります。 先達は杖を置き、御身抜箱を「富士仙元大菩薩」碑(文久元酉年五月)に立てかけて拝みを始めます。 お伝えは基本は同じですが、講によって少しずつ違います。また、拝みも儀式によって唱える内容が変わりますから、「あ、このくだりは知ってる」とか「あ、これは聞いたことない」とかあって、われわれ【知りたい集団】は興味津々。わかる箇所だけ一緒に声を出します(大事なのは参加すること)。 Kさん「小御嶽のくだりはたっぷりありましたね」と。たしかに。 本当は、拝みの最中は一緒に拝みたい。でも写真にも残したい。 拝みたい。撮りたい。拝みたい。撮りたい。このはざまでいつも悩みますね(笑)。 思わず先達の行衣にクローズアップ。 消えかけた墨文字やご朱印、そして継ぎはぎの何と美しいことか。 木漏れ日が当たってキラキラと輝き出す数珠の水晶も、浄化の波動を生んでいる。 先達の言葉が心地よく流れ、頂上から富士塚全体をゆっくり覆います。講ではかつて、20人ほどの講員たちと拝んでいたそうですが、先達ひとりの声も感慨深い。優しく静かながらも、ろうろうと伝わります。 塚を覆うこの空間を何と言ったらいいだろう。何か新しい表現を考えておこう。 拝みでお山はまた富士山になりました。(拝みやお浄めの後が、富士塚を訪れるベストなとき、と私が言うのはこの理由です) さあ。下山しよう。これからまだまだ回るから。 ボク石は使われていない。登山道は螺旋状。横浜らしい富士塚でした。 塚を造った丸青講はもう活動していないけど、かつてはこの日、幟を立て、掛軸をかけ、お赤飯とお煮しめで、他から来る七富士参りの人たちにふるまったそうです。
先達はわざわざ駅まで迎えに来てくださいましたが、七富士参りを自転車でまわるのではありません(笑)。先達の地元である熊野神社を拠点に、車で参ります。
まずは一気に北上し、ひとつめの参拝は「小机城址市民の森」の中にある小机富士でした。小机城の歴史は割愛しますが、かつて横浜市には多くの城があり、それぞれの地に富士塚が残っています。 鶴見川の南に位置する小机城址市民の森は、南西側がJR横浜線と第三京浜道路によって十字に分断されました。 横浜線と平行する北側の坂道で車を降り、登拝の準備をします。御身抜箱をしょい、手にはシャクナゲ製の「中道杖」。 「昔は下の方から登ったんだけどね。。。」 先達が富士講に入ってから約50年経ちます。風景は激変、もちろん慣習も。 第三京浜下のトンネルをくぐると、 急な石段がありました。 われわれが「たっかいね〜」とモタついているうちに、 先達はあっと言う間に先を行く。掛け念仏を唱えながら。 「あ、置いてかれるっ」 そのまま森に入りました。 こんな道標もあり、富士塚は近い。 地元の知人らしき方とすれ違ったりしながら少し行きます。 木々の濃さが増してきました。 富士山の神界に吸い込まれる行者のごとし。 こんな光景を目にすると、やはり思ってしまいます。 「富士塚はただのミニ富士ではない」 つづく。。。
横浜神奈川区を中心にまわる「七富士参り」に向かいました。
京急の北品川駅を出ると、私は必ずゴソゴソとカメラを取り出します。 そして新馬場近く。 走行中の電車からこんなにきれいに品川富士が撮れたことはない。 縁起のいいこと♪ 待ち合わせの「仲木戸」駅で5人のうち4人が出会い、さて、先達とはどうやって会うのだろうかと思っていたら、 「あ♪ あれに見えるは先達さん〜♪」 宝冠かむりの布をはためかせ、白装束の御仁はギコギコと自転車をこいでいらっしゃいました。 印象的な登場シーンに一同感動すら覚えます。 「そうそう。○○側のね、○○で。。。」 合流するひとりと連絡をとる先達。携帯持つ姿も絵になります(背後には赤い京急の電車が通る)。 思わず行衣も撮っちゃう。渋い! 先達とは、昨年吉田の火祭りの時にお世話になりました丸金講神奈川講社の岩岡先達のことです。 この日めぐった富士塚(浅間神社の浅間山を含む6富士)と起点/終点の熊野神社はこんな位置関係。 つづく。。。
ディープな山開きレポの始まる前に。
富士山柄のコートもそうですが、富士塚や富士山信仰の場所を歩きまわる私に、富士山の想いをこめて創られた品々が御縁でつながります。あなたでこそと託されることが多いです。身につけるものでなくても富士山に関する品々を贈られますが、その度に私は、富士山を想う作者(過去であっても)からの、時には富士山からのメッセージを感じます。そしてパワーをいただいております。本当にありがたいです。心から御礼申し上げます。 さて、前の記事の最後の写真で、コートの中に着ているものは、「富士山牛王宝印Tシャツ」です。ちょっとタイムリーなので、御紹介します。 Tシャツの背後は「富士山牛王宝印」。前面の左胸には「生土」と書いてうぶすなと読む文字が鮮やかです。アイボリー地と濃紺地の2枚のTシャツを重ねて写真を撮りましたが、これを制作したのが、 河口湖御師の家系の「上の坊」さんです。 ↓実際に着た感じはこんな。 Tシャツに関してはこのページに。 私のブログでは、御師に関しては富士吉田の御師のことしか書いていませんでした、でも、河口湖御師の歴史も重要です。詳しくはまたの機会に書くとして、「上の坊」さんのサイトからふたつ引用します。 『図柄の中央に書かれている「富士山」を模様化した文字は富士山牛王宝印の最大の特徴といわれ、家内安全や五穀豊穣、安産祈願などのお札として、広く用いられてきました。山頂に描かれているのは、木花開耶姫を含む三神像で、富士浅間信仰の中心とされ、左右に描かれている合掌する猿は、山の神の化身と伝えられています。また、羽団扇が富士山を支えている図柄は、河口宿の御師の特徴であり、この牛王宝印は富士山浅間信仰の本流をおのずと示す模様なのです』 『胸に書かれている象形文字は、牛王を記号化して、生土(うぶすな)と読ませたものです。うぶすなは一般的には産土と記される地域の守り神ですが、生土は、河口宿の御師だけが使ったとされる符号で、富士山を日本総鎮守つまり日本全国の守神として表していると伝えられています』 このTシャツ、とてもよくて、昨日御一緒した吉田の御師宅のお母さんも「すてき〜♪」とおっしゃっていました。 そうそう、なぜ「タイムリー」かというと、ネット以外東京では購入できないこのTシャツが、明日から3日間、西荻にて出品されるからです。 「オハリコフジヲ」さんのページもご覧ください。 ちなみに「上の坊」とは御師の屋号ですが、あの「天下茶屋」もやってらっしゃいます。 ……………………………………………………………………………………………… さて、富士山柄のコートは 「あひるの学校」の制作です。(現住所中央区入船3-4-5)。 素敵なお店には、ホンモノの品。世の中に着物の古布を使った服は数あれど、こちらの品は全くの別モノ。質が違います。想いもハンパない。 古い帯を使ってできたこのコートは、現在私の守り神となっています♪ 想いをこめ丁寧に織られたこの富士山が、昨日、本物の富士山に出会い、パワーアップして帰って来ました。 ……………………………………………………………………………………………… それから、タイムリーと言えば、 「エバニューの島」に清瀬の中里富士のことナドナド♪ おかげさまで、「マイ KONGO」は横浜の富士塚で大変役に立ちました。マジこれがなかったら滑落してましたもん(汗)!!!
道案内してくださった氏子さんたちが去った後、私はしばらく富士塚に残ってその場の雰囲気を味わっていました。やはり富士塚は、お浄めや拝みをした後は独特の清涼感が伝わってきます。登拝するには、こういう時がいちばんオススメです♪
森の中の一本道を歩いて、谷津公会堂まで戻って来ると、数人の氏子の方たちがまだいらっしゃいました。呼びとめられて、ビールをつがれたり供物のバナナをいただいたりしているうち、 「富士塚に興味があるの?え?この本書いたの?」(ちょうど「ご近所富士山の謎」を持っていたので、自己紹介のついでにお見せしました) 「へぇ〜。富士塚ってたくさんあるんだ!このへんで富士塚って言えば『どろっぷじ』だよな」 近くの荒幡富士のことを指しているのがフシギでした。だって地元には立派は「センゲンノヤマ」があるのに。もしかして、谷津富士は富士塚とは違う認識なのかしら??? などと考えているうち、ひとりが 「ちょっと待ってて。先達を呼んで来てあげる」 間もなくして、谷津講社の先達、内野氏がいらっしゃいました。恐縮です〜。 「あなた、TVに出てたでしょ。本も読みましたよ」 ひぇ〜、益々恐縮です〜。 「うちはすぐそこです。お見せするものがたくさんあるからいらっしゃい」 さらに恐縮です〜。でももちろん、喜んで! 先達のお宅に行くと、祭礼で着た行衣が3枚干してありました。 「ああ、こちらですね。今朝着てらしたのは」 そして、御座敷には「横須賀丸伊講」と「横浜丸金講」のマネキがありました。 え?どういうこと? なんと、内野先達は横須賀丸伊講の斎藤先達と横浜丸金講の岩岡先達と交流があったのでした。 そして、惜しみなく谷津講社の活動をお話になり、貴重な資料もたくさんくださいました。 ええー!いいんですか? 「いいんですよ♪ 『仲間』ですから」 これにはじ〜んときました。なんと有り難い言葉でしょう。講の方が、私に対してそう思ってくださることは、私にとってギフトです。そう言えばこの言葉、「仲間だから」は、他の先達からも言われたことがあります。 本当に嬉しく思います。これからも、謙虚に勉強させていただきます。そう思うのでした。 「先達、おいとまする前にお写真を一枚撮らせていただけませんか?」 ちょっとしたスナップを撮るつもりだったのですが、先達は干してあった行衣をさっと羽織り、カメラの前に立ってくださいました。さすが、これが正装ですね! 本当にありがとうございました。 以下、先達の親の代の頃の古い写真です。 大正13年の富士塚増築(高さを増した)の際の講の人々。前列中央が先達の父上。皆でクワを持っているのがわかります。土は、北側の残土(多摩湖付近)を使ったそうです。 これは、休憩タイム。富士塚の大きさ高さが見てとれます。
頂上を北側から仰ぐとこんなシルエットが見えます。
小祠と呼べる姿です。 頂上は、なんとも言えない穏やかな空気に包まれていました。 「浅間神社」と刻まれたこれは、大正6年5月5日、寄附によって建てられました。 本祭が5月5日と定められたのは、おそらくこの時からでしょう。 頂上に立つと意識が変わる。登山途中は「登る」という行為に集中し、山に対峙する自分がいるけど、いったん頂上に立つと、途端に意識は空間を滑り出す。 まわりをぐるりと見渡して、下界と自分、空と地面、今いる場所と遠方の富士山、宇宙と小さな塚、などなど、ポテンシャルな関係性をあれこれ思うのです。 これはひとつの富士塚トリック♪ 意識の変化。 私のリスペクトするアーティストの言葉に「アートとは、物事を違う角度から見るという行為」があり、私の座右の銘になっていますが、それをふまえればやはり、私にとって富士塚はアーティスティックな存在であります。 話が横道にそれました。とにかく、意識が変わるほどここは高い場所なのでした。 標高およそ160m。木々の間から富士山が見えます。(天候がもっとよければ) 何度深呼吸をしたでしょう。生まれ変わった気持ちになって下山を始めます。降り口は南側。 そうだった、そうだった。谷津のセンゲンノヤマは、少し高いところに、さらに盛り土をしてできているのだった。横浜の山田富士や西谷富士のように。でもそれって、やはりフシギな感覚です。(屋上に設置した「メタル富士」もある意味そうだけど)高いところの富士塚は、空に近いぶん、一層宇宙的(?)な感じがするのです。 富士塚をめぐる「宇宙感」は、折りをみて、たっぷりと考察してみよう。とにかく下山。 南斜面をたどり、西に下りる。するとそこには「金明水」「銀明水」がっ!!! なんということでしょう〜!「金明水」「銀明水」を表わすものはいろんな富士塚にありますが、いずれも石碑か小さな水鉢。でもここはホントの湧水! 人の手が加えられたとはいえ、これ以上の再現はないでしょう。 つづく。。。
大日如来が鎮座していました。古い富士講ですね。
市ヶ谷とか麹町とかの地名が読めますが、この地に富士講を伝えたという、星行(本名:鮎屋猪兵衛)の住む土地でした。人物に関しては、別の機会に書くことにします。 とにかく、神社社殿の右側から富士塚に登ることにします。看板には、 こんなふうに書かれています。道案内をしてくださった氏子のふたりのうち、おひとりが星行から教えを受けた藤七の末裔の方でした。 では、登拝いたします。見取り図はこんな。 登山道に足をかけ。 しばらく行くと たくさんの花に迎えられました。「すてき〜♪」 頂上付近になり、正面から登るのかと思いきや、左に進路を取り、お中道を時計まわりに歩きました。 小御嶽に拝み、 塚の北側(裏側)から頂上を目指します。木漏れ日が美しい。 ご案内くださったのは氏子の方々(富士講員ではない)ですが、祭礼のときと同じように歩いています。この道順は、渋谷区の千駄ヶ谷富士の開山式のルートに似ています。 つづく。。。 |
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芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
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▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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