▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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この惑星の歴史を考えると、当然ながら人類なんてまだ若い。
富士山を畏れたり、富士山に憧れたり、そこから信仰が生まれたり、富士山の溶岩で塚を作ったり。。。富士山を借景にしようが、富士山が見える位置に高架高速道路ができようが、どれもこれもほんの一瞬。ひとまとめで人類の歴史のうわずみだ。

もし、この世界が突然止まって何億年も経ち、建造物が朽ち果てずに残ったとしても、富士塚と高速道路の時代に差はない。「昔を想って遺物を味わおう〜♪」なんて言葉も通用しないし、何年に何ができたかとか、史実はこうだと論争するのも全く意味のないことです。

個人的なことを言えば、美術をやる者としてしばしばぬぐえぬものに、遺跡や自然へのコンプレックスがありました。作品を創れば創るほど、地球にとって不要のゴミを増やすだけではなのではなかろうかとか、後世に残る価値もないとか、いや、残す必要すらないとか。。。ぐるぐる考えがち。

そんな思考の呪縛から解放されるのは、ただ、「つくるという行為」の純粋さに目を向けるときでした。以前も書きましたが、その純粋な切望や行為は、人間にあたえられた、かけがえのないポジティブなもの。それがピュアであれば、自然を破壊することは決してないと。

そう考えることはココロの救済でもあります。と同時に、あらためて自然への感謝もうまれる。ある意味、クリエイティビティに対する健全な信仰ですね。「必要だから創る」でも「必要性に関わらずとにかく創りたい」でもいい。産み出すまでは、神様にやらされているのかもしれないから(笑)♪

そうだった、そうだった。共存について考えていたのでした。歩いてるうちに、エスカレートしちゃった。



西日が見せてくれたシルエットは饒舌です♪
東西線西葛西駅から(北側を)西方向に、てくてく。



「旧葛西海岸堤防」とあります。見える高架は、手前から、荒川/中川の上を走る「中央環状線」の乗り入れ付近、「東西線」の鉄橋、そして、永代通りへとつながる「清砂大橋」の乗り入れがあります。



そのまま、川を目指して歩くと「(小島)八幡神社」にヒットします。



もう「中川」の土手すれすれですね。



神社はこんな位置で、



砂町富士が対岸です。
(荒川/中川を境に、右が江戸川区、左が江東区)

つづく。。。
8本の車道と1本の鉄道が入っているこの画面。道の束だ。



ある意味ここはすごい。

物流と人間の移動がこれだけ行き交う場所として。

人間の体で例えれば、血管もしくはリンパ?



現代の動的エネルギー密集地点は、時折、驚異を感じる。

ふと、映画「KOYAANISQATSI コヤニスカッティ」の一場面が頭をよぎった。



この画面に富士塚も小さく入っています。

近年までここが波打ち際だったことを思いつつ、

共存とは何かを考えながら歩きました。

つづく。
また登って来ました〜♪



3月22日の「東京新聞」朝刊【TOKYO発】に富士講と富士塚の記事が掲載されました。

先日、新宿区の丸藤宮元講の活動が無形民俗文化財に指定され、注目されています。

昨年から、目黒区、新宿区、渋谷区と富士講と富士塚の展覧会が続いています。
また、先日も書きましたが、北区の富士講の祭具も文化財の指定を受け、
なんだか盛り上がっている東京の富士山信仰。
講は今でも活動してますものね。嬉しいことです。

私が登拝させていただいた富士塚は、鉄砲洲富士。
面白い写真が撮れましたね。感謝しております♪
アースダイバーの付録を拝借して、位置を確認。



思ったとおり、郷土博物館のあるところは縄文の頃からの山の頂きでした。
(後で寄った氷川神社は、南西向きの坂の上でした。恵比寿までくだってみてその急な地形がよくわかりました)
また、昔の地図を見るとこのあたりは渋谷村と麻布村が混在していて、渋谷村=渋谷区、麻布村=港区というくくりで考えないほうが、富士講/富士塚を知る上でヒントになることもわかりました。

さて、開催中の「渋谷の富士講」展は、展示スペースは小さいものの、大変濃い内容でした。

富士塚仲間のEさんから「身禄像はすごいですよ。思わず手を合わせてしまいました」と聞いていてましたが、私も全く同じでした。鳥肌が立ちました。

他にもいくつもの素晴らしい品がありましたが、私が最も心惹かれたのは、



図録の裏表紙にも出ているこの御神体です。富士山のふくよかなボリューム、退色しているけどかつては鮮やかな色をしていただろう朱と黒と白のコントラスト。そして、富士山の上部にある雲の上の仏、御幣、左右の日輪月輪が珍しい。

富士山型の御神体は、

品川区のや、
足立区西新井のや、
栃木県足利市の富士山が記憶にありますが、
講のお宅や神社にはこのような素晴らしい富士山が、た〜くさん眠っていると思うとわくわくいたします。

金箔をあしらった雲のつくりは、学芸員のMさんもおっしゃってましたが、富士吉田歴史博物館のコノハナが乗ってらっしゃる雲を彷佛とさせますね。私も、何か関連があるかも?と思いましたが、こちらは丸不二高瀬講社という千葉県市川市の行徳あたりの講ですから、繋がりはないでしょう。

ということは、「形式美」として定着した雲の3D表現。キント雲の渦の形は、神社などでもお馴染みですよね。

でも、富士山の上空にある雲に乗った仏は、「富士山牛玉(ごおう)を『具現化』したものと考えられる」という解説があり、その点に私はぐっときました♪ 平面を立体に表現したわけですからね♪

富士山牛玉(ごおう)の上部はこんなふうに仏がいらっしゃる。

さて、この展覧会には渋谷区にあった富士講のさまざまな活動が紹介されました。一番よく知られているのは、道玄坂を拠点にして隆盛をきわめた山吉(ヤマキチ)講ですが、



山吉講から分かれた山三講の様子もたっぷりありました。
白髭の先達の、お焚き上げをしている姿や、中道杖を手にしている富士山での勇姿がインパクトありましたね。その先達のことをよく覚えてらっしゃるお嬢様が、会場でとても華やかなオーラを放っていた錦子さまです♪

御高齢とは思えない若々しさ、頭の回転の早さとユーモア、少女のような純粋さも持ち合わせている方で、目がキラキラしていました。とにかくお話が楽しくて、お茶を御一緒しながら私はずっと笑いっぱなし♪

「こんな歳のとりかたをしたい」と思わせる素敵な方でした。

そんなわけで、先達や講のお話を聞くのをすっかり忘れてしまいました(笑)が、山三講にも富士塚があったことを付け加えておきます。塚のあった場所は現在の港区になりますが、先に書いたように、このあたりは土地の境界が時代によって曖昧なこと、また先達が渋谷区にも住まわれていたので、充分渋谷つながりでした。

山三講の富士塚についてはまた後で。。。



とにかくいい展示でした。
本当に御苦労があったと思いますが、図録も素晴らしい! 展示に間に合わなかった方も、ぜひ一冊お求めになることをおすすめします。

Mさま、お話をたくさんありがとうございました。お世話になりました♪
へぇ、國學院大学ってこんなところにあるんだ〜!
と、卒業式で華やかな様子をながめながら、春の光の中を歩きました。



大学の一隅にこんな石積みの山を発見。ちっさな遺跡みたい。
でも、ガラスに映った虚像のほうが好きです。(自分の姿を写さずに撮りました♪)



東の方角 ⇔ 西の方角

このあたりは、渋谷ではいちばんの高地かしら。分水嶺のような。。。
そこにあるのが、



白根記念 渋谷区郷土博物館・文学館です。

入口で素敵な方に出会い、閉館までとても楽しい時間をすごすことができました♪

つづく。。。
今日もあたたかいですが、先週も富士塚日和でしたね。
【富士塚ナイト】に来てくれた、友人のNさんから画像が届きましたので、いくつかUPします。

(カルカルからいただいたDVDは、前半が再生不能で。。。う〜ん。残念)
なので、貴重な画像です。



長〜くなってしまったイントロのはじめのあたり。江戸時代の折りたたんで持ち歩ける地図「江戸切絵図」(の復刻版)を、寄って撮ってもらってるところ。

「ほら。こんなところに千駄ヶ谷富士があるんです」



広いスペースは横に長い。スクリーンは3枚並んでいました。
映っているのは、上落合富士のサブ2枚。
「左:頂上からジグザグの下山道を覗くと、こんなに急です」
「右:ここには天狗が3人います。これは背後からの図」とかなんとか。。。

のんびりやっていたから全然進まなかったね〜(笑)。



富士山御神籤をひいた大山さん。
「1富士だぁ。数の多いほうがいいの? てことはこれ、凶ってこと?」
「なになに。『ここも富士山のふもとです』だって。なぐさめられてるよ〜」
「相性のいい富士塚は。。。『池袋富士』。いいじゃん♪」

池袋富士は7月1日しか登れないけど、是非行ってみてくださいね! イイ富士です。
ちなみに1富士でも「凶」ではありません。
登山は登ったり下りたりを繰り返すもの。現在、合目で例えれば1合目にいるだけで、これから登山をするかもしれないし、下山したばかりなのかもしれません。一番コンディションのいい場所という解釈もできますよ♪

それにしても、御神籤に出た「相性のよい富士塚」を、何人かに聞いてみたところ、結構オドロキでした。各人、何かしら御縁のある富士塚が出たのですから。ホント。

私は2富士で、相性のよいのは十条富士でした。本を書くにあたって、取材の振り出しがここの講との出会い。それから数珠つなぎに情報が集まってきたのでした。私にとって、とても御縁のあるところです。



イベント終盤。回収したアンケートを元に、参加者とお話をする図。
アンケートの中で、「興味のある/行ってみたい富士塚は?」の集計は、またの機会に。結構「ピグモン富士(中割富士)」が人気でしたよ〜♪

これらの画像は、すべてNさん提供。彼女のブログに紹介されています。
Nさん、ありがとうございました。
春になると思い出す。

南の島のこの築山。



私が富士塚病にかかってまもなく遭遇したものでした。
目的は違えど、積むという行為、そしてこの形と素材に惹かれ、ここには何度も出かけました。

3年前に書いた記事。
……………………………………………………………………
この、沖縄の八重山黒島にある「富士塚」に酷似したものは、
実は「プズマリ」と言ってこの地方独特の人工の小山です。
富士山はもとより、何の宗教にも関係ありません。
ですが。富士塚を見なれた人達がこれに遭遇したら、
どうでしょう。江戸の人達がこんなの見ていたとしたら?

 「プズマリ(タカムイ)は海上を行く貢船や異国船を
  監視するため、遠見台として琉球王府時代に
  使われた、黒島で一番高い場所。
  『黒島口説』に歌われる『メーヌスカムイ』のこと。
  八重山の島々にこのような遠見台があり、
  船が見えると火や煙を使って遠見台から遠見台へと
  次々と合図が送られ、石垣島の蔵元へ通報された。
  石が崩れる場合があるので、登るときは注意すること」

つまり「火番盛」のことですね。
黒島では「プズマリ」と呼ばれますが、
竹富島では「クスクムリ」、
波照間島では「コート盛」で親しまれて(?)います。
いずれも琉球石灰岩を積み上げて作られたものですが、
私は黒島のプズマリがダントツに高く立派な形状なので、
大好きです。はい。 黒ずんだ琉球石灰岩は、見た目が
黒溶岩にそっくりです。
……………………………………………………………………

八重山で私は、富士塚を知る上で重要になったふたつのものに出会いました。
築山として、カタチの認識につながった「火番盛」。
そして、拝みの場である「御嶽(うたき)」。
ただ富士塚めぐりをするだけではわからなかったこと、神社めぐりだけでは感じなかったことを、形と精神の両面から、私なりにひもとく作業をしていたのだと思います。本当に、すべてのことは必然に起こるのですね。

さて、富士山柄の素敵な服に出会った日、八重山つながりの友達と会いました。

私が八重山に通い始めた頃に出会った人です。
お互いひとり旅でした。住んでるところが離れているので、その後手紙のやりとりをしながら、何度か会うこともできました。遠くにいてもずっと交流が続いているのはとても嬉しいことです。今回も数年ぶりの再会でしたが、島の宿で飲んでいるかのように楽しかった♪

八重山にも住んだことのある彼女は、やはりプズマリの記憶がありました。
「ああ、あるある!」
富士塚を見たことない彼女に、いつか東京の富士塚も見せてあげたいな〜。
きっと驚いて言うでしょう。
「あ、プズマリだ〜」って。
富士塚が気になると、しばしばかかる病が富士塚病(笑)。

街歩きをしていて、目に入るものがつい富士山に見えてしまう症状です。一瞬の視覚的なことですから、たいていひとりで「ふふっ」と笑うだけですが、少しでも円錐や角錐の物体を見ると反応してしまう自分が可笑しい。客観的に可笑しいわけです。

すでにその病にかかっている方がいますよね♪

私もそうです。昨日は、ビルの先端にある西日を浴びた、



これが目の端に入り、笑ってしまいました。

そして、富士塚センサーというものもあります(笑)。

これは、もっといろんな要素がからんできますが、富士塚に近づく時に働いているものです。富士塚病を発症すると間もなくスイッチが入ります。富士塚と周波数が合うというか、富士塚の御縁に呼ばれる感じですかね〜。

この時は、富士塚ではなく富士山でしたが。

ビルを眺めていたら、うっかり道に迷ってしまいました。でも、不思議と不安もなく、流れにまかせようという気になりました。気づくと静かな一角に、小さな店が一軒。



そこで私を待っていたのがこちら。この素晴らしい絵画(!?)。



いえ、これは、古い帯を使って仕立てられたコートです。



裏地と同じ真紅の着物の古布で創られたドレスもある、アンサンブルです。
ため息がでました♪



平気な顔をしていますが、この服に手を通した時、鳥肌が立ちました。

空襲で焼け残った一画にある、大正時代の民家を改造してつくられたお店/アトリエは、隅々までセンスよく、服のすべてが新しい命を得て、輝いていました。

実はこの作者を、私は数年来探していました。以前あるところで服を見て、ホレこんだのですが、連絡先がわからなかったのでした。お店は某所にあったそうですが、何の情報もありませんでした。そして、ほんの数カ月前にここに移転して来たとのこと。これは御縁以外の何ものでもないと思いました。

古布を使っての制作ですから、もちろんすべて一点もの。しかし、この方の創作の姿勢が素晴らしい。

「もうこの世にはいない、これを創った人の(刺繍であれば)このひと針、(織りであれば)この絵を、当時どんな気持ちで手がけたのか、気持ちをこめて読むんです。すると、再生された服はひとつも宣伝しなくても、これに吸い寄せられるようにお客さまが訪れます。必ずいらっしゃるんです」

私が富士塚を目にしてよく感じることに
「塚を造った昔の人と、今ある塚を見て感動している自分は、コミュニケーションをしている」
がありますが、この方のお話を聞いていて、とても似た感覚だということがわかりました。

その後、お話は盛り上がり、素敵な時間を過ごせました。
この富士山の柄の服は、画像の百万倍もすばらしいものでした。私には手が出ない額ですが、この方に出会えたのはすごい御縁でした。また近い内にぜひ!

やはり呼ばれたのだと思いました。
御来場くださった皆様、本当にありがとうございました♪
心より感謝いたします。



イベント会場である、お台場 ZEPP TOKYO2階、TOKYO CULTURE CULTURE (東京カルカル)は、大観覧車のお膝元。看板にも観覧車が映り込んでいました。



こんなマイナーなテーマでもいらっしゃる方がいるのだろうか、と不安でしたが。。。
集まってくださいました。例によって、一番楽しんだのは私ですね♪

迷走した私でしたが、大山さんの絶妙な仕切りのおかげでイベントのカタチとなり、楽しんでくださった方が多かったようです。ありがとうございました。

限られた時間のため、紹介したかったモロモロは4分の1でしたが、少しでも富士塚の魅力が伝わりましたらそれで充分です。近くに「富士塚があるかもしれない!」と思ってくださることが本望ですから。

また新しい切り口で本を出す予定ですので、今度とも富士塚をよろしくお願いいたします。
富士塚ツアーもまたやります。御参加くださいね〜。

さて、こういう場では新しい情報も飛び交います。



「○○の庭に富士塚らしきものがある!」と御提供くださったり、私が行ったことのない富士塚の詳細もたくさんいただけました。本当にありがとうございました。

リアルタイムで見たTwitterのアップも面白かった♪ 質問がつぶやかれ、画面を見てそれに答えたり、話をふくらませたりと♪ 本当にお世話になりました!

………………………………………………………………
追記 3/17

富士塚ナイトに関する【つぶやきまとめ】です。
errieさん、ありがとう!

………………………………………………………………

そして、イベントならではのお遊びに、「富士山御神籤(相性のよい富士塚付き)」も引いていただいたり(1〜5富士で表わした吉凶?)、ジャンケン大会でプレゼントもお渡しできました。

↓プレゼントがコレ。

オモテ

ウラ

「あま〜い溶岩」は、実は砂糖菓子なのです。おそらくコレをゲットされた方は、本物の溶岩だと思ってらっしゃると思います。「溶岩をコーヒーに浸すと甘い出汁が出るのか!?」と。

ごめんなさい(笑)。説明不足で。ちょっとおどかしてみたかったのです。
割るか削るかして、コーヒー/紅茶や煮物にお使いくださいね〜♪

ちなみにこの「あま〜い溶岩」は、富士山の麓の河口湖町船津で作られ、土産物として販売されております。船津と言えば、船津の胎内。(富士講による)最古の富士塚「高田富士」を築造した、高田藤四郎が発見した胎内です。

というわけで、富士塚に御縁のある土地から来たものですから、きっと富士山パワーも宿っていますよ!

あ〜シャックリが止まりません。
イベント終了後のオフ会で充分飲んで来たのに、帰宅後また飲んでます。
明後日は某新聞の取材を受ける予定です。
その場所をこれから決めることにいたします。(実はこれが楽しい♪)

そうそう、乃村工藝社の前身があの【浅草の人造富士山】を作っていたこと、てことは昨年のガンダムは現代の富士塚(!?)っていう大山さんの話は面白かったですね! いろいろ発見があって、いい夜でした♪

つい富士塚を擬人化してしまう私ですが、ケアされると塚は聖地のオーラを放ちます。

以前ここを訪れた時は、曇りの日の夕方だったせいか、暗く寂しく、荒れた感じを受けましたが、初拝みのこの日は晴天だったし、人々が集まって拝みをしたことで、富士塚のいちばん機嫌のいい日でした。いや、大げさでなく、こういう儀式の直後が一番いいのです。

さて、塚そのものを見てみます。坂は南向きですが、富士塚は南西に向いています。





富士塚の手前左側には三峰講の祠があり、その上には稲荷神社が祀られています。こう繋がっていると、富士塚はどこからを指すのか。。。



おそらく、唯一の講碑の位置くらいからでしょう。





頂上の石祠。お札がたくさん。と思ったら扉が壊れていた。



鳥居の内側から富士山の方角を向く。坂はうねりながら下へと続いています。綺麗ですね。



鳥居の足元にはとてもいい色の赤石。紙垂(しで)の影を受けて、春の光。



石段は、富士塚の横を通り、八幡神社社殿のほうに続いています。
うっかり八幡神社の写真を撮るのを忘れてしまいましたが、かつての富士塚は、社殿の北側だったとか。

講の方たちの話をつなぎ合わせると、「社殿が燃えて、富士塚を移動した」。詳細はわからないけど、とにかく富士塚は2度移築している。神社に来る前は「国鉄」の線路のほうだった。(くわしくわかったらアップしてみようっと)



これは、昔の富士塚の前で撮ったという写真です。講の方たちの幼少の頃。かわいいですね〜♪



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【富士塚ナイト】は、3月14日ですよ♪


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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