▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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私は、浦安の元町地区に住んでいます。ここは、かつて富士講が盛んだった地域とはいえ、ディズニーリゾートのある海側の新町地区に比べてずっと内陸なので、現在、富士山を見るにはそれほど恵まれたところではありません。でも、場所によっては、とてもきれいに富士山を拝めるスポットがあります。

地下鉄東西線浦安駅の、上りプラットフォームの東京寄りに立てば、充分、美しい富士山の姿が拝めるのです。


1月2日の正午過ぎ、こんなにきれいな富士山を拝むことができました。

私にとっての初富士でした♪ 思わず、手を合わせてしまいました。

「ありがとう富士山! 姿を表わしてくれて♪」
明けましておめでとうございます。昨年は、大勢の方にお世話になりました。ありがとうございました。

「やっぱり富士山が好き」と、口にする人の顔には笑みがこぼれます。富士山を好きでいることは、すでに招福の扉が開かれているのです。縁起のいいものを身近に置くことは、幸せになることへの鉄則♪ そう考えると、富士塚は最大級の縁起物ですよね。

江戸人が年中行事にしていた「初富士」は、江戸の町から富士山を拝むことですが、建物で見えなくなった今こそ、近くの富士塚での初富士に意義があります。だって富士塚は、ミニチュアでも富士山です。富士山の神様が祀られているんですからね。江戸時代から続くスピリチュアルスポットなのであります。近所に霊峰があるってすごいことじゃないですか?

さて、私も一番近い富士山と氏神の富士山に初詣いたしました。


まず「清瀧神社」の堀江富士。去年、竹柵ができて登拝ができなくなったけど、こうして地元の人たちのかけがえない参拝の対象です。奥宮にお供えされた鏡餅を、上がったばかりの陽の光が照らします。


そして「豊受神社」の猫実富士。地元の人たちには、なじみの富士山。というかあたりまえすぎてあまりその実態を考えずに登っていた富士塚ですが、実はお正月ならではの光景が見られて面白いのです♪

家族連れでお参りに来る人たちの中で、突然、親がミニレクチャーを開きます。「これはね、昔、富士山に登れなかった庶民が、近くに富士山のミニチュアを作って……」。看板に書いてあることを読むだけでも構いません。靴の紐を結び直してて、お父さんの話を聞いてなくてもいいのです。来年もまた同じレクチャーを受講できます。

いいひとときです。皆でちょっとしたワークショップを味わって、福と一緒に「プラスアルファ」(教養かな?)を持ち帰ります♪

さあ、ご近所の富士塚へ寄ってみましょう。きっときれいに飾られ霊峰の姿をして、参詣者を待っておりますよー。

私はこの後(お山開きと例祭以外は)三が日のみ登拝できる「江古田富士」に行ってきます。7日までは新宿の「成子富士」も登れますよ(NYからのお客さまをご案内の予定♪)。

では、今年もよろしくお願いいたしまする。
中里富士の星祭りの後は、都心を横断して帰路につかず、
翌日のため、練馬区に滞在しました。(清瀬市から練馬区は近い)

そして翌日。
富士塚を富士塚として意識していなかった頃からの、私の富士山、
大泉富士へ、出版の報告とお礼に行ってまいりました。


前回来たのは8月1日のお山開き(右)。
冬になると、植木の色はこんなに変わります!
風景としては寂しいですが、人がよく訪れるので寂しくないです♪


頂上で手を合わせ、感謝の気持ちを伝えた後、正面の斜面を見下ろす。
足元には、九十九折りの登山道がくっきりきれいに見えていました。

感無量。

ありがとう♪大泉の富士山。私の富士塚のルーツです。

正確には、自分で作った富士山【はじめてのふじづか】のほうが、ずっとずっと昔なんですけどね〜(笑)。



今年は、富士塚を本という形で表現することができて、
本当にいろんな方に感謝しています。
一方、自分の中の原風景にふれる機会も多かった年です。
なぜ富士塚に惹かれるのか、何度も何度も向き合った年。
記憶の奥にある何が今につながっているのか、それを辿って
再認識したことや感覚は、予想以上にたくさんありました。

また、ウチの先達(十数度の登山経験のある母)の豊富な知識も
助かったし、関わりある人にも恵まれておりました。
今年の春、一見富士山信仰と無関係に見える「熊野詣で」に
行けたことも、実はとても大きな縁だったと思います。

可能性の糸は張りめぐらされている。
それをたぐりよせるかどうかは、自分がオープンになること
から始まります。意識無意識は別として。

熊野に導いてくれたのは、南方熊楠と交流のあった私の祖父の、
ちょっとしたギフトだったような気がします。

田辺市の闘鶏神社(熊楠夫人の実家)でいただいたお守りには
「極」の一文字。ちょっとここらでひとつ集中して作業をしなさい、
とそんなメッセージを私に贈ってくれたのかもしれません。

熊野へ行ってから、富士講のことが少し厚みを持って理解できた
気もするし。(熊野と富士講は無関係でもないですけど)



さて、間もなく年が明けます。
初詣には、甘酒すすりながら、家の近くの浦安の富士塚へ
行くでしょうが、登拝は。。。

また、大泉富士からスタート!
富士山には、きっと子供達がいっぱいいるはずです!
昔の私たちのような、元気な子供達が。

拝みが始まりました。


貴重な声をテープで流しながら、一緒に拝みます。
拝みにはいろんなパートがあって、複雑です。



朝と同じ星祭祝詞も読誦します。


拝みの後、お伝えのページを説明される私。
ちょうど、昔の先達の名前をチェックしているところ。


儀式がすべて終わって、直会の始まりです。先達がご挨拶。
ビックリするような御馳走(今まで見たことないような!)に
恐縮しっぱなしでした。

本当に講の皆様にはお世話になりました。
貴重な経験をさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、本当に楽しい時間でした。ありがとうございました!

この、田無組中里富士講はホームページを運営していて、活動内容や、
この日の画像がアップされています。
さらにそのサイト内で、私の本【ご近所富士山の「謎」】も
紹介していただきました。本当にありがとうございます♪
すべて揃いました。奉納のお酒も次々と。
とても立派で鮮やかな祭壇となりました。


天井から掛けられた「ゴゼンサマ」は、かつて富士登山の時に、
先達が頂上まで運んだものです。頂上では、ゴザの上に広げて
拝んだとのこと。

つづく。。。
富士塚でのお炊き上げの儀式が終わり、皆で下山、
そして、場所を移動しました。

とても立派な中里地域市民センターの大広間。
お昼をいただいてから(御馳走さまでした!)
直会の準備に入ります。日射しがぽかぽか気持ちいい!



富士塚でのゴゼンサマをここでも掲げ、
立派な祭壇ができ上がりました。
塩の盛り方、御三宝の方向など、いろいろ教えていただき、
勉強になりました。ありがとうございました。
あとは、尾頭つきの魚を待つのみ。


そうそう、真鍮の燭台(明治33年奉納)を磨いたり。
あぁ、なんだか子供の頃を思い出す。祖母がやってた燭台磨き
のお手伝い。。。その時もやっぱり日溜まりの中でした♪
確か縁側だったっけ。


次にひかえしは、幣束(へいそく)作りと注連縄作り。
富士講は、神職の役割を先達および講員が行なうのです。
(かつては加持祈祷もやっていた時代があったのですよ)

まず、2種類の紙垂(しで)を作ります。
先達所有の型紙を使い、紙を切り、折っていきます。
シングルは注連縄用。ダブルは幣束用。
使う和紙は、とても丈夫で上質です。
切り切り班、折り折り班なんて命名しながら(笑)分担し、
私は切り切り班でお手伝いさせていただきました♪


できたダブルの紙垂は、朝、中里富士裏の竹やぶから切り出した
26本の串に、大麻の紐で結びます。これもいい紐でした。


先達と先達夫人が監督です。「そうそう。そんな感じだね」


幣束は、こんなきれいな26本ができ上がりました。
こうして幣束を新しく作り変え、年内に、塚の全ての
石碑や石祠など、つまりすべての神様の場所に供えて、
初詣に、富士塚(=富士山神社)に来る人達を迎えるのです。


シングルの紙垂は、縄の間に挟み込み、夜の直会の
際に使います。


あとは、魚を待つだけとなりました。。。
富士塚頂上での儀式です。


行衣を羽織り、講の皆様は儀式の準備に入ります。
「火の花祭り」の時と同じ位置に「ゴゼンサマ」を配し、
奥宮に蝋燭を供えます。


線香によるお炊き上げは、このように富士山の形に盛り上げます。
「なんかうまくいかね〜な。手がかじかんじゃって」
というわけで、僭越ながら私めが仕上げさせていただきました。
でも、こんなスカスカになっちゃいましたが。。。


さて、皆様も準備が整い、中村先達もビシッとキメられました。


冬至のこの日にあげる祝詞はこれ。
お伝え本や、アンチョコを見せ合いながら、確認いたします。


私も自前のアンチョコを持参です♪


「星祭祝詞」の最後、画像にピンクの★をつけたところ、
「善星皆来 悪星退散」は13回繰り返します。



頂上にて読誦するうちに、とても清々しい気持ちになってきました。
こんな気持ちは、本当にありがたいです。


先達が、星祭のお札を、線香でできた富士山から立ち昇る煙にかざします。
これで、お札に霊力が宿りましたね。


日射しはだんだんと富士山に注いで参りました。
まず、清掃から。




落ち葉をかき集め、たき火をします。

 
乾いた落ち葉を手で集めていると、古い狛犬が姿をあらわしました。


富士塚の背後にまわって、竹を切ります。手前にあるのは宝永山の碑。


棟梁が選別した竹を使い、新年の為の、あるものを準備します。


太い竹から26本の細い串を作ります。


それぞれ先を削って尖らせます。


この中里富士にある石碑、石祠、などなど、神様は26か所あります。
それに供える幣束を新しくするためです。


竹串ができたので、講の人達は頂上での儀式に移ります。
冬至の日は、昔から「星祭り」が行なわれてきました。

今年「火の花祭り」を取材させていただいた中里の富士講の方たちに
再会するべく、21日の朝9時に中里富士に参りました。







丸嘉講田無組中里富士講のHPによると、この日に、
生れた年により定まる「本命星」、本年の廻り星である「当年星」をお祭りし
供養することにより、来年の除災招福を祈念する行事とされています。

今までは、集会場でやっていたお炊き上げを、諸事情により今年から富士塚の
頂上でやることになり、新年を迎えるための富士山の清掃をかねて
富士塚に集合したのです。

日は上がっていますが、富士塚はまだ森の影。でも、日が射してくると
その暖かさに言い知れぬ安堵を覚えました。


昨日、初めて見ました。書店にあった自分の本です。
友人たちから、平積みの画像や、どこの書店にあったか
との情報を得て、早く見たいと思ってました。

実は、自分でも数カ所まわってみたのに、なぜかどこにも
なくて、売り切れまたは入荷してなかったとのこと。
やっと会えた嬉しさに、思わずカメラにおさめました。

これは平積みではないですが、こうして講談社+α新書の
コーナーの棚(1段ぶち抜き♪)に並ぶのも悪くないです。


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性別:
女性
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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