▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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ひとつ前の記事、マップに赤く記したところが、西宝珠花富士のある地点です。
バスで20分走ったらこんなところでした。江戸川沿いに走る街道。



土地の人が言う。
「古い家はもっとたくさんあったんだけどね」
「住宅の下には遺跡も多いんですよ」
この魚勝はよかったな〜。地域のコンビニです。
なぜか、鯨のベーコンがたくさんありました。私はかんぴょうののり巻きを購入。
左は種苗店。

この街道を東に曲がると、千葉県野田市に渡る宝珠花橋へと続く道路へ入ります。
その先には。。。


宝珠花神社があります。左奥にはもう富士塚が見える!


土手の上を自転車に乗った人が行く。ああ、なんて気持ちのいい神社だろう。


神社の鳥居もスッキリ。それをくぐって、後ろを振り返ると。。。


こんな具合。右が幸手(さって)で、左は春日部。西日が眩しい!


では、神社の中へ進みましょう。


社殿の左が「西宝珠花富士」です。デカッ!


左から2行目に、「江戸川舟運の繁栄」というくだりがあります。

「舟運」という言葉は、富士塚を知る上で欠かせないものです。

富士山信仰が伝播した条件や、ボク石を運んだ流通背景などが関わるからです。

でも、「なじみのない言葉ではないか?」と言われたことがありまして、

ちょっと控えていたのです。が、

現実はしょっちゅう出てくるのは確かです。ブログでは今まで通り使いますね。



さて、その江戸川の舟運がさかんだった地区に行って来ました。

埼玉県春日部。川の東側、千葉県の富士塚はいくつか知っていましたが、

埼玉県側にも数多くの富士塚があるそうです。

今回訪れたのはひとつだけ。「西宝珠花富士」。とてもいい塚でした。

つづく。。。
町名が変わるのは残念なことです。そこらじゅう同じ名前(大抵、合理性を優先した味気ないもの)になって、判別するのは○丁目の数字だもの。先日は横浜で、また、昨日も埼玉県で同じ話になりました。行政の諸事情はわかるけど、土地の歴史がわからなくなります。それでも地元の人は旧名で呼んだりしますが、よそから訪れる人にはわかりづらい。

ここも現在は東葛西となってますが、地元では桑川と呼んでました。


桑川富士の正面。登山道は15段の丸石で、この画面下にも何段か続いています。


とっても小さい富士塚です。でも、「天地境」もついています。
埋まってしまって見えにくいけど、五合目の下にも五が読める。五合五勺ってことかな。天地境は、正確にはどこなのでしょうか。漠然と5合目だったり、また7合目あたりにその名をつけたところもあったりして。。。


さて、裏もちょっと面白い。ボク石や丸石がこんなつけ方をされている。東京でも東側の富士塚に多いです。千葉県にもね。


真裏はこんな感じ。桑川神社の社殿と並ぶ。


塚の下に石祠があったり、いくつか表情がありますが省略。
それよりちょっと離れた手前のこの石碑。かつて赤いペンキで文字をなぞってあったようです。私はあまり色を入れたものは好きではないので、どうぞこのままにしといてと願っています。赤い文字を入れて似合うのは、お祭りで賑わう十条富士と駒込富士だけ。残念なことに、最近、浦安の猫実(ねこざね)富士の碑には、赤や白の文字が増えてしまい、興ざめしました。登らせないかわりに遠くからでも文字を読ませる工夫でしょうか。。。とっても残念デス。
♪逆さになるのはヘッチャラです♪



こういう姿はよく見かけます。

場所はどこかというと。。。ちょっと引いてみましょう。


蝉がしがみついていたのは、鳥居です。

もうちょっと引いてみましょう。


桑川神社は江戸川区。富士塚が密集している地域です。東葛西という町。

この「桑川富士」、とっくに書いたと思っていたら。。。 初アップでした。
小さいけれど、迫力の逸品です。

富士塚に近寄ってみると。。。


やっぱりこんなところからも、蝉は飛び立ったのですね〜♪

つづく。。。
hozhoさんのご指摘のおかげで、榎が丘富士(下恩田富士)の
位置がわかってすっきりしました!ありがとうございます。

ところで、この富士塚にはさすがに登拝はできませんね〜。
形状の問題でなく、塚にぐるりと注連縄が張ってあるからです。
富士塚めぐりにも、こういう神域のボーダーには配慮が大切、
絶対無視してはいけないことですね。


富士塚の手前にも、神垂(しで)が揺れる注連縄(しめなわ)があります。

これは、2本の木の幹から張られたもので、神域のカタチ。
鳥居として受けとめましょう。

では、このアングルをもうちょっと検証してみまっす♪


引いて見ると、こんな感じの位置関係です。

木が作る鳥居は、ほぼ、富士山の方角を向いているのでした。
神社の方にも確認しましたが、土地感のない私でも方角がわかったのは、


このおかげでした。(オレンジ色の★は私が画像につけました)

この日、恩田富士に行く前、青葉区で「散策しながら地図作り」をされている
サークルの方たちにお会いして(青葉区民まつりにて)、富士塚の存在や、
富士山の見えるスポット等、教えていただいたのでした。


富士塚の他に、大山街道や大山の見方も聞いていたおかげで、
この神社を下りたところで、大山がどれか認識できた次第です。
横浜の方には、大山は馴染みの姿のようですが、私は初めてでした♪

画像加工は、大山だけをクリアに見せるため。
(実際はこんなに暗くはなかったです)

あれれ!? アップしてから気がついた! 大山の右上に、
富士山の頭が見えているじゃぁありませんか〜〜〜♪
【ふたつの富士が合体した!?】

榎が丘にあった富士塚から移された石碑は3つです。
元の塚にもこれらしかなかったようですが、その3つとは。。。

「タテカワ元講」の碑

「御室仙元大菩薩」の碑

「里社仙元大菩薩」の碑

です。実際の富士山の方角に向かって、「タテカワ元講」の碑を中心に
左に「御室仙元大菩薩」、右に「里社仙元大菩薩」が並んでいます。

タテカワ講の紋は、「山」の下に「丸」があってその中に「川」を表わすタテの三本線。

ところが、

ちょっと離れたところに別の紋を発見!

「山富講」の刻まれた水盤

があったのです。これは、隣の稲荷神社の脇でした。
違う講のものがひとつの富士塚につけられることはよくありますが、
以前、榎が丘にあった富士塚には3つの石碑しかなかったのだから、
これは移築の際に別の富士塚から持って来られたと考えられるわけです。

で、「山富講」の造った富士塚を調べてみたら。。。

榎が丘から少し北にあった、かつての「恩田富士」通称「六角富士」に
この水盤があったことがわかりました。

さらに、ここに運ばれたものは、水盤だけでなく、

「小御嶽石尊大権現」

またその近くに置かれた石祠もおそらく六角富士からのものの可能性あり。

面白いですね〜♪

解散した複数の富士講の残した富士塚を、移築の際にまとめてしまうってコト、
あったんですね。

ちなみに、かつての恩田富士がなぜ六角富士と呼ばれていたかはナゾです。
いつか地元の方にお聞きしてみたいところであります。
富士塚の詳細は後で書くとして。。。



神鳥前川神社にある「恩田富士」は、近くから移されてきたものです。

恩田富士の前身は、マップの中に記した「榎が丘富士」です。
今はもうないので「恩田富士跡」が正しいのでしょうが、
ちょっと疑問も残るので、保留の意味で、曖昧に榎が丘富士としておきます。

まず、榎が丘富士の位置ですが、場所の特定がちょっと曖昧なのです。

246のすぐ近くにあったということは、文献や地元の方によるものですが、
榎が丘という地名からは、もうちょっと離れた場所ともとれます。
土地感のない私には断定できないので、保留であります。。。

もうひとつ。
現在の恩田富士にある石碑を観察してみたところ、

榎が丘富士からだけでなく、もうちょっと離れた「通称・六角富士」からも
いくつかの石碑が運ばれた可能性が出てきたのでした。

つづく。。。
メタル富士のことは、また違う側面から書くことがあるのですが、
いったん中断します。


メタル富士の立った長津田の隣に田奈という町があります。
そこに富士塚があるというのを、地元の方から教えていただき、
ふらりと行ってみました。
これは田奈駅(東急田園都市線)のプラットフォームから見えた看板。


駅から南東に向かって恩田川に沿って歩きます。川は見えないけど。
246が走る下をくぐります。
246はこのあたりでは、大山街道とほぼ同じ道筋を通っています。
そういや長津田地区センターの裏も大山街道だった!


しばらく行くと、神鳥と書いて「しとど」と読む、神鳥前川神社に到着。
珍しい名前ですが、もともと白鳥前川神社という名だったそうです。
現在の名になっている神鳥は、実在の鳥で一青「ひとと」とも言う、青い鳥のこと。
「之止止」と書いて「しとと」という霊鳥を指すのだそうです。




立派な本殿の裏には、こんな富士塚がありました。

つづく。。。

真剣にお参りする少年を見守りました。


ふらっと訪れた青年。「登拝の仕方を教えて下さい」って。


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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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