▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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まずはカタく、石のことをちょっと書いておきます。

ボク(朴)石とも呼ばれ、簡単に言えば溶岩のことです。
火山岩の一種で、玄武岩質安山岩。地表に流出した溶岩が
変化ある形で固まったもの、とされてます。

富士塚には「お山の写し」としての使命があるので、
溶岩を使うのは当然ですが、江戸時代後期から江戸の地で
庭園にも多く使われるようになりました。
でも、京都や金沢では敬遠されたようです。
土留めなどには適するが、景石としては良石とはいえない
からでしょうか。

伊豆半島・富士山麓・浅間山・阿蘇山・桜島・那須地方など
の産があります。今は入手困難。

画像は富士山頂上の奥の宮で買ったお守りです。御霊岩!
溶岩としてはきめ細かい。ガラスの容器もイイ。

つづく。

猫実富士を少し離れてみます。
さすが底辺の直径が14mもある塚は、遠くからでもいい眺め。

ところで、

狛犬の台座にも溶岩(黒ボク)がふんだんに使われています。
これは土地柄といえるでしょう。水運に頼れる点です。

つづく。

御師、菊谷坊の前の松明では、富士講の人たちが集まっていました。
この後、地面に座り込んでの拝みが始まりました。
(画像は鮮明でないのでパス)

富士吉田でお会いした「強力」さん。
まだ引退はしていなかったと思います。

しかしその細い足で!

はおっている法被の染め抜きは、
江戸川区の講で、私がいただいた法被の山玉講とは違いますが、
同じ御師に世話になり、講同士の行き来もありました。
(江戸東京博物館で確認済です)

私はお神酒をいただいてほろ酔いの頃(笑)。

この法被、富士吉田の方からいただいたものです。

何年か前、「山玉講」のことを知った直後に火祭りを
見に出かけ、この法被をはおった方に出会いました。

この講は解散したと聞いていたので、なぜこの法被が?
と思いながらお話を伺いました。

これを着ていた方は講員ではなかったですが、お友達
に御師(おし)の方がいらしたので、わざわざ御師宅の
菊谷坊さんへ連れて行ってくれました。

★御師(おし)についてはまた書きますが、簡単な説明を。。。

 富士登山の為に富士吉田に来る富士講信者の、世話や
 指導をしたのが「御師」と呼ばれる人たちです。
 宿坊を営み、富士講を広める為に江戸に出て営業もして
 いたそうです。御師と信者は師弟関係にありました。

ある御師によって江戸時代の登山の様子の絵が残っている
んですが、シロウト絵ながら味のあるいい絵なんですよ〜。

ちなみに、この法被を着ていて最後に私にくださった方は
割と若い大工さんでした(お父様か家族の誰かが宮大工で、
北口浅間神社の大鳥居の袖柱を造られたとか……たぶん)。

はい。これは私の持ち物であります♪

しっかりした木綿の法被です。

下の「堀江富士」の石碑にも赤い文字で「山に玉」が
見えると思います。

数ある富士講の中のひとつ【山玉講】です。

講祖の清山玉行の名前からとった講名です。
清山玉行は天保7年には「六十六度大願成就」の碑を
建てた大先達でもあります。本名は田中屋清六。深川の出。
「三十三度」はよく見かけますから、これはすごいですね!

この講の分布は、江戸川をはさんで現在の東京都東南部から
千葉県西北部にわたる広範囲です。
ざっと深川〜葛西〜浦安〜船橋あたりと思っていたら、
深川、猿江、西町、浅草、神田、本所、本所横川町、
市川、船橋、堀江、猫実の名前が記録にあるそうです。

講紋の上に「舩橋」とあります。



庭園の築山と言ってしまえばそれまでです。が。。。

このようにちゃんと富士山のイメージを重ねてアプローチ
しています。ニューヨーク州のとあるジャパニーズ・ガーデン。

富士講はないですが、日系人だけでなく富士山を遥拝できます。

はい。

円錐よりも、これでしょう。銀閣寺の「向月台」。

このカタチがなんとも言えず「山」のイメージですよね♪


富士塚においては
富士講の開祖、【長谷川角行】よりも、
六代目の講祖、【食行身禄】のほうが重要な人物です。

身禄さんの弟子が師匠の意志を広めるべく「富士のうつし」を
つくったからです。

ところで、この食行身禄の生まれ育ったところが(画像参照)、
三重県一志郡美杉村という山奥です。雨が多く杉の育つ渓谷です。
(なんと私は昔、ここに1か月もステイしたことがあるのです!
 縁があるなあああ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪)

それはさておき、三重は三重でも、海のほうの話です。



鳥羽のとある離島に富士講がありました。富士参りに参加する
者は、前日にミソギを行い、浜辺に「盛り砂」をしたそうです。
そして講が出発した後、残った者が、道中の無事を祈って毎晩
太鼓を叩いて、念仏踊りのような踊りをしていたらしいのです。

この、浜辺に盛った砂が、おそらくある種の富士塚ではなかったか
ということです。高さが背の丈もあれば富士の形になります。
ちょうど立砂みたいにね。(下の画像は京都の上賀茂神社のです)

山型の土に浅間大神を迎えて祈願するというのは、江戸の講も
やっていたことですから、三重の浜辺で同じようにやってても
不思議はありません。

食行身禄がそれを知っていたかはわかりませんが。


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士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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