▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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富士塚に似て非なるもの第2弾!!!

横着して、mixiの中の日記を転載いたします。お許しを!
(2005年11/17の日記)
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この、沖縄の八重山黒島にある「富士塚」に酷似したものは、
実は「プズマリ」と言ってこの地方独特の人工の小山です。

富士山はもとより、何の宗教にも関係ありません。

ですが。富士塚を見なれた人達がこれに遭遇したら、
どうでしょう。江戸の人達がこんなの見ていたとしたら?

 「プズマリ(タカムイ)は海上を行く貢船や異国船を
  監視するため、遠見台として琉球王府時代に
  使われた、黒島で一番高い場所。
  『黒島口説』に歌われる『メーヌスカムイ』のこと。
  八重山の島々にこのような遠見台があり、
  船が見えると火や煙を使って遠見台から遠見台へと
  次々と合図が送られ、石垣島の蔵元へ通報された。
  石が崩れる場合があるので、登るときは注意すること」

つまり「火番盛」のことですね。
黒島では「プズマリ」と呼ばれますが、
竹富島では「クスクムリ」、
波照間島では「コート盛」で親しまれて(?)います。

いずれも琉球石灰岩を積み上げて作られたものですが、
私は黒島のプズマリがダントツに高く立派な形状なので、
大好きです。はい。 黒ずんだ琉球石灰岩は、見た目が
黒溶岩にそっくりです。
……………………………………………………………………

登山や山岳信仰もいいけれど、やはり、人為的ながら
何かを表わしたい!到達したい!山盛りにしたい、という
人間のサガの産物に惹かれます。

それは私の幼少の記憶にも………(つづく)

富士塚か〜???かと思いきや、実は、木製の富士山のハリボテです。

明治17年(1884)、浅草の浅草寺の境内に浅草公園ができ、
その10年後、新しい興行地が造成されました。
翌年には、江戸時代から見せ物興行をやっていた「花やしき」が施設を
つくり開園。そしてその2年後、「人造富士山」が完成されました!

大盛り上がりになった凌雲閣(通称・浅草十二階)はその3年後ですから、
人々の遊興欲(?)が一気に登り詰めた頃でしょうね。
まあ、関東大震災まで。。。

さて、この絵は「出世すごろく」です。
正確には「俳優出世富士登山寿語六」。
浅草の「木製人造富士山」を使って描かれた人気(歌舞伎)俳優の
番付表みたいなもんですかね〜。
実際サイコロを振って遊ぶのでしょうけど、右下がふりだし。
ナンバリングしながら、その高さに合わせて俳優の格づけをしています。

頂上には「團十郎」「左團次」「福助」らの名前が、読みとれますが、
ふもとには身禄行者がいたり、ぬけ穴があったりして楽しい。
左遠方から白富士に見守られているのが微笑ましいですね。。。

【明治20年、梅堂国政の筆による】

ああ、この馬鹿馬鹿しさが楽しくてたまりませーん。ハリボテがですよ!

ちょっと学習したら、疲れちゃいました。

とっておきのこんなものを一口飲んで寝ます。

どの神様(仏様)が夢に出てくれるでしょうか。

木花開耶姫命は一度あらわれたんですよ〜。(笑)

密教の八葉九尊の信仰と、浄土真宗の阿弥陀が結びついたもの。
これは静岡側からの略した曼荼羅です。年代はわかりません。

だいたいこんなところでしょうか。いろいろあるんですね〜。

その意味でも、富士山の美しさは、昔からのひとびとの
「祈り」と「想い」がつくっているような気がしてきます。。。

勢至菩薩、阿弥陀如来、聖観音菩薩のバージョンもありです。。。
1800年の牛玉より。

室町時代に、狩野元信によって描かれた「富士参詣曼荼羅図」はよく
知られております。静岡側の富士山本宮浅間神社にあります。

山頂を仰いでみれば、右側から、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来
がそれぞれの峰に描かれています。

山頂の峰を蓮の花弁にたとえたのが【八葉】

そこに、大日如来を中心とした、九尊の仏が住むとされたのです。

(「八葉九尊」は密教の考えでしょうか?
 この図が出た山梨側のお寺は、真宗以前の密教系だそうです)

九尊とは、
薬師、観音、勢至、地蔵、大日、阿弥陀、文殊、釈迦、普賢です。

ちなみにこれとその下の図は1680年のものです。

内院にふれて書いたので、
頂上についてどのような宗教観があったのか、もうすこし。。。

これは「八葉九尊」という概念を図にしたものです。(部分)
       ↑
      9仏のコト

つづきはのちほど。。。

内院(噴火口)は、死後の世界でもあり、仏の住む浄土でもあります。

江戸時代までは、富士山には仏教色の濃い信仰がありました。
富士山を支配するのは「大日如来」であり、山頂は阿弥陀の浄土でした。

また、浅間大神は仏教と交わり「浅間大菩薩」として祀られていました。
木花開耶姫命が富士の祭神とされるようになったのは江戸時代後期なのです。
(浅間大神=木花開耶姫命の意識は室町時代からですが、吉田口での定着は遅かった)

頂上の山小屋に泊まった夜、真っ暗な内院をのぞきこんだことがあります。
下から吹きあがる風を受け、今まで味わったことのない霊気を感じました。

確かにそこは「この世」ではありませんでした。
こわくはなかったけれど、向こうの世界に通じるトンネルが口をあけている
姿でした。 私が富士山に惹かれるのは、霊的でかつ宇宙的だからです。

富士山撮影で有名な大山行男さんは、火口を降りて空を見上げ、丸く切り取ら
れた空を撮ってます。本人も言うようにそれはまるで「神鏡」のようです。

                                                                                              

薄い空気の中で、星たちのサポートを受けながら頂上を目指したことでしょう。
先達は下山まで食事も取らず、腰につけた鈴の音で自らを鼓舞しました。

信仰登山の最終目的は、山頂に至り「浅間大菩薩」の聖なる地、内院(噴火口)を
拝することです。山頂に到達すると、内院に向かい、拝みをあげて「仏の御来迎」を
待ちました。

山頂までの長く厳しい道のりには、さまざまな神仏が配置されています。登拝者は、
身を潔めながら、天からの支えを励みにし、わらじを踏みしめました。


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富士山に登りたくても登れな
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関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
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地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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