▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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田端富士を下りて、一行は祭壇のある場所へと移動しました。
通常は、田端八幡神社の境内の散集殿というところで拝みをするのですが、今年は改築のため、参道下に設えた仮の建物で行うことになりました。

八幡神社のすぐ西隣には、赤紙仁王(体の悪いところに赤紙を貼ると治ると言われる)で有名な、東覚寺があります。仁王像は、赤紙に埋まって姿も見えず。



寺の前は、ついこないだまで細い道だったのに、区画整理でこんなに見通しがよくなりました。

道を指差し、講元が言いました。
「この道が『弾丸道路』だよ」
「え?ダンガン?」
「そうだよ。戦争時に海の方まで運んだ道さ。北にずっと行くと赤羽団地だよ」

もっと詳しくお聞きしたかったけど、儀式が始まるので断念し、皆さんの後を追いました。



祭事の行われる会場の入口に。。。あ、神田の講から?



これは田端の富士講、「山元講」のマネキです。

さて、祭壇ふたたび。田端冨士三峰講のお宝は、以前から調査報告書で知っていましたが、本物を拝見するのは初めてです。(初拝みは一般公開しているわけではなく、内々のことだから当然と言えば当然ですが)

講のお宝である祭祀具は、【北区のサイト】に出ています。
「田端冨士三峰講祭祀具 附 関係文書」を北区指定有形民俗文化財に指定(指定日平成21年12月9日)



掛軸や祭壇の品々は、手入れもよさそうですごく美しい。
でも、なんとなくヘンだ。



あれあれ?



こちらから見てもやっぱり。
大事なものが足りない(!?!?)。



これは、講の方が持って来られた昔の写真。
そうです。富士山型の御神鏡がない。
(どうやら私だけが気づいたようでしたが)儀式は滞りなく進みました。
文化財に指定されたとはいえ、講の方たちにとっては自慢の祭祀具よりも
ココロのほうが大切。こんなハプニングも微笑ましい、和やかな集まりでした。

ほんの一部ですが、素晴らしい品々をアップ。

身禄とコノハナの掛軸

百八講曼荼羅

お焚き上げ釜

紋は、山元講の前身である「丸長講」です。

お札の版木

などなど、どれもが丁寧に手入れされています。
そして、全員で読誦する「お伝え」。感激でした。





やはり、声に出すのはすごいと思いました。

3年ほど前のこと。私が敬愛するネイティブアメリカンの指導者、デニス・バンクス氏が来日した際、とあるお寺で、彼の歌に合わせ全員で般若心経を唱えたことがあります。全く違うふたつのものでしたが、途中から素晴らしいバイブレーションを生み、感動と共に「声による浄化」を肌で感じたことがあります。

拝みをしていても、たまにそんな瞬間があり、驚きます。



そうそう。御師のSさんが富士吉田からいらしていて、プチレクチャーに盛り上がりました。偶然にも、Sさんは、昨年私が火祭りツアーの際お世話になった方たちとも懇意で、私の本も御存知でした♪


つづく。。。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


【富士塚ナイト】は、3月14日ですよ♪
初拝みは、まず富士塚に登拝してから。
この日は素晴らしく晴れわたり、本当に気持ちいい太陽の光を浴びました♪



「現在の」富士塚は、田端八幡神社の参道の右わきにあります。坂は南向き。
こちらの講は、昭和37年以来、富士講と三峰講が合同で行うようになり、講名は「田端富士三峰講」といいます。(もともとの「田端山元講」や富士塚の配置は後で書くとして。。。)



青い鳥居の奥が田端富士の頂上。石段の左側にある三峰講のお宮に拝んだ後です。



他の富士講では、神社の神官による修祓の儀から始まることが多いですが、こちらは講員の方たちだけです。







供物を下げて、移動します。
「さあ、これから中に入って拝みだよ〜」

つづく。。。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


【富士塚ナイト】は、3月14日ですよ♪
毎年2月20日に行われている、田端富士の「初拝み」に参加させていただきました。
講の皆様、北区の学芸員/区職員の皆様、心より感謝いたします。

塚へと登拝の前に、屋内で祭具一式を拝見しました。
講元から撮影を許可され、祭壇の前に進みました。







「鳥肌が立ってしまいました!」
思わず、区のSさんに口走ってしまった私。
本当に、祭壇の前に立ったとき何かすごい感覚があったのです。

こちらの神具/祭具は、昨年12月に北区の文化財に指定された素晴らしいもの。富士塚にお参りしてからまたくわしく。。。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


【富士塚ナイト】は、3月14日ですよ♪
天候がコロコロ変わる今日この頃。晴れるたびに、富士山が見えるのでは!とヤキモキする人が多いけど(私も少しは気になりますけど)、富士塚は天候に左右されず、いつもそこにいてくれます。あたりまえですが、ありがたい。

とはいえ、晴れると富士塚の表情も変わります。雨後に出る、草木の新芽も色鮮やかですし、塚守の猫も温まった岩の上で昼寝をしていたりします。のどかです〜。

2月20日の田端富士での「初拝み」を早くレポしたいのですが、なかなか時間が。
で、ようやく紹介を!と思ったところ、



大山さんが、先日の富士塚ツアーの様子を【デイリーポータルZ】にアップされました♪ これはステキ!どうぞご覧ください。



「ああ、こんなだったのか〜♪」と、ガイドをしてるとわからない画像や観察がとても嬉しい。すてきなアングルもいろいろ。そうそう、花園神社境内「新宿富士」のそばで、コントの練習をする彼ら(仮芸名:フジヅカ)にもぐっときましたよね♪

さて、先日までは決して富士塚マニアではなかった参加者の方たちでしたが、富士塚マジックに魅せられ、その後、10箇所の富士塚に行かれた方もいらっしゃいます。マニアのお仲間が増えて、私としては嬉しいかぎりです〜♪


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


【富士塚ナイト】は、3月14日ですよ♪
「富士塚百景・スライドショー」はたっぷりと♪



「富士塚探索テクニック」も飛び出します♪

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

★お台場はZEPP TOKYOの2階、
TOKYO CULTURE CULTURE(東京カルチャーカルチャー)にて。

有坂蓉子&大山顕presents

【有坂蓉子×大山顕の富士塚ナイト〜ご近所富士山の謎 ! ! 】

2010年03月14日(日)
Open 17:00 Start 18:00 End 20:30 (予定)

前売券¥2,000・当日券¥2,500(共に飲食代別途必要・ビール¥590など)
チケットご予約は、【こちらのURL】まで。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

またとないスペシャルな夜です。どうぞご参加くださ〜い。
亀戸富士は、現在は登るような大きさではないですが、大事なものはたくさん残っているのが嬉しいです。

神社境内にも散在しているので、お見逃しなく。
鳥居のすぐ近くには、食行身禄の歌碑があり、中ほど西側には、



「富士せんげん道 道標」が立っています。



読んでみましょう。「是より右」。。。



冨士せんげん
亀戸てん神
六阿ミだ
あさくさ

その下に書いてある一文字は「道」です。

(「六阿ミだ」とは、六阿弥陀6番目の常光寺のこと)

もちろん、街道沿いから移されたもので、逆井(現・平井)の渡しから来る人のために、六之橋のそばにあったようです。当時の人の流れを思うのも面白いですね〜。ちなみに、旧中川の対岸には、逆井富士も平井富士もあります。

また、道標の傍には、



下浅間神社があり、手水鉢は



深川から奉納されたと思われる、山玉講の紋が。
(山のカタチがちょと違うけど〜)

とにかく富士塚に訪れたら、塚だけでなく、境内を歩き回るのもオススメです。



これひとつ、本殿北脇にひっそり建ってました。
よく読めないですが、たぶんこれもほかの講からの献納でしょう。
亀戸浅間神社から公園側に降りて来ました。



紅梅の木に手をのばす少女。富士塚の側面は、鉄柵に囲まれています。



近くに小御岳山の碑があり、



猿ファミリーのすぐ上には、



これ。そこから鉄柵に沿って時計まわりに歩いてみます。



途中で石段がありました。



ここを登るとすぐ頂上なのですが、



上から見るとこんなです。西日が眩しい!
では、門扉を開けて鉄柵の中に入ってみましょう。



え?入っていいんですかって?
いいんですよ〜♪
柵は側面から頂上の間だけ、塚のまわりをぐるりと囲んでいますが、門扉はちゃんとついています。自分で開けて通過し、丁寧に閉めれば大丈夫。



経ケ岳があったり、



「亀」の文字がくっきり読める碑や、猿の指がユニークな講碑の各種。



柵の中から外を見るとこんなです。



植木の根元には、多数の碑がありましたが、



この碑はなぜか特別な印象。



焼けたわけじゃないでしょうが、やたら赤いだけでなく、



背後に古い石段がありました。
もしかしたら、ここがかつての社殿の向き?まあ、富士山の方向でもありますから、そうかもしれません。

頂上に出たら、ガサガサッと音がしました。



「わ。びっくりした〜!」
それは向こうも同じでした(笑)。子供でした。

少年は、私を見て言いました。

「何だか、ハカセみたい〜♪」
「まあね(笑)。調査中だからね♪」



彼の仲間もやって来て、私が登ってきた石段に移動して遊び始めました。

これこれ。大事な古いものを壊さないようにね〜。
そう言いかけて、やめました。
この子たちの父ちゃんやじいちゃんや、ひいじいちゃんたちも、たぶんこうして富士塚で遊んでいたでしょう。昔からそれを繰り返してきたんだから、できることならこの子たちにも遊ばせてやりたい。

そう思うと、浅間神社の言葉は寛容でぐっときます。
「柵の中? ああ、入っていいですよ。子供たちもよく遊んでいますから」

確かに、塚の崩落の一番の原因は子供かもしれません。でも、もともと庶民のためにできた富士塚です。登ってなんぼ、遊んでよしとすべきだと、私は思います。少々の崩落だってたいしたことじゃない。大人の事情や土地開発によって取り壊されるよりずっとかわいいもんです。

たっぷり遊んだ記憶を持った子供は、いつか、楽しく遊んだ場所が富士塚だったことを思い出すでしょう。かつての私がそうだったように。
都営新宿線の東大島駅に降り立ち、北を目指してずんずん歩きました。







亀戸の浅間神社は、高層マンションに囲まれたフシギなところ。なんだかここだけ神社が取り残された感じ? でもこの神社は、江戸時代にかなり活気ある富士山信仰、とりわけ富士詣とそのお祭りで有名だったところです。

そんな雰囲気はしないのにな〜と思いつつ、境内に入ると、ちょっとせわしげな様子。(時間がたってしまったけれど)私が訪れたのは節分当日でした。豆まき行事のため、神社の方たちや氏子衆、境内の地面修復をする建設会社の人達が出入りしていました。紅白の布に飾られたところが豆まきの舞台です。



社殿もなかなか渋い。天水桶には、くっきり富士講のマーク。丸不二講のものです。ペンキが固まって、猿の手はグーになっています。



社殿の脇に、もうひとつ鳥居があります。左右に対して低いのはナゼだろう?



ここが浅間神社の北端。鳥居は北側に面して建てられています。

鳥居すれすれに鉄柵がつけられていて、左端に北に降りる石段があります。降りたところがすぐ「亀戸富士」でありました。



今は北側に隣接している「亀戸浅間公園」の中に富士塚があります。



近隣の子供たちの遊び場でもあります。



公園と言えど、かつては浅間神社の敷地。幟も立つのです。



北側から神社方向に、右手に塚を見る。それにしても、大きな底辺を持つ富士塚です。なのになんでこんなに薄っぺら?



塚の麓に看板がありました。昔の姿もかなり薄い。塚の上に神社の社殿が鎮座していたからです。塚の位置はそのままで、社殿(江戸時代と大正時代に震災を受け、改築したもの)は現在の位置に移築されました。

それにしても、塚は元からこんな高さだったのでしょうか。



これは、神社からお借りし撮らせてもらった昔の写真。やはり低い富士塚です。

第二次世界大戦で、焼け野原となった江東区一帯。奇跡的に、浅間神社周辺だけ焼け残ったそうですが、「見渡すかぎりの焼け跡の果てに、遥か、富士山は望めた」といいます。

失望の光景の中、遠く望むは富士の山。その姿は、小さな希望の象徴だったに違いありません。

(そう言えば、昨日お会いした田端富士講の講元からも、戦争当時のお話をうかがいました)

つづく。。。
さて、猿の話に戻りましょう。



ほのぼの猿の一家団欒は、亀戸富士で出会えます。

この富士塚はちょっと変わっていて、というかある経緯があって
あまり富士塚と気づかれずにいます。



猿とうさんの上は、すぐ平坦な頂上。そこには、



こんな碑があるだけで、





ながめもよくありません。これが富士塚?
と思いきや、ここにはここ特有な楽しみ方があるのでした。

つづく。。。

あ、猿がそれぞれ持っている玉についてはまだ考察中デス。
errieさんから素敵な画像が届きました♪

これは宵闇の歌舞伎町、西大久保富士での記念撮影。
↓(撮影者のerrieさんが写ってなくて残念)



とにかくこの日は、いただきましたっ! 星みっつ★★★の楽しさ!
皆様のおかげです。ありがとうございました。

この後、追加で花園神社境内の「新宿富士(旧・三光町富士)」へと向かいました。スポットライトをあびる富士塚は、西大久保富士と新宿富士(と羽田富士)以外に知りません。

夜の富士塚もオツなもの。さすが、眠らない町新宿ですね。そして、旧正月のお祝いも兼ね(笑)、ディープな中華料理屋へと潜入した一行でありました。



【オマケ】
青島ビールに酔い、宴の余韻を味わいながら、ふと見上げて私もつい。
「こんな配線大丈夫か?」

フラッシュなし

フラッシュあり

「歌舞伎町ラビリンス」よ永遠なれ♪


p.s. 手作りバレンタインクッキー、美味でした。ありがとうQさん♪



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HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
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富士山に登りたくても登れな
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士山」のこと▲です。富士山
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ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
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富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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