▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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藤棚も美しいここは。。。



大宮神社です。若宮八幡神社からは、南東に約800m。北側の旧街道からの入口もありますが、



南側の長い参道から歩いて入ると、やはり心が落ち着きます。境内に入るとすぐ左手に「祓所」があります。(若宮八幡神社にも祓戸大神が入口に近い位置にありました)本殿の造りも素晴らしかったです。



本殿の右側手前に浅間神社があります。つまりここが富士塚。鳥居の奥に社殿があるように見えますが、



鳥居がふたつ重なって建っていて、奥の古い鳥居に屋根がつけられていたのでした。すぐ下には御賽銭箱も。



御賽銭箱のすぐ右側から1合目が始まっています。鈴原神社や御室神社もつけられています。



御室神社まで足をのばすと、登山道の右奥に小御嶽?



「小御嶽道」でした。この奥に行くと小御嶽神社があるということですね。確かに奥には新しい石で碑はありましたが、きっと古い小御嶽神社もあるだろうと探したところ、



小御嶽道の石碑のすぐ下の地面に「小御嶽石尊大権現・大天狗・小天狗」の石祠が置かれていました。



「ほら、この富士山にはエネルギーがちゃんと感じられます。特に右側」
「ああ、わかります。わかります。ホントにそうですね♪」
教えていただくと本当に有り難い。そして面白い。

ここはもう頂上近く。



頂上の碑には「冨士嶽神社」とありました。



こちらは、反対側から見た富士塚です。静岡県寄り。こっちに登山道はないのかな、と植込みを覗いたら、



「須走」の文字。
UPし忘れたけど、この富士塚は、松竹梅すべてにおおわれていました。

五井富士の4分の1のボリュームしかないけれど、確かにいい富士塚でした。
しかし、ここも五井です。何という名になるのでしょう。

通常、富士塚には地名(できれば旧名)をつけて呼ぶのですが、五井富士A、五井富士Bというわけにもいかない。ちょうど、この地域では、若宮八幡神社あたりを北五井、大宮神社あたりを南五井を呼ぶというのを知ったので、今まで五井富士を呼んでいたほうを「北五井富士」、ここを「南五井富士」を呼ばせていただくことにしました。

それにしても、参加者次第でツアーも変わる面白さ。というか、出会いはすべて必然的なのですね。ご案内するつもりがすっかりたくさんのメッセージをいただきました。感謝です。

ちなみに、大宮神社の祭神のひとりに國常立命(くにのとこたちのみこと・国土地盤形成の概念より生じた神。国土に永遠に留まり国の根源をなす神) がいらっしゃいます。これもこの日の会話のテーマに関わる神様でしたので驚きでした。

そうそう、メッセージをもとに、解散後私が向かったところは。。。

つづく。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


五井に到着。若宮八幡神社の富士塚です。五井にはいくつか富士塚があると知ってはいたものの、こちらが一番大きいので、暫定的に五井富士と呼んでいました。



八幡宿富士と同様に、円錐型の美しい姿。しかし先週訪れた時、白いセメントで石標がことごとく留められていたので、内心残念に思っておりました。確かに少しずつ崩落はおきているものの、なぜこんなになったのか。。。それは後でわかりますが。

こちらの富士塚は、やはり霊性が失われつつあったようです。(特に中腹から上にかけて。亀岩も哀しんでいるとのこと)塚が荒れるのは、物理的なことだけではないのですね。



こちらには、社務所を兼ねた囲碁と将棋の集会所があります。氏子の方たちがいつも熱心に盤に向かっているので、声をかけたことがなかったのですが、この日、皆さんが本殿の前に集まっていました。

「最近、富士塚は修復されたんですね?」
「ええ。悪さをするのがいてね〜、合目石やら何やら引っこ抜いてはブン投げて、ムチャクチャ荒らされたんですよ。見かけは悪いが私たちがセメントで元に戻したんです」
「そうだったんですか。。。」

お話は他にもいろいろうかがえました。例えば去年気づいた胎内。
「中が土で埋まってましたから、長いこと気づきませんでした」
「ああ、あれもね」



「子供の頃には、あんなじゃなかったです。土が入りこんだというか、外側にもっと出っ張りがあって、その上に乗って遊んだもんでした。岩が崩れてあんなになっちゃったんですよ」

なるほど。聞いてみないとわからないものだと痛感しました。ちなみに、ここに富士講はもうなくて氏子の方たちは(出羽)三山講だそうです。このへん一帯は、富士講(浅間講)よりも三山講のほうが根強いので、おとなりの八幡宿に富士講が残っているのが珍しいくらいです。

「でも、ここの富士塚はここらじゃ一番大きいでしょ?」
最後に、氏子の方は誇らし気に言いました。
「大宮神社にも富士塚あるけど」

そうだそうだ、近くの大宮神社に行くのでした♪


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


私がお気に入りの八幡宿富士は、富士塚を覆う森全体が魅力です。その日も立派な姿でした。でも、到着してすぐに気づきました。あれ?な〜んとなくいつもの潤いがない。



それはあたっていたようです。参加者のおひとりにプロがいらして、塚をエネルギー調整してくださいました。すると、エネルギーを取り戻した富士塚は、その喜びを、私たちにも目に見てわかるように、自然界(風とか)を使って表現してくれました。それは感動の光景でした。

そしてその方はおっしゃいました。「ひとつひとつの道標や石祠、そして石ひとつも愛でてくださいね」

よくわかる言葉でした。富士塚は単なる史跡でなく、すでに聖地なのです。私が想像していたように、拝むという行為は塚に通じるのでした(簡単に言えばですけどね)。

しかし、やはりその「原点」は大事にしたいと再確認しました。ツアーの進行ばかり考えて、心から塚に挨拶ができないのは避けたいです。また、自分の直感は信じることが大事だと思いました。



塚の近くには、こんなに美しい野性の花が群生していました。名前は何でしたっけ?



すばらしい出会いに感謝しながらのランチは、これ以外にも腕もの、鉢もの、ご飯やデザート&コーヒーもついて♪ ちょっと贅沢ですが、地元の方ならではの情報をいただき、素敵なお店で会話もはずみました。ありがたかったです。

次に向かった先は。。。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


千葉から乗った6両の内房線ローカル。そこに着くまでの総武線車内にも、紙パックの「男山」を片手にサキイカを摘むスーツ姿の人がいたり、缶ビールを飲みながらプラットフォームを歩く人がいたり。。。たしか今はゴールデンウィークなんですよね?



ボックス席のある電車は、旅情を誘います。

車内では、ボケたふりしたじぃちゃんと女子高生の、座席をめぐるゆる〜いバトルがあって微笑ましくもあり。。。



さて、ひとつめの富士塚「八幡宿富士」。縁が縁を呼んだツアーの始まりでした。

つづく。。。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


インフルエンザの猛威で多数の被害が出ているメキシコにて、私も参加しているグループ展「YOUR DOCUMENT PLEASE!」が巡回中です。ギャラリーが閉鎖されている可能性もありますが、それよりも、亡くなった方や病床に伏せっている方が多いことを考えると、胸が痛みます。これ以上被害が拡大しないことを、心よりお祈り申し上げます。関係者の方たちもご無事であるように。








中央線を西に向かうと、山に続くイメージが増してくると感じるのは私だけでしょうか。



そのまま行けば大月。富士吉田に続くところですもんね。



大月のずっと手前ですが、武蔵境にも富士山があります。駅のすぐ近くにある杵築(きづき)大社の境内の富士塚です。登山口は左に見える池にかかる橋の向こう。



神社からいただいた地図(部分)に色をつけてみました。上の画像は、右側から富士塚を見たわけです。



水の豊かな池と背後の富士塚。そして日射しが嬉しい♪ 橋を渡って登拝しましょう。



山の中に誘(いざな)われる、このワクワクした感じ! 何度来てもありがたい、それは神気とも言うべき気配なのでしょうか。。。



頂上のお宮は、美しい木の造りです。「三国第一山 富士仙元大菩薩」とあります。三国第一山とは、すなわち富士山の意味ですね。また、注連縄もバランスよく。



もうひとつの登り口をゆけば、



塚の背後へとまわりこむことができます。



境富士の正面は、背の高い木々が茂っているので塚の形がわかりませんが、裏側からだとその円錐の姿がよくわかります。やはり、武蔵野の土は独特です。懐かしい香りがしました。



登山口にある講碑。



丸嘉講の紋がくっきりの碑は、登ってすぐのところ。



修復(昭和48年)は大変な事業だったとのこと。



この時にボク石をトラック3台ぶん頂上や山道の脇居に設置したそうです。ここでも7月中旬に、丸嘉講の方たちが来てお山開きをするそうです。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


幻想的な熊野堂富士を後にし、片倉町駅(市営地下鉄ブルーライン)から横浜駅に下りました。機会があれば、熊野堂富士の近くにもた〜くさんの富士塚があって、7富士めぐりとして、ひとつひとつまわるとよいのですが、その説明も兼ねて、ともかくその地域の富士信仰の中心である西区浅間神社を訪れました。

西区では、こんなシンボルマークのついた指標を見かけることがあります。これは、3本の古道をデザインしたもので、



このマップ(西区ホームページより拝借したものに加筆)にあるように、西区は旧東海道(赤い点線)、保土ヶ谷道(青い点線)、横浜道(緑の点線)がトライアングルを形成しています。西区浅間神社は、旧東海道の通るところです。



一立斉広重画「神名川横浜港真景」にあるように、かつて山のすぐそばは海でした。



一行は、横浜駅を背にして西を目指し、新田間(あらたま)川沿いを歩きました。横浜道にヒットし、



北上すると、旧東海道に出ます。環状1号線より1本奥です。品川あたりでもそうですが、旧東海道の細さに驚きです。



これはなかなか面白いです↑。すぐ近くが波打ち際だったとは!



ここは浅間町。



富士塚ではないけれど、信仰の中心として、大勢の参拝者が訪れる浅間神社(浅間山)への登山口です。



石段を昇るとあっと言う間に赤鳥居。町が見渡せます。ふうん。それだけ?って思いがちですが、



お中道の文字が!さて、昔の山はどうなっていたのでしょうね。



頂上には立派な浅間神社があります。



昇って来たところがオモテダイモン。下山はウラダイモンへと。これも旧東海道に出ます。



下りきったところに、立派な講碑が建っていますよ。



山を下りてから、名所となった「人穴」の位置を探しに歩いてみました。わからなかったけど。ちなみに、穴の中には大日如来像が安置されていたそうです。

ここ一帯で7富士めぐりをされる方は、この浅間神社を振り出しにまわります。西谷とか上菅田とか東本郷とか小机とか菅田とか羽沢とか、そして熊野堂へ。

参加された方の中で、昔浅間神社近くに住んでらした方がいて、「気づかなかった〜」と驚いていました。



浅間下の商店街もいい感じ!



でも、最後にお茶をしたのは、こんなキュートなカフェでした。





奥にあった、ゆったりカウチに根を生やし、楽しい時間を過ごしました。皆様ありがとうございました♪


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


天気予報は大荒れでした。実は、ツアーの中で一番晴れて欲しかった難所でした。富士塚とはいえ、山を登るのでした。にも関わらず、参加申し込みをされた方たちは集まってくださいました。



横浜市神奈川区菅田町にある「熊野堂富士」。「真言宗 最勝寺」がまもっている富士塚です。東京ではほとんどが神社境内にある富士塚ですが、横浜ではお寺が管理していることが多いです。この富士塚は、江戸時代、寺子屋を開いていた天循(てんじゅん)の筆子(生徒)によって造られました。一同がまず、最勝寺でお参りしていた時、お寺の鐘が鳴りました。今日、檀家による法事があることはわかっていましたが、皆さんが手を合わせた瞬間に静かな山の中に響いたその音は、参加者の皆さんの心にも有り難い音色となって刻まれたようでした。



そして、お寺を出て隣接する浅間神社へと向かいました。



社は閉ざされていましたが、



毎年、6月1日のお山開きでは、最勝寺の檀家の方たち(講元はじめ数人)が社を開き、このような光景(提供/鶴見区在住U様)が見られます。そして、お社には上がられませんが、



浜町からいらっしゃる丸金講の先達が、毎年こちらを訪れます。七富士参りです。(提供/鶴見区在住U様)



先達は、当日こんなふうに熊野堂富士を登拝されます。(最勝寺のご住職O様から承諾を得て、過去の記録を画像におさめることができました)



さて、富士塚を登拝する前に、その麓にあった仙元大菩薩の碑です。



登山口はこんなです。「皆さんどうしましょうか?かなりの急勾配で足元はかなり危険です」

「せっかく来ましたから行きましょう♪」



その言葉に後押しされ、私たちは富士山を目指しました。



中腹には不動明王像があったり、



講碑がたくさんあります。右側は富士山の形ですね。



ちょっと振り向くとこんなです。



塚はもはや富士塚などと言えないくらいの山中です。この右側麓には、胎内もあったと言われます。うっかり写真におさめるのを忘れましたが、去年枯れ草で覆われていた食行身禄の像は、今回素晴らしい姿を見せてくれました。



こちらは、頂上に鎮座していた胎蔵界大日如来像です。この仏を拝む方向に富士山が臨めます。



頂上でのスナップです。霧がかかっていましたが、感無量でありました。



天候がもうちょっとよければ、こんな光景が見えたはずですが。。。皆さん自分の登拝された位置を確認され、驚いていました。

つづく。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★




こわくない!



希望をもって泳ぐ鯉たち。ここは富士山に向かった川沿い♪
さて、前の記事のマンガに出てくる「目黒新富士」は



江戸時代こんな眺めでした。富士塚のあったところは、



蝶ネクタイを絞めた人も歩く、上目黒にある秀和レジデンス界隈です。



ここの程近いところに目黒新富士があったのですが、



富士塚の背後にある遺跡群の中から、平成3年、富士講の証と思われる胎内洞穴が発見されました。左下の丸いところが目黒新富士の位置。左上に秀和レジデンスが見えます。そして、中央が発掘された遺構のあったところです。






洞窟の入口も興味深いです。



中には、大日如来座像が横たわっていたそうです。
目黒の富士塚めぐりでは、塚や塚跡を歩くだけでなく、



洞窟の内部や、





富士塚の当時の様子を観に行くことができます(めぐろ歴史資料館)。それにしてもフシギ満載の富士塚です。興味はつきません。


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芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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