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▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
すでに複数のツアー参加リピーターもいらっしゃいます♪ 心から感謝の気持ちを申し上げます! この日は、都筑区にある3つの富士塚をまわりました。 まず、山田富士。 北山田という駅のある市営地下鉄グリーンラインは、まだ開通して1年とちょっと。横浜の方にもあまり馴染みがないようですね。おまけに運賃が高い。駅員の方とおしゃべりしているうち、「そうですね〜。高いですが、これは10年規模で乗降客の数を集計して…回収できるかと計算して…」などのご説明を受けたりして。「では10年後は安くなるんですか?」「いや〜それはないですが(笑)」「あらら」「その頃自分は定年でもう……」そんな会話になごんでしまいました。。。 ちなみに、地名としての山田の呼び方は「やまた」と濁らない。 富士塚は「やまだ」ふじと呼ばれますが。 最近の記事にたっぷり書きましたので、富士塚の詳細は省きますが、 駅の南側からも富士塚の頂上が見えます。(3月撮影。デニーズ駐車場からの画像です。コブシの白い花が写っていますね) 赤い矢印の方向から見たのでした。 自分ひとりで土地カンのないところを行く時は、こうしてコンパスに頼ることが多いですが、今回横浜の方ばかりいらしたので、すぐに富士山の方角がわかりました。頂上ではいろんなランドマークが見えて、話に花が咲きました。 さて、当日のウンチクの一部。 ここは公園になっていますから、神社もお寺もないですが、山田富士はもともと長泉寺の寺領でした。太子堂があって、そこに村の人たちが集うようになり(おそらく寺子屋のように学習もしていたと思われます)、集会所として使われるようになったことから、のちに、村が富士塚も含めてお寺から借りることになったようです。 横浜では珍しくありませんが、富士講と大山講は一緒に行事をすることが多かったです。大山詣と富士詣がセットに行なわれることは各地でよくありましたが、大山講の「雨乞い行事(大山からの水を使ったり、地元の川に入るなど)」に富士講も参加していたのは、横浜ならではです。 桜の頃には富士塚に人が大勢訪れ(近くの綱島から芸者が来て盛り上がる姿も)、毎年7月1日には村総出で草刈りをし、愛され続けた富士塚でした。 また、戦争中には軍事訓練校の演習場になったという一面もあります。急斜面を腹ばいになって頂上を目指したそうです。 富士塚の歴史は、ニュータウン建設で大きく変わりました。管理が公団の手に移ってから、仏像や石碑等が盗まれて、村(町)は抗議をします。でも、横浜市は「公園として開放されるには地蔵等は撤去すべし」と言い、村としては信仰の対象は残したいと主張。協議の末、「富士塚で祭はしない」と誓約書を書かされて、残りの石像物は撤去を免れたのです。 このように、立派に塚は残っても、儀式がなくなるのはこんな経緯があるのです。現代に引き継がれなかったのは残念ですが、「過去を知る」ということは大事ですね。そして「現場で感じる」ことも。この日「信仰の気配」に敏感な方たちもいらしたことから、ツアー後半は、充実の展開があったのでした♪ つづく。。。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
クラブツーリズムのホームページからの申し込みは、
【こちらから】お願いします。 申込画面→会員登録→コース番号検索で41050を入力してください。 通常、クラブツーリズムの会員の方には、「旅の友」という冊子が郵送され、下のような告知を目にすることができますが、 このブログを読まれている方はご存じないでしょうから、↑アップしてみました♪ こんなふうに紹介されているのです。 もちろん、お電話で【03-5323-6822】(担当:東海林さん)までご連絡くださってもOKです。 さて、来週から東京地区のスタートです。初回は新宿。 以前の記事にも書いたのですが、富士塚をまわる前に【座学】があります。座学とは、文字どおり、座って学ぶ。ビジュアル中心に簡単にレクチャーをやります。 場所は、 ↑ココ。アイランドウイングです。(会場は当日までにわかると思います) 5月13日(水)のみです。13時から。 その後、 このルートで歩きます。歌舞伎町も歩きますよ〜。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ここからはひとり。
内房線で千葉に戻り、総武本線に乗り換えて降りたのは稲毛駅です。 以前から行ってみたかった「稲毛浅間神社」があります。駅を背に、西に向かいます。「せんげん通り」と呼ばれる街道には、 レトロな光景があちこちに。ゆるやかな坂を登り、 一番高いあたりで、西日が迎えてくれました。そこを過ぎるとすぐ下り坂。 京成千葉線の踏み切りがあります。左の駅は「京成稲毛」です。 せんげん通りは続きます。あっと言う間に 浅間神社。ここは 浅間神社の3つの入口のうち、上の鳥居ですね。(この地図は上が東を向いています) 入ってすぐに富士講ゆかりの場所があるのですが、まずは 本殿に向かいます。頭上には参詣者を迎えてくれる龍雲でしょうか。ありがたい。 広い境内。ゆったりとして参拝も心おきなくできます。ひとりで訪れる若い参拝者が多いです。 境内であるこの浅間山の頂上は、眺望もよく、この一帯の地形がよくわかります。 埋め立てられる前、神社のふもとはこんなだったのですね。ビックリ! さてこの画像でもわかるように、子供連れの人々が参拝しています。そして「例大祭」というのが、 今でも大勢の人で盛り上がるという「稚児行列」です。 このような縁起物が頒布されます。笹の枝を使う点が、(浅草のお富士さんでの)麦藁蛇や、高田富士祭でいただける登拝記念の品とよく似ています。 「稚児行列」は千葉県では定着した行事ですが、もともと「初山祭」の催しとして子供が主役のお祭りです(埼玉、群馬、栃木、茨城でもさかんです)。 ちょうど、この日に稚児行列の参加者募集の告知が貼り出されました。そう言えば、私が子供の頃も「お稚児さん」の行事に参加した記憶があります。あれは何のお祭りだったのかな。。。 ところで、今でこそ浅間神社は、祭神であるコノハナ様をシンボルとし、「御利益=安産・子育て」一色ですが、実は昔は違っていました。 ここ、稲毛浅間神社もそう。千葉常胤という(平安後期から鎌倉末期の)武将が信仰をしていたという記録があるように、浅間神社はかつて「戦いの神様」だったのです。(千葉氏は源頼朝と深い関わりがあります。世田谷区にある多摩川富士と呼ばれる浅間神社も、北条政子の頼朝の無事と勝利の願いから発生したものです) 富士講が生まれるよりずっと前、コノハナ様が浅間神社の神様となるずっとずっと前は、富士山に「武運長久」を祈っていたのですね!面白い! 時代が変わり、神様も御利益も変わるように、願いのカタチは人々の想念によって柔軟に変わります。それも興味深いです。現在、浅間神社は「コドモノミカタ」です。 ちなみに、ここ一帯がどのくらいの高台だったか定かではありませんが、文治3年(1187)の社殿再建に際し、「富士山の形に盛土をした」とあります。社殿はもちろん、富士山に向いております。東京湾を隔てて。 さて、境内の下の斜面には八坂神社や稲荷神社、大宮神社をはじめ数々の神社が祀られています。 その一角、どこにも属さないスペースに、この「山水講」の碑を発見いたしました。 穐月真行というのは先達の行名でしょうが、そう言えば、穐月(あきづき)は、五井付近でもよく目にした名でした。山水講は確か木更津が発祥地、穐行日穂という人物が祖です。講碑は、北五井富士、そして文京区の白山富士で見ました。 裏には「明治11年寅〜」。 もう一か所。東の鳥居から入って来た途中にあった「小御嶽社」です。 小御嶽石尊大権現の左右に、大天狗と小天狗の文字。そして その土台(賽銭箱ウラ)には「山水講」の証がありました。この一角は、おびただしい数の出羽三山講の碑に囲まれていました。さすが房総。 正面の参道に戻り、西側へ出ることにしました。 二の鳥居の外側から山を仰いだ図。 すぐ脇の上州屋さんもお山の裾です。沖は遠くにありますが、東京湾を感じながら帰路につきました。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 藤棚も美しいここは。。。 大宮神社です。若宮八幡神社からは、南東に約800m。北側の旧街道からの入口もありますが、 南側の長い参道から歩いて入ると、やはり心が落ち着きます。境内に入るとすぐ左手に「祓所」があります。(若宮八幡神社にも祓戸大神が入口に近い位置にありました)本殿の造りも素晴らしかったです。 本殿の右側手前に浅間神社があります。つまりここが富士塚。鳥居の奥に社殿があるように見えますが、 鳥居がふたつ重なって建っていて、奥の古い鳥居に屋根がつけられていたのでした。すぐ下には御賽銭箱も。 御賽銭箱のすぐ右側から1合目が始まっています。鈴原神社や御室神社もつけられています。 御室神社まで足をのばすと、登山道の右奥に小御嶽? 「小御嶽道」でした。この奥に行くと小御嶽神社があるということですね。確かに奥には新しい石で碑はありましたが、きっと古い小御嶽神社もあるだろうと探したところ、 小御嶽道の石碑のすぐ下の地面に「小御嶽石尊大権現・大天狗・小天狗」の石祠が置かれていました。 「ほら、この富士山にはエネルギーがちゃんと感じられます。特に右側」 「ああ、わかります。わかります。ホントにそうですね♪」 教えていただくと本当に有り難い。そして面白い。 ここはもう頂上近く。 頂上の碑には「冨士嶽神社」とありました。 こちらは、反対側から見た富士塚です。静岡県寄り。こっちに登山道はないのかな、と植込みを覗いたら、 「須走」の文字。 UPし忘れたけど、この富士塚は、松竹梅すべてにおおわれていました。 五井富士の4分の1のボリュームしかないけれど、確かにいい富士塚でした。 しかし、ここも五井です。何という名になるのでしょう。 通常、富士塚には地名(できれば旧名)をつけて呼ぶのですが、五井富士A、五井富士Bというわけにもいかない。ちょうど、この地域では、若宮八幡神社あたりを北五井、大宮神社あたりを南五井を呼ぶというのを知ったので、今まで五井富士を呼んでいたほうを「北五井富士」、ここを「南五井富士」を呼ばせていただくことにしました。 それにしても、参加者次第でツアーも変わる面白さ。というか、出会いはすべて必然的なのですね。ご案内するつもりがすっかりたくさんのメッセージをいただきました。感謝です。 ちなみに、大宮神社の祭神のひとりに國常立命(くにのとこたちのみこと・国土地盤形成の概念より生じた神。国土に永遠に留まり国の根源をなす神) がいらっしゃいます。これもこの日の会話のテーマに関わる神様でしたので驚きでした。 そうそう、メッセージをもとに、解散後私が向かったところは。。。 つづく。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
五井に到着。若宮八幡神社の富士塚です。五井にはいくつか富士塚があると知ってはいたものの、こちらが一番大きいので、暫定的に五井富士と呼んでいました。
八幡宿富士と同様に、円錐型の美しい姿。しかし先週訪れた時、白いセメントで石標がことごとく留められていたので、内心残念に思っておりました。確かに少しずつ崩落はおきているものの、なぜこんなになったのか。。。それは後でわかりますが。 こちらの富士塚は、やはり霊性が失われつつあったようです。(特に中腹から上にかけて。亀岩も哀しんでいるとのこと)塚が荒れるのは、物理的なことだけではないのですね。 こちらには、社務所を兼ねた囲碁と将棋の集会所があります。氏子の方たちがいつも熱心に盤に向かっているので、声をかけたことがなかったのですが、この日、皆さんが本殿の前に集まっていました。 「最近、富士塚は修復されたんですね?」 「ええ。悪さをするのがいてね〜、合目石やら何やら引っこ抜いてはブン投げて、ムチャクチャ荒らされたんですよ。見かけは悪いが私たちがセメントで元に戻したんです」 「そうだったんですか。。。」 お話は他にもいろいろうかがえました。例えば去年気づいた胎内。 「中が土で埋まってましたから、長いこと気づきませんでした」 「ああ、あれもね」 「子供の頃には、あんなじゃなかったです。土が入りこんだというか、外側にもっと出っ張りがあって、その上に乗って遊んだもんでした。岩が崩れてあんなになっちゃったんですよ」 なるほど。聞いてみないとわからないものだと痛感しました。ちなみに、ここに富士講はもうなくて氏子の方たちは(出羽)三山講だそうです。このへん一帯は、富士講(浅間講)よりも三山講のほうが根強いので、おとなりの八幡宿に富士講が残っているのが珍しいくらいです。 「でも、ここの富士塚はここらじゃ一番大きいでしょ?」 最後に、氏子の方は誇らし気に言いました。 「大宮神社にも富士塚あるけど」 そうだそうだ、近くの大宮神社に行くのでした♪ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
私がお気に入りの八幡宿富士は、富士塚を覆う森全体が魅力です。その日も立派な姿でした。でも、到着してすぐに気づきました。あれ?な〜んとなくいつもの潤いがない。
それはあたっていたようです。参加者のおひとりにプロがいらして、塚をエネルギー調整してくださいました。すると、エネルギーを取り戻した富士塚は、その喜びを、私たちにも目に見てわかるように、自然界(風とか)を使って表現してくれました。それは感動の光景でした。 そしてその方はおっしゃいました。「ひとつひとつの道標や石祠、そして石ひとつも愛でてくださいね」 よくわかる言葉でした。富士塚は単なる史跡でなく、すでに聖地なのです。私が想像していたように、拝むという行為は塚に通じるのでした(簡単に言えばですけどね)。 しかし、やはりその「原点」は大事にしたいと再確認しました。ツアーの進行ばかり考えて、心から塚に挨拶ができないのは避けたいです。また、自分の直感は信じることが大事だと思いました。 塚の近くには、こんなに美しい野性の花が群生していました。名前は何でしたっけ? すばらしい出会いに感謝しながらのランチは、これ以外にも腕もの、鉢もの、ご飯やデザート&コーヒーもついて♪ ちょっと贅沢ですが、地元の方ならではの情報をいただき、素敵なお店で会話もはずみました。ありがたかったです。 次に向かった先は。。。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
中央線を西に向かうと、山に続くイメージが増してくると感じるのは私だけでしょうか。
そのまま行けば大月。富士吉田に続くところですもんね。 大月のずっと手前ですが、武蔵境にも富士山があります。駅のすぐ近くにある杵築(きづき)大社の境内の富士塚です。登山口は左に見える池にかかる橋の向こう。 神社からいただいた地図(部分)に色をつけてみました。上の画像は、右側から富士塚を見たわけです。 水の豊かな池と背後の富士塚。そして日射しが嬉しい♪ 橋を渡って登拝しましょう。 山の中に誘(いざな)われる、このワクワクした感じ! 何度来てもありがたい、それは神気とも言うべき気配なのでしょうか。。。 頂上のお宮は、美しい木の造りです。「三国第一山 富士仙元大菩薩」とあります。三国第一山とは、すなわち富士山の意味ですね。また、注連縄もバランスよく。 もうひとつの登り口をゆけば、 塚の背後へとまわりこむことができます。 境富士の正面は、背の高い木々が茂っているので塚の形がわかりませんが、裏側からだとその円錐の姿がよくわかります。やはり、武蔵野の土は独特です。懐かしい香りがしました。 登山口にある講碑。 丸嘉講の紋がくっきりの碑は、登ってすぐのところ。 修復(昭和48年)は大変な事業だったとのこと。 この時にボク石をトラック3台ぶん頂上や山道の脇居に設置したそうです。ここでも7月中旬に、丸嘉講の方たちが来てお山開きをするそうです。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
幻想的な熊野堂富士を後にし、片倉町駅(市営地下鉄ブルーライン)から横浜駅に下りました。機会があれば、熊野堂富士の近くにもた〜くさんの富士塚があって、7富士めぐりとして、ひとつひとつまわるとよいのですが、その説明も兼ねて、ともかくその地域の富士信仰の中心である西区浅間神社を訪れました。
西区では、こんなシンボルマークのついた指標を見かけることがあります。これは、3本の古道をデザインしたもので、 このマップ(西区ホームページより拝借したものに加筆)にあるように、西区は旧東海道(赤い点線)、保土ヶ谷道(青い点線)、横浜道(緑の点線)がトライアングルを形成しています。西区浅間神社は、旧東海道の通るところです。 一立斉広重画「神名川横浜港真景」にあるように、かつて山のすぐそばは海でした。 一行は、横浜駅を背にして西を目指し、新田間(あらたま)川沿いを歩きました。横浜道にヒットし、 北上すると、旧東海道に出ます。環状1号線より1本奥です。品川あたりでもそうですが、旧東海道の細さに驚きです。 これはなかなか面白いです↑。すぐ近くが波打ち際だったとは! ここは浅間町。 富士塚ではないけれど、信仰の中心として、大勢の参拝者が訪れる浅間神社(浅間山)への登山口です。 石段を昇るとあっと言う間に赤鳥居。町が見渡せます。ふうん。それだけ?って思いがちですが、 お中道の文字が!さて、昔の山はどうなっていたのでしょうね。 頂上には立派な浅間神社があります。 昇って来たところがオモテダイモン。下山はウラダイモンへと。これも旧東海道に出ます。 下りきったところに、立派な講碑が建っていますよ。 山を下りてから、名所となった「人穴」の位置を探しに歩いてみました。わからなかったけど。ちなみに、穴の中には大日如来像が安置されていたそうです。 ここ一帯で7富士めぐりをされる方は、この浅間神社を振り出しにまわります。西谷とか上菅田とか東本郷とか小机とか菅田とか羽沢とか、そして熊野堂へ。 参加された方の中で、昔浅間神社近くに住んでらした方がいて、「気づかなかった〜」と驚いていました。 浅間下の商店街もいい感じ! でも、最後にお茶をしたのは、こんなキュートなカフェでした。 奥にあった、ゆったりカウチに根を生やし、楽しい時間を過ごしました。皆様ありがとうございました♪ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ |
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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
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▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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