▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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何かでこのマンガのことは知っていましたが、読んだことはなかったです。ラズウェル細木さんの「大江戸 美味草紙 〜食と遊びの歳事記〜」の中から。

先日お会いしたK先生、お送りくださり感謝です! 読みたかったんです。

コマの読み方は、右上から左下に流れます。(あたりまえか)









江戸時代はきっとこんなだったんでしょうね〜♪
特に、4枚目の子供が面白い!富士塚は、子供にとってやっぱり遊び場です。

思わず、自分の幼少体験を思い出しました。
私は万歩計は持っていませんが、この日はかなりの歩数になったはず。10万歩とかいくかな?
それよりも、歩きまわるといろいろな発見や出会いがあってムダなものはひとつもない。ふと足を止めた小さな店で、予期せぬすごい情報をいただいたり、面白い出会いに楽しくなったり。

この日のほんの一部をアップします。



さすが、学生街はこの値段!こんな店でお腹を満たしたいなと思ったりしますが、あちこち取材してすでに陽は西に傾きました。



2年前、雑誌「MISTY」のため「富士塚キット」を撮影してくださった編集プロダクションもあるこの通り。清潔感のある新しいペイヴメントです。



ここをひょいと入ると、宝泉寺があります。



静寂さと、ゆるやかな坂道に注ぎ落ちる西日が印象的でした。



こちらに眠るのは、高田藤四郎(日行青山)です。



7月に催される「高田富士祭」でも紹介されるこの行者。高田富士を造った人です。この像、笑い声が聞こえてきそうな表情ですね。



思うところあって、日行さんに御挨拶に参りました。この墓石の左右にあるのは、ボク石(溶岩)です。かなりの磁力に驚きました。先日富士山から届いた「ボク石探知機」(笑)を持っていたので、(墓地ではちょっと…と躊躇はしましたが)チェックしてみたのです。(富士山からというのはホントです。富士山という字名に住む知り合いの方からのプレゼントでした。役に立ってます!感謝です♪)

石のそばには、ムラサキオモトも生えています。でも、日はまだ高いのにここはもう日影。



というのは、この寺の背後にこんなビルがあるからです。これは早稲田大学の9号館。法商研究室棟です。



この9号館の西側面にまわるとこんなです。画面の右側が宝泉寺があります。



高田富士を語るたびに「この棟のため、高田富士はお引っ越ししました」と、早稲田大学の話にふれることになりますが、現在9号館のある位置に高田富士があったのです。



↑これは昭和37年頃の航空写真。



↑これも昭和の地図。上の写真より6年ほど前ですが。

高田富士は、水稲荷神社と共に現在の甘泉園の横に移されました。



水稲荷神社と高田富士、そして甘泉園は歩いてすぐ。静かな甘泉園の池は、何となくNYのセントラルパークの一角(ダコタハウス近く)を彷佛とさせていました。



この後、あと一か所、チェックしたいことがあって、早稲田から都電に乗りました。

池袋をまわって東上線で降り、徒歩のルートを確認して。。。それからJR板橋駅構内で、面白い出会いがありました。

なんと、前出の早稲田大学9号館で教鞭をとってらしたK先生。もちろん、高田富士のことはご存知なかったですが、



この方も散歩の達人でした。専門の建築のお話も楽しかったですが、こんなシブい居酒屋に詳しい。(十条のこのお店、有名だとのことなので写真に撮っておきました)夏に向かっていいでしょうね!

先生、またいつか!
今月はじめ、衛星放送スカイパーフェクTV!216ch(及びインターネットテレビ「So-TV」)の、日本文化チャンネル桜・報道解説番組「桜プロジェクト」にて、富士塚特集がありました。




ありがたいことに私の本を紹介していただけて、また「この本に導かれて」富士塚をめぐって来ましたというアプローチでしたので、大変嬉しく思いました。そしてその内容は、とても丁寧でわかりやすく素晴らしい教養番組になっていました。音響も効果的です。



キャスターのおふたりが実際に行かれた富士塚はふたつ。



まずは、千駄ヶ谷富士。ここは登拝も楽しく、石造物や名所石も盛り沢山です。



頂上の奥宮や金明水のほかに、この銀明水。



富士塚ではここにしかないであろう、釈迦の割れ石も紹介されていました。

さて、もうひとつは。。。




16代目の宮司も出演の、西大久保富士でした。宮司のご説明もたっぷり、見ごたえありました。



特別出演はこの古い写真です。かつて富士塚が大きかった頃、その前で宮司を撮ったもの。貴重です。





ちなみに上ふたつは、新宿歴史博物館にて閲覧できる、昭和5年当時の富士塚のお披露目のビデオより。2月に放映されたNHK首都圏ネットワークでも一瞬映りましたが、とにかく当時は大きかったようですね。(上:下山する人々/下:小御嶽の大小天狗)

桜プロジェクトの番組では、私も提供させていただいた画像や情報もいろいろ紹介されました。

花又富士

西宝珠花富士

さて、これから富士塚めぐりにはとてもいい季節を迎えます。実は、ここのところ富士塚へ訪れる方も多いようです。先日も、千住の食堂で地元の方とお話をしていたら、「最近ブームなんじゃないのかい?」と言われました♪
富士塚ツアー東京地区の第1日目は、西新宿のアイランドウイング(クラブツーリズム)のレクチャーからスタートです。

学者がやらないようなオモロ講座を展開。ビジュアル満載で富士塚への興味もアップのはず♪ 美術家の自分にしかできないことだってたくさんあります。そういうことは、惜しみなく出していきたいと思っております。

さて当日、その足で出向くはまず「成子富士」。アイランドウイングの目の前です。



これは、私も生まれていない頃の貴重な写真です。成子富士と高田宮元講/十七夜講/四谷丸参講/光山講の方々の姿。宮元講の井田先達親子孫3代も同席しています(現・先達の幼少時期も!)。

当時の雑誌「岳人」のコピーを送ってくださった方があり、画像だけアップさせていただきました。



面白いのが、高さ13mあるこの都内最大の富士塚の頂上に、こ〜んなに大勢の人たちが登っている一枚です。みごとな眺め! だって現在は。。。



こんな姿になり、



頂上には、奥宮だけでなく、



巨大なコノハナ様の石像が立ち、頑張っても3,4人しか立てませんからね。



そうそう、頂上から少し下にはまたこんな岩があり。



またまた「烏帽子岩」でないかと思う私です。だってここも丸藤講による築造ですから。



こんなに大きい。

残念ながら、この富士塚は正月にしか登拝できません(上の写真は正月に撮影)が、大きいため神社の外側からでもよく見えます。しかし。。。



境内の西側には大きな重機が林立し、



北側の道は土を盛られて高さが変わった!?



富士塚の背面斜面も、ずいぶんと変貌をとげ、もはや半地下(?)の倉庫らしきものは姿を消したみたい。



西新宿8丁目は再開発地区。工事現場の警備員のおじさんとしばし立ち話をしました。



「40階のビルが建つんだよ〜。」「ん?神社は大丈夫じゃないかね」「でもずいぶん変わるね〜」
予想図を見ると、ビルの隣に成子天神社の本殿が描かれています。成子富士もギリギリですね。



開発地域はピンクの斜線。ビミョーです。

ちなみに、成子天神とアイランドウイングは、成子坂をはさんであっちとこっちです。当日はその後、進路を東に取ることとなります。新宿の日は濃いのです。


★富士塚ツアーのお知らせ★★★★★★★★★★★★



お問い合わせは【03-5323-6822】Ms. 東海林まで
くわしくは【こちら】
★今夏限りです★



東京地区に先がけて、横浜地区/多摩地区/埼玉地区/千葉地区からスタートです。
クラブツーリズムの「旅の文化カレッジ」の中、「ご近所富士のなぞ」というタイトルで行ないます。

こんなにたくさんあります!!





★単発での参加も、もちろん可能ですが、特に東京の方は、最初にクラブツーリズムの教室で、立体等を使った(私ならではの)簡単レクチャーから始まりますので、シリーズとしてご参加下さると楽しいかと思います♪

★こ難しい講義はありません。楽しく面白く、富士塚を鑑賞しているうちに、新たな発見ができればという主旨であります。

★ゆったり無理なくまわりたいと思っています。富士塚の数をこなして満足するタイプのものではありません。じっくり観察型のツアーです。

★濃いオレンジの日は、お祭りなどのイベントがらみです。その日しか登れないものもありますので、訪れるにはいいチャンスです。

★例外もありますが、ほとんどが11amに最寄りの駅に集合、夕方頃に解散です。お祭がらみは、13pm〜夜もあります。

★各回3000円です。(交通費/食費は別)

お問い合わせは、

内容に関しては私にどうぞ。
お申し込みは下記の番号へお願いします。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★旅の文化カレッジの tel【03-5323-6822】Ms.東海林まで
★旅の文化カレッジの fax【03-5323-6978】24時間OK
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★一点例外あり!
★【東京17/富士吉田の火祭り】は、
★クラブツーリズムからでなく、有坂個人レベルで、少人数と
★御師宅(筒屋)で宿泊し、富士講の方たちとの交流及び神事の
★参加を含む1泊2日のイベントに変更しました。ご了承ください。
★これのみ、tel【047-352-0207】有坂まで
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

詳細は、申し込まれた方に追ってお知らせいたします。
どうぞお気軽にいらして下さいね♪ お待ちしております。
これから頑張るために、ちょっとだけ富士山を離れることにしました。



羽田を飛び立ち、しばらくすると富士山が姿を見せてくれました。遠くにあってもすごい存在感を放っています。↑ここは横浜の港あたり。



↑手前の突端は真鶴ですね。



宝永山もこんなにくっきり。



↑視界から相模湾が離れ、左手に駿河湾が入って来ます。心の中でつぶやきました。「富士山、しばらくさようなら」



しかし、富士山から離れたとはいえ、ついついこんな画像をおさめてしまいます。



登山口は3つ。



庭園の築山です。富士塚ではないですが、やはり観察してしまいます。質感がボク石に近いものが多いです。珊瑚礁からできている琉球石灰岩ですから。

ここは、石垣島の宮良殿内(みやらどぅんち)。琉球王朝時代(大和では江戸時代)の八重山行政官の屋敷で、これは日本庭園の流れをくむ最南端の庭園です。もちろん富士山には無関係ですが、琉球石灰岩を使っていることと、小さな築山なのに登山口が多いことが、どことなく親しみを感じるのです。

そしてもうひとつ。



竹富島にある御嶽(うたき)。聖地です。いくつもある御嶽の中で、ここだけ塚のような形状をしています。そして霊感及び芸術に関わる神様がいらっしゃるので、私は特別に感じるところです。とはいえ、いつもは外側から手を合わせ、まして中に入って画像におさめることもないのですが、今回は神様に事情をお話しして、撮らせていただきました。感謝と報告とこれからのことをお願いして。

実は、御嶽を知らなかったら、私はここまで富士塚にのめりこむこともなかったし、理解すらできなかったかもしれません。ふたつは学術上全くつながりはないですが、私の中ではつながっているのです。

それにしても、リセット目的の旅だったはず。何もしないつもりだったのに、結局ずっと考えていたのでした。富士山のこと。(笑)
くらやみ坂や大坂を下り、旧川越街道をずんずん東に歩くと白子宿のあった地域に入ります。ここにある熊野神社には、ひとつ前の記事に紹介した猿の線刻に酷似したものがあります。



この富士塚を造ったのは丸瀧講ですが、丸吉講の碑もたくさんあります。この丸吉講による猿たち、大泉富士だけでなく、清瀬市の中里富士にもその姿を残しています。



先を急ぐため、塚の登山道をささっと歩きました。椿の花が道をピンクに染める頃であります。



下山の途中に、去年の夏には気づかなかった(もしくはここになかった)雲切不動の石像が目に入りました。これは大泉富士の中腹にも、白子の講から奉納されたもの(名前のみ)がありました。



昔はこんな姿で、違う位置に建てられていたのです。

さて、この白子富士、そしてひとつ前の浅久保富士は、この後の下新倉富士と合わせて5月11日に「富士塚めぐり散策ツアー」で訪れます♪

では、軽く告知です。
★4月25日から9月12日にかけて、26コースのツアーが始まります★
詳細はまもなくです♪ 東京ほか千葉、埼玉、横浜、多摩地区へ出かけます。現時点のお問い合わせはクラブツーリズム「旅の文化カレッジ」へ。

私は今週しばらく旅の空ですが、帰宅次第詳細をアップします♪
では。。。
この富士塚、浅久保富士はすごいです。塚は中くらいの大きさですが、昔は大きかったであろう石碑の数に仰天でした。旧川越街道沿いの酒屋さんによると、「大きかったですよ。隣接の本田サン=HONDAが土地を買収しちゃってねぇ、後ろが削れちゃってさ」。

ありとあらゆる碑の中には、こんなもの。



近寄ってみると。。。



阿吽の拝み猿。これはきっと大泉富士の猿の作者と同一人物でしょう。タッチが同じです。



講も同じです。



日乃御子や、



駒ヶ岳、



剣ケ峰もあり、



配置はへんでも、ひとつひとつがとても丁寧。十二神もあるのは、大泉とおんなじ。
でも、左のはなに?



龍?石。



この文字、読める方はいますか?
中国の漢字字典、康熙字典(こうきじてん)によると、やはり龍のようですが、富士山に龍石ってありましたっけ?亀岩や虎岩はあるけど龍岩って???私が知らないだけでしょうか。。。
細い裏道を入って行きました。すると鮮やかな



鳥居が迎えてくれました。こんなところに神社ですか?



どうも町内集会所の奥なので、外からは見えないのです。



富士塚は確かにありました。



この方は???



まあとにかく、驚きの富士塚にたどり着きました。ここは、埼玉県和光市。

つづく。
小野照前神社に着いた時、境内にある庚申塔に向かって神官が体を折り曲げているのが目に入りました。人だかりもできています。向かって右側に本殿と富士塚があります。



儀式の間、静かに富士塚の猿を観察していたら、氏子たちはささ〜っと会館へと移動して行きました。直会のためでしょう。



ご近所の方も通り過ぎる。「あら、何かやってたんだわね〜」

そうだ、いつも青い金網で覆われているものはどうなっているのだろう。そう思って近寄ってみたら、



一対の猿の石像でした。それもとても華奢なつくり。折れた手や首を保護するために、いつも籠を伏せたように金網で守っているのですね。

奥にも青面金剛の足元に多数の猿がいますが、そちらは「みざる・きがざる・いわざる」ですから、この拝む猿たちとは違います。この一対の猿はどこから来たのでしょうか。左の猿も以前は合掌していたのでしょうか。



若い神官が供物を下げに来ましたが、尋ねても要領を得なかったので、また後日。。。


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芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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