▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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「氏子の皆さん無事下山を終えたようです。ホッとしましたよ〜♪登山口でお山をお守りするアタシとしましては、皆さんがお山を下りるまで見届けないと、という気持ちでいるんですよ。あ、あっちほうで直会(なおらい)が始まりましたね。宮司さんもマイクを持って忙しそうに仕切っています。お山はちょっと静かになりましたね。アタシの背中の紋のこと?火消しの【め組】でしょ。ほら、火消しの半纏着たお兄さんたちもたくさんいたでしょう?お山で富士講でない名前をたくさん見たって?野暮なこと言っちゃあいけません。昔からこのへんは富士講だろうが他の講だろうが、交流が多かったんです。何かを建てる時にはお互いに寄付をしたもんですよ。だからいろんな名前があっちこっちにありますって。富士講の石碑だけでもちょっと離れたところの名前があるでしょう?神田も巣鴨も落合も。あ、落合と言えば、【上落合富士】のお猿さんファミリーをご覧になりましたか?ええ、子供達がかわいかったでしょ?うちのはちょっと小さいけどね。え?まだ見てない?アタシの相方のほうを見てくださいよ」


「ほら、前掛けの下に乳飲み子がいるでしょう?」


「お山を訪れる人は年一回。でも、私たちはこうしていつもお山の入り口にいるんです。家族となら寂しくないですよ。さ、おたくもまた登ってらっしゃい。午前中は人が少ないですから」


「ここの登山道はどこかに似てないですか?はい。文京区護国寺にある【音羽富士】ですね。九十九折り?そうとも言えますけど、富士講の研究家の間では【電光型】って言うみたいです。つまり前面にギザギザの道ですね。富士塚の中には頂上の【浅間社】へ一直線に続く石段を築いたものも多いですが、ここのように登山を味わえるものもよかないですか〜。ほら、富士山だってそうでしょ?ジグザグジグザグで登っていったでしょ?うちの富士塚は明治の終わりの頃の築だけど、江戸時代に出来た下谷坂本富士や江古田富士も同じ形。これだと大勢でゆるゆる登れる。それって楽しいでしょう?」


「合目石や講碑もいいけれど、中腹よりちょっと上のこれ。残念ながら頭が欠けていますが、講祖のお姿と烏帽子岩の碑ですね。氷川神社の宮司さんはこちらを角行さんとおっしゃってたけど……どう見ても身禄さんですよね。左端、大きめの烏帽子岩がありますが見ましたか?」


「あれもう頂上ですか?せっかちな人ですね〜。頂上はわりと広めの平らで大人が数人乗ってもこぼれませんね。あ、あなたさっき頂上でここ近くにお住まいの人とお話になってましたね。富士塚をちょいちょい回ってらっしゃる若い方で、富士山の下のほうにある【新屋山神社の奥宮】のこと詳しい方でしたね。あなたはまだ行かれてないんですって?車でないと行くのが難しいって言われてましたね。笑」


「どうしたんですか?祠の前で立ち止まって。さっきお参りはしたんでしょう?」


「あ、お祭りにふさわしい姿のてんとう虫ですか。確かにかわいいですね♪」


「あれ、いつの間に直会もお開きになって、地元のご隠居おふたりだけになっていますね」


「あらら、ご婦人の方がお帰りになった?」


「そして誰もいなくなった。ええ、ちょっと寂しいけれど、ほら、急におてんとさまが射してきましたよ。それに、気持ちいい風が吹いてきて……まあ、しばらくゆっくりしていらっしゃい。あ、それよりさっき宮司さんの案内で見せていただけたウラの画像はどうしたの???」

東武線の下板橋駅からすぐのところにある、氷川神社境内の池袋富士です。
ここもお山開きの時にしか富士塚に登ることはできません。
それも7月1日のこの日だけ。私は初めての登拝でした。

朝11時から神事があったのですが、電車が大幅に遅れ、



駆けつけた時にはこんな光景でした。なんかドキドキ。



宮司が登拝を促します。



氏子の方たちが童心にかえって登拝しています。



お揃いの裃(?)をつけ、記念撮影の図。
ちなみにこの方たちは富士講ではありません。
ですが、この富士塚を守ろうと、地元、氷川神社の氏子の方たちがこうしてお山開きの儀式を続けているのだそうです。(このような活動を最近いくつか見ることができました)

近年この塚は荒れ放題で、土がむき出しになり、子供たちの遊び場と化していたそうですが、平成9年に大修復をし、こうして頑強なお山に再生したとのことです。



新しくなることは決して悪いことではありません。安全で足元がしっかりして誰でも安心して登れます。この腰の曲ったお方は、「私はもう登れないよ〜。上まで行ったら戻って来れなくなっちまう」なんて言いながら、このとおり。いいことです♪

昼間より明るい?

門にはいろんな講紋が。ここは山東講。

まだ充分登れるほど明るいです。

お囃子は2階でやっていたけど。

続々人はやって来る。

何か飛んだ???笑

また来年ね。

ここの夜は特に好き。最近、縁日は出ないようですが、何とも味わいのある暗さが「お江戸」です。お囃子はとうに終わったけど、本殿の中から雅楽が聞こえてきました。

まずはこちらから。都バスの中でもアドに出会える小野照崎神社の境内で、開山式がとりおこなわれました。6月30日朝11時から。

↓氏子による玉串奉奠(たまぐしほうてん)が始まったところ。



↓捧げる神様はもちろん。



↓お山のオープンは6/30と7/01の2日間ですが、この日は月晦日なので夏越し(なごし)の大祓えも兼ねてですね。





氏子が続きますから、茅の輪くぐりは∞を描かずにひとくぐり。しかし、境内の端までぎりぎり歩き、それを3回くり返しました。写真に撮りたい人は、「あっちだ、こっちだ」と追っかけます。



ふと気づくと、



若い神官が富士塚の門をくぐり、脱兎のごとく頂上へ向かって駆け登りました。頂上で行なわれる儀式のサポートの為でした。



そして、宮司たちを先頭に登拝が始まりました。

 

こんな感じでぞろぞろ。。。もちろん私も続きます。



足元には……もう表示がなくても顔でわかります。役の行者。

「すべんなよ〜」「おたくこそ〜」

おふたりの間の洞窟には身禄像。



「切麻散米」きりぬささんまいの様子。ぱ〜っと散る紙ふぶきが美しい。

「よかったな〜。滑らんで」

「ほれ、最後が肝心。あっちでないかい?」


講の方たちと書かずに氏子の方と書いた理由はまた後で。
まだこれから登るのもありますが、今週行ったのは以下です。

まずはポスターから。

【下谷坂本富士】

【池袋富士】

【江古田富士】

【八幡(宿)富士】

【駒込富士】

【十条富士】

十条富士のポスターは撮らなかったので、
代わりに神社近くの演芸場のを(笑)。

それぞれ、詳しくは追々に。。。



茅の輪をくぐる。飛びながら。

そういえば、

鳩森八幡神社でも北口浅間神社でも、女性が神職を担っておりました。


「切麻散米」と書きます。

神官が、頂上にて四角い白い紙を降らせ、お浄めをしているところ。

開山式のメインイベントです。実際はこんな暗くはありません。

後で、くわしく書きます。

わわわ、書きかけの日記がひとつふたつみっつ。。。



ここ数日、天気予報を聞きながら悩み抜いておましたが、二日連続「晴れ間もあるから行きなさい」との夢のお告げ(笑)を聞いたせいもあって、本日、富士塚miniミステリーツアーを敢行いたしました。

過去10戦10勝の「スーパー晴れ女」の私(野外パフォーマンスを含み、イベント当日は必ず晴れ!)でも、台風6号の置き土産(低気圧)には太刀打ちできませんでした。こんな雨の中来てくださった皆様に、心より感謝の気持ちをお伝えいたします!

どこに登拝したかは、のちのち画像を待ってupいたします。

ちなみにこれが今日登拝した富士塚の晴れの姿です。

今回は雨にもかかわらず、頂上で祝詞をあげてくださった片野先生のおかげで、邪念が払拭されました。ありがとうございました!




シュールな子供絵になごみながら、裏道を行きます。(これは富士塚には関係ありません。ちょっとカラフルな画像を入れたくなっただけ。笑)

伊興富士から1km余、竹の塚の東に隣接する西保木間というところにやってきました。渕江小学校の向こう側に神社があるような気がする。。。と目標を定めて学校の角を回りこみました。



ほどなくしてあらわれたのは保木間氷川神社。この神社の前の道は「流山道」といって、日光街道がこの保木間で分かれて成田山に続く道でした。西へ向かうと西新井大師に行きます。そんなことから、「成田道」とか「大師道」とも呼ばれたそうです。(そうそう、このまま東に進むと花畑につながり、素晴らしい富士山の絵馬があるという「花畑大鷲神社」もあります)ちなみに「流山街道」とは違います。



富士塚についての表記もない、静かな氷川神社の奥に行くと。。。ありました。富士塚、富士塚。



あれ?鳥居に掲げられていたのは「榛名神社」???




こんな言葉が語りかける、道の両側にはずらりの寺。



ここは足立区東伊興町。

草加市の谷塚から東武伊勢崎線に乗ってひとつ南下、竹の塚で降りました。少し北に上がって歩いていると、こんな寺町が待っていた。ふう〜ん。関東大震災の後、下町からお寺が引っ越して来たのですか。知りませんでした。東京はひろいな〜。知らないところがまだまだあります。

ゆるゆるとくねる道の先に、



氷川神社がありまして。。。でも富士山の気配がしない。どうしたことか。



暗い参道を行くと、古い木の社殿がいい感じ。



おお、ここも丸瀧講の印。木目が素晴らしい品格ある絵馬であります。
しかし、富士山は???

実はかなり探しました。




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うろうろした。

ら、社殿の斜め手前に。。。



こんなんが。。。

たぶんこれが富士塚です。ありゃ〜。石垣の土台に固く閉じた社だけ。特に明記したものもなし。う〜ん。う〜ん。う〜ん。富士塚だと確証はできませんが、富士講の絵馬もあったことだし、これが富士塚でない理由も見つからず。

なので、強引に富士塚ということにしました。自分の富士塚リストには入れませんが。(後日、また調べてみます)

ただ、造りはどうあれ鳥居に刻まれた文字は興味深い。伊興村、竹塚村、保木間村の氏子により、文化改元に建てられた?

残念ながらこれ以上つついても何も出ないようなので、退散することにしました。魅力的な絵馬に出会えたことだけ感謝して。。。



富士塚がエキサイティングでなかった代わりに(?)、道を隔てたところに鎮座していた富士塚もどき(うそです。伊興遺跡の方形周溝墓です。古墳?)をアップ。

確かにこの付近は古墳がゴロゴロでした。気になりながら、この後、進路を南東へとりました。



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富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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