▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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石段を登って間もなくして右側に「一合目」の碑が目に入ります。

 

小石川ナントカ町(現在はすべて小石川一丁目〜と表記)と刻んであります。



この富士塚を造った「山護講」の講碑です。本流は丸藤講のようです。



水鉢もありました。水鏡の綺麗なこと。これが頂上にあれば金明水でしょうが。



左を向けば、こんなにたくさんの石碑の群。この塚にはこの数倍の石碑があります。さまざまな講の碑がわらわらあります。富士講でないものもてんこ盛り!



再び右を見れば、「胎内」が目に入ります。



中にはコノハナサクヤヒメの姿がくっきり。お札によくある正面像です。傍らに昭和2年と読めますね。この塚の築造が文化14(1817年)ですから、ここでは新人です。



このあたりから山頂を見上げた画像です。まだまだ楽しみはいっぱい♪



少し引いたらさらに美しい。塚のカタチはわからなくても、この時期木々や花に埋もれた姿は見ごたえあります。



一応、こんなボリュームの富士塚が横たわっております。



では登山口から。「富士道」と刻まれた石碑と、石の橋。橋を渡ると鳥居の中へと吸い込まれます。このアプローチがニクイ。向こうの世界へ行くという発心の形式でしょうか。焦る気持ちが一旦鎮まります。



近年修復されたっぽい玉垣が結構高い。現場に立つとわかりますが、一部が石段になっていて登拝の一歩を踏み出すことになります。

つづく。。。





久しぶりに文京区護国寺に行きました。すっかり晴れて気持ちよい。
前回来た時の猫たちはまだいるだろうか。。。と思いつつ。



水屋は両方とも修理中。本坊(寺務所)の隣、大師堂の下あたりに「音羽富士」があります。案内図には出てないけど。ここからも鳥居が見える。緑に勢いがあってキラキラしてます。



近寄るとこんな感じ。登拝するにはこの鳥居をくぐるけど、坂道をそのまま上がってみました。



今日の音羽富士はすごい表情を見せている♪ これは期待できます。
ちょっと振り向くと、



こんな感じ。大きなビルが見えますね〜。地震雲も少し出てる。
右の茂みが富士塚です。では、登山口にまわってみましょう。
どうしても崖の向こう側が気になって、裏に回ってみることにしました。



鳥居を出たら、下り坂に続く道がありました。



竹林が濃くなってできた暗がりから、前方の空に何かが見え、



一面が光ったようでした。でもそこは空ではありませんでした。



私は声をあげてしまいました!



そこは、いきなり広がった光る水……見渡すかぎりの水田でした。

そして空中散歩をしてるかのような気分になったのでした。











この最後の一枚が、富士塚でした。石碑しかなかった神社の裏がこうでした。

さまざまな地形に富士山を見立てることができるのを興味深く見上げました。



ズバリ「富士山」と刻まれた石碑に遭遇。その隣には、



これ。やはり富士山と大山へは、セットで出かけたのがわかります。

そしてたぶんこの辺の豪農たちは、



お伊勢さんにも出かけたようです。

 あ、三峯にも。

ところで、石碑だけで富士塚はないの??? その向こうは崖のようだけど。。。



(それはこのあと♪) 
ちなみにここにも、



女人講は古くからありました。

では「塚」の形状はさておき、ここを出てみます。
土壁の家屋をまわり込んだら。。。



鮮やかな朱の鳥居が目に入りました。



静かにたたずむ小さな社殿。何かの予感はぬぐえない。



そっと、社殿の脇から覗いてみると、やはり。。。
出た。森から外へ。

 まぶしい。嬉しい。

 やはり大きな森だったね。

 だんだん遠くになる。畑の向こうに。

離れるとちょと寂しい。

 しばらく西に歩く。。。

 たどり着いたら、土壁の納屋。

ここはもう岡発戸(おかほっと)。我孫子です。

とでも言い出しそうなこの表情。



青面(しょうめん)金剛には本当によく出くわします。富士塚の麓を守っているかのように出会います。でもあまり怖い表情のはいないです♪



どうもひょうきんだと思ってよく見ると下半分がとけている!

小さくなった足で餓鬼なんか踏んづけてらんないぞ、と思ったら餓鬼がとけている。その下の見ザル聞カザル言ワザルも消えている。なんだこれー?脆い砂岩の石像が土に埋まって溶けたのか?しかたないから新しい土台にのせたのか? 溶けたと言えば、



こちらも激しい。溶けたというより剥落か削られたようですが。でも美しい。裸足のディテールが何とも言えずイイ!菩薩か観音か?まあ、とにかく古い古い。すべて江戸時代のもの。



さあ、出ようとした時、また「女人講」の碑が。こちらは特別大切にされて、外柵に守られていました。「待道大権現」と中央に彫られています。おお、これは流山で見た「待道講」ではないですかー!

「待道講=まちどうこう」は、我孫子市の岡発戸(おかほっと)にある待道神社が発祥の地……とのことだから、それってそれって!このへんじゃあ???

まあ、とにかく。。。ここを出ます。



ステキなGATEをくぐって。


一面の落ち葉を踏みしめて、社殿脇のなだらかな盛り上がりをそろそろと。

西日が正面に射してきたのがまるで合図のようになって、富士塚の位置がわかりました。落ち葉の量はハンパでなく、底なし沼のような感じだったので、足で掻き分けるのも諦めた。小さいながら塚には石段もありました。崩れていたけど。

 



苔むした「富士浅間大神」の碑はおごそかな雰囲気でした。明治のでした。
天明と刻まれていた手前の神燈(八日講中)は別もの(願主は同家)らしく。

この空間の気持ちよさをたっぷり味わっているうち、富士塚の詳細はもう重要でなくなってきました(笑)。表情豊かな「存在」に、呼ばれたように。。。つづく。

振り返ると、





森の中は広すぎず狭すぎず。



見上げるとこんななのに、決して暗くはなく、



西日があたたかい。しかし、

 

山神宮や三峰神社や、いろんなものがありました。



星という字だと思っていたら、尾だった。珍しい「尾鑿山 おざくさん」。栃木の山。



しばしぐるぐる探しまわります。富士塚はないのかい?


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関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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