|
▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
昔、畑だったろう広い土地も、切り売りされて特徴がなくなっていくのでしょう。 空き地には取り残されたお宮。きっとこれは移されないでしょう。そんな気がする街道沿いの一角。「利根川水郷ライン」という国道を歩いています。利根川と手賀沼に挟まれたあたり。てことはかなり低い土地か。 裕福そうな農家の庭。こんなお宅がまだかなりあります。かつては豊かな田園風景が広がっていたんでしょうね。しかしこれらの木々はいつまでここにいられるのでしょうか。 大きい農家には背の高い木が多い。遠くからだと鎮守の森と判別がつきにくいこともあります。神社も地図に出ていない。でもこの細い道にはしっとりした気が漂っていました。この先にお宮がある?と直感したら吸い込まれるように足が向きました。生け垣の向こう側の祠は個人宅の庭先のものです。豪農らしく、いくつかありました。 社務所もない。入り口の目印もない。確かに、土地の人の為の神社ですもんね。たどり着くにはカンが頼りです。 渋くていい感じ。 個性も品格もある。
「富士浅間大神璽」と刻まれた祠の土台にあったのが、こんな文字。
「當(当)村 孝心同氣(気)」と読めます。 孝心同気。富士講の一種の「孝心講」の「同士」という意味です。 講祖、食行身禄の後継者に小谷三志という人がいましたが、この人の作った「不二道孝心講」というのがありました。この講は埼玉県鳩ヶ谷市を拠点として活動していたけど、なぜか千葉県の北西部に伝わったようなのです。まあ、埼玉県と千葉県は接しているし、流れがありましたからね。(千葉県に富士講が伝わった3つの流れのうちの埼玉経由なのでしょう) とにかく規模は小さくても富士塚の多い千葉県。全富士塚の半数はありますからね〜。ちょこちょこ探すと面白いです♪ さて、ここは伊勢講による神社だろう(富士塚があるのはもちろん、合祀ね)と思っていたら、 本殿(何となく中国風)脇にある狛犬がいい味を出していて、近寄ってみると、 こんなとろけた姿の足元には、 ちゃんと伊勢講のしるしがありました。ちなみに境内の隅っこには、 「月読尊」「三峰神社」「加蘇山神社」の石碑、「水神」「別雷命」などなどの祠もごっちゃり。ひぇ〜!
人が訪れている富士塚か、そうでないかは何となくわかる。それは「荒れて」いるとか講が解散しているとかに関わらず「眠っているか目ェぱっちりかどうか」の感じ。富士塚を多数お参りしていると、新しい人が来てそれに応えて富士塚が最近目を覚ましたか、そんなのがわかるようになります。
ええっとこちらは(笑)。。。眠ってました。 石段を3つ登り、外柵に立つ。「外柵」なんて言い方、富士塚に対してちょっと冷たいけれど、何となく他人の服を借りた印象があるから(笑)。移築とも違い、何かの土台を再利用した感じがするのでした。 まして、ボク石が「組まれて」いるのではなくて、祠のまわりに無造作に積んであるだけ。深川八幡富士のようにつなぎのセメントでガチガチに固めるのも味気ないけど、八重山諸島の火番盛のようにただ積み上げたようなのは、富士塚ではありえない。 たぶん動かされる前はもっとたくさんのボク石があって、ちゃんと登拝できた規模だったでしょうが、移築後、庭師や石工がいなかったか。。。塚の裏には中途半端な残骸のボク石が。 富士山、どこから連れて来られたの? そう語らずにはいられません。 では、祠を検証〜。「富士浅間大神璽」とある。 左右はこんな。願主と年号がありました。 しかし、土台には土地柄の面白いものが。 つづく。
八咫鳥と言えば、神武東征の際に天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内をしたとされる烏ですよね。神武天皇つながりではないですが、中国の伝承「徐福が神武天皇だった!」にもある徐福のことは、新宮ではやはり無視できません。ここは徐福が上陸したところだし、「徐福公園」には徐福の墓や不老の池がありますからね。
徐福伝説は日本中驚くほど多いですね。富士吉田市にもあって、私からしてみればやはり蓬莱山を富士山と思いたいところですが(笑)、新宮では(近畿ということもあり)富士山など眼中にないわけですから、蓬莱山は熊野の山になるんでしょう。 でも、新宮市内に「蓬莱山」なるものがあったんです(笑)。熊野川の河口にある高さ30mの小山ですけど。徐福が住んでいたとするので、後世の人が蓬莱山と名づけたんでしょうが、興味深いのがこの山の南麓にある阿須賀神社です。徐福宮もありますが、阿須賀神社はじつは熊野発祥の地であるといわれています。 言い伝えによると、熊野大神ははじめ、神倉山に降臨した後、阿須賀の森にいたというのです。神はのちに本宮や速玉に遷ったわけですが、阿須賀神社が本宮や速玉よりも古い歴史を持っている、ということは(神倉神社のことは知られていても)あまり伝わっていませんね。 神の引っ越しといえば、沖縄久高島に降りたアマミキヨが対岸に上陸した後、仮住まいをしていた「ミントゥングスク」を思い出しました♪ そうそう、徐福のことを書いていたんだ。でも、面白すぎて深みにはまりそうなのでやめときます。ひとつだけ、南紀ならではのこと。徐福の末裔が秦(ハタ)氏と言われますが、それを前提のハナシ。始皇帝に「鯨にじゃまされまして……」と徐福が不老不死の薬を持って帰れなかった口実(?)にも出た鯨ですが、新宮近くに捕鯨で有名な太地があります。太地は秦地とも書くのだそうです。
おとりさんじゃないよ、おからすさんだよ。
以前、「富士山牛玉(ごおう)」を調べていくうちに「熊野牛玉」に行きつき、ちょっと書いたことがあります。 富士山に欠かせないものが猿ならば、熊野に不可欠なのが「八咫烏」ですね。熊野牛玉を形づくるのは88羽の八咫烏の烏文字。なんと白鳳時代に始まったそうです。約1300年前! 元々、起請文(契約書)として使われていたけれど、修験者や熊野比丘尼(びくに)によって全国に配付され、これを家屋玄関に貼れば盗難除け、病気には烏を切り抜いて浮かべた水をいただくと効果があったと言われていました。今では参詣者がこれを受け取ることがポピュラーですね。デザインは三山とも少しずつ違います。「お烏さん」と呼ばれます。 他の2社が一枚一枚手摺り木版なのに、速玉大社のだけちょっと印刷っぽかったですが、ここは、牛玉符を大事にしつつ牛玉アイテムにしたものも多い。ゴオウTシャツなんてぐっときますよ〜♪ 富士山の金剛杖なんか持って撮影してみました(笑)。右はちっさなお守り。カラスに見えませんけど。 で、以前から気になっていた牛玉の中の宝珠の件。ここで以前書いた、私の仮説はしゅるしゅるとしぼんでいきました〜(笑)。これを見たらやはり宝珠ですもん。速玉大社社殿に巨大な絵馬が架けてあって、干支の鼠がまとわりついておりました。「やっぱり???」 確認のため、社務所で牛玉符を指さし聞いてみたら……やはり「あっそれは宝珠ですね」。 しかし、最近この古代文字が気になっていました。左がイズモ文字、右がアヒル文字。いずれも「ハ」です。意味は天地(アワ)。他に「ひとつにまとまって出るもの」「地面のこと」「土(地球)のこと」。他にもありますが……なんか宝珠に似ていませんか? 御神木の「梛(なぎ)の 大樹」。 日本一の梛の巨木です。「なぎ」は「凪」に通じ、海上交通の安全と家内安全、縁(あらゆる縁)結びの信仰があります。こちらの神社の象徴でもあります。 「この葉っぱを横に持って引っ張ってごらん」 案内してくれた方が「梛」の葉を差し出しました。 でも葉っぱは、柔軟ながらとても強くてどうやってもちぎれません。 「強いだろう?」 「ほんとだ!」 「だからこれ持ってると家族仲良くなれるんだ」 「そっか♪」 この時まですっかり忘れていたけど、以前母からもらったこの御神木の葉っぱをいつも持ち歩いていたのでした。(現在、実家の庭には、この木の子孫が根づき元気に育っているとのこと。スゴい!) 有り難いことでした。めぐりめぐって辿った旅路。 実は、熊野速玉大社には、時間がなくなりあわや行けなくなるところでした。でも結局、呼ばれたようにやって来れたのは、この梛のおかげかもしれません(笑)。母にも感謝です。 そしてこの社殿の中で、大事なものを目にするのでした。。。
書きたいことが多すぎて〜。10分の1に薄めて書いていても大変です!でも一気に書きたいところ。なぜって、旅から戻ってから訪れた9つの富士塚もアップしたいからであります。(富士塚に行かせたのはクマノパワーにほかありませんね♪)
「補陀洛山寺」「妙法山阿弥陀寺」「青岸渡寺」「熊野那智大社」をまわった那智を後にし、新宮へ移動しました。ここでお参りするのは「神倉神社」と「熊野速玉大社」。 新宮では、熊野速玉大社よりも崇められている印象だったのが「神倉神社」です。実は熊野速玉大社の摂社ですが、こちらが元の宮。速玉大社を新しい宮としたことから土地の名前が「新宮」となったのです。 神倉神社は、神倉山とよばれる「権現山」の断崖絶壁にあります。熊野大神が熊野において最初に降臨したとされる聖地です。社の真上に「ゴトビキ岩」という御神体の磐座(いわくら)があります。神が降りたと言われる天磐盾(あまのいわだて)です。 巨岩好き(笑)に知られている「ゴトビキ岩」は、私にとって特別行きたいところでした。最近、「富士塚→山のてっぺんに力が宿る→巨岩もしかり」の図式でいろんな情報が入ってきていたので、ここは見のがせない聖地。 「ゴトビキ」とは「ヒキガエル」の方言であり、岩のカタチも何となく似ています。(琴弾きとの説もありますが) 熊野三山のそれぞれの御神体がこれで揃いました。 【熊野本宮大社 → 熊野川】 【熊野那智大社 → 那智御瀧】 【熊野速玉大社 → ゴトビキ岩】 雨を降らせると信じられていたヒキガエルに似た岩石が御神体、ということは三山の御神体全てが水神的要素を備えており、熊野信仰の原点は水神信仰とも言えます。 磐座を拝むためには、こんな急な石段を500段以上登らねばなりません。登るより怖いのが下りです。 しかしこんな急階段を、「御灯祭り」では男達が一気に駆け降ります。新宮では白装束の勇姿が男たちの誇りのようで、町の中ではいくつか写真を見かけました。 |
カレンダー
リンク
カテゴリー
最新CM
[03/20 芙蓉庵]
[03/08 masapi21]
[02/22 芙蓉庵]
[09/15 芙蓉庵]
[09/09 吉田 千秋]
[01/28 芙蓉庵]
[01/28 芙蓉庵]
[01/24 MASA]
[01/22 MASA]
[10/15 芙蓉庵]
[10/12 吉田 千秋]
[10/12 吉田 千秋]
[07/16 芙蓉庵]
[07/10 吉田 千秋]
[12/10 芙蓉庵]
[12/05 槇田きこり但人]
[06/22 nobuting]
[06/22 芙蓉庵]
[06/21 nobuting]
[03/14 芙蓉庵]
[03/11 武本Timothy]
[02/23 芙蓉庵]
[02/22 エバポリタン]
[09/06 芙蓉庵]
[09/04 ひさ]
最新記事
(08/23)
(07/17)
(05/31)
(04/16)
(11/28)
(02/12)
(01/23)
(05/02)
(09/06)
(10/13)
(04/09)
(02/03)
(01/27)
(01/23)
(08/19)
(07/22)
(07/18)
(05/13)
(05/05)
(03/06)
(01/24)
(12/30)
(10/15)
(09/30)
(08/26)
最新TB
プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(04/04)
(04/04)
(04/05)
(04/05)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(04/08)
(04/08)
(04/08)
(04/08)
(04/09)
(04/09)
(04/09)
mountains
|