▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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ちょっと寄り道:
生目神社の脇を西北側に降りると、小さな集落がありました。
利保と書いて「かかぼ」と読む。



彼岸花も可愛らしい、小川のせせらぎ。平和な時がゆっくり流れていました。
いつか来たことがあるような、原風景のような。。。

いつまでもそこにいたかったけれど、先を急がなきゃ。

カーブミラーで。

自転車の向きを変えて、もう一度山を越えました。
行き先は、東耕地。



国道293号線の、セブンイレブンのコーナーまで戻って来ました。



あの山の中にある神社を目指します。



長途路川にかかる鎮守橋を渡ると、



収穫された稲が眩しい。こんな風景、何年ぶりだろう。



見覚えのある農家の納屋につけられたプレート。





積まれた瓦も記憶にある。
ここは4年前に来たことがあるのです。

つづく。。。





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西耕地富士のある仙元神社は、地元の阿由葉家が勧請した浅間様。
(個人が浅間宮を小山に祀るというのはよくあります)

社殿の隣に小さな石祠がありました。



自然石の上に、何層もの切り出した石が積み重なっています。



屋根と祠本体の大きさが合っていない。(つっかえ棒が愛嬌です)



古そう。木漏れ日を受けて美しい。



「小御嶽」と読めます。



祠の背面。安政と刻まれているけれど、石は新しいでしょう。



土台の石には川上講の名が。



石工のナマエも。



仙元神社社殿と小御嶽を奥に、彼岸花。
この頂を少し先まで歩きます。



仙元神社のすぐ先に、生目神社。



かつては生眼八幡宮と言われていました。九州宮崎の神様だそうです。



このあたり、少しだけ展望が開けていて下方の民家や遠方の山々が見えます。
気持ちいいな〜とまどろんでいたら、何となく背後が気になって。。。



振り向いた。

そこには光を浴びた石仏たち。(傍らには小さなお墓?)
髪を高く結い上げて、誰ですか?
素朴だけどとても技のある。なんと左の仏はベンガラが塗られています。

宝暦年間からここで遠くの山を眺めているのですね。





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足利の富士塚はまだ続きますが。。。

今日(正確にはもう昨日)から読書週間が始まりました。
特集「本と旅する」の中で「富士塚ゆる散歩」が紹介されました。



「穴場を極めよう」のコラム。書き手は辛酸なめ子さんです。
中野 純さんの洞窟本と共に。
ありがとうございました♪




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「立体富士曼荼羅」と名づけられた地域にある3つの仙元神社に向かいました。
美術館の近くで借りた自転車(太平記館に貸し自転車があります)に乗って、国道293号をずんずん走ります。



進路は北→東→北東に変わります。

 袋川にかかる千歳橋を渡り、

大月町に入ります。

 大月町交差点

 こんな広い国道をしばらく行く

まわりに小さな山々が見えてくる。期待大。
セブンイレブンの角を左折し、





旧道を渡るとすぐゆるやかな坂があり、



坂の途中に「西大月せんげん会館」があります。

地図には「浅間神社」とか「仙元神社」などの表記はありません(奥にある生目神社のみ出ていることが多い)。
いろいろ調べたけど(交番で住宅地図まで見せてもらった♪)、目印がこれです。



この建物の右側に遊園具が並ぶスペースがあり、その奥に



社(祠)が見えます。そこは盛り上がった山なのか、土地を削って作ったものなのか。

 自転車を止めて坂を登ります。



そこには、質素で小さいながらも立派な社がありました。



上の写真と似ているけれど、↓階段に注目。



社殿の土台の下はすべて、自然の石段です。
岩山の頂に社を設え、斜面を削って石段を作ったなんて素晴らしい!
これができるのは、この山そのものが「片理状構造」の岩石でできているからです。



振り返ると、私が乗って来た自転車が小さく見えます。
ここは、自然の山を利用しているとはいえ富士塚と言っていいでしょう。
南関東の(盛り上げて作った)富士塚とは違いますが、部分的に削って階段を作ったり、(おそらく)側面を彫り込んだり、明らかに山と意識しているからです。



水盤が少し離れたところにありました。

 

明治12年に奉納されたこの水盤には、藤の紋が彫られています。
これは、美術館で見た「家族参詣図絵馬」文久元年(1861)にも描かれている紋で、

↓図録より



かつて富士山西麓の人穴で催された冨士教の儀式で見た紋と同じです。



なぜ同じかは、またあとで。

つづく。。。





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美術館に展示されている「赤富士御影」も「富士山宝髻の大日如来像」もよかったけれど、私にはどーしても知りたかったことがありました。これが目玉3つめ。

足利市立美術館のサイトや、下野新聞の記事の中から気になったのが、これらの記述。

「当地には、角行が壮年期と最晩年の二回にわたり滞在し、富士山信仰を広めたという伝承もあり、三ヶ所に富士山を祀る仙元神社があります。富士講は次第に秘教化し、幕府による統制もありましたが、三社の仙元神社は立体曼荼羅というべき構成をなし、講中の祈りとくらしを支えてきました。」

「幕府の弾圧などで秘教化が進んだ北郷地区の大月、樺崎両旧村の富士信仰。角行の行場を囲んで三つの峰を形作る三社の仙元神社(樺崎町堤谷地区、大月町東耕地区、同西耕地区)と、天道山頂の日月神社、その麓の仙元大日(胎蔵界大日如来坐像)を祭り、富士山を遙拝できるように壮大な立体曼荼羅が築かれた。」

立体曼荼羅ですと?

気になって気になってしかたがない。
私は三社の仙元神社とふたつの浅間神社をあわせ、5神社の場所を確認し、



無事にまわって来ました。
(足利駅と足利市駅は左下。渡良瀬川を挟んで北がJR両毛線で南が東武伊勢崎線)

↓図録より


つづく。。。





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この企画展のふたつ目の目玉は、この大日如来像。



正確には「胎蔵界大日如来座像(仙元大日)」55×36×35(cm)
江戸時代 個人蔵
とある。
目映いばかりの金箔をほどこした(背面⅓は箔なしで、光輪は破損)仏像ですが、珍しいのはそのアタマ。

高く盛り上がった頭頂部が富士山のカタチだというのです。
正直なところ、実物を目にして(目先数十cmまで接近したけど)どこが富士山なのかよくわからないままでした
(この画像=図録の写真、ほど富士山ぽくはなかったので)。

大日如来は通常、宝髻(ほうけい)という髪型を結っていたり、宝冠を乗せています。たしかに高く結い上げた高髻を持つ大日如来像もあるけど、宝髻はまあこんなもんだし、ホントのところはどうなんだろうと思いつつ。。。

ううううう〜ん。やっぱりフジサンと太陽か?

つづく。。。





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この企画展は、小規模ながらとても重要でした。
まず赤富士御影。展覧会の目玉のひとつです。
幅29.5×高さ52.5×奥行き12.0(cm)



もう4年も前になりますが、初山祭りのついでに足利の大月村を訪れた際、仙元宮の小さな社殿の中にこの赤富士御影を見つけました。


社殿が開かれていなかったので、賽銭投入口の小さな隙間からこの赤富士を撮影したのですが、その素晴らしさに釘づけになりました。無造作に置かれた御神体は、3mほど奥にあり、うっすら埃をかぶっていたけれど、私には輝いて見えました。

その時は鑑賞する時間がありませんでしたが、今回、その時の赤富士を目の前で
じっくり見ることができ、感動でした。

カメラに収めなかったかわりに、メモは取りました。



とにかく、これほど独創的で美しい御神体は、なかなかないでしょう。
特徴は3つあります。

まず鮮やかな赤色。ベンガラ(弁柄)塗りですね。
弁柄というと一般に「朱色」つまりバーミリオン系(朱肉や赤鉛筆の色。やや黄を帯びる)が真っ先に思い浮かぶと思いますが、実は暗い赤までいくつかのバリエーションがあり、



この御影の赤に使われた弁柄はこのくらいの深みでしょう。
(生木に塗るとトーンも変わるけど)
とにかく発色が失われていなくて美しい。江戸時代のものです。

特徴のふたつめは、洒脱なデザイン性と大胆なカービング(彫刻)。
概して富士山は左右対称で単純な形になりがちですが、添えられた雲が左上から右下にかけて斜めに配され、これによって動きが出ていること。

ムクムクと盛り上がる部分と流れる部分がバランスよく富士山にまとわりついていて、表情豊かな逸品というだけでなく、富士山の自然(めまぐるしく変わる天候)もあらわしているように思います。

下のほうは、「人穴」を含む山麓(犬涼山)とそれに続く山なみで、ベンガラ着色は中央から右にかけて一部のみ。着色の塗り分けによって遠近感が出ています。

人穴は意外と奥行きが深く、厚み12cmの反立体(背面は真っ平ら)の、半分以上まで彫り込んであります。また、穴の深さを強調するために、穴の上部と奥を黒く塗ってあります。
(黒色は、富士山山頂から山際までも塗られてありました)

線刻(カービング)は、富士山山頂は繊細で、それ以外は粗々しい。
迷いのない鋭い彫り込みが、躍動感を添えていて味わい深い。本当に素晴らしい!

特徴の3つめは、「人穴がある」というそのこと自体です。
足利は、江戸で富士講が発生する以前から富士山信仰があり、
理由は角行が訪れ滞在していたからだといいます。
(それについてはまた後で)

この赤富士御影は、私の中で最も印象深い御神体となりました。
品川の丸嘉講が持っている白富士御影と双璧を成す存在です。

ちなみに白富士御影は、人穴または胎内はないですが、火口が深く彫ってあり、
その穴に御幣を立てられるようになっています。

赤富士御影も白富士御影も、美しさ+トリッキーなところが魅力ですね。

つづく。。。





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関東各地に富士山信仰はありますが、北関東、特に栃木県足利のそれは、南関東と違った濃いものがあります。
現在、足利市立美術館にて「足利の富士山信仰」という企画展が、今月28日まで催されています。



日比谷線を乗り換えて、北千住から出発した東武伊勢崎線「特急りょうもう」の車窓から、五反野富士が目に飛び込んできました。

登拝ができないこの富士塚の、高架から見るその姿は素晴らしい山容でした。
一瞬のことでカメラの準備ができなかったので、Googleの画面でイメージしてもらいましょう。



五反野富士です

つづく。。。






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丸の内朝大学の「富士山雑学登山クラス」の富士登山記録です。
皆さんの笑顔がステキすぎて、胸にこみ上げるものがありました。




皆さんが9月1日の深夜に山頂を目指していた頃、私は清瀬市の中里富士を下山し、
農道脇を雨に打たれながら駅に向かって歩いていました。皆さんの無事を祈りながら。


来年再挑戦とのこと、山頂で素晴らしい御来光を拝めることを心から念じています。
それまでは、近くの富士塚で拝みませう(笑)。







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ちょうど4か月前に出版されたというこの本。



「はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある 墨瓦蝋泥加書誌 (ブックス・メガラニカ)」
本の雑誌社刊 宮田珠己著

昨日のことです。ふとしたことから、私の前著が紹介されているのを知りました。
有り難いですけど、なぜ前の本を???

まあ、先月の朝日新聞に前著が掲載された(再読コーナー)こともあるから、
新刊本でなくてもいいのかしら?と思って読んでみたら、



【 富士塚=穴だらけのミニチュアの山 】というタイトルで、
「ご近所富士山の謎」について書かれてあり、こんなくだりが。

「去年出ていた(さっぱり知らんかった)」

え、去年? 「ご近所富士山の謎」は2008年に出ましたが???

と思って、前書きをよく読んでみたら、
この本は、宮田さんが「本の雑誌」という月刊誌(この雑誌は知っていたけど)に
連載している「ブックス・墨瓦蝋泥加」という記事をまとめたものとわかりました。
なるほどなるほど。そういうことか! だから最近の内容ではなかったのね。

彼が2010年に「(ご近所富士の謎の刊行を)さっぱり知らんかった」ように、
私も2011年に「(その記事を)さっぱり知らんかった」わけです。

にしても、この著者名をどこかで聞いたことがある気がしました。
プロフィールに「ふしぎな盆栽ホンノンボ」というのがある。

あっ!

昨年「富士塚ゆる散歩」の執筆中、ミニチュアの本質について調べていた際、
ベトナムのミニチュア山「ホンノンボ」に行きつきましたが、
宮田さんはホンノンボの本を書かれた方だったので思い出したのです。

面白いのは、
私がホンノンボに興味を持ったのは、富士塚に似ていたから。
宮田さんが富士塚の存在に魅かれたのは、ホンノンボに似ていたから。

ちなみに、宮田さんの言葉を引用すると、

「墨瓦蝋泥加 (メガラニカ)とは、西洋において古くから南半球に実在すると信じられていた巨大な大陸の名前で
(中略)
このメガラニカにならい、幻想であれ史実であれ、そんな世界があったのか、とエキゾチックな嗜好を満たしてくれる本を、個人的にメガラニカ本とジャンルづけ
(中略)
地理学や歴史学、民族学、あるいは民俗学、博物学、さらに文化人類学などの周辺をうろうろする
(中略)
はるか南の海の彼方の、幻の大陸を旅するような、そのとき目に飛び込んできたふしぎな景色に驚くような、そんな気分」

にさせられる書物や情報に出会うのは喜びだということ。
私と宮田さんとは琴線にふれるところが似ている、と納得するのでした。

余談ですが、
メガラニカ本(やメガラニカ的情報)をたぐり寄せ、そこに身を置く楽しみを
書店で実感できた「松丸本舗」(丸善本店4F)は、本日をもって閉店します。(号泣)
本当に惜しいです!

さて、
2年以上前の雑誌(かつ記事内容は単行本と同じ)とはいえ、
自分の本が掲載された媒体なら、見たくなるのは当然ですよね。

「本の雑誌 2010年1月号 煮玉子すっぽかし号 N0.319」



現在入手困難ですが、ラッキーなことに近所の図書館にありました♪



やっぱりページを開いてよかったです。富士塚のことはさておき、
記事の中にふれてあった「中国人のトポス」平凡社刊 三浦國雄著を
読みたくなりました。



サブタイトルに「洞窟・風水・壷中天」。ううむ。

やっぱり偶然という必然でしょう。
このテーマは気になっていましたが、このタイミングでこの本に出会ったのは、



再度向き合うべき、この「赤御影」への導きととらえるしかありません。

先週、足利で再会したこの信仰物には、富士塚のように洞窟が表現
されているからです。

足利の富士山信仰ルポは、このあとに。。。
それとも「琉球八景のナゾ」のつづきを先に書くべき???





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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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