▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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五井を後にし、内房線でひとつ東京寄りの八幡宿駅に降りました。
駅からすぐの飯香岡八幡宮には、



手水鉢の龍が、夏の光りとわずかに塗られている金泥を反射していました。画像は手ブレですが、ブレてるほうが実物の印象に近い。



浅間神社に入ると、西日が活き活きと射し込んできました。
いい時間帯に来たかもしれない。





ここは富士塚を囲む木々によって、ドーム状のみごとな空間が形成されています。それは小宇宙とも言えます。初めてこの空間に足を踏み入れる人は、間違いなく息をのむでしょう。

暗くはないけど、直射日光が入ることはあまりない。絶妙の時刻、天然のライティングの妙技に心が奪われっぱなしでした。



強い光がつくる縞々の影にハッとする。陰刻の厚み(深み)に沿って生まれる幾何学美。



講碑の右奥に大型の富士塚。その存在感は壮大。圧巻。優美。。。ああ他に言葉はないのか。
この日、私はある目的があってここに寄りました。

つづく。。。
以前、若宮八幡神社の富士塚を五井富士と呼んでいたけど、そこから南西にある大宮神社に富士塚があることを知り、前者を北五井富士、後者を南五井富士と呼ぶことにしました(それらの地区が北五井/南五井と名づけられていることから)。今回は、内房線をはさんで東側にあるので、単純に東五井富士とします。富士塚はもっとあるかもしれないけど、暫定的に。



江戸川区によくある石段のつけ方で、中央からの道が途中で左右に分かれています。双方とも頂上につながるので「回遊式」なんて呼んでいるけど……ここのは右側しか頂上には登れなかった気がします。



右側に小御嶽神社の碑。

プチ情報 : 時々「小」を見落として御嶽神社と読んでしまう人がいて(神社関係者や地図作成者までも!)、混乱をもたらします。御嶽神社を祀ってあると思われて、地図に落としこまれると厄介です。





頂上の碑。山包講ですね。五井が発祥の地です。



裏に回ってみたら、直射日光の照り返しで目が痛い。文字を読むのも断念しました。



登って来た道を降り返る。さて、後ろは



このように、交差点の角であります。石垣の上で何してんだろう?と、信号待ちの車から見られていたでしょうね(笑)。



はい。外から見えた石垣は、富士塚の側面だったのです。道路拡張のために塚は削られたものと思われます。



が、境内に入れば塚の形はこのとおり。なかなかうまく造り直されていました。



新しい石材で外は石垣風に、中にも同じ石で庭園風にアレンジ。
他に講碑は見あたらなかったけれど、石の配置がセンスよかった♪
それにしても、車で走りながらこれを見つけたEさん、よく富士塚とわかりましたね。ありがとう!
この日リストアップした富士塚は、あとふたつ残っている。(難易度高い方から順番に行き先を決めると、後がラクです)

今は特に暑いしムリはしません。体力次第、気力次第でOK。行けたら行こうくらいのスタンスで、臨機応変に。

でも、内房線の五井駅に戻って来たらまだぜんぜん元気。
「4つ全部行けそうだ」
次は駅の東口から1kmの阿波須神社です。半年前に、富士塚仲間のEさんから「偶然見つけました♪」と情報をいただいて以来、楽しみにしていたのです。



市原には、阿須波神(古事記にも出てくる)を祀る阿須波神社があるけれど、こちらは阿波須(あわす)神社。源頼朝ゆかりの神社です(って、頼朝ゆかりの神社はとっても多い!そして、縁のある神社に富士塚の多いこと)。

駅前から東南にのびる広い道、更級通りをずんずん進みました。



見通しのよい平坦な土地(八重山の黒島みたいだ!)が続いていたので、遠くからでも神社の杜がわかりました。交差点のコーナーです。赤い柵も玉垣と呼ぶのでしょうか。



それに続く石垣。



その横に鳥居がありました。が、これはどうも臨時門のよう。



正式の参道は、東南側の畑脇。以下、印象的な画像をば。



















つづく。。。
ピシピシ。パラパラ。ツンツン。ピシピシ。パラパラ。ツンツン。



島穴富士の頂上にあったツブツブは小石だったけど、青柳富士のツブツブは、むかごでした。
あたり一面、むかごだらけ。



自然に囲まれた聖地に入ると、頭上から葉っぱや木の実が落ちてくることがある。それはただの自然現象ではない。ある種の「存在」が、意志を持ってサインを送ってくるのです。フシギだけど、これはよくある。本当によく起こる。

そのタイミングは、私のセンサーが始動すると顕著になる。つまり、こちらが気づくと始まるという感じ。風の吹き方もそれに近い。雲の姿もそれと同様。気づくとさらに見えてくる(いや、見せてくるが正しい)……これは聖地を訪れる時には大事なこと。

自分は単なる訪問者であり、媒体にすぎない。だからこそ、五感を働かせて受けとめる。でなければ、聖地は何も教えてくれないのだ。
むかごシャワーを浴びながら、もっとリアルに姿を見せてほしいと思いました。



しばらくしたら、西日が強く射し込んで来ました。

森の中?山の奥?
いいえ、ここは海の近く。



頂上の倒れた石碑が下から見えた。



浅間大神もしくは浅間神社と彫られてあるようです。



富士塚を後にし、裏の工場からながめてみました。立派な大木に守られている塚でした。手前の鳥小屋には鶏がコッコッコッ♪



バス停に戻る。所持金600円の出先では、Suica使えるのが助かった。つい最近まで使えなかったのですよ。小湊バス。



国際線かもしれない。成田は近いのです。
頂上に到達すると、塚の後ろから激しく犬に吠えられました。



富士塚の隣は小さな工場。日曜日なので無人です。私に気づいた豆柴君、番犬に豹変し威嚇し始めました。
「まあまあ。私はあやしい者ではありません(充分あやしいですが)。このお富士さんに御用があって参りました。ちょっとここにいさせてくださいね」
数メートル上からなだめすかしたら、おとなしくなりました。

富士塚背後は絶壁です。後ろの工場敷地との境界でもあります。



遠くからでもよく見えた石塔は、御神塔ではなく常夜塔でした。富士講が奉納したらしく、「三國第一山」「青柳村講中」と刻まれている。かなり大きい塔です。頂上に運ぶのは大変だったろうなと思います。

考えてみたら、ここに限らず、重い石造物や社などをクリーンもなしに高いところに運ぶなんて……よくぞやったものです。



頂上に奥宮はないのか?と思ったら、前のめりに倒れている石碑がありました。裏面の文字がよく読めます。明治13年4月築ということは、島穴富士と同年同月です。講名はわかりませんが、おそらくこの辺一帯でかつて行き来があったものと思われます。

頂上の直径は約3m。広くもないけど狭くもない。儀式は充分できたでしょう。



登山道脇の斜面には、九合目から1合目まで、すべての合目石が立て掛けられていました。石碑の多さは講の豊かさをあらわします。もしくは、身内に石工がいたのかもしれない。石の調達や加工は、さぞ資金が要ったことでしょう。

それにしても、頭上からピシピシと音がする。何かが降って来る!

つづく。。。
鳥居の注連縄から「〆の子」が長く垂れている。独特な雰囲気です。



8段の石段を登るとすぐに登山道。



道は、まず平坦に塚の前面に沿って続いている。おびただしい数の石碑が建っていました。そのほとんどが、先達たちの名前。行名がついているのは古い証拠ですね。



つきあたりに小さな祠。これが浅間神社でしょう。島穴神社のように、とても立派な神社の中にある富士塚も多いけれど、こうして富士塚そのものが神社というシンプルさもいいです。



お社の前から直角に登り道が始まり、仰ぎ見ると大きめの石塔が建っていました。



かなりボク石が使われています。そして2,3歩登って気がついた。
あ、身禄像だ!



これはなかなか見ごたえあります。角石をくり抜いて、石室を創ってある。上部の幕の襞がいい。身禄の衣類の描写もうまい。首はおそらく一度落とされた後、修復されたようです(駒込富士や池袋富士のように首なしのままのもあります)。材質は体の部分と違いますね。切れ長の目には力がこもっていて、登拝者は身禄と視線が合うのに気づくはず。

もうひとつ、他では見られない特徴がありました。



手の形です。たいてい拝んでいるので合掌していますが、この身禄様は手の平を上に向け、すくうような仕草をしています。何か手に乗せていたのかもしれません。

石室の側面。

すぐ傍には、烏帽子磐。

要所要所に竹が建てられています。必ず2本組になっていて、間に注連縄がかかっています。つまり、鳥居と同じことですね。笹を2本使うのは、品川富士と大泉富士で見られますし、山の中で2本の木の間に注連縄が張ってあるのを見たこともあります。原初的でぐっときます。



ちなみに、昔購入した古書「鳥居考」の中には、鳥居の起源の諸説としてこんなページがありました。

つづく。。。
島穴神社の次に目指したのは、青柳の浅間神社。



右下の黄色いところから、左上の黄色いところです。
当初、地図上のピンクの点線を行く予定でした。島穴神社から橋を渡ってすぐに、川沿いを行けばそのままたどりつけたはず。

ところが、参道を歩き大鳥居をくぐったら、別の道を通りたくなりました。(私はつい新しい道を歩くクセがあります)

まあ、少し南下してもまた西北を向くルートはあるだろうとタカをくくっていました。。。が、これがハズレた。近辺の地図を持っていなかったこともあり、軌道修正は容易ではなかった。そして実際、西北への道がなかったのでした。太陽の方角を見て、自分が西へ向かっていたのはわかったけど、まさか西南だったとは!歩いたのが青い点線。向きは90度ズレていたのですねぇ。



それはそうと、散歩は快適。田んぼはしばらく続いていました。



畑の脇も気持ちイイ!
なんとかなるさ。日は高い。と、私はふたつめのおにぎりをかじりました。

炎天下で徘徊する時の大事な3つは、「水分」「塩分」「糖分」。(体力の自信はいうまでもありません。ハードな日程の前日にはたっぷり食事をしておくのも大事です)

この時「水分」はペットボトルの水が、「塩分」は梅干しと昆布の佃煮があって◎。
あれ?糖分がない!黒糖のカケラを忘れた。

と思ったら、ジーンズのポケットから飴が出てきた♪ 先月人穴と胎内へ出かけた際に、御師の奥さんからいただいたものでした! 洗ったばかりのジーンズだったので、飴ごと洗濯したと気づきました。でも飴の袋は破れもせず、有り難い糖分補給となりました。ラッキーです♪



で、いきなり車道の画像は、青柳の浅間神社近く。青柳橋のたもとです。
いつの間にか、上の地図からもはみ出すほど南下してしまった私は、心優しい地元の方に、車で送っていただいたのでした。

実は、住宅街にさしかかり、ちょうど家の中から出て来た人に道を尋ねたところ、
「そこならこれから車で通りますよ。乗ってらっしゃい」
運良くその人は、青柳を通って買い物に出かけようとしていたのです。何とラッキーな! 有り難い♪

地図のオレンジ点線が車がたどったルートです。

車中、その人は「古いものに興味があるんですか? 珍しいですね。でも、行きたいところに全部行けるといいですね」と言いながら、旧道や農道を歩く時のコツを教えてくださいました。

それにしても、ポケットから出てきた飴といい、車で送ってくれた人といい、助けられているなあ。私。



もう大丈夫。今度はバスがある♪ 1時間近く滞在し、15:13のバスで五井駅へ戻ろう。



浅間神社の入口は工場と人家の間にありました。



奥には、すご〜い富士塚が待っていました。

つづく。。。
富士塚の頂上から木々越しに見えるのは、青々とした水田です。



塚の裏側に下りてみました。



神社の西側はすぐ田んぼになっており、



実りの秋まで、稲穂の成長が楽しみな時期です。

ここまで育った稲は、自信をつけて成長を続ける。今が一番色鮮やかな時であり、その生命力は訪れる者にも力をわけてくれます。そばに立っているだけで、元気をいただけます。



そして、この神社の大きな特徴は、神社東側にある「神饌田」。看板にあるように、毎年5月に「お田植え祭」、9月に「抜穂祭」が行われ、そのお米は節分祭の撒餅にして配られます。伊勢神宮の「神嘗祭」にも奉献された、由緒ある神様の田んぼです。

ここにたどり着くまで、稲穂の海を見ながら農道を歩き、おにぎりをほおばり、お米の甘さを味わいました。そして神様のお米を目にし、あらためてお米の有り難さとそれを大切にしてきた人の想いにふれました。

お米一粒一粒に神様がいるとしたら、島穴富士はたくさんの神様に囲まれています。すごいですね! あ、そう言えば、先月の人穴での450年記念大祭で、「角行は米を『菩薩』と呼んだ」とうかがいましたっけ♪

「最後の一粒までちゃんといただきなさい」
子供の頃母から言われた言葉も、耳元でリフレインします。感謝です。

では、神社の入口に戻り、ふたつの橋を渡って表参道から外に出ます。



ひとつめの石橋。



赤く大きな神橋を渡り、



振り返りつつ、涼しい松の林道を歩きます。



表には、こんな巨大な鳥居がありました。

ちなみに島穴神社の旧社地は、(内房線をはさんで)現在地より北西に180mのところだと言われています。遷移は、天長3年(826)だそうですが。(じゅうぶん古いっ!)
赤味がかった鳥居の奥に、確かに見えるシルエット。



日影なのに暗くない。



異郷には、穏やかな空気が流れていました。



鳥居もシンプル。偏額もシンプル。平成の作でした。



千葉県に多い雰囲気の、小型〜中型の富士塚でした。バランスよし。
細い注連縄が各所につけられていて、大事にされています。



対面した奥宮の碑は、最初、コントラストが強くてこんな印象。でも実際は、



素晴らしい筆致で「浅間大神」と読めました。



かなり厚めの石碑には、苔がいい感じに彩りを添えていました。



裏を見ると、何と昭和13年!最も新しい。
(と思ったら、明治13年でした! 7/28 記)



いくつものボク石が、頂上のフチに配され、中央には



1cmほどの小石が敷きつめられていました。一瞬セメント固めかと思いきや、その下は土のみ。よく保存されているものだと思いました。



小御嶽神社と、



小御嶽神社。なぜか寄り添って2基の石碑。



面白いのが、木の幹に食われた浅間神社の碑。これは何だろう。



正面からよりも、このアングルが美しかった。右寄りからの眺めです。



裏から見れば、土まんじゅう。



最も印象的なのは、このアングル。富士塚の向こうは、水田が続いていました。
この後、私が訪れたのはベストの時期だったのだ、と知ることになります。

つづく。。。
「島穴神社」のある「島野」地区は、かつて島穴郷と呼ばれていました。このあたりは、更級日記の作者、菅原孝標の女(むすめ)が少女時代を過ごした歴史あるところ。詳しくは、(マンガ仕立てではありますが)【こちらのURL】がわかりやすい。



一歩踏み込むと、神社の中は別世界。



しばし、旅をしてまいります。





真夏だからでしょうか。森の中にいても、やたら頭上が気になるのは。



無人でしたが、とても立派な本殿です。
境内にはたくさんの神様が祀られています。私は片っ端から挨拶をし、富士塚を探しました。

なかなか見つからなかったので肩すかし気味でしたが、一巡して手水舎に戻って来ました。水盤の背面には大量のボク石が設えてあり、水盤からはたっぷりの水が溢れていました。太陽の光を浴び、水盤の端からしたたり落ちる水があまりにも綺麗だったので、しばらくしゃがみこんで眺めていました。そして、そのまま背後を振り返ったとき、



「あった!」

つづく。。。


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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