▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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各ツアーの詳細は、クラブツーリズムが担当だったのですが、残念なことにホームページに反映されておりません。
ドコにあるの!?とよく聞かれます。確かに不親切な画面ですよね〜。問い合わせたところ、技術的に(?)限界があるとのこと。なんてこった!

私からおわびいたします。
そこで、それぞれをPDFファイルにしてアップしました。(←削除済)

● 5月30日
『台東区のお富士さんとお祭りをめぐります。珍しい縁起物もこの時のみ』
【下谷坂本富士 ⇒ 浅草のお富士さんの植木市】

● 6月3日
『浅間山から富士山を遥拝した後、厳かな神事に参加』
【多摩川富士と富士見坂 ⇒ 千駄ヶ谷富士の山開き】

● 6月6日&10日
『この祭でしか登れない白山富士と仰天富士塚(墓)。文京ねり歩き』
【白山富士の文京あじさい祭 ⇒ 海蔵寺の身禄(墓)富士 ⇒ 駒込富士】

● 6月13日&17日
『江東区と中央区の富士塚をめぐります。すべて石積み江戸の匂い』
【砂町富士 ⇒ 深川八幡富士 ⇒ 鉄砲洲富士】

● 6月20日&24日
『知っているようで知らない3つの目黒富士のナゾにふれます』
【目黒元富士 ⇒ 元富士跡 ⇒ 目黒新富士 ⇒ めぐろ歴史資料館】

● 6月30日
『山開きでしか登れない下谷坂本富士。祭りで目覚める駒込富士』
【下谷坂本富士の山開き ⇒ 駒込富士の山開き】

● 7月1日
『この日しか登れない2つの富士塚と、フジッ子で盛り上がる町』
【千住宮元富士の山開き ⇒ 池袋富士の山開き ⇒ 十条富士の山開き】

● 7月4日&8日
『リュウテツで新撰組ゆかりの流山へ。城趾にそびえる根本富士にも』
【流山富士 ⇒ 根本富士】

● 7月11日&15日
『個性的な富士塚3種。日比谷線沿線つながりで』
【鉄砲洲富士 ⇒ 神田柳森富士 ⇒ 南千住富士】

● 7月19日
『大久保界隈と違うがここも新宿。富士塚の原点をたどります』
【上落合富士 ⇒ 宝泉寺&最古の富士塚跡 ⇒ 高田富士祭】

● 7月25日&29日
『絶景絶景!遥拝すると有り難い。狭山丘陵の富士ともうひとつ』
【荒幡富士 & 市民の森 ⇒ 所沢富士】

● 8月8日&12日
『川越街道の宿場町〜武蔵野に根強い富士山信仰の証』
【下練馬富士 ⇒ 大泉富士】

● 8月15日&19日
『江戸川区に広がる富士山信仰はてくてくてくてく。。。』
【中割富士 ⇒ 長島富士 ⇒ 桑川富士】

● 9月1日
『ちょっと学習、激しくご利益。ダイナミックな火祭りを体験』
【清瀬市立歴史博物館 ⇒ 中里富士の火の花祭り】

● 9月5日&9日
『漁村に根強い富士山信仰。庚申塔もめぐってみます』
【当代島富士 ⇒ 堀江富士 ⇒ 猫実富士ほか】

● 9月12日
『今年最後の登拝のチャンス。そして江古田富士のパワーでマイ富士造り!』
【江古田富士 ⇒ ワークショップ】
先日、あるところから取材を受けました。詳細は、のちのちに。



取材に訪れた4人とお話をした場所は、旧川越街道に面したカフェ。窓の外に見えるのが「下練馬富士」です。下練馬宿は、川越街道にある宿場のひとつとして人の往来が多かった場所。本当に、富士塚は宿場町に多いですね。



浅間神社の鳥居の扁額は「富士嶽神社」となっています。



皆で富士塚に登拝しながら、私は思いつくまま話させていただきました。ここの個性的な天狗像やら角行像やら猿像やら。。。
そして、全員が頂上に集まりお宮にお参りした後、なにげに話がスピリチュアルな内容にふれました。

「富士塚は人工の塚ではありますが、富士山の神様を祀っていますから聖地でもあるわけです」
「つまりただの模造富士でなく。。。磐座(いわくら)にしろ神籬(ひもろぎ)にしろ、神様に降臨してもらうにはカタチを通して。。。云々」
「霊感がどうのということでなく、きちんと手入れされた塚はとても清々しいことに気づきますよね。それはいい『気』が漂っているということだと思います。荒れた塚には神気というものがない。。。」
「ふむふむ」
皆さんがうなずきました。この富士塚はもう富士講が存在していないにも関わらず、氏子の方たちが熱心に綺麗にしています。緑鮮やかな植込みや、あたりの雰囲気から、訪れる人は気持ち良さを覚えます。(掃除をするところに神様が降りるというのは理解しやすいですね。お浄めにもなりますから)



「頂上での長話もなんですから下に降りましょう」
「ははは、そうですね」
と皆が立ち上がった時、ふいに風が吹き、草木がそよぎました。

先日、ある方から教えていただいた言葉が頭をよぎりました。

「喜んでいますよ」

神様は、しばしば風を使って人間にサインを送るのだそうです。
(みんなで登拝し神様のことを話していたから、喜んだのでしょうね♪)

ちなみに、下練馬富士の記事はコチラ

てなことを言っているのは「ちい散歩」のナレーションですが、富士塚めぐり散策ツアーだって、ちょこっと冒険を入れたりします♪

この日の冒険はどんなだったか。それはのちほど。



東京地区の初回のみ、簡単なお話からスタート。富士山信仰の歴史よりも、ビジュアル中心に進めました。DVDを使ったり、富士塚が掲載されている江戸切絵図を手に取って、富士塚探しをしていただいたり。。。
「富士塚を造ってみます」と使った小道具は、



こんな感じ。横浜の長津田で制作したメタル富士をヒントに、和傘を開いてパーツを乗せてみました。

さて、外に飛び出して成子坂を横断し、成子天神へと向かいました。
あ、でも、今回は富士塚は一切アップしないで、富士塚間の散策画像のみで参ります。



正月1〜7日にしか登拝できない成子富士を外からぐるぐる眺めた後、隣接の西新宿8丁目を徘徊。そこに残された「昭和な空気」をたっぷり味わいました。「昔は『柏木』っていう地名だったんですね〜!」



この集合住宅の隣は「紫」でなく「白」。
富士山ファンはすかさず「同じ名前の山小屋がありますよね♪」



税務署通りに出て、ひたすら東に向かい、ガード下をくぐります。

来る度に韓流スターのポスターが増えていく職安通りに入り、ド○・○○○○で探し物をしたり(笑)。
しばらく行くと、



稲荷鬼王神社に到着。水琴窟やかえる石を楽しんだ後、西大久保富士を拝みました。

さて、ここからはもっとディープな旅。歌舞伎町の中に、富士塚が2つもあるわけですから、新宿の富士塚ツアー後半は、歌舞伎町ツアーでもあるのです。なかなか歓楽街に足を踏み入れないという参加者の方たちは、小さな「冒険」の始まりでした(笑)。





区役所通りを下ります。すれ違うホストの数が増えてくると、だんだんケバい雰囲気になってきます。ホストの顔写真であふれた一角にある花屋には、他では見られないような、ラメで飾られた薔薇の花束がぎっしり!生花です。
まだ日が高いですが、歌舞伎町の一面を味わっていただけました。



ひょいと裏に通じる抜け道があります。



もうひとつのラビリンス。ゴールデン街に到着です。近年はとてもオープンで、管理もされるようになりました。お店マップもありますよ。基本的に写真は撮らないほうがよいのですが、以下、下見の時の画像から。






昔ながらの店/新しくオサレな店が混在しています。イベントも多いです。一時、半分が店を閉め、ゴーストタウンのようだったのが信じられないくらい。昔のような妖しい雰囲気はもうないですが、やはりアングラの匂いは残っておりました。今は、ビジネスピーポーも多いでしょうが、昔は特に、作家、芸術家、演劇関係者、編集者たちが狭い席に肩寄せ合って熱い会話をしていた場所です。私が初めて来たのは役者の知人に誘われて。



一角には劇場もあり、いつも若者でいっぱいです。



ゴールデン街からも見えるのが、花園神社です。



花園神社境内にある、芸能浅間神社の新宿富士の入口。数々の芸能人の名が見られますが、唐 十郎や外波山文明の文字にぐっとくるのは私だけでしょうか。

参加者の皆様、おつかれさまでした。そしてありがとうございました。おもしろかったですね♪


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★




【こんな催し】があったようです。私の本も出ていたもよう。残念です!今日気づきました。
池辺富士から西に向かいました。二の丸という町名の住宅街を通って来ましたが、この付近に川和城があったからです。



「こぶし公園」と呼ばれる坂を登りきって、後ろを振り向くと、さっき登拝した池辺富士が見えます。

都田公園の横を北上し、川和東小学校校門の向かいにあったのが、



こんな道標。「左 かわわ 右 さえど」
さえどとは、川和町の南に隣接する佐江戸町のことです。「西土」と書いた地名が「佐江戸」と変化、中原街道を通ると江戸に着くことに由来しているとのこと。佐江戸城ってのもあったそうです。



小学校の北側にあるのがこの、川和富士公園。このあたりの町名は、富士見が丘。まんまです。



プールの屋根だけでなく、公衆トイレの屋根まで富士山のカタチです。



ド〜ン!とデカい川和富士です。右側に小山もありで、とにかくすごいスケールです。



登山道はとってもシンプル。



こんな富士塚は他にあるでしょうか?とにかくデカい!ダイナミックです。



地元の方が、頂上でストレッチ。風を受け、汗もひっこみそうです。



便利な指標盤です。富士山の方角や高尾山、伊豆半島。。。池辺富士のとなりに都田富士(まだあるのでしょうか?)



さて、同じ富士塚のある公園でも、ここは先の山田富士公園とは違います。こんな現代のモニュメントはあっても、富士講のしるしが全くないのです。では、これはただの築山?

いえ、れっきとした富士山の信仰の遺物です。でもこれは移築というか、新しく造られたもの。最初の富士塚は、この位置より200mほど北西にあったそうです。万延元年(1860)に着手され、明治24年(1891)に完成し高さは約27m、底部直径は40mだったそうですから、この富士塚(高さ14m)の約2倍もあったんですね!?

そして、築造当時の「浅間大神」の碑は、八幡神社に移転されたとのこと。

当初のプランには入れてなかったのですが、ここまで来たら
「それもちょっと確かめたいですね〜」
「行っちゃいますか?」



皆さんの好奇心もムクムク。地図を頼りに、八幡神社を探しに散策の延長に出ました。川和富士から直線距離で西に700m。



こんな光景や、



こんな光景を見ながら、のどかな農道をくねくね。迷いながらも辿り着いたら、



立派な八幡神社に出会えました。参道には桜の老木が連なり、とても趣きあるいいところでした。
さて、「浅間大神」の碑は、この画像の右奥。墓石のように見えるものです。



いい文字です!



台座に「川和中」。



側面には「明治廿四年四月……」。



台座の背後は、深く削り直して文字が刻まれていました。
「昭和五十二年七月吉日ニュータウン建設工事のため富士塚より遷す」

私もこれは初めて見ました。こうして出会えたのは感無量でした。おつきあい下さいました皆様、感謝でございます。森の中は気持ちのいい空間でした。



なぜ「浅間大神」の碑がこの位置にあるのかは、左の神様(この土地の神様「大王宮」)に呼ばれたからなのだそうです。参加者の方が教えてくださいました。物理的な人間の事情だけでなく、神様のポジションにもちゃんと意味があるのですね。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


次に向かったのは「都筑ふれあいの丘」(グリーンラインで北山田から3つめ)。



ここからは2つの富士塚をめぐります。



富士塚を意識してか、プールの建物までが富士山のカタチなのです。



駅から東に歩くとなだらかに畑の続く斜面が見えてきます。ちょこっと池辺富士が視界に入ります。(これは3月の画像)



そして、今は、登山口には鮮やかなピンクのツツジが♪ 朽ちかけた鳥居がいい味を出しています。



全貌はこんな感じの池辺富士です。



前回訪れた時は、蜘蛛の巣が行く手を阻んでいましたが、今回は全くスムースに登頂できました。



頂上には石祠と水盤があります。



石祠に刻まれた文字を読むため、水をかけました。「富士浅間大菩薩」。やはり仏教色の強い、古いものです。(築造は寛政8年=1796年。管理はここより南にある福聚院さんです)

下山道は螺旋の道。きれいに手入れされておりました。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


横浜ツアーの記事の途中ですが、ちょっと連絡です。

ツアーに興味を持たれる方の中には、PCをさわったことのない方もいれば、サイトを見ていらっしゃる方もいます。電話がお嫌いな方、入金する時間のない方、たくさん歩きたい方、そうでない方。もうまちまちです。また、おひとりおひとり、年齢層や興味の種類が違いますので、御希望や問い合わせもそれぞれ異なります。私もできるだけ丁寧に対応させていただいておりますが、なかなか作業が多くて追いつきません。でも、今後共努力いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

修正箇所も、出るたびに更新や補足作業を頑張っています。
ところが、ちょっとソフトに不具合が生じました。

PDFファイルが作成できなくなりましたので、しばらくJPEGのみでまいります。



砂町富士→深川八幡富士→清澄庭園の日の変更です。画像のとおり、清澄庭園あらため鉄砲洲富士へ行くことになりました。



スケジュールはこんなです。参加される方個々にも連絡がいくと思いますが、よろしくお願いいたします。

取り急ぎ!



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


すでに複数のツアー参加リピーターもいらっしゃいます♪ 心から感謝の気持ちを申し上げます!
この日は、都筑区にある3つの富士塚をまわりました。

まず、山田富士。



北山田という駅のある市営地下鉄グリーンラインは、まだ開通して1年とちょっと。横浜の方にもあまり馴染みがないようですね。おまけに運賃が高い。駅員の方とおしゃべりしているうち、「そうですね〜。高いですが、これは10年規模で乗降客の数を集計して…回収できるかと計算して…」などのご説明を受けたりして。「では10年後は安くなるんですか?」「いや〜それはないですが(笑)」「あらら」「その頃自分は定年でもう……」そんな会話になごんでしまいました。。。

ちなみに、地名としての山田の呼び方は「やまた」と濁らない。
富士塚は「やまだ」ふじと呼ばれますが。

最近の記事にたっぷり書きましたので、富士塚の詳細は省きますが、



駅の南側からも富士塚の頂上が見えます。(3月撮影。デニーズ駐車場からの画像です。コブシの白い花が写っていますね)



赤い矢印の方向から見たのでした。



自分ひとりで土地カンのないところを行く時は、こうしてコンパスに頼ることが多いですが、今回横浜の方ばかりいらしたので、すぐに富士山の方角がわかりました。頂上ではいろんなランドマークが見えて、話に花が咲きました。

さて、当日のウンチクの一部。
ここは公園になっていますから、神社もお寺もないですが、山田富士はもともと長泉寺の寺領でした。太子堂があって、そこに村の人たちが集うようになり(おそらく寺子屋のように学習もしていたと思われます)、集会所として使われるようになったことから、のちに、村が富士塚も含めてお寺から借りることになったようです。

横浜では珍しくありませんが、富士講と大山講は一緒に行事をすることが多かったです。大山詣と富士詣がセットに行なわれることは各地でよくありましたが、大山講の「雨乞い行事(大山からの水を使ったり、地元の川に入るなど)」に富士講も参加していたのは、横浜ならではです。

桜の頃には富士塚に人が大勢訪れ(近くの綱島から芸者が来て盛り上がる姿も)、毎年7月1日には村総出で草刈りをし、愛され続けた富士塚でした。

また、戦争中には軍事訓練校の演習場になったという一面もあります。急斜面を腹ばいになって頂上を目指したそうです。

富士塚の歴史は、ニュータウン建設で大きく変わりました。管理が公団の手に移ってから、仏像や石碑等が盗まれて、村(町)は抗議をします。でも、横浜市は「公園として開放されるには地蔵等は撤去すべし」と言い、村としては信仰の対象は残したいと主張。協議の末、「富士塚で祭はしない」と誓約書を書かされて、残りの石像物は撤去を免れたのです。

このように、立派に塚は残っても、儀式がなくなるのはこんな経緯があるのです。現代に引き継がれなかったのは残念ですが、「過去を知る」ということは大事ですね。そして「現場で感じる」ことも。この日「信仰の気配」に敏感な方たちもいらしたことから、ツアー後半は、充実の展開があったのでした♪

つづく。。。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


クラブツーリズムのホームページからの申し込みは、
【こちらから】お願いします。
申込画面→会員登録→コース番号検索で41050を入力してください。

通常、クラブツーリズムの会員の方には、「旅の友」という冊子が郵送され、下のような告知を目にすることができますが、





このブログを読まれている方はご存じないでしょうから、↑アップしてみました♪
こんなふうに紹介されているのです。

もちろん、お電話で【03-5323-6822】(担当:東海林さん)までご連絡くださってもOKです。


さて、来週から東京地区のスタートです。初回は新宿。
以前の記事にも書いたのですが、富士塚をまわる前に【座学】があります。座学とは、文字どおり、座って学ぶ。ビジュアル中心に簡単にレクチャーをやります。

場所は、



↑ココ。アイランドウイングです。(会場は当日までにわかると思います)
5月13日(水)のみです。13時から。

その後、



このルートで歩きます。歌舞伎町も歩きますよ〜。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


ここからはひとり。

内房線で千葉に戻り、総武本線に乗り換えて降りたのは稲毛駅です。



以前から行ってみたかった「稲毛浅間神社」があります。駅を背に、西に向かいます。「せんげん通り」と呼ばれる街道には、



レトロな光景があちこちに。ゆるやかな坂を登り、



一番高いあたりで、西日が迎えてくれました。そこを過ぎるとすぐ下り坂。



京成千葉線の踏み切りがあります。左の駅は「京成稲毛」です。



せんげん通りは続きます。あっと言う間に



浅間神社。ここは



浅間神社の3つの入口のうち、上の鳥居ですね。(この地図は上が東を向いています)

入ってすぐに富士講ゆかりの場所があるのですが、まずは



本殿に向かいます。頭上には参詣者を迎えてくれる龍雲でしょうか。ありがたい。



広い境内。ゆったりとして参拝も心おきなくできます。ひとりで訪れる若い参拝者が多いです。



境内であるこの浅間山の頂上は、眺望もよく、この一帯の地形がよくわかります。



埋め立てられる前、神社のふもとはこんなだったのですね。ビックリ!

さてこの画像でもわかるように、子供連れの人々が参拝しています。そして「例大祭」というのが、



今でも大勢の人で盛り上がるという「稚児行列」です。



このような縁起物が頒布されます。笹の枝を使う点が、(浅草のお富士さんでの)麦藁蛇や、高田富士祭でいただける登拝記念の品とよく似ています。

「稚児行列」は千葉県では定着した行事ですが、もともと「初山祭」の催しとして子供が主役のお祭りです(埼玉、群馬、栃木、茨城でもさかんです)。



ちょうど、この日に稚児行列の参加者募集の告知が貼り出されました。そう言えば、私が子供の頃も「お稚児さん」の行事に参加した記憶があります。あれは何のお祭りだったのかな。。。

ところで、今でこそ浅間神社は、祭神であるコノハナ様をシンボルとし、「御利益=安産・子育て」一色ですが、実は昔は違っていました。

ここ、稲毛浅間神社もそう。千葉常胤という(平安後期から鎌倉末期の)武将が信仰をしていたという記録があるように、浅間神社はかつて「戦いの神様」だったのです。(千葉氏は源頼朝と深い関わりがあります。世田谷区にある多摩川富士と呼ばれる浅間神社も、北条政子の頼朝の無事と勝利の願いから発生したものです)

富士講が生まれるよりずっと前、コノハナ様が浅間神社の神様となるずっとずっと前は、富士山に「武運長久」を祈っていたのですね!面白い!

時代が変わり、神様も御利益も変わるように、願いのカタチは人々の想念によって柔軟に変わります。それも興味深いです。現在、浅間神社は「コドモノミカタ」です。

ちなみに、ここ一帯がどのくらいの高台だったか定かではありませんが、文治3年(1187)の社殿再建に際し、「富士山の形に盛土をした」とあります。社殿はもちろん、富士山に向いております。東京湾を隔てて。

さて、境内の下の斜面には八坂神社や稲荷神社、大宮神社をはじめ数々の神社が祀られています。



その一角、どこにも属さないスペースに、この「山水講」の碑を発見いたしました。

穐月真行というのは先達の行名でしょうが、そう言えば、穐月(あきづき)は、五井付近でもよく目にした名でした。山水講は確か木更津が発祥地、穐行日穂という人物が祖です。講碑は、北五井富士、そして文京区の白山富士で見ました。



裏には「明治11年寅〜」。



もう一か所。東の鳥居から入って来た途中にあった「小御嶽社」です。



小御嶽石尊大権現の左右に、大天狗と小天狗の文字。そして



その土台(賽銭箱ウラ)には「山水講」の証がありました。この一角は、おびただしい数の出羽三山講の碑に囲まれていました。さすが房総。



正面の参道に戻り、西側へ出ることにしました。



二の鳥居の外側から山を仰いだ図。



すぐ脇の上州屋さんもお山の裾です。沖は遠くにありますが、東京湾を感じながら帰路につきました。


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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