▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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ズバリ「富士山」と刻まれた石碑に遭遇。その隣には、



これ。やはり富士山と大山へは、セットで出かけたのがわかります。

そしてたぶんこの辺の豪農たちは、



お伊勢さんにも出かけたようです。

 あ、三峯にも。

ところで、石碑だけで富士塚はないの??? その向こうは崖のようだけど。。。



(それはこのあと♪) 
ちなみにここにも、



女人講は古くからありました。

では「塚」の形状はさておき、ここを出てみます。
土壁の家屋をまわり込んだら。。。



鮮やかな朱の鳥居が目に入りました。



静かにたたずむ小さな社殿。何かの予感はぬぐえない。



そっと、社殿の脇から覗いてみると、やはり。。。
出た。森から外へ。

 まぶしい。嬉しい。

 やはり大きな森だったね。

 だんだん遠くになる。畑の向こうに。

離れるとちょと寂しい。

 しばらく西に歩く。。。

 たどり着いたら、土壁の納屋。

ここはもう岡発戸(おかほっと)。我孫子です。

とでも言い出しそうなこの表情。



青面(しょうめん)金剛には本当によく出くわします。富士塚の麓を守っているかのように出会います。でもあまり怖い表情のはいないです♪



どうもひょうきんだと思ってよく見ると下半分がとけている!

小さくなった足で餓鬼なんか踏んづけてらんないぞ、と思ったら餓鬼がとけている。その下の見ザル聞カザル言ワザルも消えている。なんだこれー?脆い砂岩の石像が土に埋まって溶けたのか?しかたないから新しい土台にのせたのか? 溶けたと言えば、



こちらも激しい。溶けたというより剥落か削られたようですが。でも美しい。裸足のディテールが何とも言えずイイ!菩薩か観音か?まあ、とにかく古い古い。すべて江戸時代のもの。



さあ、出ようとした時、また「女人講」の碑が。こちらは特別大切にされて、外柵に守られていました。「待道大権現」と中央に彫られています。おお、これは流山で見た「待道講」ではないですかー!

「待道講=まちどうこう」は、我孫子市の岡発戸(おかほっと)にある待道神社が発祥の地……とのことだから、それってそれって!このへんじゃあ???

まあ、とにかく。。。ここを出ます。



ステキなGATEをくぐって。


一面の落ち葉を踏みしめて、社殿脇のなだらかな盛り上がりをそろそろと。

西日が正面に射してきたのがまるで合図のようになって、富士塚の位置がわかりました。落ち葉の量はハンパでなく、底なし沼のような感じだったので、足で掻き分けるのも諦めた。小さいながら塚には石段もありました。崩れていたけど。

 



苔むした「富士浅間大神」の碑はおごそかな雰囲気でした。明治のでした。
天明と刻まれていた手前の神燈(八日講中)は別もの(願主は同家)らしく。

この空間の気持ちよさをたっぷり味わっているうち、富士塚の詳細はもう重要でなくなってきました(笑)。表情豊かな「存在」に、呼ばれたように。。。つづく。

振り返ると、





森の中は広すぎず狭すぎず。



見上げるとこんななのに、決して暗くはなく、



西日があたたかい。しかし、

 

山神宮や三峰神社や、いろんなものがありました。



星という字だと思っていたら、尾だった。珍しい「尾鑿山 おざくさん」。栃木の山。



しばしぐるぐる探しまわります。富士塚はないのかい?
昔、畑だったろう広い土地も、切り売りされて特徴がなくなっていくのでしょう。



空き地には取り残されたお宮。きっとこれは移されないでしょう。そんな気がする街道沿いの一角。「利根川水郷ライン」という国道を歩いています。利根川と手賀沼に挟まれたあたり。てことはかなり低い土地か。



裕福そうな農家の庭。こんなお宅がまだかなりあります。かつては豊かな田園風景が広がっていたんでしょうね。しかしこれらの木々はいつまでここにいられるのでしょうか。



大きい農家には背の高い木が多い。遠くからだと鎮守の森と判別がつきにくいこともあります。神社も地図に出ていない。でもこの細い道にはしっとりした気が漂っていました。この先にお宮がある?と直感したら吸い込まれるように足が向きました。生け垣の向こう側の祠は個人宅の庭先のものです。豪農らしく、いくつかありました。



社務所もない。入り口の目印もない。確かに、土地の人の為の神社ですもんね。たどり着くにはカンが頼りです。



渋くていい感じ。



個性も品格もある。

「富士浅間大神璽」と刻まれた祠の土台にあったのが、こんな文字。



「當(当)村 孝心同氣(気)」と読めます。
孝心同気。富士講の一種の「孝心講」の「同士」という意味です。

講祖、食行身禄の後継者に小谷三志という人がいましたが、この人の作った「不二道孝心講」というのがありました。この講は埼玉県鳩ヶ谷市を拠点として活動していたけど、なぜか千葉県の北西部に伝わったようなのです。まあ、埼玉県と千葉県は接しているし、流れがありましたからね。(千葉県に富士講が伝わった3つの流れのうちの埼玉経由なのでしょう)

とにかく規模は小さくても富士塚の多い千葉県。全富士塚の半数はありますからね〜。ちょこちょこ探すと面白いです♪

さて、ここは伊勢講による神社だろう(富士塚があるのはもちろん、合祀ね)と思っていたら、



本殿(何となく中国風)脇にある狛犬がいい味を出していて、近寄ってみると、



こんなとろけた姿の足元には、



ちゃんと伊勢講のしるしがありました。ちなみに境内の隅っこには、



「月読尊」「三峰神社」「加蘇山神社」の石碑、「水神」「別雷命」などなどの祠もごっちゃり。ひぇ〜!

人が訪れている富士塚か、そうでないかは何となくわかる。それは「荒れて」いるとか講が解散しているとかに関わらず「眠っているか目ェぱっちりかどうか」の感じ。富士塚を多数お参りしていると、新しい人が来てそれに応えて富士塚が最近目を覚ましたか、そんなのがわかるようになります。

ええっとこちらは(笑)。。。眠ってました。



石段を3つ登り、外柵に立つ。「外柵」なんて言い方、富士塚に対してちょっと冷たいけれど、何となく他人の服を借りた印象があるから(笑)。移築とも違い、何かの土台を再利用した感じがするのでした。



まして、ボク石が「組まれて」いるのではなくて、祠のまわりに無造作に積んであるだけ。深川八幡富士のようにつなぎのセメントでガチガチに固めるのも味気ないけど、八重山諸島の火番盛のようにただ積み上げたようなのは、富士塚ではありえない。



たぶん動かされる前はもっとたくさんのボク石があって、ちゃんと登拝できた規模だったでしょうが、移築後、庭師や石工がいなかったか。。。塚の裏には中途半端な残骸のボク石が。

富士山、どこから連れて来られたの? そう語らずにはいられません。



では、祠を検証〜。「富士浅間大神璽」とある。



左右はこんな。願主と年号がありました。

しかし、土台には土地柄の面白いものが。

つづく。


我孫子の湖北駅からちょうどいい距離。中峠と書いて、なかびょうと読みます。ここの伊勢山天照神社に行きました。なにやらすごく高い木々が正面に。



熊野で教えてもらったから、杉と檜の見分け方はもうわかる。これはひのき。



伊勢山とつくから伊勢講と関係あるんだなと思いながら、しずしず進みます。広くていい空間。



右奥に富士がいた。



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富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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