▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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まだ人が少ない、昼間の光景です。4年ごとに開かれる「浦安三社祭」のひとコマです。この祭では、みっつの神社にひとつずつ富士塚が待っています。一度にみっつの富士塚が賑わうのはなかなかないでしょうね。

少年が駆け登った猫実富士は、縁日の屋台の向こうに見えます。この後だんだんと人が増え、山はしっかり遊び場になりました。

とにかくデカくて岩場がしっかりしている塚です。滑り落ちる心配もなく、底辺が広い登りやすい山ですよー。

ちょっとだけその予告画像です。

4年に1度の祭りの時だけ、こんな光景が展開されます。

子供は軽々と、このとおり。

浅間神社が入っている豊受神社が、最近繁昌しています(笑)。この日は七五三のお詣りに家族連れがたくさん来ていて、微笑ましい光景があちらこちらに見えました。たしかに神社には若い神官も増えて活気があり、お札やお守り類も充実してきたようです。

本殿のそばには大型の富士塚があり、初めて見る人々は「ほお〜」と足を止めます。でんとして見事な塚だからです。これに登る人はいませんが(私以外ね!)最近増えた参拝客に対して事故が起きても困るからこんな看板を立てたのでしょう。

浅間神社までは管理できないということですね。たしかに富士講を知らない一般参拝者に、これまた富士講を知らない神官たちが富士塚について説明できるわけもなく。よかったら私が富士塚の専属管理人になってもいいですよー。(笑)

ちなみに、来年はこの富士塚が【4年に1度】子供たちで鈴なりになる日があります♪ 
楽しみだぁ〜♪

新宿ゴールデン街からも、するりと行ける花園神社です。ここに富士塚があるのを知る人は多いか少ないか。。。まあ、どちらとも言えるような気がしますね。移築され変形を余儀なくされた不憫な塚です。小さくて登山道もないです(石段は3段)。この時は、何か工事の為のトタン塀が塚の途中を分断し、講碑は塀の向こう側に隠れてしまった。立派な碑なんですが。。。

それなりに愛されている富士塚です。個性はこれ!芸能の神様ってことです。富士塚のある神社を「芸能浅間神社」といいます。

富士塚の入り口には芸能人の名前が連なり、藤 圭子の歌碑があったり、ちょっとフシギな取り合わせに見えます。でも花園神社自体、芸能の神様として知られていますね。神社のHPにはこう出ています。

「宿場町としての新宿が栄えるとともに、総鎮守として多くの人々の信仰を集めていました。安永9年(1780)と文化8年(1811)には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博しました。花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったものです」

私も富士塚の存在を知るずっと前から「芸能も芸術のうち」と都合よく置きかえ(笑)、この神様にお詣りしてました。また、唐 十郎の演劇を観に境内に設営されたテントに入ったり、地下クラブに行ったことも。酉の市で賑わうのも見せ物小屋が建つのもいいですね。

沖縄へ行く前日に撮った写メールが残っていました。

富士塚の頂上からの眺めです。やはりあやしいな(笑)。

さて、どこでしょう。(都心のどこかです♪)

いつもは人に気づかれないこの塚。

小さすぎるのと神社境内の暗い一隅にあるせいetc.

昨日の「二の酉」で大勢の人が来ても、暗がりの中でひっそりしていたはず。

私は浅草の酉の市へ行きましたけどね。。。

まずは、その背景から。

琉球と中国の関係は、実は琉球と日本の関係よりも歴史的に密接でした。中国は琉球をひとつの国と見なして関係を持っていたからですね。地理的に近いこともあって中国からの移民も多い。特に中国南東部の福建省とはつながりがあります。(世界中に散らばった華僑の中でも福建省出身者は多いのですが)

また、琉球人が福建省に移り住んでもいます。現地に琉球人のお墓もあるそうです。

福建省の首都、福州市は長崎と那覇と友好都市です。とりわけ那覇には福建省出身の人達が移り住んだ地区があるほど関係が深いです。14世紀に福州から「久米三十六姓」という特別な職人達が渡来し、久米村「くにんだ」と呼ばれる一帯に定着しました。それが福州園のある久米という地区です。

福州園が作られたのはそう昔ではありませんが、これは那覇と福州市の友好都市締結10周年の記念事業として福州市の町を再現したものです。この回遊式中国庭園は、四季を表現したパーツに分かれていて、小さいながら見どころ満載です。何度行っても飽きません。(私は那覇に行くたびここに寄ります)

中国庭園ですから、沖縄の様式は全くありません。でもガジュマルの木があったり、どこかしら琉球に通じる風土を感じさせます。なぜなら、福州市はガジュマル(榕樹)の木が植樹され、特徴的な景観をつくっていることから、「榕城」(ガジュマルのまち)とも呼ばれているのです。

そしてこの庭園は、故郷のミニチュアを通し、祖国への想いをはせる華僑の人々にとっての憩いの場でもあります。

富士塚のような築山は、福州市の中にある「烏山(うざん)」の再現です。

ここまで書いたらもうおわかりでしょう。この烏山には、富士塚に登ることによってバーチャルな富士山を味わう人々や、日本を想って現地の山々を富士山と呼ぶ海外の日系移民との共通の「想い」があったのです。

ある時このことに気づいて、私は言いようもない感慨にひたりました。人間てこんなに似かよった気持ちを持つんだなと。富士塚ではないけれど、私はこれを「久米富士」と呼んでいます。あ、正確には「福州富士」?ま、どっちでもいいですけど。

下の画像について。

少し前の記事にも書きましたが、那覇市の中心に中国からの移民が移り住んだ地域があります。その地区、久米という町に中国式庭園の「福州園」があります。そしてその中に、中国の人達にとっての【富士塚的築山】が存在するのです。その山は「烏山」と称されます。なぜ私がその山に着目したかというと。。。

とりあえず、そのように命名しときます〜(笑)。

滝も流れる築山です。裏側に見える屋根は民家ではありません。東屋です。

場所は。。。


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地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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