▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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【NIE】って御存知ですか?

【newspaper in education】の頭文字を取ってNIEです。
つまり、新聞記事を教育の現場で教材にしましょうというプログラムです。
NIEの歴史は長いですが、昨今、読売新聞でもよく特集が組まれています。

今週、富士山特集が掲載されました。
キッズにとっても、富士山の歴史はいい教材になりますね。



特に、日本人にとって富士山にまつわる歴史や信仰は学ぶことが
たくさんあります。

富士塚とキッズの記事は下↓のとおり。
私もちょこっとコメントさせていただきました。



豊田本富士レポの途中でしたが、
新しい年が明けましたので、しばし中断。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年はいろいろ忙しく、特に新刊本の執筆に尽力していたので、
ブログが滞り気味でしたがようやく。。。手を離れつつあります。
本は、今月末に出ます♪(詳細はまた追って徐々に)

これからまたブログをちょこちょこ書いていきたいと思います。
だって、ネタは山ほどあるんだから。

とりあえず、新年の画像から。



元旦の大泉富士です。オトナたちがわらわらと登ってます。
こんなにオトナばかりなのは珍しい。



塚にある神社(鈴原神社とか)に供えられてあった餅。
木皿にあるのがよくわからないけど、どうやらそれも餅?



興奮気味にカメラのシャッターを押すファミリーたち。
撮ったり撮られたりの大家族でした。

頂上から南西の方角、木々の向こうに富士山が夕陽をあびています。
富士山を意識したら、フシギな写真が撮れました。
中央の、グリーンの光が眩しいです。



西側斜面から下山したら、雲切不動の石碑が
夕陽に光っていました。明治7年の古い碑です。



左下に刻まれた文字は、丸瀧講の名。
大泉富士は丸吉講ですが、
ここから近い白子富士を造ったのが丸瀧講。

かつて、講同士の交流は頻繁にありました。
大泉富士の山開きでも、講員が覚えていました。
「昔はね、白装束でよそから歩いて来たもんです」

2日の夕暮れ。大泉富士のすぐ西側の公園から見た光景です。



私はこのブルーを「宇宙色」と呼んでいます。
この発色で、この透明感。もはやただの空ではない。

地球という天体に、孤高にそびえる富士山は、
遥か遠くの宇宙空間からも認知されているでしょう。

そして成人の日、
浦安でも美しいシルエットが見えました。



場所は堀江ドック。旧江戸川を挟んで、西を向く。
この時期夕陽はどのへんに落ちるのだろうか。
(たぶん、富士山の左側だと思いますが)
ダイヤモンド富士に疎い私もさすがに気になります。

浦安では、富士山と夕陽の位置で、季節を感じたそうです。
富士山の左側に落ちる太陽が、しばらくすると右側に落ちる。
それを「富士戻り」と言って。
猿像の土台をよく見ると、



縦にザクザク刻んで蓮華のようになっています。



奥宮を挟んで、両脇に座しています。奥宮は、同じ川越の仙波富士雀ノ森富士のものとよく似ています。

横から猿たちを見ると、



こんな感じ。
豊田本とは、町の名前。



バス停にもほら。
富士塚は、川越駅の真西、尚美学園大学そばの白髭神社にあります。



カーブした車道のコーナーに神社があり、富士塚は境内すぐ右に。
赤い鳥居は富士塚の奥宮に面していますが、



塚への登山道はやや右側から始まります。
ボク石はあまりないですが、山肌には丁寧に植えられた緑の苗。2年もすれば、きっと色鮮やかな山になるでしょう。

とてもいい塚です。
つづく。。。
川越には、なぜ御幣を持った猿が多いのでしょう。



豊田本(とよだほん)という地域に、こんなかわゆい猿がいました。

つづく。。。
富士塚の頂上にまた小さな富士塚が!?



拝殿の奥にある本殿をボク石で固めたため、そう見えるのです。
そして、その後ろにあるのが火口です。



お穴と呼ばれるこの火口は、初山祭りのときには、賽銭が投げ込まれます。
本物の富士山の火口も、昔から賽銭を投げ入れる巨大な賽銭箱でした。
だから、これも「れっきとした」ミニチュアなのです。

中から見ればこんな感じ↓



頂上にはいくつも石碑がありますが、



これは、よく見かける富士山型ですね。
熊野堂富士にもあったし、目黒元富士にもあります。
というか、このシェイプはよくあります。

下山道は裏側にちゃんとあります。



「く」の字に折れ曲がっている踊り場には、石祠があります。



小御嶽かと思われますが、台座に刻まれた文字を見て一瞬ビックリしました。



砂村だって〜!?

ここの山吉講の兄弟講、江東区砂町(砂村)の山吉講(お水講)から寄進されたか?
と思ったのですが、川越にも砂村がありました。

そしてそのまま下山すると、



広くゆるやかな道をたどり、



下界に戻りました。



登山道に戻って来ます。これはイイ!

登って降りるという行為は、シンプルながらも、ある意味哲学的です。
登るは「挑む」「願う」「上を向く」。そこには向上心が宿っている。
そして下りるは「完結する」「自分を見つめる」「次の進路を目指す」こと。

そうそう。
富士塚を、イサムノグチは知っていただろうか、と思うことがあります。

私の敬愛するイサムノグチは、


いくつもの素晴らしいノボリモノを残しました。
彼は、遊具(滑り台)として使える作品について語っています。

「僕の作品は子どものお尻で磨かれて完成するんだ」

富士塚も似ています。富士塚は、登って下りて完結するのですから。
川越の富士塚はちょいとフシギ。
川越というか、雀ノ森富士とここの富士塚の特徴なのですが。



塚全体の頂上に、さらに尖った塚があります。
正確には、奥宮をボク石で囲んだ姿が小さな富士塚に見える、
ってことだけど。その二重構造が愉快で◎。

社の左右には、



ペアの猿像が笑ってます。
烏帽子をかぶり、御幣を掲げる♂猿と、神楽鈴を振る♀猿です。

烏帽子猿は、昔の猿回しの猿の典型的な姿ではありますが、
もともと、山王信仰の神使としての猿のイデタチ。
神使と書いて「まさる」と読むそうです。魔が去るってゴロ合わせね。
富士山信仰は、庚申信仰だけでなく山王信仰も混ざったという証拠です。

一方、鈴鉾を持つ♀猿は、まるで角隠しをかぶった花嫁みたい。
たぶん手ぬぐいを頭に乗せて、吉原かぶりしているのでしょう。

つづく。。。
富士塚には、平地に盛り土して造ったもの、土地の傾斜を利用したもの、
もともとあった古墳などの塚を転用したものなどがありますが、

川越市富士見町にある仙波富士は、古墳だったそうです。



ここは、毎年7月13日に初山祭りでにぎわうお富士さん。
参道(登山道)の裾には、



ヤマキチ講の水盤がありました。古いです。



古くてイイ感じの浅間神社の社殿。



ああ、こんな奉納品が♪ ステキですね〜。
無人の拝殿で時折目にする、地元の方からのささやかなお供えもの。
ぐっときますよ。

後ろを振り返ると、



急な石段が。初山祭りでは、ここに人々が行列を作るのです。
初山祭りは東京にはなく、このブログ内では栃木と群馬の初山レポを
書きましたが、実は埼玉が一番多いです。

つづく。。。
昨年のお山開きは、CSテレビ、ワンダーJAPAN TV #9東京の富士塚の取材でレポした十条富士です。





例年と同じ、十条っ子で盛り上がるお富士さん。

今年はどんな様子だろうか、と思いながら訪れました。
実は、ここ数年、塚の面する岩槻街道の拡張のため、
十条富士の取り壊し問題で気をもんでいたのです。



この塚が、左(道路側から)半分削られるしまうのは、正直、痛々しい。
今年が塚の見納めか、と内心フクザツでありました。

砂町富士の直会でいただいた、お酒の酔いがようやく醒めた頃、
講元と世話役から、ゆっくりお話を伺うことができました。
場所は塚の西側に隣接する集会所の座敷。講員の控え室です。

「昨年はお騒がせしました。いきなりですが、例の問題は?」
「お富士さんは存続です。お祭りも変わりませんよ。」
「えっ? それはいったい。。。?」

結論からいうと、
塚は、数メートルの移築ですむということでした。

道路拡張のため、塚は削られるけれど、
その分、集会所の建物と合体するという計画があります。
つまり、塚全体を西に数メートル移築し、頂上の奥宮も
集会所建物の上部に乗り上げる、というわけです。

私はひそかに安堵しました。

姿を少し変えることになりますが、塚の移築ですめば最小の
ダメージになるのです。

時代の流れには逆らえないけど、富士塚の存続にいくばくかの
創意工夫があれば、私個人としてはとても嬉しいことなので。



集会所の外階段から撮った写真です。
塚の上部は、3月の大地震にも耐えた金属補強が健在でした。

なんだかんだ言っても、今を生きる人が一番大事。
今を大切にすることが未来につながることだから。
そう思えば、カタチを変えることくらい大したことじゃあない。
工夫をほどこすかぎり、きっと先人の想いは消えナイ!

そう思いながら、十条を後にしたのでした。

ちなみに、ひとつ前の砂町富士も、
昨年には取り壊しの計画があったのです。

毎年、いろいろ学ばせてくれる富士塚なのです。
富士塚の麓に里宮があります。
そこで元八幡の宮司による祝詞奏上の後、富士講による玉串奉奠がありました。



私もしっかりお参りさせていただいて。



朝の涼しい光の中、静かに流れる儀式のとき。



富士塚の頂上にお供えしていた鏡餅。朝つきたてのおいしいお餅♪
浅間嶽大日如来の石碑は富士山の方角です。



直会では、お寿司やお酒をいただきました。おいしかった〜。
ごちそうさまでした!



20代の青年もいる若い講員たち。実は江東区区長も富士講です♪
皆様お世話になりました。いつか富士登山お供いたします。
もう3か月半も経ってしまいましたが、
今年行ったお山開きのレポその1。



新しく染め抜いたマネキがまぶしい〜!!
江東区の元八幡、砂町富士の開山式は、朝10時から。



講の方々が集まって来ました。
ここの富士講は、通称「お水講」。新しい講元はプチ飲み友達ですっ。
酒豪でなければ講員になれないとかなれるとか(笑)。

つづく。


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芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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