▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
[66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76]
群馬在住Fさんの運転する車に誘導され、茨城のYさんの車がスムースに続きました。

富士嶽神社のあった「富士原町」から約10km、大泉町の浅間神社に到着。ここの地名も「富士之越」と富士の名がつくのでした。

 いい天気♪ 森から大音量の演歌が聞こえる!

 のんびりした祭。大木の陰。夏のにおい。

 

左右に一本ずつつけられた石段は気持ちよく登ることができます。特に登山/下山にルールなし。



丁寧にステップを踏みしめて、頂上にたどりつくと、子供の成長を祈る家族の姿がそこここにありました。


ここの講は「赤卍講」。個性的で目をひく紋です。社殿のぐるりに数多くの絵馬や奉納の額が。



山に「致」の紋も。これは木目にウルサイ私にはぐっとくるものでした。美しい。



社殿に上がらせていただきました。にぎわう祈願する人々。



お馴染みのコノハナイメージも掲げられていました。

 

本殿は流造り/こけら葺。立派です。側面は福禄寿たち?この中にご神体が。

 

左:下山道。右:まだまだ祈願に登山してくる氏子達。



下りて来た。



由緒を読むと、ここの初山は「ペッタンコ祭」と呼ぶようです。









初山は、浅間神社(富士山に見立てた地元の山)に、赤ちゃん(場所によっては七五三以下まで)と一緒に登って「山開き」と「初山詣」を行う祭りです。頂上で赤ちゃんは額に朱印を捺していただきます。



最近勉強会でお世話になっている富士信仰の研究者Oさんとそのお仲間にくっついて、Oさんの解説つきで「初山」をみっつまわるために、群馬県&栃木県へ出かけました。(総勢10名)

東京では見ることのない「初山」は、北関東と埼玉の一部(川越)、千葉の稲毛あたりくらいしかないそうです。あ、外房だと山武市の松尾でやってます(松尾出身のお友達に聞いてみようっと。浅間神社のこと記憶にあるって言ってたから♪)。

 

で、まず、館林の「富士嶽神社」から。鳥居の足にはいろんな記録が刻まれて……。
この向こうのこんもりした山が富士山で(ここにいると富士塚という概念は沸き上がることなく、自然に富士山と言いたくなります。塚の定義に関係なくね)、絵馬堂をくぐって参ります。

 

富士山の額縁よりもこころひかれる「ヘタウマ絵馬」。以前、東北の絵馬の本を借りたとき、こんなのばかりあったのを思い出します。顔がないのとか、疫病祓いとか。これは富士山をおもって手を合わせる善男善女。





傍らに合目石を確かめつつ、賑わう石段を行けば頂上もすぐ。赤ちゃんを抱いた若い親達が嬉しそうに順番を待っています。

 

怖くないよ、あっと言う間だよ。なんてなだめる必要もないほど、泣く子はいない。何となくわかるのかなー。額を朱に染めると、ちょっと誇らしげな表情になるのも、気のせいじゃないでしょう。笑。

ちなみに、男の子と女の子は朱印の形が違います。


自分の身に何が起こるのか。

怖いことではなさそうだけど……ちょと不安。




ただの祭じゃないわよね? 屋台はたくさん出てるけど。




なになに?子育てうちわ?天狗のうちわみたいに扇ぐと大きくなるのかしら?


みっつめの登山道から下りて来たらこんなものがありました。

誰かが草につけた、めでたい水引き。



下界におりてからもう一枚。次にここを訪れる時には、近くの「花畑大鷲神社」にあるという、富士登山の絵馬も見てみたいと思います。

ちなみに「花畑大鷲神社」はハナハタオオトリジンジャ(わしと書いてトリ)と読むようですが、この日、あとで行った鷲神社は、ワシジンジャでした。


小天狗の碑を見上げながら、塚のまわりを少し歩いたところで「大天狗」の石碑が目に入りました。



削られているけれど「大」の一部が読みとれます。これはみっつめの道のそばにありました。位置は時計盤で10時の方角。





富士塚の裏をぐるっと回りました。小さいボク石を丁寧に貼り合わせて滑らかな斜面を作っています。

特に目立った石碑もないなあと見渡して左まわりに歩いたところ、小天狗の文字が。



急斜面の途中に埋まっているのでよく見えなかったけれど、切り取られた碑であるのはわかります。右上には「○嶽山」の部分?

この石碑の位置は、お宮の位置からでもわかるように、裏側の右寄り。時計盤で言うと……6時を正面としたら、11時の位置。

そうか!時計で示せばいいのだ!

となると、正面からの道は6時からはじまって頂上に到達、別の道が始まり、カーブしながら2時の方向に下りる。
頂上の祠はこれです。
左奥の建物は草加市側。右には県境の毛長川のフェンス(水色)が見えます。



そして、頂上から別の石段(下山道というか登山道というか)が続きます。



      

                      下山して見上げたらこんな図↑
玉石でつくられた正面登山道から頂上へ。祠にお参りして振り返ると美しい光景が。





登って来た道。

鳥居をくぐると外柵に登る石段が正面にあります。(たぶん新しいでしょう)



その上に立つと、背筋ののびた(笑)富士塚と対峙します。



右側の御神燈には講紋と「富士講」の刻みがくっきり。





つつじに囲まれた講碑が立派です。「花又講社」とあるけれど、丸参講の紋が見えます。



塚の左側にはこれも立派な石碑。「花又村」と書いてあります。日輪、月輪もきれいです。





ではあらためて、登山道をしかとな。



まず、正面からの道。ゆるやかにカーブしながら頂きに続きます。


カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
リンク
カテゴリー
最新CM
[03/20 芙蓉庵]
[03/08 masapi21]
[02/22 芙蓉庵]
[09/15 芙蓉庵]
[09/09 吉田 千秋]
[01/28 芙蓉庵]
[01/28 芙蓉庵]
[01/24 MASA]
[01/22 MASA]
[10/15 芙蓉庵]
[10/12 吉田 千秋]
[10/12 吉田 千秋]
[07/16 芙蓉庵]
[07/10 吉田 千秋]
[12/10 芙蓉庵]
[12/05 槇田きこり但人]
[06/22 nobuting]
[06/22 芙蓉庵]
[06/21 nobuting]
[03/14 芙蓉庵]
[03/11 武本Timothy]
[02/23 芙蓉庵]
[02/22 エバポリタン]
[09/06 芙蓉庵]
[09/04 ひさ]
最新TB
プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

★★★★★★★★★★★★★
お問い合わせ、ご連絡は↓

y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m
(♡をoに◆をaに★を@に変えて
入力して下さい)

★★★★★★★★★★★★★

掲載の写真・イラスト・文章等の
無断使用・転載は御遠慮下さい

★★★★★★★★★★★★★
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
mountains