▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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1267 国分富士 02

741年(天平13年)に、聖武天皇が全国に建立を命じた国分寺。
東京都は国分寺市の国分寺が有名ですが、千葉県には、安房、上総、下総の3つがあります。



市川市国分にある下総国分寺はこんな位置。
総武線の市川駅または京成本線の市川真間駅から北東に2km弱です。
北に向かってなだらかな坂を形成しています。

くねくね細い道は、わくわく感を掻き立てられます。
「この先はどんなふうになっているんだろう」



道が急に勾配を増し、右に彎曲するポイントに白い鳥居が見えました。
位置はこんな。



ひときわ盛り上がった台地の崖下と言ってもいいでしょう。



ここが富士塚。国分富士。ん〜。斜面が塚として成り立つのはよくあることですが、
元々ここにあったのかしら? 移築されてここにあるのかしら。



古い石段がしっかり設えてあるので、登拝します。



石祠には、仙元宮(=浅間宮)と刻まれていて、



土台には「○さ」。富士山のマークもあり、明らかに富士講が建てたものですね。



散策する方も多いです。鳥居越しにしばしお話しました。
「浅間様があるの? へぇ〜」
イマイチ、ピンとこない様子。
下総国分寺周辺は、歴史散歩の人気コースですが、
この枯れた(荒れた?)富士塚はどこにも紹介されていません。しかたない。



この地形がどう富士山信仰に関わっていたのか、私自身、ナゾをぬぐえないまま、
ちょっと崖の上まで歩いてみることにしました。



擁壁の新しいメッシュが鮮やか。坂道を回り込み、富士塚の真上のお家を見に行きました。



ガッコンガッコン、ショベルカーが土台を整地していた手前が、富士塚の真上のお宅でした。
富士塚の上ってことは、富士山の頂上だな。

遠くのビル群や下の住宅地が見えます。ここらへんが、高台なのだとわかりますね。
ふと見ると、こんなサインが!



「急傾斜地崩壊危険区域」なんだって!




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国分寺とは、中央線の国分寺だけではありません。



なかなかシブ〜いサインです。場所は市川市国分。
つづく。。。




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3月9日(金)付、読売新聞朝刊の【くらし】欄に掲載されました。



小さい記事ではありますが、有り難い告知であります。




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「富士塚ゆる散歩」のはじめに登場する FUJIZUKA MAP。(WEB用に着色してあります)
都心中心に80富士描きましたが、富士塚の総数はもっともっと!



イラスト作成の最終調整の折、右上コーナーに見落とした富士塚がなかったか調べました。

すると、ひとつあったので、最後に1基追加しました。
千葉県市川市の国分富士です。
つづく。。。




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いったん塚を下りて、まわりを観察。



おそらく、塚を取り巻く道が舗装された際に、土留めブロックと生け垣が作られたと思います。
中腹にコミタケが、そして頂上の奥宮背後に生け垣(たぶん転落防止)が見えます。
ふむふむ。なかなかいいカタチ。

よく見ると、おびただしい数の彼岸花が枯れている。(訪れた日はそんな時期でした)



登山口に戻ります。
あっ、日没近し!



もう一度、富士塚に登り、日が落ちるそのひとときをじっとながめました。
オレンジ色の太陽は、弱い光を放ちながらも、私を富士山の方角に向かせました。
富士山は家々の影で見られなかったけれど、夕陽が饒舌に語りかけてきたように見えました。

しばらく写真を撮ることも忘れ、私は小さな、だけど長〜い感動に酔いしれていました。



「これを見るために、私はここに来たんだ」

道に迷った苦労など取るに足らない。ひとつの感動さえあれば、素晴らしい旅の終わりです。



さようなら。今度来る時は、彼岸花の咲きほこる時にしよう。





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いや〜よく歩きました。
実は、この辺に浅間神社があるというおぼろげな記憶と、
地図とは言えないほどの略図だけしか持っていなかったのです。

日没までに間に合いそうだったら行こう、くらいにしか思わずにいたからでした。
こうして時折、欲が出て予定外に足をのばすことがあります。
特に遠出をした際には。

駅から離れ、農道を歩き、何とかたどり着いた的場富士。



新興住宅地と大学に挟まれた、ここだけ小さな緑の築山。
背後の集合住宅は、確か大学の学生寮だったような。。。

登山道は登りやすく、快適でもあります。振り返ると、



隣は新しい一軒家の群。
この地に移り住んだ人たちは、この山を富士塚と知っているのだろうか。



頂上へは数秒で到着。どう見ても墓石ですが、奥宮です。
鳥居は真西を向いているけど、石碑は南西つまり富士山の方角を
向いています。



ちゃんとお供えもされていて、浅間宮とあります。築は明治5年でした。



これは丸藤講ですね。川越にもあったのか!



右側斜面には、小御嶽磐長姫神の碑。結構リッパです。

つづく。。。





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目星をつけていた行程は、まんまと外れました。
農道や旧街道を歩く時は、確実な地図が必要です。道は決して碁盤の目に通っていないので、
ひとつ道を間違えると、目的地からどんどんそれていき、軌道修正が難しいったらありません。



それでも、面白いサインを鑑賞するくらいの余裕も大事。↑珍しい名前ですね。



な〜んてマイペースで歩いていたら、川越線の的場駅に着いてしまった。
「神社だったら、八坂神社と愛宕神社があるよ。浅間神社?あったかなー」
あちこちで聞き込み調査をしながら、ジリジリと富士塚に接近して行きます。

アセッて歩いた終盤。せめて日が落ちる前に到着したい。



で、着いたのは、こんな富士塚。

つづく。。。





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川越駅の周辺に富士塚が多数あるのはわかっていますが、
せっかく西側にやって来たので、そのままもう少し足をのばしてみることにしました。



的場あたり、東京国際大学近くの浅間神社にフォーカスしました。

つづく。。。





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どうぞご覧くださいまし。


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芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
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女性
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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