▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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「火の花祭り」は、午後6時頃から富士講の方たちが中里富士に集まり、儀式を行ないますが、10分前になっても静かな富士塚だったので、ちょっとだけ、そこから目と鼻の先にある盆踊り会場へ行ってみることにしました。



実は、清瀬駅から中里に向かうバスの中で、ここで太鼓を叩くという方と御一緒したのですが、その方がこのちょっと後、やぐらの上でパワフルなドラミングを披露していました。御年配の女性です。バチ持参でカッコイイ♪



富士塚に戻った6時、中里講社の方々が集まって来られ、祭りの準備が始まりました。これは富士塚一面に取り付ける108本の蝋燭です。



間もなく、頂上で「拝み」が始まりました。



「お伝え」を見せてもらいながら私も唱えます。あれ?今どこだ???
靴下を通して刺した蚊がニクイ。足の裏に刺されました。



頂上では、掲げたゴゼンサマが晴れやかに見えます。
子供達が覗き込んでいる奥宮の祠と、その右には大日如来。



拝みが終わるとしばらくはのんびり。ちょっと記念撮影などしてなごみます。少しずつ参詣者が登ってきて、ふるまい酒(キッズにはお菓子)が配られます。私もこの手拭いをありがたく首にかけて♪

「吉田の火祭りでは筒屋さんで御一緒しましたのに、ゆっくりお話できずに残念でございました。あの時、先達の他に何人かはいらしたけど、○○さんや○○さんはいかれなかったんですね?」
「中里からは3人、他は下里からだったんです」
「ああ、なるほど。皆さんいつもは上文司さんのところにお泊まりなんですよね」
「そうそう。必ず上文司なんだけど、今年は宿の都合で筒屋に移ったんですよ〜。」



実際はこんなに暗くはないけれど、夜に包まれた中里の富士山は徐々に幻想的になってきました。



そして、蝋燭に火がともされ。。。



講の皆さんは出番を待ちます。
「盆踊りが『炭坑節』になったらそろそろだ。みんなこっちに移動してくるよ。」


つづく。。。
中里富士の頂上には、石祠やいくつかの石碑があります。
石祠には神様が祀られているわけですが、その隣の石碑には、



大日如来座像が刻まれています。つまり仏さま。(右側は寄った図)

富士山頂上に、神社ができる以前に大日寺が建立されましたし、
長い間多くの仏像があり、仏さまを拝むことはあたりまえでした。



江戸時代になっても、このように。(青いのがそうです)

そう言えば、だいぶ前にも書いてました。こんなことあんなこと
それから、実際、富士塚にも大日如来像はおわします。
江古田富士
山田富士
熊野堂富士
目黒新富士

ほかにもまだまだ。それにしても、講の方たちはどこかな?

つづく。。。
ちょっと早めに到着すると、そこにはだあれもいなくて



カメラの前で、レポーターたちがテンションを上げておりました。



おかしいな〜。なぜ誰もいないんだろう。ま、とりあえず登拝しておきましょう。

TVの人たちは、麦藁の松明をレポートしています。
ここは富士山神社の「中里富士」。

つづく。。。
「巫女ねっち〜」(富士塚熱中人には出てません)が、我が家に来てくれました♪
メタル富士の収まる箱の前で、記念撮影。



(私はまだ見ていないので、ドキドキなんですが)
放送を見てくださった方、本当にありがとうございました!

そして番組関係者の皆々様、お世話になりました。

サイトでも、紹介ありがとうございました。
あさひさん、ありがとう
ミヤケンさん、ありがとう

それから、熱中時間のレギュラーで「団地」「工場」と言えばこの方、
大山 顕さん主宰「住宅都市整理公団」

「別棟」にも♪
ありがとうございます。
大山さん、是非近いうち、富士塚めぐり御一緒しましょう〜♪
ミヤケンさん、ありがとう。

壁に向かって作業ってイイですよね〜。
私も今日は左官(?)のバイト(笑)。
BSなんですけどね。



わたくし、出ちゃいました。

予告のかわりに→こちらをドゾ!

BS2 9月12日(土) 18:00〜18:44
BS hi 9月14日(月) 12:00〜12:44
BS hi (再) 11月1日(日) 21:00〜21:44
翌朝7時。離れの御神殿へと向かいます。



渡り廊下の向こうです。

入口頭上



筒屋さんは参道の西側にあるので、奥の御神殿は朝日を浴びて美しい♪

神道式に祝詞が読まれ、

心が落ち着いてきました。まわりの空気も変わってくる。言霊ってスゴい。



生沼先達から私たちに解説が。
「これから『お伝え』という富士講ならではの教典を読みます」

「もろもろの〜」「もろもろの〜」「もろもろの〜」「もろもろの〜」。。。

ありがたく、全員で手を合わせます。声が伝わってきて心地よい。



先達がさらに解説。
「富士山の下には水瓶があります。雪溶けの水は、長い時間をかけて地下にもぐり、我々がいただいているありがたいお水は、早くて100年、遠くて何千年かかって届くものです。。。」
「亀岩に祀られている龍神は。。。」



約30分。素晴らしい時間をありがとうございました!



前夜ともまた違った、貴重な儀式を体験でき、心から感謝です。



朝食をいただいて(右奥にもまだ大勢いらっしゃいます)、出発です。
本当にいろんな方にお世話になりました。ありがとうございました。



そうそう。これが、敷地内に流れる禊場の川です。ヤーナ川(間の川)と呼ばれます。段差を利用した滝で、富士講の方たちが、水垢離をするわけです。



火祭りというお山仕舞いが過ぎると秋のはずですが、なんだか真夏みたい。



タツミチを歩いて参道に出る。名残り惜しくて振り返る。



南を向けば富士山が♪ この方角を向いたところで、



御師町のマップをアップ。(富士山を仰ぎ、上が南です)

ピンクのところが「筒屋」さん。左下の黄色のところが「外川家」住宅。
(外川家住宅レポはまた後日)
水色の線が、先に出たヤーナ川(間の川)。そして、参道わきを流れる表の川。
さあ、お宿に戻りましょう。夕食も待っています。
通りに面した筒屋さんの門を見ると、



昼間は丸伊講と丸金講のマネキだけだったのに、いつの間にか丸藤宮元講の方たち
がいらしていたのがわかりました。



細長〜い「タツミチ」の脇には篝火。幻想的です。



中門に灯された御神燈は何かを語りかけるよう。
足元では、流れの早い小川が、水音を立てています。
禊(みそぎ)場として使われる川(水路)です。(画像は後で)

夕食を取りながら、あちこちで歓談となりました。



私たちの小さな島(グループ)に、奥の大きな島から来てくださったおふたり
の先達。そして彼らにゆかりのある方たちも一緒に、濃い話が続きました。
奥にはこの2倍の島がふたっつも♪

ひたすら質問攻めにするAさん。



快く答えてくださる岩岡氏は、横浜の丸金講の先達。かつて、最勝寺(横浜市神奈川区の熊野堂富士を管理)の住職から、先達の写真を見せていただいたことがあります。→「こんな人がいるんですよ」と。
実は参加者の中に、先達に会いたがっていた方がいて、それはそれは喜んでらっしゃいました♪

外の参道では、松明の火が徐々に冷えていきますが、宿の中は人々の会話が
熱を帯びてきました。お酒もすすみます。(美味しい♪)

それにしてもいろいろな方にもお目にかかりました。
「金曜山梨」でお世話になったディレクターSさんに再会したり、
なんと彼が親しくしていたのは、以前からお会いしたかった若き先達Hさん
だったり。その間にも縁のある方が絡んでいて、とてもフシギな巡り合わせを
感じました。Hさんについては、そのうちきっとアップすることでしょう♪

夜も更けてまいりました。
就寝の前に覗きに行ったのは、筒屋さんの奥にある、離れの神殿です。



なんという気配。濃いながらも澄み切った空気が流れて来ました。感動。



ようやくお膳を下げ、布団を敷き始めました。正面奥にはまた別の講社。
後日、東京清瀬でお会いした方たちです。
さて、われわれは寝酒を持って(笑)2階へ移動。

まだつづく。。。
「そろそろ戻りましょう。お焚き上げが始まる〜」
塩加持は、7時頃からだと告げられていたので、移動したのが6時50分すぎ。



参道の松明はずいぶん燃えている。ドキドキしながら筒屋へと急ぎました。
到着すると、すでに松明の前では塩加持の真最中!

「遅いよっ!何度も携帯に連絡したのに〜」
「ええー?7時からじゃなかったの?」
携帯を見れば、6時38分からいくつもの着信履歴が!
ショック!神楽殿にへばりついていて、全く気づかなかった。

休憩組が6時半頃来てみたら、塩に立てた線香もすでに形をくずし、
ご祈祷が進んでいたとのこと。
どうやら今年は、火のつきが早くて予定より早めに始めたようです。
わ〜ん。そんなこともあるのね!

ということで、下2枚は私が撮れなかった画像です。Rさんありがとう。



先達の足元にあるのが、木綿の白布に敷かれた「塩の土台」に建てられた
線香の富士山。もう灰になっています(泣)。



いくつかの違う講(派)の方たちが炎に向かい、合同でご祈祷です。
先達も3人。

自分で撮った画像につながります。ブレブレですが。。。









そして私も塩加持を受けました。

布でくるんだ塩(線香の火で熱くなった塩)を、背中の数カ所にあて、
その後、数珠を使って同じように力を込めて祈祷してくださいました。

パワフルでした。
塩の熱とご祈祷の声で、私は一瞬違う場所にいるかのように感じました。
その時「無音」だったのを覚えています。
エネルギーが入った瞬間でしょうか。



私の後もしばらく続きましたが、間もなく終了。
(膝を痛めて正座できない人は、膝にしてもらったそうです)



最後は松明に向かって、祈祷が続きました。

さて、加持に使った塩は持ち帰りできました。この塩を自宅の四方にまくと病気や害悪が来ないとされています。



参加者の方たちに小分けしても、まだたっぷりあります。
数日間、袋に入れっぱなしでだったので、粗塩は線香の灰を吸い、グレーに変色していましたが、当日を思い出し少し舐めてみました。
すると、有り難いことに元気注入の感覚が♪
水分を飛ばすために、しばし天日干し。盛り塩に使いたいと思います。

ところで、塩加持をやってらっしゃるのは、この方たちだけといいます。
いつ頃から始まったのか聞きそびれましたが、かつて富士講では、他にもいろんな加持祈祷がありました。
富士山頂上の金明水を加持水として使っていたことは有名(最近も市販してるとかないとか……)ですが、病気を治すために護符を配っていたこともあります。(詳しくはまた)

加持水は別としても、熱い塩や護符(に使われた墨)の効能は、決して非科学的ではありません。でも、かつては「怪し気なこと」として取り締まりの対象になった時代がありました。これもまたの機会に。

それより、松明の燃え残りつまり燠(おき)も、火除けのお守りになります。



うっかり取りそびれた私に、Kさんがたっぷり採取してくれてました♪
感謝です〜。

つづく。。。
日本三奇祭のひとつである「吉田の火祭り」は、御影神輿(お山さん)や大松明ばかりではありません。
富士太々神楽(だいだいかぐら)の奉奏も見物です。

午後6時頃から始まるこの奉納芸能は、9時半頃まで続くのですが、最初のほうだけでも見たいと思い、御旅所わきの神楽殿に向かいました。



これは口上にあたるようです。四隅を丁寧にまわります。



面をつけた姿が、闇の向こうの舞台で印象的に浮かび上がります。皆くぎ付け。

江戸時代中期に現代のかたちになったというこの神楽は、天ノ磐戸開きを題材にした12の舞があります。









光の当たり方によって顔の表情が変化するのは、能面と同様です。でも、江戸時代は篝火の明りだったでしょう。ひとつひとつの所作や表情の変化が、闇の濃さと絡み合い、どんなに優雅だったことか。想像してたら昔にタイムスリップしそうでした(笑)。

そして、舞いと同様に素晴らしかった演奏。耳に残る独特のリズムは、まるで異国のものでした。
「ねぇ、中近東の楽曲に似てない?このストンと落ちる感じが。ちょっと違うけど、トルコの軍楽(メフテル)なんかも彷佛とさせるんだけど」
「そりゃそうね。雅楽はあっちから伝わって来たもんね」
そんな会話も楽しい宵でした。

つづく。。。


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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