▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
「みぎかうや ひだりきみいでら」 右へ行くと高野山、左は紀三井寺。の石標。道は遠くとも続いているんだな〜としみじみ思わされます。 本宮大社近くになると、こうして関所もあります。 古い切り株のところで、語り部さんが江戸時代の通行証の写しを見せて説明してくれました。なるほど、誰でも参詣できる熊野とはいえ、現代のように気軽に来れたわけではなかったようです。印象的なのは、「万一病死したら土地の風習によって葬られるように」(だったかな?)のくだり。 そして、あとは一気に森の中。。。飛脚のように走りまわりたい衝動にかられます。 いくつかの眺望で心を潤しながら。 ゴール直前に大事な作法がありました。 本宮大社に入る前に、旅の穢れを祓い身を浄める「祓所王子 はらいどのおうじ」。 祓所は祓戸とも祓殿とも表記されます。傍らには旅人の歴史を見てきた樹齢800〜1000年の巨木が! そしてついに。。。 汗ばんだ体を、ひんやりと澄んだ聖域の空気が包んでくれました。定家が詠んだ「感涙禁じ難し」も理解できます。 今回、熊野古道の一路のさらにほんのちょっとだけ歩いたわけですが(翌日は別の路を少々)、全く目からウロコの数々に驚きました。現代ではびゅ〜んと神社へすとっ飛びし参拝しますね。それが悪いわけじゃないけれど、時間をかけて参詣道を辿るのと、いかにその精神性に違いがあるか。昔なら30日も費やして詣でたのですから、鳥居をくぐる前にすでに浄められているようなものでしょう。山中で餓えと野宿の恐怖をかかえながら、究極の旅をして到着するのですから。 私も道中、「六根清浄」を意識しなくとも、深い森の中を鳥の声を聞いたり、自分の木霊を投げてみたり、草の匂いに敏感になったり……と、六感覚が研ぎすまされていくことがある意味みそぎになっているのかもしれないなと思ったりしました。 古道記事は終わってもまだ先にディープなことが待っている。急いで書かなきゃ。熊野三山のうちあと二山あるしね。 「伏拝王子 ふしおがみおうじ」の名は 苦しい旅がようやく報われ、この地から目に入った本宮大社(旧社地)の大鳥居にひれ伏して拝んだことからとられたものです。行き倒れになった人が多くいたことは書きました。「道休禅門」などの碑(「道休」とは行き倒れという意。こういうお話を語り部さんからうかがえるのです♪)がありましたが、名のある僧も力尽きてしまう長旅です。ついに目にする鳥居に参詣者はどんなにか鼓舞されたことでしょう。(画像はもう少し大社寄りの位置から撮影) この大鳥居は現在の熊野本宮大社のではなく、少し南に位置する「大斎原 おおゆのはら」という、河に近いところの旧社地のものです。明治22年の熊野川の大洪水で、この地にあった熊野本宮大社が流されましたが、この大鳥居は今も建っています。日本一の大きさだそうです。その姿に私もじ〜んときました。ちなみに古来、熊野川は荒れ狂う川ではなかったそうです。熊野川流域の開発が始められた江戸時代後期から変わってしまったようです。(戦後はさらに植林政策によって杉と檜の人工林が増え、複雑な生態系も少なくなったとのこと) ところで、 伏拝王子のそばには休憩をとれる茶屋があり、お隣にはドラマ「ほんまもん」のロケに使われたお宅があります。前日、山に入ってくるバスの中で親切な女性と一緒になりました。家は茶屋の隣だから、古道を歩いて来たら声かけてね、と言ってくださったけど、こちらのお宅の方だったとは驚きでした♪ お茶畑から取った茶葉で入れた、おいしいお茶を持たせてくれました。ありがとうございました。 とにかく人が優しいです。皆さん気持ちいいです。 どうやらそれは昔からごく自然に根づいていた土地の方の「御接待」という精神のようです。困っている旅人を助け、受け入れ、それが功徳につながるわけであります。 古道(こどう)の「古道=ふるみち」は「触る道」だそうです。自然の中に宿る神々や、それと共に生きる土地の人々に触れる道であります。神社へつながる道、参詣道を歩き人と触れあうこと、自然から学ぶことが大切だったのだと、じわじわとわかってきました。
ひらけた場所から撮った写真です。
あれ?どこかで見たような……と思ったら↓これに似てました。 三重県美杉村の風景です。食行身禄の生家のある美杉村にかつて1か月ほど住んだことがあると、一年前の記事に書きましたが。 杉の木立、椎茸も豊富にとれる、気候も空気も似ています。似ていて当然、山の反対側ですもんね。 しばしフシギな気持ちで眺めてました。
▲▲▲▲▲▲【三里富士】▲▲▲▲▲▲
熊野に行っても忘れちゃあいません。富士の山! ここで会える富士山はこちら。 【三里富士】と言われる百前森山(ひゃくぜんもりやま)、標高782.7mの端正な姿です。 果無(はてなし)山脈が横たわり、山なみの美しさを目で味わっているとひょっこり語りかけてくる、そんなたたずまいの山であります。歩きながら「あの山、な〜んか富士山ぽいな」と思っていたところ小松さんに教えてもらったのでその嬉しさったらありません。きゃあきゃあ言いながらたくさん写真を撮りました。これはちょっと高い位置からの。 ちなみに近畿地方全体に○○富士はこんなにあります。和歌山県には4つだけ。実は、あったことだけでも驚きでした。
ここは険しい峠越えをするルートとは違いますが、やはり参詣道ならではの赴きを感じさせてくれます。地蔵や石碑にはたくさん出会います。本宮を目の前にして行き倒れになった参詣者を手厚く葬った証も数多くありました。その方たちの無念さを思うと写真には撮れなかったので、かわりにこんなお地蔵さまを。
これは昔から地元の人から拝まれていた「歯痛の地蔵さん」です。 水呑王子はこんな。社はありませんが、花に囲まれ小さく愛らしい聖地でした。 さて、熊野古道は「陰と陽のくり返し」と言われるほどいろんな表情を見せてくれます。人里にいたかと思うと森に吸いこまれたり、また眺望のよい尾根に出たり。。。 シダ類もたくさん。これはたしかウラジロ?もちろんゼンマイなどもありましたよ。 まず、こんな光景が一般的な熊野古道のイメージでしょうね。私もこの光景を頭に描いていました。はい、もちろんたくさんありますよ。古い石畳がつづく杉木立の道。 でも、こんなところばかりではありません。熊野古道と言ってもいろいろありまして、紀伊路、伊勢路、大辺路(おおへち)、中辺路(なかへち)、小辺路(こへち)。大阪から出発する道、伊勢から入る道、海岸沿いに歩く道、高野山から峠を越える道など、さまざまです。 詳しく書くにはスペースがありませんが、今回歩いたのは「発心門王子(ほっしんもんおうじ)から熊野本宮大社」まででした。約7kmの行程で、ビギナーには歩きやすい中辺路の一部のなだらかなルートです。前日泊まった湯峰温泉からバスで発心門王子へ行きました。 発心門王子は、数ある王子の中でも特に重要な五体王子のひとつです。発心する=仏に入る覚悟をする。ですから熊野本宮大社を目前にして(といっても7km手前ですが)心構えをする地点です。鳥居の向こう側に、船玉神社から上がってくる道が見えます。ここからスタートです。 バスの通る車道からゆるゆると古道に入ると、集落を通る気持ちのいい道がつづきます。 こんな道しるべがあります。でも、迷うことはありません。 語り部の小松さんが案内してくれましたから♪ とにかく気持ちいい♪ 花が咲き乱れていたり、 たけのこを見つけたり、 おいしそうな椎茸のサイズを計ったり、 はちみつをためる木製の仕掛けを見上げたり、 蛇に遭遇したり。。。 気づくと空中都市にいるような気持ちで歩いていました♪
トイレ休憩を含め、バスは1時間半かけて「小栗判官蘇生の地」として有名な日本最古の温泉、湯峰(ゆのみね)温泉に到着しました。宿は「てるてや」、もちろん照手姫からとった名前です♪
この温泉郷にも王子があり(湯峰王子)、熊野古道が熊野本宮大社までルートが続いています。 「王子」とは熊野権現の御子神を祀る分社のことです。京都から熊野三山へ至る道には「熊野九十九王子」と言われるほどたくさんあります。途中でやむなく旅を断念せざるをえない時も、王子で拝めば、信仰の想いが大社まで届くとした。つまり王子は「遥拝所」であります。それって富士塚に似たコンセプトではないですかー!もちろん休憩所や目印としての役割もありましたけどね。 実はこの情報、旅立つ2日前に偶然お会いした語り部さんから聞いたことなのです。 東京に講演しに来ていらした、語り部の会会長の坂本勲生さんの説明はとてもわかりやすく有り難かったです。後で教員歴40年の元先生だった(最後は本宮町三里中学校校長)と知り、合点がいきました。(だから皆さん、坂本先生と呼んでたのか〜。講義も面白そうです)ちなみに坂本さんは観光カリスマに選ばれています。 翌日は小松さんという上品な女性の語り部さん(やはり東京でお会いした)に古道の案内をお願いしました♪
新幹線の中から富士山を拝みながら、西に向かいました。展覧会の最終日に、兵庫県伊丹市へ駆けつけることができました。(オープニングは大勢のアーティストたちも集まって盛況だったようです)
会場ではこんなたたずまいの自分の作品に再会しました。 影富士ができなかったのは、ちょっと残念でしたが。。。 裏富士も見せちゃおう。ちょこっと影ができてますが。。。 ページを折り畳むと富士も仕舞うことができまする。 あらゆる国から約260アーティストの作品が展示されています。 各作家の身分証明文書がポートレイト写真と共に添付されてました。 私の作品のあった台座あたりはこんな感じ。全体でこの3倍のスペース。 壁一面にもびっしり!どの作品も面白い。作家達に会いたかった。 フォーカス合ってないけど、再会記念に。 こんなにちっちゃいですよ。パスポートですから(笑)。 一応、添付された私の「特徴」。コメントも兼ねて。 最初の制作プランの内容なのでちょっと違っていますが。 美術館の方にいただいた「ぴあ」に掲載されたコピーです。 (オリジナルページはカラー) 別ページの詳細記事を読みたいです。でも残念ながらもう手に入らない。 会場でゆっくり鑑賞したかったけれど時間がなくなってしまいました。 Fujizzzも旅に出たわけですが、私も旅の途中です。 この後、南下し「熊野」へ向かったのでした。。。 |
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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
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▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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