▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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結局伊丹のオープニングには行けず。でもヘコむ私ではありません(笑)。

家で作業が残っていたけれど、私を外に引っぱり出してくれたのは春の日ざしでした♪最近は日も高くなり、午後3時から出かけたって充分取材は可能です。

「畳屋」と「蕎麦屋」と「葬儀屋」と「神輿制作所」が目立つ古い町。

↓畳屋は多すぎるので、画像いちまい。



↓巨大看板がやけに目立つ中台神輿。



↓こじんまりの浅子神輿。



↓本宅が素晴らしい後藤神輿。



後藤さんちの彫り物を見上げて近寄ってみると、家の両脇には



左が桃から生まれた桃太郎。そして右、翁と媼だな。

看板の住所でわかるけれど、ここはかつては「○○千軒寺百軒」と言われるほど、つまり10軒の家に1軒の割合で寺があったほどの寺町で、神社も負けずに密集しています。その○○とは?

つづく。。。(もちろん富士塚は出てきます〜)


本日4月4日より20日まで、
「伊丹市立 工芸センター」での、
「Your Documents Please パスポートお願いします」という企画展に

私の【平面富士塚】も出ます。

この展覧会の主旨は
【誤りを免れない思想やイデオロギーをもった誤りがちな人間の作るこの不安定な世界において、身元証明、移住、移入、想像の(既知の、あるいは未知の)目的のために、アートの放逸な力をもって(サイズのみ規定された平面形式)創造された重要書類を、世界数カ所での展示】

つまり、自分で自分のIDを発行するって試みですね。常々「人間の数だけ宗教の数があっていい」と公言する私にとって、身分証明の方法も人間の数あっていいというのは、賛同できるコンセプトでした。

この後、ヨーロッパへ渡り、ハンガリー ブタペスト 2Bギャラリー、スロバキア ブラチスラヴァ Zギャラリー等を巡回し最終的にNYで終了の予定です。いろんな国籍の方が参加しているでしょう。


↓私の「FUJIZZZ (worship from afar)」




平面という規定ながら、私は携帯時に【平面】で開示には【飛び出す富士塚】の形態をとりました。照明によっては「影富士」も現われる作品です。

私の富士塚に対する想いは決して宗教ではありませんが、ある種信仰と言えるもの(宗教と信仰は違います)なので、自分のアイデンティティにこの要素は必然であります。自由な自己証明の為には、常に自分の中に投影されるこのカタチも表現可能と思いました。このパスポートによって実現した「どこにいても富士を遥拝」という行為が、私の富士塚作品の原点でもあります。ちょっと違いますが、ムスリムが(メッカの方角を調べる為の)コンパスと絨毯を携帯するのに近いイメージかも?そちらは宗教ですけどね。

明日のオープニング交流会に駆けつけられるかどうかは、いまだ。。。
思案中……う〜ん。う〜ん。

前回訪れた時にツアー参加者の皆様に紹介した猿(の足。記事内3つめの写真)の対を発見したとの連絡を、友人から受け早速確かめに行ったのでした。どこどこどこ???



まず、右側の猿足の位置を確認。すると、その向こう側、松の木の根元に……



あった!

間違いなく対の猿の足です。こちらは足首からもがれていました。
↓鎮座していた台座はあるものの、



やはり姿がないのは悲しいですね。↓台座の位置は湯殿山の碑のすぐ後です。



猿像まで奉納した講だからかなり立派だったと思われます。社務所が閉まっていたので尋ねる人もなく、いろいろ想像をめぐらせながら境内を出ました。

松戸市で行った富士塚はこれで4つ。あと5つあります。まあ、少しずつ♪少しずつ♪
新春富士塚ツアーで行った松戸市馬橋の王子神社へ再び(正確には四たび)。



かなり大きいシーサー(笑)が出迎えてくれ、



幹周り3.22mの榎の巨木を見上げると、神社の境内に迎えられた落ち着きを感じます。



庚申塔のパレードは壮観。それを横目に見ながら奥の浅間神社へ向かう。

なぜまた訪れたかというと、知らせを聞いて。

「もういっぴきいたんだよ!!」
浅間大神の碑の土台には立派な講紋が刻まれていました。



山の下は○に宝で「マルタカラ講」と呼びます。

千葉県野田市の宝珠花を中心にした講で、栃木県の足利にもありました。



これを刻んだ人は、西深井富士の碑を彫った人と同一人物でした。
明治15年の作。(西深井はその翌年)

この碑の他にめぼしいものは見つかりませんでしたが、講の存在が確かめられてよかったです。
昔の富士塚のカタチはどんなだったでしょう。想像するのはかなり難しい地形になっていましたが、土地の人達がこれだけは残そうとしてか、あえてコンクリート固めにしていなかったのが救われた気がしました。

流山街道に面した流山市東深井の駒形神社からさらに北へ向かい、再度西に進路を取ると、またすぐ西深井に入ります。



ここも神社はないものの、路傍にはこんなこんもりした一角が。雑木林の奥に、奥宮の石碑がシルエットとなって目に飛び込んで来ました。

通常、富士塚の名前はその地名を使います(例えば、文京区音羽にあるから「音羽富士」とかね)が、西深井にはふたつの富士塚があるので、先に訪れた塚を「西深井富士」とし、地名は西深井ながら北側にあるほうを便宜上「北深井富士」としました。(深井と名のつく土地は西と東しかないので)
野田市に近い流山市東深井のこの富士塚には、この土地ならではの歴史の痕跡が見られました。

「女人講」の石碑です。



「女人講」は、言わば町内の婦人会のルーツ。利根川水系の地域に多く残っていると、先日の西海賢二先生のレクチャーで知りました。そして、



東深井富士の足元にあった天保12年の碑「待道大権現」が印象的でした。

「待道講=まちどうこう」は、我孫子市の岡発戸にある待道神社が発祥の地で、我孫子、柏、沼南、鎌ヶ谷、流山、野田、取手、松戸という利根川流域にみられる女人講のひとつであります。(安永年代が起源)

女人講全体がどれほどの規模かはまだ調べていませんが、待道講は「子を産む年齢の女性たち」に信仰された安産祈願の女人講ということです。女人講は年齢集団で分かれていて、これから子を産む年代、その上の年代、さらにその上の年代……となっています。まるで、沖縄の久高島の女性たちのようですね。(久高島ではすべての女性が神になるのですが)

待ち道。。。道で待つとはどういう意味でしょうか。

とあるサイトに、おばあさんの話を収録した記事がありました。

「昔、お腹の大きい嫁と旦那の夫婦者がいた。何かの都合で2人が待ち合わせをした。どこでどうまちがえたのか、嫁の方はここの道の側で待っていて、男の方は印旛沼のほとりで嫁の来るのを待っていた.お腹の大きい嫁はなかなか来ない男をじっと待っていた。その内産気づき、道の端にムシロを敷きそこで赤子を産んで死んでしまった。それで道で待つということから待道といわれるようになった」
そろ〜り近寄ってみます。



駒形神社の一隅に、ちっさな富士塚が待っていました。



正面からはこんな感じ。石碑だけの富士塚タイプですが、いろんなものが乗っかっています。

たとえば。。。



浅間大神とその背面。



大山講の「阿夫利大神」。
このほかにも「大山津見命」(このはなさくやひめの父)の碑あり。



登山記念の石碑もひとつじゃない。



江戸時代からの庚申塚も乱立しています。

そして。


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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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