▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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また流山の富士塚に戻ります。

西深井富士のある場所からまた北に向かいます。
のんびり歩いているとこんな光景が目に入る。なんかいいですね。昔は東京でもよく見かけたもんです。



しばらくして「駒形神社」に到着。



かつてこの一帯(流山市の北のほうです。野田市に近い)には官営の野馬放牧場があり、良馬の産地として知られていたそうです。そのためか、このあたりに駒形神社はいくつかあります。なぜかこの中に浅間神社あり!ま、聖徳太子も黒駒に乗って富士登山したと言われておりますが……それとは無関係です。
「流山・富士塚紀行」はまだ続くのですが、その前にまた割りこみ記事です。日曜日のことですけど。

青竹で囲いができてしまった「堀江富士」へ、ふらっと出かけました。

でも、神社まで行ったら急に鳥居をくぐる気分にならなくなったので、横道に回りました。ま、そういうこともあります。それもよし。散歩は直感や気分で歩くのが一番です。そのほうが発見が多いから。

神社に隣接するお寺に吸い込まれるように入って行きました。小さいけれど素敵な池があるそのお寺には、お気に入りの金色の鯉がいます。金の輝きは同じだったけど、前よりもちょっと大きくなっていました。

ふと墓地のほうを見ると、お墓参りの人が大勢来ていました。線香の煙がかぐわしくて、私はすうっとそちらのほうへ歩いて行きました。以前から、池を見にお寺に立ち寄ることはあったけれど、墓地までは入ったことがありませんでした。

花を供える人、墓石を丁寧に磨く人たちの姿が、とても気持ちよく目に映り、私は心の中で墓地に眠るすべての霊に「こんにちは」と短く挨拶をしました。そして、墓の立ち並ぶ間をあてもなくぶらぶらしておりました。

気づくと見覚えのある姓のお墓の前に来ていました。

堀江富士の講碑にいくつも名前の刻まれていた大先達の方の姓でした。周辺には、同じ家系らしい同名の墓石もありましたが、そのひとつにその方が眠っている気がして、心の中で丁寧にお参りしました。

富士塚に行こうとして急にお墓に足が向いたのは、とてもフシギな気がしました。私は堀江富士を作った「山玉講」の講員ではありませんが、よく手を合わせている私を何者かと、その大先達が思い隣の墓地から私を呼び寄せたのではないかと、そんな気がしてなりませんでした。

お墓は古いものでした。ふと見ると、一般的な墓石の左右にボク石(溶岩)が設置されています。「さすが富士講の大先達だ!」と感激しました。富士講の講祖である食行身禄の墓ほどではないけれども、墓石にボク石をあしらうなんてと。

ところが、ボク石を使っているのはこの家だけでないことがわかりました。よくよく見ると、あらら、あっちにもこっちにもボク石が!正確にはメインの墓石の左右に石柱が対になって建っていて、先端には家の形、根元にはたっぷりのボク石が使われていました。中には家の形が「中門造り(曲り屋)」と凝ったものもありました。

さすがに写真におさめられないので、イメージ画像を作ってみました。石柱とボク石はこんなです。



富士講に入っていたお宅のお墓なのでしょうか。それとも安価な石として流行ったのでしょうか。ボク石は関東で庭石としてポピュラーだけど、お墓に使ってあるのは身禄の墓以外で見るのは初めてでした。興味深いですね。

ちなみに「中門造り(曲り屋)」とは↓こんなカタチです。


リュウテツ(流山電鉄)流山駅近くの「流山富士」から「流山街道」に戻り、北上しました。広い道をずんずん行きます。常磐自動車道をクロスし、左手に香取神社を確認しながら進むとしばらくして道が狭くなります。松戸野田線という道路に変わります。もう野田市に近いところです。Y字になる左を選んで入ったところに農業用水路があります。そのかたわらにこのジャングルがあります。



ジャングルは辻にあって、地図上で「浅間神社」と記されているポイントがこの富士塚のことでした。人家がまばらだった時代を想像していたら何だか楽しくなってきました。



こんもりした一隅は、神社の社がなくても地元の人にとっては神様のいる場所です。この木々の中に富士塚があったのです。こういう場所は、立派な神社とはまた違ったおもむきの「聖地」。とてもいとおしい気持ちになりました。

頂上にある浅間大神の石碑には明治16年と刻まれていますが、江戸時代(享和、文化)からの庚申講などの石像、石碑もここに集められていました。





石段をゆっくり登ると、いくつかの合目石があり、頂上に浅間大神のほか、「身禄霊神」の碑がありました。浅間大神と身禄霊神の間には「八合目」の石。ちょっとコンパクトすぎますか?(笑)




ボク石があまり手に入らなかったのでしょう。それでも講の世話人の名前がしっかりと刻まれておりました。



ちなみに、富士塚のまわりはこんなのどかな情景が。(ばあさまと孫)










外から富士塚は見えない。でも富士塚の中から外の様子はよくわかる。
背後の小学校からは、放課後の子供達の声が聞こえます。

富士塚だけど土まんじゅう。ボク石は少ないけれど、立派な石段もあり、講碑もそろっています。

ここも流山。

つづく。




荒れていても、祖神のごとく親しみと風格がある、そんな富士塚です。

気持ちのよい築山は、ジャングルだった!

つづく。
気配を感じて振り返ると。。。



邪気を踏みつけるガニマタ「青面金剛像」。



庚申講のですね。文化15年の作。頭上にはとぐろを巻く蛇が。
お隣にいるのは???何講の方?こちらは享和元年のもの。文化の前です。
(この年に富士山で土石流が起き、富士吉田で被害がでました)



いったいここは??? あ、そうだった。富士塚に来ていたのでした。



頭を下げて鳥居をくぐる。そこから先は異郷だろうか。

いや、門はすでにない。空気の密度も変わらない。



地にしみ込んだものは何?立ちのぼるものは徘徊する?

路傍の礎はいつからあった?それは皆を見ているか?



すべてを呑み込むここはオアシス?それともブラックホール?

「何をしている。早く登って来なさい」









sitemap.txt

西日に照らされ浮かび上がる。

裸の鳥居。

そこは農村の片隅。

風化はときに有り難い。

人為的建造物が自然に歩み寄り、

シンボルは、土地の神と融合する。



柵で囲まれた富士塚と以前の富士塚の様子。先月までは柵はなかったのです。
よし、裏まで回って観察してみよう!



おや、光の具合で「大澤くずれ」がとても美しい。左斜面を行く行者の石像も苔むして色鮮やかです。う〜ん。意外とこの青竹柵は違和感ないな。。。とつぶやきながら歩く。柵は塚ぎりぎりに設置されていて、この円錐の富士塚の周りをすっきり回りきれます。



登れなくなったのは残念だけど、素材や作り方をよく見ると今まで見た柵の中で一番よい。竹の質もいいし、棕櫚縄も丁寧にくくってあります。そして、正面の登山口はこのように可動式の門となっていました。最大限竹を使用する工夫も見られる。これはなかなか好感持てました。塚の掃除や神事の時だけ開かれるのなら塚の為にいいことかもしれない。そう思うのは……



確かにここ数年、岩が塚から崩落してたからです。近所の小学生たちが登っているうちに石が落ちるのも知っています。実は私も憂慮していました。正直に言えば、いつかこうなるのは予想をしていなくもなかったです。特に「今年はどうするんだろ!」と思っていました。



というのは、今年は4年に1度の「浦安三社祭」があるからです。大勢の人が集まるその祭に合わせて、神社は何か策を講じるのだろうかと頭をよぎったこともありました。この日清瀧神社の境内では、青年会の人達が、祭のための「鯉口シャツ」のサンプルを掲げていろいろ話し合いをしていました。

(浦安元町は、西組と東組に分かれていて、それぞれ西組若衆、東組連合と名づけられた青年会があります。祭では彼らの熱い活躍が見物ですよ♪)

今日からちょうど3か月後は「浦安三社祭」の初日「宵宮=よいみや」です。真っ暗な中、100基ある神輿全てに「みたまいれ」をする厳粛な場面に立ち会えます。町にはポスターが貼られ、いろんな告知や集会も始まりました。ワクワク感やドキドキ感を肌で感じられます。

富士塚がこのように柵で囲まれたのは、保存のためだけでなく、祭の時に人々が存分祭に集中できるよう、生活との共存を大事にしてのことなのかもしれない。……と、私はそんな結論に至りました。

この町で祭は神事としてとても大切です。ちなみに「浦安」という地名は、「日本書紀」の中でイザナギノミコトが言った言葉からとったとも言われています。(イザナギは、現在の日本のことを浦安と名づけました)


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士山が出来たことで、多くの
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た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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