▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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「経ケ嶽」は富士山の6合目にあります。富士塚で見たのは初めて!と思ったら、江古田富士にあったそうな。記憶にないなー。

とにかく、私が心がけているのは【その塚の個性に注目】です。他になくてここにあるもの、なんて見つけたらとても嬉しいです。

p.s.「小御嶽」はとっても古いのがありました。

「山包講」の発祥地ながら「山水講」の講碑。明治37年。そこそこに古株ですね。

で、講碑のかわりに「丸石の使用」「丁寧な合目石や目印の石」が、仮りにそうだとしても納得。講の財政事情や人手の都合でこうなったかもしれません。

大きい丸石が、あちこちこのようにつけられていました。古い塚にある古い講碑で、剥離風化したものもよく見かけますが、これは違う。何も刻まれていません。石のまわりを溶岩で囲んであるのが特徴。こんなのが10基くらいあったかな。

頂上の石碑に貼りついていたものです。そういえば、この塚ほとんど講碑がナイ。

ある!宝永山のずずっと下。

こんな富士塚は初めてです。ほかにあったら是非ご一報ください。

下の「須走」はやはりナゾのまま。なぜなら、吉田口の登山道から反時計まわりに約30度移動すると、こんな石碑たちが目に入ります。

右から「寶(宝)永山」「砂走」手前に「須走口」「中道」「主杖流」左上奥に「大澤瀧(=大沢くずれ)」「中道」

初めて富士登山した子供の時、「砂走」と「須走」が同意語だと思っていましたが、「砂走」は「大砂走り」のことで一気に駆けおりる下山道ですね。

てなわけで、これに写っている須走口が登山道のひとつ、須走口のことですね。

「須走」とは須走口か?この位置はちょっとムリがある気がするけど。。。

碑があります。とても親切で登山も楽しくなります。三合目だけ見当たらなかったけど、一から九まで丁寧についてます。他の塚にあまりみられないものも♪

大まかな位置をふまえておくとわかりやすいので、作ってみました。吉田口は山梨県ですが、他はすべて静岡県です。


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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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