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お焚き上げの儀式は、通常毎月1回の月拝みの日に行なわれますが、今回、Eさんが講の方に取材を申し入れたところ、特別に儀式を披露してくださることになったのでした。

昔は、毎月3日13日16日17日と、4回も拝んでいたとのことですが、現在は17日のみ。それでも欠かさず行なわれているとは!

お焚き上げは約20分。
「儀式が終わったら、皆で飲んだり食べたりするのがありまして……」
「直会ですね?」
「え?『ナオライ』なんて知ってるの〜?」 講元から驚かれました(笑)。
私は素性を明かさず見学させていただいたので、というか、まぁ一般的に直会に馴染みのある人はあまりいないのでしょうね。



↑これは「浅間まんじゅう」。講元の奥様のお手製です。あんこは甘過ぎず、とっても美味♪地元では欠かせない食べ物だそうです。このあたりの富士講に女性は参加していません。奥様ほか、女性の方々は「子安講」/「安産講」に入っていて後に念仏講に移るとのこと。生活習慣が受け継がれているとはいえ、昔ながらの生活サイクルがしのばれます。

このほか、素晴らしく美味な「初秋刀魚」(8月上旬のことです)や、お寿司などを御馳走になりました。お酒ももちろん!本当にありがとうございました♪



稲毛浅間神社の氏子の方たちに配られたという、立派な資料を見せていただくと、昔の写真が多数ありました。一の鳥居がこんな海の中だったことは知っていましたが、例大祭で歩くのは、桟橋と思いきや、小舟を並べた上に渡された橋だったのです(左上)。

今回おじゃましたのは、3丁目の富士講の方たちでしたが、1〜2丁目にも講があり、もっと活発に動いているらしいです。3丁目講社の先達はまだまだお若い方でした。講元(60代?)が富士講に入られたのは40歳のとき(それまでは青年会)とのことですが、先達も同じ道を辿っているようです。



この方たちは、稲毛浅間神社境内にある神楽殿にて、千葉県無形文化財に指定されている「十二座神楽」を舞います。出雲神楽が原型の江戸神楽の形態です。「11月23日に見に来てね」と。

1【巫女の舞】 2【猿田彦命の舞】 3【五穀豊穣祈願の舞】 4【事代主命の舞】
5【大国主命の舞】 6【三韓征伐の舞】 7【山神退治の舞】 8【鍛冶屋の舞】
9【大蛇退治の舞】 10【扇の舞】 11【天の岩戸開きの舞】 12【御囃子の舞】

(看板の解説にあるように)講元のO氏が旧家の長男ですが、なんとこの方は平家の末裔だとか。源頼朝由来の稲毛浅間神社で舞うわけで……面白いですね。
拝み箪笥の火鉢に建てられた線香の富士山に点火すると、



勢いよく燃え上がりました。
折り本(経本仕立て)のお伝えを広げ、講の方たちの拝みが続きます。
火は感動的に立ち上がります。それは、浄める意志があるようにも見えました!



鈴(レイ)を鳴らしながら、歌の詠み上げに入ります。
これは全て暗記してらっしゃいました。



火がおさまります。火鉢の奥には3本のお線香。自らのペースで燃えていました。実はこの3本、なぜか手前の富士山線香の火がいくら強くても、決して燃えうつらず、最後までこのようにゆっくりと燃えるとのことでした。これには正直驚きました。線香と言えど、それぞれの役割があって儀式を全うしているように感じました。



お水を火にかざすのも「お浄め」なのであります。

つづく。。。
ひょえ〜! ひと月以上経ってしまいました〜。

千葉市稲毛の富士講のお焚き上げレポの書きかけでした。→コチラ

では最初から。火をつける前の状態。







講員は3人。講元(左の方。中央は先達)のお宅の神棚の下、掛軸を掲げ、
拝み箪笥でのお焚き上げです。
掛軸は1枚。富士山が描かれ、角行と食行が並んでいるのが見えますが、
その上に、おびただしい数の御朱印が捺されています。



やはり、北口から登られています。それにしてもすごい朱印の迫力。



掛軸は、こんな立派な銅の筒の中に収まっていました。「新宿」は各地にありますね。現在は別の表記になっていたりします(ここでも地名には残らず)が、昔ながらの呼び名で説明されると、地域のことがわかりやすいです。これを背負って富士登山をしていたとのことでした。



「浅間神社三丁目富士講社」というのが彼らが名乗る講名で、千葉市の稲毛浅間神社の氏子さんたちです。富士講ですが、稲毛浅間の斜面で目にした山水講とはどうやら無関係のようでした。

この日は千葉の富士塚友達 Eさんからお誘いを受け、お焚き上げ見学に同席させていただきました。稲毛地区の富士講に関しては、おそらく彼が追跡調査をしていることと思います♪

つづく。。。
このカタチ。



はい。富士山です。



火鉢(これも拝み箪笥と呼べるのでしょうか)の中で、富士山の形に線香を立てます。
こちらでは、細く切った経木を支えに使ってますが、



このように線香のみで立てることも多いです。

このカテゴリー内

ちなみに、メタル富士の骨格はこれにも通じるのでした。

つづく。。。
ここからはひとり。

内房線で千葉に戻り、総武本線に乗り換えて降りたのは稲毛駅です。



以前から行ってみたかった「稲毛浅間神社」があります。駅を背に、西に向かいます。「せんげん通り」と呼ばれる街道には、



レトロな光景があちこちに。ゆるやかな坂を登り、



一番高いあたりで、西日が迎えてくれました。そこを過ぎるとすぐ下り坂。



京成千葉線の踏み切りがあります。左の駅は「京成稲毛」です。



せんげん通りは続きます。あっと言う間に



浅間神社。ここは



浅間神社の3つの入口のうち、上の鳥居ですね。(この地図は上が東を向いています)

入ってすぐに富士講ゆかりの場所があるのですが、まずは



本殿に向かいます。頭上には参詣者を迎えてくれる龍雲でしょうか。ありがたい。



広い境内。ゆったりとして参拝も心おきなくできます。ひとりで訪れる若い参拝者が多いです。



境内であるこの浅間山の頂上は、眺望もよく、この一帯の地形がよくわかります。



埋め立てられる前、神社のふもとはこんなだったのですね。ビックリ!

さてこの画像でもわかるように、子供連れの人々が参拝しています。そして「例大祭」というのが、



今でも大勢の人で盛り上がるという「稚児行列」です。



このような縁起物が頒布されます。笹の枝を使う点が、(浅草のお富士さんでの)麦藁蛇や、高田富士祭でいただける登拝記念の品とよく似ています。

「稚児行列」は千葉県では定着した行事ですが、もともと「初山祭」の催しとして子供が主役のお祭りです(埼玉、群馬、栃木、茨城でもさかんです)。



ちょうど、この日に稚児行列の参加者募集の告知が貼り出されました。そう言えば、私が子供の頃も「お稚児さん」の行事に参加した記憶があります。あれは何のお祭りだったのかな。。。

ところで、今でこそ浅間神社は、祭神であるコノハナ様をシンボルとし、「御利益=安産・子育て」一色ですが、実は昔は違っていました。

ここ、稲毛浅間神社もそう。千葉常胤という(平安後期から鎌倉末期の)武将が信仰をしていたという記録があるように、浅間神社はかつて「戦いの神様」だったのです。(千葉氏は源頼朝と深い関わりがあります。世田谷区にある多摩川富士と呼ばれる浅間神社も、北条政子の頼朝の無事と勝利の願いから発生したものです)

富士講が生まれるよりずっと前、コノハナ様が浅間神社の神様となるずっとずっと前は、富士山に「武運長久」を祈っていたのですね!面白い!

時代が変わり、神様も御利益も変わるように、願いのカタチは人々の想念によって柔軟に変わります。それも興味深いです。現在、浅間神社は「コドモノミカタ」です。

ちなみに、ここ一帯がどのくらいの高台だったか定かではありませんが、文治3年(1187)の社殿再建に際し、「富士山の形に盛土をした」とあります。社殿はもちろん、富士山に向いております。東京湾を隔てて。

さて、境内の下の斜面には八坂神社や稲荷神社、大宮神社をはじめ数々の神社が祀られています。



その一角、どこにも属さないスペースに、この「山水講」の碑を発見いたしました。

穐月真行というのは先達の行名でしょうが、そう言えば、穐月(あきづき)は、五井付近でもよく目にした名でした。山水講は確か木更津が発祥地、穐行日穂という人物が祖です。講碑は、北五井富士、そして文京区の白山富士で見ました。



裏には「明治11年寅〜」。



もう一か所。東の鳥居から入って来た途中にあった「小御嶽社」です。



小御嶽石尊大権現の左右に、大天狗と小天狗の文字。そして



その土台(賽銭箱ウラ)には「山水講」の証がありました。この一角は、おびただしい数の出羽三山講の碑に囲まれていました。さすが房総。



正面の参道に戻り、西側へ出ることにしました。



二の鳥居の外側から山を仰いだ図。



すぐ脇の上州屋さんもお山の裾です。沖は遠くにありますが、東京湾を感じながら帰路につきました。


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表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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