▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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翌朝7時。離れの御神殿へと向かいます。



渡り廊下の向こうです。

入口頭上



筒屋さんは参道の西側にあるので、奥の御神殿は朝日を浴びて美しい♪

神道式に祝詞が読まれ、

心が落ち着いてきました。まわりの空気も変わってくる。言霊ってスゴい。



生沼先達から私たちに解説が。
「これから『お伝え』という富士講ならではの教典を読みます」

「もろもろの〜」「もろもろの〜」「もろもろの〜」「もろもろの〜」。。。

ありがたく、全員で手を合わせます。声が伝わってきて心地よい。



先達がさらに解説。
「富士山の下には水瓶があります。雪溶けの水は、長い時間をかけて地下にもぐり、我々がいただいているありがたいお水は、早くて100年、遠くて何千年かかって届くものです。。。」
「亀岩に祀られている龍神は。。。」



約30分。素晴らしい時間をありがとうございました!



前夜ともまた違った、貴重な儀式を体験でき、心から感謝です。



朝食をいただいて(右奥にもまだ大勢いらっしゃいます)、出発です。
本当にいろんな方にお世話になりました。ありがとうございました。



そうそう。これが、敷地内に流れる禊場の川です。ヤーナ川(間の川)と呼ばれます。段差を利用した滝で、富士講の方たちが、水垢離をするわけです。



火祭りというお山仕舞いが過ぎると秋のはずですが、なんだか真夏みたい。



タツミチを歩いて参道に出る。名残り惜しくて振り返る。



南を向けば富士山が♪ この方角を向いたところで、



御師町のマップをアップ。(富士山を仰ぎ、上が南です)

ピンクのところが「筒屋」さん。左下の黄色のところが「外川家」住宅。
(外川家住宅レポはまた後日)
水色の線が、先に出たヤーナ川(間の川)。そして、参道わきを流れる表の川。
さあ、お宿に戻りましょう。夕食も待っています。
通りに面した筒屋さんの門を見ると、



昼間は丸伊講と丸金講のマネキだけだったのに、いつの間にか丸藤宮元講の方たち
がいらしていたのがわかりました。



細長〜い「タツミチ」の脇には篝火。幻想的です。



中門に灯された御神燈は何かを語りかけるよう。
足元では、流れの早い小川が、水音を立てています。
禊(みそぎ)場として使われる川(水路)です。(画像は後で)

夕食を取りながら、あちこちで歓談となりました。



私たちの小さな島(グループ)に、奥の大きな島から来てくださったおふたり
の先達。そして彼らにゆかりのある方たちも一緒に、濃い話が続きました。
奥にはこの2倍の島がふたっつも♪

ひたすら質問攻めにするAさん。



快く答えてくださる岩岡氏は、横浜の丸金講の先達。かつて、最勝寺(横浜市神奈川区の熊野堂富士を管理)の住職から、先達の写真を見せていただいたことがあります。→「こんな人がいるんですよ」と。
実は参加者の中に、先達に会いたがっていた方がいて、それはそれは喜んでらっしゃいました♪

外の参道では、松明の火が徐々に冷えていきますが、宿の中は人々の会話が
熱を帯びてきました。お酒もすすみます。(美味しい♪)

それにしてもいろいろな方にもお目にかかりました。
「金曜山梨」でお世話になったディレクターSさんに再会したり、
なんと彼が親しくしていたのは、以前からお会いしたかった若き先達Hさん
だったり。その間にも縁のある方が絡んでいて、とてもフシギな巡り合わせを
感じました。Hさんについては、そのうちきっとアップすることでしょう♪

夜も更けてまいりました。
就寝の前に覗きに行ったのは、筒屋さんの奥にある、離れの神殿です。



なんという気配。濃いながらも澄み切った空気が流れて来ました。感動。



ようやくお膳を下げ、布団を敷き始めました。正面奥にはまた別の講社。
後日、東京清瀬でお会いした方たちです。
さて、われわれは寝酒を持って(笑)2階へ移動。

まだつづく。。。
「そろそろ戻りましょう。お焚き上げが始まる〜」
塩加持は、7時頃からだと告げられていたので、移動したのが6時50分すぎ。



参道の松明はずいぶん燃えている。ドキドキしながら筒屋へと急ぎました。
到着すると、すでに松明の前では塩加持の真最中!

「遅いよっ!何度も携帯に連絡したのに〜」
「ええー?7時からじゃなかったの?」
携帯を見れば、6時38分からいくつもの着信履歴が!
ショック!神楽殿にへばりついていて、全く気づかなかった。

休憩組が6時半頃来てみたら、塩に立てた線香もすでに形をくずし、
ご祈祷が進んでいたとのこと。
どうやら今年は、火のつきが早くて予定より早めに始めたようです。
わ〜ん。そんなこともあるのね!

ということで、下2枚は私が撮れなかった画像です。Rさんありがとう。



先達の足元にあるのが、木綿の白布に敷かれた「塩の土台」に建てられた
線香の富士山。もう灰になっています(泣)。



いくつかの違う講(派)の方たちが炎に向かい、合同でご祈祷です。
先達も3人。

自分で撮った画像につながります。ブレブレですが。。。









そして私も塩加持を受けました。

布でくるんだ塩(線香の火で熱くなった塩)を、背中の数カ所にあて、
その後、数珠を使って同じように力を込めて祈祷してくださいました。

パワフルでした。
塩の熱とご祈祷の声で、私は一瞬違う場所にいるかのように感じました。
その時「無音」だったのを覚えています。
エネルギーが入った瞬間でしょうか。



私の後もしばらく続きましたが、間もなく終了。
(膝を痛めて正座できない人は、膝にしてもらったそうです)



最後は松明に向かって、祈祷が続きました。

さて、加持に使った塩は持ち帰りできました。この塩を自宅の四方にまくと病気や害悪が来ないとされています。



参加者の方たちに小分けしても、まだたっぷりあります。
数日間、袋に入れっぱなしでだったので、粗塩は線香の灰を吸い、グレーに変色していましたが、当日を思い出し少し舐めてみました。
すると、有り難いことに元気注入の感覚が♪
水分を飛ばすために、しばし天日干し。盛り塩に使いたいと思います。

ところで、塩加持をやってらっしゃるのは、この方たちだけといいます。
いつ頃から始まったのか聞きそびれましたが、かつて富士講では、他にもいろんな加持祈祷がありました。
富士山頂上の金明水を加持水として使っていたことは有名(最近も市販してるとかないとか……)ですが、病気を治すために護符を配っていたこともあります。(詳しくはまた)

加持水は別としても、熱い塩や護符(に使われた墨)の効能は、決して非科学的ではありません。でも、かつては「怪し気なこと」として取り締まりの対象になった時代がありました。これもまたの機会に。

それより、松明の燃え残りつまり燠(おき)も、火除けのお守りになります。



うっかり取りそびれた私に、Kさんがたっぷり採取してくれてました♪
感謝です〜。

つづく。。。
日本三奇祭のひとつである「吉田の火祭り」は、御影神輿(お山さん)や大松明ばかりではありません。
富士太々神楽(だいだいかぐら)の奉奏も見物です。

午後6時頃から始まるこの奉納芸能は、9時半頃まで続くのですが、最初のほうだけでも見たいと思い、御旅所わきの神楽殿に向かいました。



これは口上にあたるようです。四隅を丁寧にまわります。



面をつけた姿が、闇の向こうの舞台で印象的に浮かび上がります。皆くぎ付け。

江戸時代中期に現代のかたちになったというこの神楽は、天ノ磐戸開きを題材にした12の舞があります。









光の当たり方によって顔の表情が変化するのは、能面と同様です。でも、江戸時代は篝火の明りだったでしょう。ひとつひとつの所作や表情の変化が、闇の濃さと絡み合い、どんなに優雅だったことか。想像してたら昔にタイムスリップしそうでした(笑)。

そして、舞いと同様に素晴らしかった演奏。耳に残る独特のリズムは、まるで異国のものでした。
「ねぇ、中近東の楽曲に似てない?このストンと落ちる感じが。ちょっと違うけど、トルコの軍楽(メフテル)なんかも彷佛とさせるんだけど」
「そりゃそうね。雅楽はあっちから伝わって来たもんね」
そんな会話も楽しい宵でした。

つづく。。。
火がつけられるのは、大松明のほかに、井桁(イゲタ)に組まれたこちら。



大松明は各奉納者からのものですが、これは参道沿いの各家が門前に出します。いくつかが、早々と点火されておりました。



大松明はこうして、土の上によいしょっと。高さは約3m。



↓昔の絵には、これよりずっとずっと大きな松明が描かれています。



少し前の記事にアップした五雲亭貞秀の「富士山真景全図」の部分です。
多少誇張されているとは思いますが、当時の印象はこのくらいあったでしょう。
現在は、火祭りは夜10時頃に終了となり、その頃に燃え尽きるように縮小されましたが、かつては夜通し燃やしていたのです。

左側にわずかに読める文字があります。「毎年七月廿一日」
現在8月26日に行なわれる火祭りは、江戸時代は7月21日だったのです。



松明が立てられると、提灯に火が入り、気合いも充分です。

 そして種火の用意。

 ついに大松明に点火です。

おごそかながら、火が放たれる時の高揚感は言いようがありません。
火のエネルギーが一気に倍増していくその様は、火山である富士山を想い、大地や生命の力強さを感じるものです。それを肌で受けとめながら、人々はおのずと感謝の気持ちを持つのでしょう。感動的な一瞬でした。

ひとつひとつ、点火されると、伝令が走ります。俄然盛り上がってまいりました。
でも、まだ空は明るい。時間もまだある。



神輿が納められた「御旅所」のほうへ行ってみました。

つづく。。。
筒(づづ)屋さんの前では、斎藤先達と皆さんがスタンバイ。



東京の友人A君とも再会し、「あれ〜!?来てたの!!」
盛り上がってまいりました♪
塩加持まではまだ時間があるので、我々は休憩組と徘徊組に分かれ、私は徘徊組で。

つづく。。。
ところで、行衣に御朱印を捺してもらった私の後姿はこんなです。





まわりには、素晴らしい法被を着た氏子さんが行き交います。
どれもぐっときますが、



シンプルなコレ↑が、やけに目立ちました。

さて、時間は溯りますが、
神輿が出立する前のしばらくの間、北口本宮富士浅間神社の境内を歩きました。

富士山に向かって、本殿の右側には10社の摂社が連なっています。



小御嶽神社遥拝所をはじめ、各社に桐の葉を配っている方は、私も間接的に知っていた方(きこりさんという御師)でした。



奥には富士登山道の入口があります。くぐる鳥居の扁額には





丸藤講の紋が!



傍には、丸藤宮元講の先達(井田浅行)が石像となっております。

つづく。。。
初めて富士御影である「お山さん」を見た人は仰天でしょう。
神輿というのにユニークな姿。いや、それだけでなくその美しさも驚きです。
簡潔でパーフェクトな形。濁りのない発色。斜面は8面あります。



金属製のお山です。
以前この地を訪れた時、宿泊先のTVでお山さんの制作レポートを観ました。確か、職人が鉄板を加工して作っていました。ボトムと先端(5分の1ほど)は、別に作られ、組み合わせられます。塗装も念入りに。

昨年、熊野 那智にある補陀洛(ふだらく)山寺の「補陀洛渡海船」を見た時、このお山さんを囲む鳥居を思い出しましたが、材質は違います。お山さんのは金属製です。

なぜならば、鎮火の願いを込め、地面に叩きつけるからです。ちょっとやそっとでは壊れないほど、頑丈にできています。



でも、叩き付けるのはもうやめたのでしょうか。今年は全く見ませんでした。迫力ある見どころなので、ちょっと物足りない気がしました〜。



渡御は、付いてまわると時間がかかるので省略し、2つの神輿を先導しているものを見に行きました。



真榊台という、神輿が神幸路を浄めるために運ぶものでした。
私には、神籬(ひもろぎ)に見えましたが、どうなんでしょう?
「そよご」という木を使っています。



これは「子供みこし」のお山さんです。キュートですね♪
ちなみに、ミニサイズは「女みこし」もあるんですよ。
(お山開きの日、5合目の小御嶽神社から出るんだったかな〜)

つづく。。。
今日は、久しぶりの休養日。
身体的には5週間ぶり、精神的には5か月ぶりに、緊張の解けた日でした。
なので、ひたすらぼんやり過ごしてしまいました〜。
でも、TV局からメタル富士の帰還、また読者の方からの有り難い届きものがあり、寝込むわけにはいきませんでした。本日も感謝の日でした♪

さて、富士吉田の火祭りツアーはあまりにも濃すぎて、どこから書いていいかわかりません。ほんのひとつまみですが、ちょっとずつ。簡単に。

26日。高速バスを降りた我々は、吉田の町の冷気(霊気?)にビックリ!涼風は富士山から吹いていたのでしょうか。「さむっ」と、思わず長袖を着込みました。



金鳥居(かなどりい)をくぐったあたり。富士山を拝める方向に続く参道です。
交通規制がかかる前なので、まだ車が走っていますが、祭りを待つ気配はすでに濃い。沿道の盛り土は、大松明のための土台用です。



大松明も出番待ち。
手前が火の付く上部となります。着火しやすいようにギザギザです。大松明は、火山としての富士山の模倣ですから、先端は火口ですね♪途中から、経木(きょうぎ)で丁寧に包み、独特のカーブを形成しています。



参道の中央に、材質の違う円盤が埋め込まれています。大松明の置かれる場所です。アスファルトより融点の高いセラミック製のようでした。

御師町をながめながら、登り坂の参道をゆっくり歩きました。ここは「富士みち」とも呼ばれ、遠く江戸から続く道ですね。筒屋さんに荷物を預けた後、急いで北口本宮冨士浅間神社に向かいました。

鳥居をくぐるとすぐに伝わる神気。我々は、その気配を有り難く味わいながら進みました。



手水舎は、泳ぎたくなるほど大きな鉢に、たっぷりの水が溢れていました。傍には横須賀市長澤、丸伊講のマネキが掛かっていて、斎藤先達の名が染め抜かれていました。

本殿での神事である本殿祭、及び御神霊を白衣の絹垣で覆いながら移動する御霊うつしは、撮影不可ですので省略。でも、そのただならぬ空気に、参詣者は皆感動していました。



「御動座祭」という神事になります。摂社である諏訪神社に到着する絹垣を激写。右には「お山さん(富士御影)」が待機。

この後、約1時間かけて、奥の諏訪神社内で「明神さん」に御神霊を入れます。
実は、「明神さん」にふたつの御神霊が入るのです。先ほど諏訪神社に遷された浅間神社の御神霊と、諏訪神社の御神霊の2体です。(もともと諏訪神社にあったところに浅間神社が祀られた経緯からそうなったと思われます)

手前で神輿の出立を待つ参詣者のいるところが「高天原」であります。(それにしても外国人の多いこと!)
諏訪神社の奥から「オォ〜オォ〜オォ〜オォ〜」と、声明(しょうみょう)のようなフシギな声が響いてきました。その波動に、全員「心地よい呪縛」にかかったみたい(?)



奥にいらした明神さんが、先にお出ましになりました。「発動祭」です。明神さんを見て、「いよいよか!」と人々がざわつきました。渡御(とぎょ)では、お山さんは明神さんより前に出ることは決してありません。



本殿前でお神酒をいただいた我々が、「今のうちに…」とトイレに行っている間に、明神さんは参道を下りて行きました。そして、遠目にも、ピカピカの朱色が鮮やかなお山さんが、ものすごい速さで下りて来ました。

つづく。。。
とにかく濃〜い2日間でした。参加された皆様、お疲れさまでした!
そして、本当にいろいろな方にお世話になりました。心から感謝しております。 
まだ体が思うように動きません(笑)。あ、頭も。
まずは予告です。
画像は、私が撮れなかった場面をRさんからいただいたもの♪



手前から、生沼先達、岩岡先達、斎藤先達の面々。



斎藤先達を中心に、お焚き上げから塩加持へとうつります。
意外に思われるかもしれませんが、実は若い世代も多いのです。


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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