▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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講碑はたくさんありますが、一番新しいのはこれ。2年前に建てられました。
丸八講、濱本(はもと)町のふたりの先達(前先達と現先達)の名が刻まれています。



黒御影の滑らかな面には、富士塚が映りこんでいました。
頂上の祠も鳥居も鮮やかです。

ここには何度も足を運んでいますが、講碑の中の富士塚は初めて見ました。特別な想いで訪れたこの日に気づくことができ、感慨深かったです。

実像と違い、なにかに映る虚像は、しばしば歪曲された時間軸の向こう側からやってきます。講碑に映った富士塚は、2年前のお山開きを呼び起こしました。





その日は雨も降らず、富士塚の前で祭事が催されました。講員たちは皆、N先達に敬意を払っているのがわかりました。私は拝みをあげるN氏の姿に釘づけになりました。

N先達は終始、凛とし大きな存在感を放っていました。(写真は私の本にも掲載)

昨年のお山開きでは、先達からあることを頼まれました。「自分は体調がよくないから、富士吉田の火祭りに行けないだろう。『御師の旧外川家住宅』に寄贈した丸八講の品々を写真に撮って来てほしい」と。

火祭りの旅から戻って、私は撮った写真と共に、歴史民俗博物館からいただいた資料(外川家住宅の調査報告書)を送りました。すぐに先達からお礼の電話をいただきましたが、お話をするうち、先達は寄贈品の一点ごとの詳しい画像リストを所望なのだとわかりました。「地元の皆に見せたいから」とおっしゃっていました。先達を引退したばかりのN氏は、今後の講のために、記録を残したかったと思われます。

私は吉田に通うことができないので、報告書の編纂に関わった学芸員の方に連絡をつけることになりました。しかし、残念ながらその後間もなくしてN氏が他界されたのです。多忙だったとはいえ、私が速やかに連絡を取りつけていれば、もしかしたら間に合ったかもしれないと思うと、悔やまれてなりません。

そんなお詫びの気持ちと生前のお礼をこめ、この日は亡きN先達の残した碑に手を合わせました。今、先達がどう思われているかわかりませんが、美しく映り込んだ富士塚は、私を慰めてくれた気がしました。



正面の石碑と頂上の鳥居は、いつも以上に赤く、



お山開きをすませたばかり(私が訪れたのは6日後です)の富士塚は、とても清涼感に満ちていました。



上から見た景色です。鳥居からふたつめが、先達の建てた碑です。土台のまわりはボク石が配置されています。



お山開きの余韻を感じました。独特のパワーが漂っていました。

ちなみに→八幡宿富士の記事一覧です。
五井を後にし、内房線でひとつ東京寄りの八幡宿駅に降りました。
駅からすぐの飯香岡八幡宮には、



手水鉢の龍が、夏の光りとわずかに塗られている金泥を反射していました。画像は手ブレですが、ブレてるほうが実物の印象に近い。



浅間神社に入ると、西日が活き活きと射し込んできました。
いい時間帯に来たかもしれない。





ここは富士塚を囲む木々によって、ドーム状のみごとな空間が形成されています。それは小宇宙とも言えます。初めてこの空間に足を踏み入れる人は、間違いなく息をのむでしょう。

暗くはないけど、直射日光が入ることはあまりない。絶妙の時刻、天然のライティングの妙技に心が奪われっぱなしでした。



強い光がつくる縞々の影にハッとする。陰刻の厚み(深み)に沿って生まれる幾何学美。



講碑の右奥に大型の富士塚。その存在感は壮大。圧巻。優美。。。ああ他に言葉はないのか。
この日、私はある目的があってここに寄りました。

つづく。。。
現在、鳥居のそばには池しかありませんが、江戸末期頃までは、鳥居の目の前まで海水が打ち寄せていました。



白砂青松の汀で、大祭に「放魚」が行なわれていました。
放魚とは、海に命あるものを放つという儀式です。

奈良時代、九州でおこった「隼人の乱」で多数の犠牲者がでました。その霊を弔うため、国ごとの八幡宮にて、仲秋の名月に行なわれるようになったのが「放生祭」です。

ここ、飯香岡八幡宮でも放魚をしていましたが、時代を経て海岸線が遠くなったので、ここに残った池を放生池と呼んでいます。



鳥居の扁額が素晴らしい。上り龍と下り龍です。(私には鯉かナマズにしか見えませんでしたが)



手水舎では水がたっぷり流れていました。



「ここのは由緒あるんだよね〜」



寛文の作。



素晴らしい龍の姿です。

地元の歴史研究家の方とお会いしました。
「これはスゴい龍なんです。表情豊かな姿だけでなく、その表面がスゴいのです。いつもは水にぬれていてわかりませんが、それが乾くと輝きを放ちます。金泥が塗られているらしいのです」
神楽殿に「八幡囃子保存会」の皆さんがのぼりました。











「いやぁ〜覚えてるもんだなあ」
「だな!」「うん。覚えてる!」

「え!? 皆さんリハなしだったんですか?」
「そうよぉ♪」「してないよ〜♪」

それにはビックリでした。
達人たちの演奏をたっぷりと堪能させていただきました。

弟子入りしました。(ウソです。笑)

踊りの先生が到着しました。

約2時間の舞踊が続きました。

意外にも踊りは演歌に乗って。

蚊取り線香はこうして使う。



厳かな神事、楽しい直会、そして奉納芸能をたっぷり。
日食ショーも体験できて、素晴らしい日でした。

祭りはやはり、神への奉納とその喜びのコラボなんですね〜。
「日食に合わせてお山開きを設定したのですか?」



「そんなことはないよ。偶然だよ。行事は昔から、旧暦に合わせてだよ。でも、この日に日食が見られたのはよかったね。」

「そうだ。後ろ姿も撮ってもらおうかな」
「はいはい。向こう向いて」



↓こちらは、もうひとつの講、濱本町の前先達、N氏です。
「今年の吉田の火祭りは、筒屋(づづや)さんでご一緒ですね」



「う〜ん。どうかな。体調がよければ行きますよ」
「え〜?27日の朝は、横須賀のS先達の塩加持を受けるんじゃないんですか?」
「今のところわかんないな」

Nさん、とにかくお体を大切にして下さい。
当日は、ぜひ現地でお目にかかりたいものです。
ちなみに濱本町の皆さんは、筒屋さんの前は外川家にお世話になっていました。
(外川家のことは来月たっぷりレポします)

←昨年はこんな感じでした。



「まあまあ、いいから座ってお酒飲んで。」
「あ、はい」



直会は、ここから延々と始まりました。



たっぷりのお酒。おつまみ。そしてお寿司。本当にごちそうさまでした。
それにしても空きっ腹にお酒。。。やっぱり酔いが早いっす。

←「これを忘れちゃいけないな」

「なんとハデな手拭いに、ええっと。。。観音町はやし連」

「そうだよ。お囃子をやるんだよ」

わ。祭りオーラ全開の皆様。
八幡宿富士のたたずむ空間は、いつも素晴らしく澄んでいますが、その日は特別な気に満ちていました。
薄暗いけれど、草木も鳥もくっきり見えます。
え?鳥?



キジバトが、逃げもせず富士塚の中腹に遊んでいました。それも2羽。
逃げないのも何となくフシギな感じがしました。
何かメッセージがあったのかしら?

さて、頂上に張られた注連縄に注目。

人が立てる頂上は円形ですが、注連縄の形を見ると正方形です。頂上付近のボク石が四方に飛び出ていているからです。以前からフシギに思っていましたが、講の方たちにお話を聞いてようやくわかりました。

ここでは、かつて神輿を担いだまま登拝していました。(そのため登山道がややなだらかなのですが)私は、神輿を頂上まで持って上がるとばかり思っていました。でも実際は、神輿は頂上に差し出すだけで、人間は頂上のすぐ下の斜面に立つのだそうです。それで、頂上の縁が角形になっているらしいのでした。ちなみに神輿を担いでいたのは数年前まで。現在は講員の高齢化が進み、体力的にできなくなったのです。どこでも同じ悩みをかかえていますね。



太陽が出て、皆がどよめいていた頃。お神酒を持ったまま呆然と空を見上げる先達。

直会も魅力的でした。

つづく。。。
22日の朝、市原あたりは、相当ドシャブリだったそうです。
私が到着した頃は雨はすっかり上がっていましたが。

10時少し前、飯香岡八幡宮の境内に滑り込みました。
富士塚のほうへ走ろうかどうしようか。。。躊躇していると、にこにこしながらこちらを呼ぶ方がいらっしゃいます。手には私の本を持ち、たくさんのお友達と一緒に。
「あ!千駄ヶ谷富士でお会いしたNさんだ!」
再会できてとても嬉しかったのに、開山式がどこで行なわれるか気が気でなく、挨拶もそこそこに「あ、あ、後でまた!」とその場を去ってしまいました。ごめんなさい!その後お会いできずに残念でした。

富士講の方たちを探すと、本殿の中に入って行く姿が見えました。
講の方に促され、私も中に入らせていただきました。
「こっちこっち」
手招きをするのは、先達のK氏。

私が座ると、ちょうど儀式が始まりました。
宮司の祝詞が聞こえる中、講のみなさんは頭を下げます。向く方角は、本殿の奥にある御神体でなく、富士山の方角でもなく、富士塚(八幡宿富士)のある方です。

廊下の突きあたりから少し離れた浅間神社(富士塚)が見えます。



いつもそうなのですが、こういう神事に参加させていただくとき(特に撮影を許可された場合)、いつも悩んでしまいます。「ちゃんと撮らなければ」という気持ちと、「いや、この体験は貴重だ。富士山への気持ちを優先にしたい」という気持ちとのせめぎ合いがあります。つまり、「見学」と「参加」の間でどう折り合いつけるかです。

たいてい、最初は取材の意志をもって居合わせるのですが、その場の空気が変わっていくうち、取材どころでなくなります。私も富士山の信心がありますから、気づくとカメラを置き、ひたすらひたすら「有り難い〜。有り難い〜」とこうべをたれ、感慨にひたることになる。そして、撮った写真はピンボケだらけ。。。その繰り返しです(笑)。

さて、儀式の最中に起こったことです。
それまで、社殿内は空気が淀んでいて、汗が出るほど蒸し暑かったのに、祝詞が上げられた後、開け放たれた扉から、突然、涼風が入ってきました。それは、富士塚の方から吹いて来る風でした。
単に風向きが変わったとかでなく、明らかに違った空気の流れがありました。

以前、ある人から教えていただいた「霊的なメッセージは、風を使って伝えられる」という、その現象を体験したのだと思いました。

参加した講員は、われらが富士山に向かい、祈りを送り続けました。時刻は日食の真只中。波動が一番伝わりやすい頃でした。そして、聖地とも言える富士塚がそれに応えたのではないか。私にはそう感じられました。

富士塚が「富士山に登ったと同じ御利益」と言われる本質は、こういうことなのではないでしょうか。富士山に通じる富士塚に、富士山の神様が降臨し信者に語りかける。富士塚は、神籬(ひもろぎ)と同じことなのです。

神事は進みます。宮司が去った後、ふたりの先達の玉串奉奠です。(ここ、八幡の富士講は、ふたつの町からそれぞれ先達を立てて一緒に祭事を催します)



観音町の先達、K氏。



濱本(はもと)町の先達、U氏。

実は、両先達とも今年がデビューです。(先達は代替わりしたのです)
昨年、観音町のK氏からいただいた連絡を思い出しました。
「大変なことになった!今度、自分が先達を引き継ぐことになったんです!」
「それはおめでとうございます!お忙しくなりますね」
K氏は、出羽三山の講もやってらっしゃるので、そのご多忙ぶりは想像できました。
この日も、前日の三山参りから戻ったばかりとのことでした。



先達は、やや緊張しながら、晴れの祝詞奏上を済まされました。
本殿の中はとてもカラフルです。
この飯香岡八幡宮は、白鳳4年(676年)に創立された由緒ある神社です。



読み上げた祝詞はこちら。ふじまるはちとは、ここの富士講、丸八講を表わしています。



社殿での儀式が終わり、お神酒が振る舞われました。

「ささ、直会にうつります。移動しましょう」
これが神様の姿でなくてなんだろう。



開山式を終えた八幡宿富士の頂上に、あらわれた光。

神域では、この他にも不思議なことが起こりました。

少し前、空では。。。



一緒に天を仰いでいたE様からいただいた画像です。

つづく。。。
朝から始まりました。千葉県市原市の富士塚、八幡富士。


遠慮しいしい写真を撮っていたら、


浅間講(このあたりでは富士講とは言わずこう呼びます)の方から「もっとこっちへ来て撮っていいんだよ」と言われました。


お山は目の前。美しく輝いています。


「ほら、先達から玉串奉奠が始まるよ。前から撮ってね」「は、はい!」


丸八講の方々の玉串奉納が終わりました。


と思ったらお神酒で乾杯。私も一杯いただきました。神様にお供えした「メザシ」もいただいて。


宮司さんが去られたら、今度はN先達による拝詞。


お山を仰ぐこの方の行衣には午玉(ごおう)の印。


午前中のまだ暗い森の中、八幡富士は次第に色味を増してきました。


はいはい、今年もとどこおりなくお山開きができましたね。


中央の方がN氏。丸八講という講の中の特に熱心な濱本(はもと)講社の先達です。今年、塚の入り口にN氏の名前で新しい講碑が建てられていました。(丸八講は、濱本町の人による講社と観音町による観音講社で構成されています)

この講はまだまだ活発に動いていますよ。
「例年どおり8月26日に富士吉田に行くつもりです」「お山じまいですね。どちら(御師)へ?」「筒屋です。外川家とは縁が切れたんだ」
後日調べたら、想像どおり、外川家が御師を廃業したからでした。なるほど。御師にも事情があるのです。


再び、先達の背中を見せていただきました。


直会はキャンプ用テントで。


その隣、神楽殿からはお囃子の気持ちいい音色が。


飯香岡八幡の社殿前には、まだ茅の輪が残っていました。


「神様にお供えしたやつだよ。ほれ、あんたもひとつ」と、富士塚の前でいただいたメザシ。最高に美味しかったです♪ さすが房総。

躍り出ました!

本当にこの富士塚は素晴らしい。塚を包む森の「気」がすごくいい(気がします)。すがすがしいのです。もちろんこのように木々に覆われていなくてもいい塚はありますが、ここは森の生命力を得て特別な空気を感じました。

植木の量もほどほどです。ツツジだらけの築山風の富士塚も見た目はよいですけど、私はこのくらいが好きです。

道もバラエティーに富んでいて飽きない。それは塚の直径がたっぷりあったため、余裕で築造できたからにほかなりません。(プレイグラウンドとしても喜ばれたかも?笑) 道も狭くなく、斜面もなだらかにつくられ、頂上の鉄鳥居や大事な碑が見渡せます。

個性にもぐっときました。頂上の鉄鳥居と、洞窟の中の食行身禄尊像が愛らしい。背面は特に記することはありませんが(「大澤」碑はありました)、トータルによくできた塚でした。そこには富士山愛があった!

犬を連れた地元のおじさんから「研究ですか?」「何学になるんですか?」「頑張って下さい!」てなことを。。。(研究生と思われ学部を聞かれた感じでしたよ。爆)こんなふれあいも楽しいです。

お近くの方はぜひぜひ足を運んで下さい。パワーをいただけること間違いナシ!おすすめです。
(詳細が必要でしたらお答えしますよ〜)


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
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…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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