▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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横浜の七富士参りに同行した6月1日は、大変濃い一日でした。日記書くのに、丸々3週間かかってしまったもの(笑)。

しかし、2日後の6月3日もすごかった! 時間は前後するけど、夜編から。



やっぱりな〜。もう誰もいなかった。

鳩森八幡に到着したのは19時20分。当初は「間に合えば駆けつける」つもりでしたが、やはり気になって寄ってみたのです。自然と足が向いたというか、この日は重要な日でもあったから。

17時からの「開運山開き大祭」は過去何度も行っていますが、こんな光景は見たことなかった♪

実際はもうちょっと明るかったけれど、カメラにおさめた画像は、闇の中に浮かぶ提灯の赤。こうして見ると、ちゃんと富士山を形づくっています。その美しさにしばし見とれてしまいました。

そうかそうか、確かにこの日はお山には提灯がつけられるけど、灯がともる夜までいたことなかったし。と、ひとりごちながら、本殿での参拝そして富士塚登拝に急ぐ私。







頂上の祭具には提灯の赤が反射し、とても幻想的でした。



儀式のときと同じルートで歩いてみました。

たくさんの提灯に照らさせているとはいえ、足元はかなり暗い。私はどこらへんが危ないかわかるけど、富士塚に夜登る人は充分注意してください。(って夜登っちゃいけませんよ。こういう特別な時だけにしてね。あと、酒気帯び登拝もひかえて。もし事故があったら、以後、登拝禁止になるでしょうし、富士山も悲しみますから)



登山口には、こんなものがありました。
富士塚登拝の御朱印かぁ。私も欲しかったな〜と思っていたら、ちょうどH宮司が境内を通りかかりました。

うう。どうしよう。式に間に合わなかったこと、挨拶しようかな。でも(暗がりだから面が割れないかもしれないし)一参詣人として声かけても不自然じゃないよな〜と思いながら、

「あのう、御朱印はもう遅いでしょうね」

すると、
「あれ〜! 今頃来たの?もう終わっちゃいましたよ〜」とバレちゃった(笑)。
「実は、さっき富士山から戻って来たばかりなんです」

社務所に近づくと、Oさんに出会いました。声をかけると、
「今年はたくさんいらしたんですよ。あっちまでずっと列ができて。あなたの本持って来た人も多かったんだから」

ひぇ〜!それはとても有り難いことでした。

そして一旦社務所に入ったH宮司は、御朱印を持ってあらわれました。



「御朱印サービスは4月から始めたことなんだけど、版木は10年前に氏子さんが彫ってくれたものなんです。ほら、富士山の絵が『富』の字になっているのわかります?」

「ホント!いいですね〜♪ ありがたくいただきます」

しばらく雑談しているうちに、富士塚の提灯はいつの間にか消えていました。
「じゃ来年またね。スケジュール空けておいてくださいよ〜(笑)」

やはり行ってよかったと思いました。
特別な日、千駄ヶ谷富士は光の化粧をする。
覚えておこう。来年もぜひ!
この日は、TVのロケで千駄ヶ谷富士に登拝しました。
近年、冬になると顔がむくむので、帽子をかぶったままで映りたかったのですが、カメラさんから顔が影になって見えないと言われ、泣く泣く帽子をとりました。まあ、大事なのは私でなくて富士塚ですからいいんですけど〜(笑)。

撮影が終了してちょっと自由な時間が持てました。以前から気になっていた、千駄ヶ谷富士の「亀岩」をカメラにおさめようと思いました。実は、亀岩の存在は知っていたけど、撮っていなかったのです。いつも熊笹が繁りすぎていて、よく見えないからです。



でもこの日はよく見えました。位置は、正面から見て少し左。富士山の亀岩同様に8合目あたりです。画像の右上に写っているのが釈迦の割れ石です。



頂上付近から見下ろした図。左に見えるのは、里宮です。



8合目あたりの登山道から撮りましたが、これ以上接近できません。頭など、特に細部は作られていないようです。でも、甲羅のような盛り上がりはやはり亀っぽい。これはボク石(溶岩)でしょう。

ちなみに、この富士塚ではボク石は「頂上付近にのみ配されている」と言われます。神奈川大学日本常民文化研究所編の「富士講と富士塚」にそう記されていて、また、今年9月出版された竹谷靱負著「富士塚考」にも同じ記述になっています。でも、私が見た限り、斜面やふもとにもたくさんボク石がありました。

ボク石は多孔質なので、区別はつきます。風化し丸くなったものでも質感でわかります。それを証明するべく、次回はマグネットを持って行こうっと。
早朝は曇っていましたが、あっという間に晴れてきました。
日本晴れ、富士山晴れ、富士塚晴れ。



境内が清々しい。



社務所の工事のため、長いことプレハブが建っていたところがすっきりしたからです。日射しもたっぷり注いできました。



立派な神楽殿では、舞いの稽古をする人々がいました。
その神楽殿の屋根に次々と舞い降りる鳩たち。



一列になった鳩は、エサをねだるかのようでした。きっと餌づけをする人がいるのでしょう。時計を見れば、ランチどき(笑)。

神楽殿の向こうで千駄ヶ谷富士が光を浴びていました。

つづく。。。
千駄ヶ谷富士のある鳩森八幡神社の宮司さんに、本の報告をしましたところ。。。
喜んでいただきました♪ 嬉しかったです!


でも、富士塚のそばがこんな状態になってる〜。何か工事してるんですか???
聞くと、社務所の改築で今年いっぱいこんな具合だとのこと。
「あ、でも、富士塚はいつでも登れますからね〜♪」って念を押されました。


ホッ。いつものように、富士塚は夕方になっても癒しオーラをふりまいています。
風水によると、ここは富士山からの龍脈が繋がっていて、パワーゾーンだということですよ♪


そうこうしてると、学校帰りのボーイズが千駄ヶ谷富士にやって来ました。
「写真を撮ってる人がいるよ〜」と私を挑発しながら走って逃げました。
彼らを追いかけてもよかったけど、ほっておいたらつまんなそうな顔。(笑)
今度遊びましょう♪


塚の背後には、樹齢400年の大木もあります。何の木だったっけ?
これに会いたくて訪れる人もいますよ。いい木です!


登山道の背後にある「小御嶽」も、新年のおめかしをされていました。


そのそばから頂上を目指します。こんな感動的な夕陽に迎えられました♪


頂上の奥宮。


傍らの「釈迦の割れ石」。


下から見た、釈迦の割れ石です。こんな傾いた岩なのに、地震にもよくぞ耐え現在に残ってくれてます。この千駄ヶ谷富士は、築造が最古ではありませんが、江戸時代からの山容を変えていないという意味(他の富士塚は、移築などが多いため)で最古の富士塚と言われます。


鳩森八幡神社。都会の中にありながら、いい「気」に満ちた場所です♪ 江戸の人たちもそれを知ってここに富士塚を築いたのかもしれませんね。
この直後、ご近所のお店で面白い情報をいただきました。

「あそこはね、平岩弓枝さんの身内なんだよ〜」

合点がいきました! 時代小説を書かれている平岩さんが、しばしば作品の中に富士塚を登場されているのが。
私の本の中でも、平岩さんの著書からちょこっと紹介しております。(p36)


さてこの日、新しくいただきましたお守りはコレ。パソコンに貼るといいようです。

おかげさまで、これを貼って以来私のMacも順調です♪
冬にこそよく見える石造物。夏では草が生い茂っていてなかなかこうは撮れません。


千駄ヶ谷富士の烏帽子岩です。

文字がない烏帽子岩は、都内で4つ。烏帽子の形をした岩です。

これは「立烏帽子」か「懐中烏帽子」を模していると思われます。
「冠」タイプは別にあり。


身禄像のいる洞窟に並んでおります。

つづく。。。

今回の登山で、ほぼ確信いたしました♪

この2週間、オモテはウラだとわめいていた件について。

南西側は、現在立派な鳥居が建って正面だと思われていますが、
本来は南東、つまり下山してきた最後の斜面が本来の登り口
だったのでは?ということです。

これが、下から見上げたアングルです。薄暗く、見向きもされ
ないこの道ですが、いろいろと古いものがまわりにあったんですよ。

くわしくは説明ではおぼつかない。ぜひ現場へGO!デス(笑)

開山祭の儀式で、神官に続きわれわれが辿った道は、
赤い人の並んだところです。南西の鳥居をくぐり、
池にかかる橋を渡り、登山道をすぐ左に折れ、里宮で
手を合わせ、奥に回ってお中道を行く。コミタケの
所から山頂によじ登り、奥宮で拝み、正面に向かって
下山開始、前面のお中道を進み、七合目の身禄尊像
に挨拶、裏へ廻り込んで南東に下りる。能楽殿脇を
歩いて正面に帰ってくる。。。こんなカンジ。
(下の図の方向と合致しますよ〜)

頂上の水色は「金明水」「銀明水」。水がありました。

航空写真を元に、テッテーテキに調べたくなりました。
こないだからこだわっていた富士塚の方角のコト。などなど。

JRの駅から300mほど南下したところにある森の三角地帯が
鳩森八幡です。
左上の拡大写真にうっすら丸く、富士塚が写ってますね♪
神社の入り口はふたつありますが、表入り口は下の鳥居です。
(落とし込み図参照)
★近くに「国立能楽堂」もありますが、鳩森八幡の境内にある
「能楽殿」は、旧「神楽殿」を名称変更したものです。

そして、
富士塚の正面は、西向きではなく、南西向きと判りました。

登拝を終えた人たちは、正面にまわりこんで
あらためて、塚の歴史などを確認したりします。

「ふむふむ、東京都の有形民族文化財に指定かあ」
「寛政元年築造……1789年にできたんだ」
「七合目の洞窟?ああ身禄さまのね」

緑が鮮やかで、とても気持ちいい塚です。
熊笹が多すぎて探していた岩が見つからないほど。。。
画面のまん中あたりに「身禄像」が見えます。
拝んだ人は右方向に下山します。


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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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