▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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毎年参加している横浜市のアートプロジェクトですが、2021年は(ギャラリーでのアート作品の展示のほかに)、緑区の企画として富士塚関連の記事作品を展示させていただきました。(私にとってはすべてアートなのですが)

まずは、アーティストとしての私がなぜ富士塚を紹介するのか、いや、富士塚はアートの側から紹介するほうがわかりやすい、ということがわかるプロフィール画像(下記に出てくる記事作品の部分)から。



十日市場という町で催された「十日市場まちかどアートフェスティバル」の一環として展示した7枚の作品です。



緑区の魅力のひとつに、「富士山が見えること」さらに「富士山の日(2月23日)にダイヤモンド富士が見えること」があります。かつて長津田でメタル富士を建て、例年富士塚ツアーを催してきた私には緑区とのご縁も深いです。富士山がよく見えることを土地の人たちはどのように関わってきたか、アートを通して表現し伝えることができるとして、JR横浜線の十日市場駅近くの建設中のマンションの囲い壁(キレイめな工事現場の壁)に、作品画像を貼付しました。期間は約3週間でした(10/30日(土)〜11月21日(日))。





コロナ禍でなかったら、区のバックアップで富士塚ツアーのためのバスをご用意いただけたかもしれません。以前の川口市のように。

では、7作品がどんなだったか、画像をここに貼っておきましょう。


➀ 緑区と富士山


➁ 富士塚概要


➂ 富士塚と芸術


➃ コラボ信仰


➄ フィールドワーク


➅ プチ郷土研究


➆ 現代アートで表現

5枚目の富士塚たちに関しては、別記事にいたします。







Facebook あり〼
富士塚オブジェを創り始めた10年以上前、こんなものを見ました。

「富士山真図」天保9年(1838)



「わかるわかる!こんなものをつくりたかった衝動がっ!」

偶然、TVで紹介されていたのを一瞬見たので、録画もままならず。
でも結構大きくて、畳んであったこの立体地図を、2〜3人で広げて畳の部屋に置いてました。

何の番組だったのかは記憶にないですが、目に焼きつきましたね♪
そして、これよりスゴイものを創りたい!って思ったのでした。

少し前の記事に紹介した、五雲亭貞秀の「富士山真景全図」と同じくらい好きです。
(富士吉田市歴史民俗博物館にある「おめでたいカタチ〜富士の意匠」に掲載されています)

私のメタル富士は、今年は長津田には建ちませんが、近日中、都内某所に建ちます♪
貞秀の地図の正確さは、「空飛ぶ絵師」の異名が表わすように本当に空から見下ろしたのではないかと思えるほどですが、地上の人々の描写も見事なことから、低空飛行をする鳥の目をも持ち合わせている。つまり、高度を自在に操るようなユニークな視点が特徴です。

一般的に知られているのは、↓この類いの絵や、

『東海道勝景』文久3年(1863年)

富士山に関しては、↓

『大日本富士山絶頂之図』安政4年(1857年)

なんかがありますが、私が貞秀を気に入っているのは、絵のうまさや地図の正確さよりも、「発想の大胆さ」と「抽象的な側面」を持っている点です。

先の立体作品『富士山真景全図』にグッときて、いろいろ調べていたら、こんなものに出くわしました。



『甲斐國全図』です。富士山を含めた山々がぐるりとまわり込み、とても面白い作品になっています。地図でありながら、まるで半抽象のコラージュのよう。やはりこの人の感性はすごいと思います。

もっと調べたら、なんと地球まで描いておりました。

『萬國地球分圖』

余談ですが、『富士山真景全図』に関していろいろお聞きしようと、神奈川県立歴史博物館の学芸員の方にお会いした時、開口一番、逆に聞かれたことがあります。
「貞秀が上空からの絵を描いたのはとても不思議なんですが、絵を描く側としては、どのようにお思いでしょうか?」
私は曖昧に答えましたが、密かに頭をよぎったことは。。。

「本当に飛んだのだ」ということ。もちろん「意識」を飛ばしたという意味ですが。ちょっとオカルティックに聞こえてしまいますが、表現者にとってはこれは可能なのです。極限まで集中すると、意識は飛ばせる。そして、見て来たものを再現すればいいのです。ある種の超能力でしょう。私もちょっとあるかもね?(笑)2度ほど飛んだ経験ありますから。。。(笑)
2つ前の五雲亭貞秀作『富士山真景全図』のつづきです。



仕掛けのある胎内の部分。(作者名は「玉蘭斎貞秀」)
これを見て思い出すのは。。。



『富士山胎内巡之図』。
富士講に関する本にしばしば登場しています。「富士講の歴史」(岩科小一郎著)の中では、この図の作者名を、玉蘭斎貞秀と紹介していますが、実際、絵をよく見ると「五雲亭貞秀」の文字が読めます。

五雲亭貞秀・玉蘭斎貞秀・玉雲斎貞秀・歌川貞秀と、いくつもの号を持っていた貞秀は、さらにもうひとつの名がありました。地図作家名の場合は『橋本玉蘭斎』という名でした。
(ちなみに、貞秀の本名は「橋本兼次郎」です)

地理的題材を多く用いた浮世絵師でした。
富士登山も実際にしていて、嘉永年間に5〜6回登ったことがわかっています。富士山絵に、風が心地よかった等、書いています。

それにしては、富士山信仰の描写が多い。この人も富士講に入っていたのでしょうか。それとも、制作のため登山するうちに、富士講と交流を持ったのでしょうか。

博物館の学芸員にたずねたら、「そこまではわかりませんが、それほど当時は富士山信仰が一般的だったのでしょうね」。

個人的に登山そのものが好きだったのかもしれません。学芸員さん個人所有の資料『橋本玉蘭識』を見せていただきましたところ、登山のスケッチや記録が細かくて、大変興味深かったです。

いずれにしろ、この『富士山真景全図』は、富士山信仰の信者のために制作したと思われます。版画ですから数多く刷って、配ったのでしょう。実物は、旧家から博物館に寄贈されたものですが、よくもまあ立体にせず、平面のままで保管していたなあ、と思いました。

つづく。。。
この富士山の頂上は、こんな風に組み立てましたが、



五雲亭貞秀が描いた「富士山真景全図」のオリジナルは、このように、



頂上の詳細な部分が「起し絵」となって、平面の絵に接着されています。中心の、「内院」と呼ばれる火口には、食行身禄の残した歌「ふじのやま のぼりてみれば なにもなし よきもあしきも わがこころなり」が書かれています。

レプリカでは、その部分は畳んで撮影されているので、しかたなく私は、白い部分を切り取り、各嶽の部分を適宜にカットして内側に折り込んだのでした。

しかしながら、細部の名称を知ったからには、オリジナルのように再現して組み立てたいと思うのは、私だけではないでしょう。実物は「神奈川県立歴史博物館」の所蔵ながら非公開作品なので、なかなか目にすることはありませんが、いつか展示される際には(学芸員の方から連絡をいただけるとの由)、ブログにてお知らせいたします。

さて、もうひとつのトリックです。

本体と別に、約10×5cmの横長の



その部分をめくると下に出てくるのが、



これです。富士山麓にある洞窟、つまり胎内であります。
「土中胎内之図」とあり、胎内入口や、内部で腹ばいになって巡る人々が描かれています。

富士講に興味ある方は、もうピンときたことでしょう。この胎内の図、どこかで見たことがありますね?

つづく。。。
五雲亭貞秀のことを詳しく書く前に、この作品「富士山真景全図」に迫ります。



これは、ペーパークラフトになるレプリカですが、

実物は、一辺が約1m。嘉永初期に描かれました。富士山を上空から描いたものです。大変正確で、計算によると600〜700mくらい上から見たとおりらしいです。この人は、これだけでなく、数々の作品でこの類いのものを残しているので、「空飛ぶ絵師」と呼ばれたりします。

「富士山を上空から描いたもの」と言ったら「あれ?宝暦11年(1761)に描いた、池 大雅(いけのたいが)★の『富士全図』があるじゃないか」と思われるかもしれませんが、貞秀の『富士山真景全図』は、立体に組み立てることを考えて描かれたものですから、計算ずくに描写されています。

★池 大雅(いけのたいが)の『富士全図』と、後年それを模写した富岡鉄斎の『富士山絶頂之図』に関しては後で。

五雲亭貞秀の『富士山真景全図』が、それらと全く違うのは、ただの富士登山道の姿を描いたものでなく、富士山信仰(のため)の作品になっているからです。例えばこのように、



白地の三角部分があります。そこには、書行藤佛(長谷川角行)と食行身禄のふたり、及び、富士行者の姿が描かれています。行者たちは、登山/中道/胎内/等、それぞれの場所によって変わる、着衣の説明つきです。また、富士吉田の火祭の大松明まである。

白い部分を切って左右を貼り合わせると。。。



大沢谷から鳴沢までができあがります。そこから反時計まわりに見ると、



「大宮口」(富士宮口)の登山道が克明に描かれ、



宝永山はこんな感じ。



さらに、「須山口」「スハシリ」「吉田口」の文字と共に、詳しい描写が。名所岩もあるし、ムロ(石室)の位置まで。

特に、吉田口は細かくて「馬カヘシ」「スヽ原(=鈴原神社)」「小ムロ仙元(=小室浅間)」とか、「コレヨリ女人キンセイ」も書いてあるし「コサ石仙元(=御座石浅間)」「經カタケ(=経ガ嶽)」「泉タキ」「エホシイワ」「カメイワ」もあります。

でも、まだまだこんなものではありません♪

つづく。。。
先月、「五雲亭貞秀」のことを書くと予告しました。
満を持して書くことにします。

五雲亭貞秀という絵師、別の画号を歌川貞秀と言いました。
生きていたのは、1807(文化4)年〜1879(明治12)年頃。
下総国(千葉県)東葛飾の生まれです。

今年は横浜開港150周年にあたり、横浜の絵を数多く残す貞秀の作品は、
各地で目にすることができますが、私のブログでは富士山に関する
絵画についてのみ紹介します。

まず、いきなりこんな作品です。



富士山の立体です。

上から見てみると。。。



こんなです。精巧です。「立版古(たてばんこ)」とも「起こし絵」とも言い、切り抜き細工絵の一種であります。貞秀は浮世絵師なので、もちろん書いたものは平面です。

しかし、こんな風に組み立てることを想定し、かつ、この中にいくつかのからくりを有しているのは、驚きであります♪

つづく。。。
場所は原宿。



JR原宿駅の竹下口から出たら、竹下通りに下りず、坂を左側に少し歩くとこんなサインが目に入ります。



外階段を2階に上がると、その奥には金ピカ扉が待っています。



いきなり2条の交叉したピンク光線。
それを受けるのは、ゴールド型押しをあしらって経師されたような作品。



「黄金律」と書かれた書です。ボトムには、「自分ノ望ム事ヲ人ニセヨ」とある。書家は10年のキャリアながら、若干17歳。むむむ。



中に侵入。
すると、壁面を埋めつくすのはおびただしい種類のインスタントラーメン!
ここは画廊?それともレストラン?

はい。秋葉原あたりでも有名になった、各種即席拉麺を食することのできるお店です。でも、ここ「GOLD 7」は、アーティスティックで、突出したコンセプトを備えています。



「隠れ切支丹極限茶室」の名を打つ究極のミニマル茶室があったりします。
アヤシイ?



茶室内は銅板が貼られ、GOLD 7 TOKYOの刻印もあります。



足元には、隠れ「十字」がひっそりと。アヤシくてオシャレです!
床の模様、実は文字です。タイポグラファーによる作品。



茶室の天井にも十字のスリットがあり、そこから射し込む光は、静かに存在を誇示しています。



茶室の外から見上げた天井は、古き良きテクスチャー。
(懐かしい!私は米国でこんな天井のあるアパートに住んでました)

茶室といっても、ふたりが向き合って上半身しか入れません。
だから「極限茶室」ってわけ。



ひとりで入れば、こんな光景。



気づけば店は、立ち飲み屋と化していました(笑)。

いやいや、これは今夜だけ。プレオープンだから。



こんな迫力あるラーメンも選べるお店なのです。



北海道の、毛ガニ風味「かに三昧」も、



黒マー油入り「熊本もっこすラーメン」も、驚きの旨さでした♪
皆さん「旨い!旨い!」の連発でした。(尾道ラーメンも美味とのこと)
進化した即席拉麺は目からウロコ。あなどるなかれ。
トッピングと茹で方でこんなに美味しくなるなんて!
聞けば、即席拉麺とはいえ「油で揚げたものでなくて乾麺なんですから」。
ふむふむ。

さて、この店のユニークさを紹介せねば。

黄金の壁に刻まれるこの印。

飛翔しながら宙を斬るサムライ。



「百種即席拉麺」が味わえるこの空間は、「百箱画廊」も設置しています。つまり、各箱の中には、アーティスト/クリエーター達がそれぞれの小宇宙を創造し、共存しているということです。

全体の撮影がうまくできませんでしたので、一部紹介しましょう。

黒富士白雲

オレンジ古布溶岩乗せ

そして、富士塚キット

ご近所富士山の「謎」も販売



はい。私も参加の展示です。
(ヤンキー座りで失礼します。酔いがまわったところでした)



今夜は18日のオープンに先がけて、レセプションだったのでした。

さて、
GOLD 7は、百種の即席拉麺の食べられる百箱画廊&隠切支丹冥土 (→メイドさんがいますよ)&茶室ラウンジですが、「独自の日本文化を象徴する多種多様なカタログ的箱画廊」というコンセプト。

作品を搬入をする際、いろいろとお話を聞けたのですが、私なりに解釈したことをちょっと。

原宿という国際的な「カタログ文化発信地」は、観光地化した側面だけでなく、実は面白い風土もあるのです。

現代人は原宿で、無意識にかつマテリアリスティックにショッピングを続けますが、よく考えてみれば、お隣の明治神宮から流れる霊的な湧水は、竹下通りの地下を流れ、近くには教会もある。異種文化の交わるこの土地は、もともとあらゆるものを飲み込むパワーゾーンでもあったのです。

私が最近「アースダイバー」を引用して書いている「土地の記憶」に、今を生きる私たちも、操られているような気がしてなりません。

この店を作ったのは、空間デザイナー/プロダクトデザイナー/建築家であるAKさん。秀吉の造った金茶室を現代に取り入れたり、



銀閣寺の月向台(←私も好き)を彷佛とさせる、築山を配した石庭(↑外国雑誌に掲載)を手がけたり。と思えば、宇宙船のような店鋪(ポール・スミス)を造ったり。。。とにかく才能ある人です。現代の隠れ切支丹(♪)でもある彼は、「文化の融合は今に始まったことでなく、昔からあったわけだけど、特に、安土桃山時代の自由奔放さには魅力を感じる」とのことです。

う〜ん。わかるな〜♪

GOLD 7。お近くに行ったらぜひお寄りください。ちなみに、この店の入っているビルのオーナーは、明治神宮の内装を手掛ける表具師さんです。これも興味深いですね〜♪

これは富士山に関係ないですが。。。

同じく「旅」展の後期に展示されていた「熊野那智参詣曼荼羅」の一部、那智の滝であります。

那智の滝、那智大社のあたりは霊場です。参詣曼荼羅の典型としてひとつの宇宙観がこの絵には表現されているのですが、細部も凝っていて見飽きませんでした。

熊野参詣を勧める高野聖や熊野比丘尼たちの姿も興味深いですが、私はこの独特な表現に釘づけになりました。

滝の中に炎がある。。。

この意味は? 水しぶきが情念を持つと炎が立ち昇る??? う〜ん。ちょっと課題としておきます。でも霊場ならではの表現だと思うとワクワクしてきます♪

ちなみに、参詣曼荼羅は消耗品です。オリジナルは別として、写しは参詣を広める修験者や比丘尼たちが持ち歩いたそうです。

伊勢詣でや熊野詣でが民衆に定着したのは、地道な努力の末だったんですね〜。 


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地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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