▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
浅間大神の碑の土台には立派な講紋が刻まれていました。



山の下は○に宝で「マルタカラ講」と呼びます。

千葉県野田市の宝珠花を中心にした講で、栃木県の足利にもありました。



これを刻んだ人は、西深井富士の碑を彫った人と同一人物でした。
明治15年の作。(西深井はその翌年)

この碑の他にめぼしいものは見つかりませんでしたが、講の存在が確かめられてよかったです。
昔の富士塚のカタチはどんなだったでしょう。想像するのはかなり難しい地形になっていましたが、土地の人達がこれだけは残そうとしてか、あえてコンクリート固めにしていなかったのが救われた気がしました。

流山街道に面した流山市東深井の駒形神社からさらに北へ向かい、再度西に進路を取ると、またすぐ西深井に入ります。



ここも神社はないものの、路傍にはこんなこんもりした一角が。雑木林の奥に、奥宮の石碑がシルエットとなって目に飛び込んで来ました。

通常、富士塚の名前はその地名を使います(例えば、文京区音羽にあるから「音羽富士」とかね)が、西深井にはふたつの富士塚があるので、先に訪れた塚を「西深井富士」とし、地名は西深井ながら北側にあるほうを便宜上「北深井富士」としました。(深井と名のつく土地は西と東しかないので)


カレンダー
05 2019/06 07
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
リンク
カテゴリー
最新CM
[06/24 Robertson]
[06/22 Robertkic]
[06/20 Ahmedroops]
[06/17 EdwardNaf]
[06/17 Joshuatut]
[06/15 Robertjaf]
[06/12 Dariustes]
[06/11 DennisDop]
[06/10 Williamflali]
[05/31 BorisCat]
[05/31 Williamdeary]
[05/31 Williamdeary]
[05/31 Williamdeary]
[05/30 Jesseskive]
[05/30 Slottjinda]
[05/26 MichaelSpano]
[05/26 DalNig]
[05/25 MatAbrag]
[05/25 Jainego]
[05/22 StephenDob]
[05/22 Charlesvex]
[05/17 sea]
[05/17 NONAME]
[05/17 NONAME]
[05/16 MauriceSlini]
プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

★★★★★★★★★★★★★
お問い合わせ、ご連絡は↓

y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m
(♡をoに◆をaに★を@に変えて
入力して下さい)

★★★★★★★★★★★★★

掲載の写真・イラスト・文章等の
無断使用・転載は御遠慮下さい

★★★★★★★★★★★★★
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
mountains