▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
村山浅間神社の入り口には、「富士山」と深く刻まれた石碑があります。 そこを右に進むと、村山浅間神社と興法寺大日堂がありますが、 左側の車道をはさんだところに村山登山道の入口があります。 そう言えば、大日堂の中にも「村山道」の道しるべが立てかけられていました。 「中宮八幡堂」への順路図も。中宮八幡堂は「馬返し」でもあり、 女人禁制の時代は女性はここまでしか登れませんでした。(標高1260m) 参考程度ですが、イラストで村山登山道のルートを記してみました。 富士山本宮浅間大社、山宮浅間神社、村山浅間神社はこんな位置関係です。 田子の浦を起点として→鈴川の富士塚→旧吉原宿を通り、 村山浅間神社を経て富士山に向かう「村山登山道」の道のりは、ざっとこんな。 富士講の発生するずっと以前からあったこの道は、修験者のための道でした。 中世に描かれた富士参詣曼荼羅図にも、道者たちの登る様子がよく表されています。 関東の登山者が北口の山梨県側から入るのに対し、 表口の静岡県側には、西国からの人々が多く訪れました。 表口でも、かつて2つの神社(大宮と村山)の間で客の取り合いがありました。 畠堀さんの著書にも紹介されているように、2枚の登山図を比べてみると、 それぞれ太く強調した登山ルートが興味深いです。 以前もこのブログ内で出しましたが、もう一度。 (大宮ルートをピンク、村山ルートをグリーンに着色してみました) さて、村山古道を歩こうという催しは近年続けられています。 何日かに分けて無理なく歩くので、参加しやすいかも。 ![]() Facebook あり〼
村山浅間神社にて。
土日や祝日には、地元ボランティアのガイドさんが案内してくれます。 これはラッキー! ガイドさんと一緒に興法寺大日堂に上がることができました。 大日堂には、いくつもの仏像が安置されています。 大日如来像、不動明王像、役行者像のほか、 前鬼もしくは後鬼(前鬼と後鬼は役行者に従った夫婦の鬼です)、 それに、猿らしき2体も! 神仏分離令の際、多くの仏像が破棄されたり富士山の火口に投げ込まれましたが、 (東京の富士塚でも、しばしば頭のない大日如来や猿像を見かけますね) ここにある仏像は、修験者たちによって密かに富士山から降ろられたそうです。 受難を逃れた仏像たちは、「下山仏」と呼ばれています。 「高砂酒造にもかくまった仏像がありますよ」とガイドさん。 「えー!? 昨日高砂さんに行ったのにー。知りませんでした」 高砂酒造とは、富士山本宮浅間大社で見た奉納酒「高砂」の蔵元です。 予約をすれば、蔵の中の下山仏を拝観することができます。 「中央の大日如来様は、とてもいいお顔をしていますよ。近寄って見てください」 と、ガイドさんが手前の台をずらしてくれました。 文明10年(1478年)の大日如来坐像は、気品ある表情もさることながら、 宝冠など細部が素晴らしく、蓮華坐も高くて立派でした。 その他、ガイドさんからはたーくさんの貴重な情報を頂戴しましたが、 ここでは割愛させていただきますね。 大日堂の隣には、水垢離場と護摩壇があります。 つづく。。。 ![]() Facebook あり〼
「畠堀操八さんを何度も乗せましたよ」
村山浅間神社へ向かうタクシーの運転手さんが言いました。 私がふと「村山口登山道に興味がある」ともらしたからです。 「なるべく裏の道から行きましょうか?」 「ぜひお願いします!」 車道ではありましたが、森の中をくねくね進みました。確かに山深い! 「畠堀さんが古道を探していたら、鹿の大群に出くわしたこともあるそうです」 と、運転手さん。 畠堀さんが古道の探索中、けもの道に入り込んでしまい、 それを古道と認識したらしいことは知っていました。 そんなこともあり、正確な道のりはまだ正式には認定されていないようです。 でも、最古の登山道が陽の目を浴びることがあれば、本当に興味深いです。 (古道マップも改訂されています) 村山浅間神社は特異な存在です。 なにしろ、修験道と仏教と神道が混淆する聖地なのですから。 世界遺産の名称は村山浅間神社ですが、ここの中心は興法寺です。 (同じ境内に浅間神社社殿と興法寺大日堂が建っています) つづく。。。 ![]() Facebook あり〼
鈴川の富士塚にも登拝することができます。
最上段は数人立てるスペースで、奉納台もあります。 そこから、浅間宮の石祠と富士山を重ね合わせて拝むことができます。 奉納台の足元に、供物の団子と護摩札が2枚ありました。 右側は「聖護院門跡」(京都にある修験道の本山)のもので、 左には地元の方たちの連名。 前日出会った「ギャラリー表富士」オーナーの名もありました。 Nさんは、旧吉原宿で店を経営する傍ら、村山古道の復活に尽力されている方。 (そのために得度されたほどの熱意の持ち主です) 村山口登山道は、平安時代から修験者たちに使われていた最古の富士登山道です。 (明治39年に大宮新道つまり富士宮から現6合目に通じる近道が開通したため衰退) 「富士山村山古道を歩く」の著者、畠堀操八さんが中心となり、 それまで約100年間荒廃していた古道を復活させました(2004年)。 (その様子は、ヘラルド・トリビューンにも掲載) 2011年から、富士山の山開きに京都の聖護院から修験者たちが、 「峰入り修行」に来るようになりました。一般参加者も多くいます。 田子の浦での水垢離の後、鈴川の富士塚で祈祷をし、村山古道をたどって 村山浅間神社(興法寺)を目指します。 わかりやすいブログがあったのでリンクしましょう。 ![]() Facebook あり〼
鈴川の富士塚の、明治時代と大正時代の姿です。
このあたりはかつて砂丘でした。 現在の富士塚は、保存のため、昭和51年にセメントで固められました。 塚の下部には、富士塚に使われた石(新しい)よりもずっと小さな石群が横たわっています。 実はそれらこそ、かつて道者によって積み上げられてきた祈願の石なのです。 自分の足元を入れて、石の大きさを比較してみました。 さて、東海道吉原宿の南に位置する鈴川一帯は、かつて「天の香久山」と呼ばれていました。 明治時代の写真:富士塚の参道が波除堤防の跡だそうです。(それほど海の近くにありました) 大正時代の写真には、「天之香久山ノ富士」と記されています。 鈴川の富士塚は、戦国時代から存在していたと言われていますが、 やがて富士塚そのものが「天の香久山」と呼ばれるようになりました。 江戸時代の登山図にも、「天ノカク山」と記されています。 つづく。。。 ![]() Facebook あり〼
静岡県で唯一の「鈴川の富士塚」です。(富士市鈴川)
関東の富士塚と全く違います。 田子の浦の浜で水垢離をした道者が、浜から拾った石を積み上げてできた、 ケルンのような物が起源です。 塚の背後に富士山がおわします。 富士登山の決心と、安全祈願を石に込め、 御本山に投影するかのように、祈りの塚ができました。 つづく。。。 ![]() Facebook あり〼
ここは、富士山を遥拝する場所。
古代信仰の形を残した、祭儀の場「山宮浅間神社」です。 溶岩流が止まった先っちょ、つまりミサキの突端にあります。 熊野那智大社が那智の滝を御神体とするように、 山宮では富士山そのものが御神体です。 あるのは磐座のみ。 あらためて「里宮ー山宮ー奥宮」の関係を。 里宮は、一般の民が詣でる拝所。 山宮は、聖職者たちが儀式を行う祭儀場。 そして奥宮は、限られた修行者のみ入ることのできる聖域。 里宮では複数の神による「現世利益」が受けられますが、 山宮に立つと、大地もしくは地球規模の「自然神」の存在、 奥宮に至っては俗界から切り離された「宇宙感」につながります。 山宮の遥拝所で富士山を拝んでいると、 富士山本宮浅間大社では 味わえない感覚にひたることができました。 もはや、コノハナ様の姿すらもよぎらない。 遥拝所は、15m×8mととても小さい。 でも、そのまわりをぐるっと石塁が囲みます。 この一帯が溶岩の土台ですが、さらに岩を積み上げた石塁があり、 積雪によって際立っています。 近寄ってみると、ひとつひとつ語りかけるような溶岩の表情。 (あなたたちも富士山の子なのですね) 「まだ来ないのですか? 早く神界にいらっしゃい」 かつて、「富士山の存在」にそう告げられました。 (正確には、私のために富士山と交信した人から告げられました) ここにやって来て、その意味がわかったような気がしました。 御神語を唱えていたら、富士山がゆっくりと姿を見せてくれました。 ![]() Facebook あり〼
籠屋で拝み、通り過ぎるとこんな光景です。
前方遠くに石段が見えますが、御神燈のそばにあるのは「鉾立石」。 山宮御神幸の際に、御鉾を一旦置いて休めるための石です。 籠屋のほうを振り向いたところ。「行ってきます」と声をかけ、 また正面を向く。 途中から急に勾配がついていますね。溶岩流が止まったところです。 石段の手前にも、もうひとつの鉾立石がありました。崩れていますが。 溶岩が使われているのがわかります。 滑らぬよう、ゆっくり登った石段からまた振り返る。 籠屋があんなに下のところに見えます。 つづく。。。 ![]() Facebook あり〼
富士山本宮浅間大社から富士山寄りに約6kmの、山宮浅間神社の少し手前。
雪のかぶる茶畑の脇を歩きました。 しばらく歩くと「御神幸道 四十九丁目」と書かれた道標があります。 大同元年(806 年)、坂上田村麻呂が山宮から神を遷し、富士山本宮浅間大社として 造設して以来、浅間神社の位置関係は、 里宮(=本宮)------ 山宮 ------ 奥宮(山頂) となりますが、毎年4 月と11 月、本宮から山宮へ神霊が里帰りをする儀式が、 行われてきました。それを「山宮御神幸 やまみやごしんこう」と言います。 山宮御神幸の道筋(御神幸道)50町(1町は約109メートル)には、 元禄4年(1691)、1町ごとに標石が置かれました。 (写真の「四十九丁目」とは四十九町目のことでしょう) 未の刻(午後2 時)、神霊の宿る御鉾(みほこ)を渡御し、山宮に詣でます。 山宮の鳥居に着きました。(一の鳥居) すぐ向こうには、二の鳥居が見えています。 二の鳥居の奥には、社務所(籠屋 こもりや)まで続く奉納燈籠。 籠屋とは、山宮浅間神社で祭儀を執り行った神職らが一夜参籠した所。 (割拝殿とも言われます) 現在の籠屋は昭和8 年に建てられたものだそうです。 つづく。。。 ![]() Facebook あり〼
【浅間造 せんげんづくり】という建築様式があります。
浅間造とは楼閣のように造られた珍しい形式のことで、「正面5間×側面4間の入母屋or寄棟造り」の上に 「3間×4間の三間社流造の本殿」が建つ二重構造です。(神座は二層目にあり) 全国に1300社以上ある浅間神社の中で、たった4社にこの様式がみられます。 ●富士山本宮浅間大社 ●静岡浅間神社 ●多摩川浅間神社 ●西区浅間神社 下のふたつは東京と横浜にあるので、関東の方はぜひ要チェック!(双方とも富士塚の上にあり) 富士山本宮浅間大社の浅間造は、徳川家康が造営したもので(1604年から2年間を費やし完成)、 「富士山が正面に見える位置に上げ、お供え物をする」という意味があったと言われています。 浅間造を撮影していたら、初宮参りのご祈祷を終えた家族が出てきました。 浅間神社の祭神コノハナ様は子育ての神様です。この赤ちゃんは美しくすくすくと育つことでしょう。 (幸せな光景に遭遇できて嬉しい!) 忙しそうな巫女さんも、拝殿の色に素敵にマッチしています。 酒樽の「高砂」は、(東京でも大人気の)富士宮の高砂酒造のものですが、 お酒の質のみならず、明治の廃仏毀釈の折、富士山麓にあった仏像を酒蔵にかくまったという、 ありがた〜い富士山信仰サポーターなのであります。 ![]() Facebook あり〼 |
カレンダー
リンク
カテゴリー
最新CM
[01/28 芙蓉庵]
[01/28 芙蓉庵]
[01/24 MASA]
[01/22 MASA]
[10/15 芙蓉庵]
[10/12 吉田 千秋]
[10/12 吉田 千秋]
[07/16 芙蓉庵]
[07/10 吉田 千秋]
[12/10 芙蓉庵]
[12/05 槇田きこり但人]
[06/22 nobuting]
[06/22 芙蓉庵]
[06/21 nobuting]
[03/14 芙蓉庵]
[03/11 武本Timothy]
[02/23 芙蓉庵]
[02/22 エバポリタン]
[09/06 芙蓉庵]
[09/04 ひさ]
[07/15 芙蓉庵]
[07/14 王若冲(オウ ジャクチュウ)]
[07/08 王若冲(オウ ジャクチュウ)]
[09/19 芙蓉庵]
[09/18 芙蓉庵]
最新記事
(03/06)
(01/24)
(12/30)
(10/15)
(09/30)
(08/26)
(08/19)
(08/12)
(08/06)
(07/30)
(07/16)
(07/09)
(04/09)
(01/04)
(12/30)
(10/08)
(08/24)
(05/04)
(04/17)
(02/14)
(02/06)
(11/29)
(11/08)
(11/05)
(08/16)
最新TB
(04/09)
(09/11)
(01/15)
(12/01)
(10/15)
(07/12)
(07/01)
プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ fuyo-ann★abox3.so-net.ne.jp (★を@に変えて入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(04/04)
(04/04)
(04/05)
(04/05)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(04/08)
(04/08)
(04/08)
(04/08)
(04/09)
(04/09)
(04/09)
mountains
|