▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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御神木の「梛(なぎ)の 大樹」。 日本一の梛の巨木です。「なぎ」は「凪」に通じ、海上交通の安全と家内安全、縁(あらゆる縁)結びの信仰があります。こちらの神社の象徴でもあります。

「この葉っぱを横に持って引っ張ってごらん」

案内してくれた方が「梛」の葉を差し出しました。
でも葉っぱは、柔軟ながらとても強くてどうやってもちぎれません。

「強いだろう?」
「ほんとだ!」
「だからこれ持ってると家族仲良くなれるんだ」
「そっか♪」

この時まですっかり忘れていたけど、以前母からもらったこの御神木の葉っぱをいつも持ち歩いていたのでした。(現在、実家の庭には、この木の子孫が根づき元気に育っているとのこと。スゴい!)

有り難いことでした。めぐりめぐって辿った旅路。

実は、熊野速玉大社には、時間がなくなりあわや行けなくなるところでした。でも結局、呼ばれたようにやって来れたのは、この梛のおかげかもしれません(笑)。母にも感謝です。



そしてこの社殿の中で、大事なものを目にするのでした。。。

書きたいことが多すぎて〜。10分の1に薄めて書いていても大変です!でも一気に書きたいところ。なぜって、旅から戻ってから訪れた9つの富士塚もアップしたいからであります。(富士塚に行かせたのはクマノパワーにほかありませんね♪)

「補陀洛山寺」「妙法山阿弥陀寺」「青岸渡寺」「熊野那智大社」をまわった那智を後にし、新宮へ移動しました。ここでお参りするのは「神倉神社」と「熊野速玉大社」。

新宮では、熊野速玉大社よりも崇められている印象だったのが「神倉神社」です。実は熊野速玉大社の摂社ですが、こちらが元の宮。速玉大社を新しい宮としたことから土地の名前が「新宮」となったのです。

神倉神社は、神倉山とよばれる「権現山」の断崖絶壁にあります。熊野大神が熊野において最初に降臨したとされる聖地です。社の真上に「ゴトビキ岩」という御神体の磐座(いわくら)があります。神が降りたと言われる天磐盾(あまのいわだて)です。



巨岩好き(笑)に知られている「ゴトビキ岩」は、私にとって特別行きたいところでした。最近、「富士塚→山のてっぺんに力が宿る→巨岩もしかり」の図式でいろんな情報が入ってきていたので、ここは見のがせない聖地。



「ゴトビキ」とは「ヒキガエル」の方言であり、岩のカタチも何となく似ています。(琴弾きとの説もありますが)

 

熊野三山のそれぞれの御神体がこれで揃いました。
【熊野本宮大社 → 熊野川】
【熊野那智大社 → 那智御瀧】
【熊野速玉大社 → ゴトビキ岩】

雨を降らせると信じられていたヒキガエルに似た岩石が御神体、ということは三山の御神体全てが水神的要素を備えており、熊野信仰の原点は水神信仰とも言えます。



磐座を拝むためには、こんな急な石段を500段以上登らねばなりません。登るより怖いのが下りです。



しかしこんな急階段を、「御灯祭り」では男達が一気に駆け降ります。新宮では白装束の勇姿が男たちの誇りのようで、町の中ではいくつか写真を見かけました。



富士山と切っても切れない役行者に再会しました。

ここは「青岸渡寺」。西国三十三所巡礼の第一番のお寺です。いつかこの巡礼の旅に出るのもいいなと思いました。

旅に出るとフシギな出会いを有り難く感じます。前夜、那智勝浦の居酒屋でこの青岸渡寺の方とお会いしました。ひょんなことから熊野名物「めはりずし」の話になり、ご飯を包む大きな高菜漬けを送ってくださることになりました。寺務所に立ち寄るとその方がいらして、ご挨拶しました。本当に親切な方ばかりに出会う旅です。



ここでも神仏習合は存在しています。青岸渡寺に隣接する熊野三山のひとつ「熊野那智大社」です。本宮大社同様、ヤタガラスは独特のキャラであちこちに見られました。

お守りは那智黒を使った碁石型のものを買いましたが、熊野牛玉宝印ももちろんいただきました!牛玉に関しては GO-OH COLLECTION を後でたっぷり紹介いたします。



そして、熊野那智大社の別宮「飛瀧(ひろう)神社」に降りてまいりました。正面に瀧を見上げる位置には金色の御幣が光っています。本殿はないけれど、この御瀧こそが御神体です。(熊野三山の御神体については後でゆっくり書きます)





那智の瀧には延命長寿の御利益があります。できるだけ長生きしたい(笑)私も盃でお水をいただきました。瀧の水量は通常よりやや少なかったけれど、飛沫を浴び、寿命が10年延びたような感じがいたしました。那智の瀧は、華厳の瀧のような水源を持つわけでもないのに、山の上からいきなり降って来ます。それまるで地球規模で生命の躍動を伝えているかのようでした。この瀧に対する昔の人の崇拝の念もわかる気がしました。

瀧という字には龍が入っています。もう少し時間を費やしていれば、瀧を昇る龍が見えたかもしれません(笑)。



ここから熊野古道の一部、大門坂を下りました。少し雨が降ってきました。先を行くのは私の母。さすが、富士山に十数回も登った健脚の持ち主、延びた背筋ですたすたと歩いて行きます(驚くほど若いです)。



おっとここにも庚申様が祀られていました。



坂を降りきったところに、南方熊楠が「南方マンダラ」を書いた大坂屋旅館の跡地がありました。





あれ?鳥居があるぞ。お寺に来たんだよな〜?
石段を登っていくと、鮮やかな朱の鳥居が目に入りました。

神仏習合の姿をそこここに見ることができる熊野ですが、この山門も見事でした。古い山寺にたびたび見られる鳥居門で、お寺をつくる時、その山に元からいらした神に敬意をはらい、ご加護をいただくためにこのような形になったのだそうです。

那智大社へ行く途中、立ち寄った古いお寺、阿弥陀寺です。女人禁制だった高野山のかわりに参詣された「女人高野」として知られます。実はここはノーチェックでしたが、急遽行くチャンスができてよかったと思いました。





「亡者の熊野詣で」と伝えられ、人が亡くなると幽魂は必ず妙法山に参りこのひとつ鐘を撞くといわれます。





行きませんでしたが、奥には火生三昧(かしょうざんまい)跡もあります。火で身を包み読経をしたという応照上人の苦行の跡です。それにしても、水に流されたり、火に身を投じたり……昔の僧たちのすさまじい衆生済度の念を思うと……気が遠くなりそうですね。



那智の滝より高い位置です。画像は途中の駐車場からの眺め。
海が見えます。
山頂付近は「富士山の見える最遠の地」だそうです。(海抜749m)
見ることはできなかったけどね。


 

去年、三井記念美術館で催されていた「旅」展で「熊野那智参詣曼荼羅」を見ました。細部に感動しっぱなしでした。不動明王を表現したとされるコレのほかに、忘れられない部分がありました。



船に鳥居があるのは、富士吉田の火祭りで担がれる「お山さん」と呼ばれる神輿を思い起こさせましたが、十字架のような形も見え、帆には南無阿弥陀仏と書いてある、コレは何だ!?



那智地方には、熊野灘の彼方に観音菩薩が住む浄土・補陀洛(ふだらく)があるという信仰がありました。それを目指して船を出すことを「補陀洛渡海」と言います。そのために作られた「補陀洛渡海船」の上は屋形があり、人ひとり入れる小ささです。屋形の前後左右には4つの鳥居が囲んでいますが、修験道の葬送作法では、死者は「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の四門をくぐって浄土に往生すると考えられているからです。

案内してくれたタクシードライバーの方に、思わず「水に浮かぶ棺桶ですね」と言うと、「うん。そうだよね」

僧がこれに乗り込み、外から釘を打って出られないようにしたそうです。ひと月分の食料を持たされて。供船で沖に向かって曳航され、そして、沖の綱切島に近づくと、供船でお経を唱えていた僧が曳き綱を切る……入水往生を目指す究極の行です。平安時代から江戸時代まで25人が流されましたが、中には船出の後脱出した僧もいて(その先はこわくて書けません〜)。。。



「裏にお墓があるけど見に行ってみるかい?」「いえ、とてもとても」「ハハハ」

ちなみに「補陀洛」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことをいい、『華厳経』にはインドの南端にあると説かれているそうです。観音信仰の流布とともに、チベットや中国にも補陀落は想定されました。チベットではラサ北西に建つ、観音の化身ダライラマの宮殿をポタラ(補陀洛)宮と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を補陀落としました。日本においては南の海の果てに補陀洛浄土はあるとされたのでした。

私が顔面蒼白だったのか(笑)、特別な想いを持っていると感じたドライバーは、こちらの住職にそれを伝え、個人では拝観できない「本尊 三貌十一面千手千眼観世音菩薩」を見せていただくことができました。



観音像は素晴らしい木彫でした。両耳のところに、怒りの表情の顔が貼りついていました。ご住職の説明を受けているうちに有り難く穏やかな気持ちになりました。後世の者が参拝することも、入水した僧たち(同行者を含めると100人)が無事観音浄土に辿り着き、観世様に救われることにつながるかもしれませんね。



「みぎかうや ひだりきみいでら」

右へ行くと高野山、左は紀三井寺。の石標。道は遠くとも続いているんだな〜としみじみ思わされます。



本宮大社近くになると、こうして関所もあります。




古い切り株のところで、語り部さんが江戸時代の通行証の写しを見せて説明してくれました。なるほど、誰でも参詣できる熊野とはいえ、現代のように気軽に来れたわけではなかったようです。印象的なのは、「万一病死したら土地の風習によって葬られるように」(だったかな?)のくだり。

そして、あとは一気に森の中。。。飛脚のように走りまわりたい衝動にかられます。



いくつかの眺望で心を潤しながら。



ゴール直前に大事な作法がありました。



本宮大社に入る前に、旅の穢れを祓い身を浄める「祓所王子 はらいどのおうじ」。
祓所は祓戸とも祓殿とも表記されます。傍らには旅人の歴史を見てきた樹齢800〜1000年の巨木が!



そしてついに。。。





汗ばんだ体を、ひんやりと澄んだ聖域の空気が包んでくれました。定家が詠んだ「感涙禁じ難し」も理解できます。

今回、熊野古道の一路のさらにほんのちょっとだけ歩いたわけですが(翌日は別の路を少々)、全く目からウロコの数々に驚きました。現代ではびゅ〜んと神社へすとっ飛びし参拝しますね。それが悪いわけじゃないけれど、時間をかけて参詣道を辿るのと、いかにその精神性に違いがあるか。昔なら30日も費やして詣でたのですから、鳥居をくぐる前にすでに浄められているようなものでしょう。山中で餓えと野宿の恐怖をかかえながら、究極の旅をして到着するのですから。

私も道中、「六根清浄」を意識しなくとも、深い森の中を鳥の声を聞いたり、自分の木霊を投げてみたり、草の匂いに敏感になったり……と、六感覚が研ぎすまされていくことがある意味みそぎになっているのかもしれないなと思ったりしました。

古道記事は終わってもまだ先にディープなことが待っている。急いで書かなきゃ。熊野三山のうちあと二山あるしね。



「伏拝王子 ふしおがみおうじ」の名は



苦しい旅がようやく報われ、この地から目に入った本宮大社(旧社地)の大鳥居にひれ伏して拝んだことからとられたものです。行き倒れになった人が多くいたことは書きました。「道休禅門」などの碑(「道休」とは行き倒れという意。こういうお話を語り部さんからうかがえるのです♪)がありましたが、名のある僧も力尽きてしまう長旅です。ついに目にする鳥居に参詣者はどんなにか鼓舞されたことでしょう。(画像はもう少し大社寄りの位置から撮影)

この大鳥居は現在の熊野本宮大社のではなく、少し南に位置する「大斎原 おおゆのはら」という、河に近いところの旧社地のものです。明治22年の熊野川の大洪水で、この地にあった熊野本宮大社が流されましたが、この大鳥居は今も建っています。日本一の大きさだそうです。その姿に私もじ〜んときました。ちなみに古来、熊野川は荒れ狂う川ではなかったそうです。熊野川流域の開発が始められた江戸時代後期から変わってしまったようです。(戦後はさらに植林政策によって杉と檜の人工林が増え、複雑な生態系も少なくなったとのこと)

ところで、



伏拝王子のそばには休憩をとれる茶屋があり、お隣にはドラマ「ほんまもん」のロケに使われたお宅があります。前日、山に入ってくるバスの中で親切な女性と一緒になりました。家は茶屋の隣だから、古道を歩いて来たら声かけてね、と言ってくださったけど、こちらのお宅の方だったとは驚きでした♪ お茶畑から取った茶葉で入れた、おいしいお茶を持たせてくれました。ありがとうございました。

とにかく人が優しいです。皆さん気持ちいいです。

どうやらそれは昔からごく自然に根づいていた土地の方の「御接待」という精神のようです。困っている旅人を助け、受け入れ、それが功徳につながるわけであります。

古道(こどう)の「古道=ふるみち」は「触る道」だそうです。自然の中に宿る神々や、それと共に生きる土地の人々に触れる道であります。神社へつながる道、参詣道を歩き人と触れあうこと、自然から学ぶことが大切だったのだと、じわじわとわかってきました。


ひらけた場所から撮った写真です。



あれ?どこかで見たような……と思ったら↓これに似てました。



三重県美杉村の風景です。食行身禄の生家のある美杉村にかつて1か月ほど住んだことがあると、一年前の記事に書きましたが。

杉の木立、椎茸も豊富にとれる、気候も空気も似ています。似ていて当然、山の反対側ですもんね。

しばしフシギな気持ちで眺めてました。













まっすぐな。ただ、まっすぐな。本宮に向かってまっすぐに。
▲▲▲▲▲▲【三里富士】▲▲▲▲▲▲

熊野に行っても忘れちゃあいません。富士の山!
ここで会える富士山はこちら。

【三里富士】と言われる百前森山(ひゃくぜんもりやま)、標高782.7mの端正な姿です。



果無(はてなし)山脈が横たわり、山なみの美しさを目で味わっているとひょっこり語りかけてくる、そんなたたずまいの山であります。歩きながら「あの山、な〜んか富士山ぽいな」と思っていたところ小松さんに教えてもらったのでその嬉しさったらありません。きゃあきゃあ言いながらたくさん写真を撮りました。これはちょっと高い位置からの。



ちなみに近畿地方全体に○○富士はこんなにあります。和歌山県には4つだけ。実は、あったことだけでも驚きでした。





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プロフィール
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芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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