▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
さて、前の記事のマンガに出てくる「目黒新富士」は



江戸時代こんな眺めでした。富士塚のあったところは、



蝶ネクタイを絞めた人も歩く、上目黒にある秀和レジデンス界隈です。



ここの程近いところに目黒新富士があったのですが、



富士塚の背後にある遺跡群の中から、平成3年、富士講の証と思われる胎内洞穴が発見されました。左下の丸いところが目黒新富士の位置。左上に秀和レジデンスが見えます。そして、中央が発掘された遺構のあったところです。






洞窟の入口も興味深いです。



中には、大日如来座像が横たわっていたそうです。
目黒の富士塚めぐりでは、塚や塚跡を歩くだけでなく、



洞窟の内部や、





富士塚の当時の様子を観に行くことができます(めぐろ歴史資料館)。それにしてもフシギ満載の富士塚です。興味はつきません。
めぐろ歴史資料館は、昨年9月にオープンした新しい施設です。
展示物の目玉は、この大日如来座像。
江戸時代のものですが、なんと、平成3年に発見されたのです。

目黒新富士の近くに遺構は以前に見つかっていましたが、平成になってその遺構に横穴が発見され、さらに奥にこの石像と祠にくり抜かれたものが見つかったので、当時大騒ぎになったそうです。めぐろ歴史資料館では、遺構を型取りしたレプリカの中を歩けますし、CGを使った解説も楽しめます。

で、この大日如来。



とにかく「いいお顔」です。表情がとても柔らかい。ありがたさが伝わってきました。

そして、時々金箔を扱う私の目には、近寄る前から金箔が飛び込んで来ました♪

素材が石ではあっても、金箔を貼るには漆を接着材として使いますから、剥離することはありません。額の「白毫相 びゃくごうそう」、手首の「腕釧 わんせん」、二の腕の「臂釧 ひせん」、それと冠の五星のところに箔がほどこされています。



仏様はやや前かがみなので、こちらも腰を落とし見上げるようにして拝みます。すると、より慈悲のまなざしが感じられ、とてもありがたい気持ちになります。

でも、発見された時は、



このように、土で固められた祠の手前に水平に置かれていたそうです。(横たわっているのもレプリカ) 発見された当時は、祠の半分から下が土に埋まっていたそうです。てことはその上には空洞が?

この洞窟はすなわち富士塚にとっての胎内。場所は富士塚からちょっと離れているのですけどね〜。

地下に眠る大日如来の像がコレです。ちょいフシギな表情。

なぜか「浅草」の文字もあります。。。

忘れてました!

「近藤富士」つまり「目黒新富士」の地下にコレがあります。

平成3年に、地下式遺溝が発掘されました!
胎内の変わりじゃないかとも言われてます。
中からは、石の祠や御神体が出てきたそうです。
それは、まちがいなく富士講の信者によるもの。
発掘された遺溝は【新富士遺跡】と名づけられました。

富士塚のどこらへんで見つかったのかわかりませんが、
今は埋め戻されてます。。。

それにしても、彫って祠を造るなんて、いいセンスだと思いますね♪

ちょっと歴史のロマンですね〜。

この別所坂児童公園の端っこに、申し訳なさそうに肩寄せ合った石碑たち。

小御嶽の文字は美しいです。

目黒新富士と言ってますが、通称は【近藤富士】です。
近藤さんちの敷地に建てられた築山だからです。

文政2年(1819)、近藤重蔵という幕臣で学者の人物が、
「おそらく目黒富士をマネて」造ったのです。
麻布にある富士講のバックアップで。

新旧の目黒富士は、江戸の富士山として高田富士に次ぐ人気を博しました。

しかし、【近藤富士】で起こった刃傷事件は……。(つづく)


この丘陵に立って感じました。
富士山があっちから見ている。と。

霞んでいたのと、デカいマンションに遮られていたせいで、
富士山は見えなかったけれど、
このへんがまあ、この絵のあたりなのでしょう。

確かにいい眺めです。

階段をじっくり登ってきたところ。

切り開いた公園に出ました。おそらくここらへん?

ひたひたひた。。。導かれるように登って来た坂道。

なんなのでしょう。
地面から立ち昇る「気」をキャッチしたかのようなこのフシギな感覚。
すでにまわりの建物など目に入らない。この地形が把握できた!

私には当時の風景が見えてきたようです。

地名や方角はわからずとも、これは嬉しいことでした。
ふと指標を見れば
「古くから麻布方面から目黒へ入る道としてにぎわい……」
と書かれてありました。

現在は、浮世絵のようにまわりに何もないというわけでない。
マンションぼこぼこ建っているので、丘や坂を目指すというには
困難です。

大橋の交番で、新富士の場所の確認をしようとしたけど、なぜか
巡査の地元だという「清瀬市の富士塚」談義に花が咲き、曖昧のまま
歩き出してしまったので、イマイチ行き先が不安でした。

でも、ここで大事なのが「地面から発せられる情報」に頼ること。
ええいっと地図をしまい、想いを江戸時代に飛ばして当時の情景を
イメージします。

すると……足が向かったのは「別所坂」。
あ、この名前、さがしていたポイントだ!
坂の途中に階段を発見。これがすでに【目黒新富士】か!?

大橋から山手通りを南下して、

この山を目指します〜〜〜。うまく見つかるでしょうか。


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た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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