▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
富士塚からはなれますが、神社の近くで出会った品々をご紹介♪

昨年末のことです。
仏具や神具を中心に、あらゆる雑貨を取り扱う小さなお店の店先で遭遇しました。



新年を迎えるにあたり、この近辺では、家中の神々にお供えをしたりするそうです。そのために使われるいくつかの神具が鮮やかで、目が釘づけになりました。



いろんな動物の絵馬。ふにゃふにゃした面白い絵柄がなんとも魅力です。



このように、それぞれの神様に合わせていろんな絵馬が揃っていました。おぼすな様は産土様のことね。



こちらは何にでも使える「拝み女」絵馬ほか。

館林市の富士嶽神社の絵馬堂にある、この絵馬を思い出しました。



松飾りの横には、経木で作られたお供えの器。



サンダラボッチが由来のサンダラ。い草を編んだものです。丸い部分を土台にして、中央に何かを立てるという。「何か」は、お店の人とお客さんから説明を受けたけど、ちょっとわかりませんでした。御幣のようなものと解釈しましたが。。。

とにかく、これらを大晦日までにお供えするそうで、皆さんせわしそうでした。
それにしても、土地特有のしきたりには、しばしばユニークなビジュアルが顔を出します。これらを見ていたら、私が住んでいたNYのブルックリンを思い出しました。スペイン語が飛び交うよろずやには、カトリックの品々があふれていたっけ。安価でかわいいキャンドルや、マリア像をプリントしたものたちは、私もほしくなったくらい。また、ブードゥー屋さんにはもっとすごいものも(笑)。

雑貨あつかいに見えるけど、信仰の、小さなカタチはキッチュでカラフル。国が違っても共通するパワーがあるもんです。



私は、キッチンの火まわりに、トリの絵馬を小さな注連縄と一緒に掲げました。



経木の器は、美しすぎて使えず。お餅と酢の物をお供えするためのものです。
ふたたび、北側の東金御成街道にやって来ました。



西福寺の側から(★のあたり)



船橋大神宮を見たところです。
もう一度、境内の見取り図を見ます。



街道を渡ってみました。



道路は渋滞ですね。左に鳥居があります。



鳥居をくぐると、常磐神社の脇を通る北参道につながります。
鳥居越しに見えるのは、盛り上がった山と祠。



中は常磐神社境内です。でも、浅間神社も中にあるといいます。常磐神社社殿は確認したので、もしかしたらこちらが浅間山(灯明台のある)から移された浅間神社かもしれません。



木々の葉が落ちている、今が一番見やすい時期でもなかなか見づらい。玉垣越しにうかがえるのは。。。築山の上に積まれた石垣と古い祠です。

今年の7月1日に確かめに来ようか。。。また悩みますね〜(笑)。
石段を登りきってふり返った図。



かつて、こっちの方角に富士山が見えたはずです。
昔は海岸線が近いどころか、入り江がかなり奥まであって、富士山はその湾越しに見えたようです。



足元にあるのが「漁師町講」の文字。



さすが船橋ですね。左奥に見えるのが、



船玉神社です。船玉神社は各地にあるようですが、ここのは何がすごいって、



拝殿の一部が舳先なんです♪ ぐっときます。

このすぐ脇には、摂社がいくつもあるのですが、「岩長姫命」のおわしますのが印象的でした。イワナガ姫はコノハナ様のお姉様ですね。若い男性が熱心に拝んでいました。誰かのために長寿をお祈りしているのでしょう。願いが叶いますように。



つづく。。。
「美の壺」をご覧くださった方、ありがとうございました。
自分で告知しておきながら、私はまだ観てないのでくわしくは追々に。

ところで、まだ船橋大神宮が気になっています。西側と北側からのレポを少々。



JR船橋駅から歩いて来て、神社の西の鳥居を見たところです。大神宮下の交差点です。



石段の脇にあるこの古い石碑「延喜式意富比大神宮」。この裏にあるのが



この、円の形に積まれた溶岩。空洞になって向こうが見えます!
なんでしょうねコレ。すごくフシギなんです。


つづく。
実は、峰台小学校の手前で遭遇したものに、こんなのがありました。



舟ヘンに宮の文字!
こんな漢字はないと思うのですが、ここの町名は宮本だから、船橋宮本を一文字にしたのかあ、と納得。でもその建物の入口には



舩の文字。船橋は時々「舩橋」とも書くようです。それを知ったのは



私の持っている山玉講の法被から。背後は浦安市の猫実富士です。山玉講は富士塚をたくさん造りました。

さて、佐野屋さんの稼業は何かわかりませんでしたが、この文字を見た瞬間、山玉講のことを思い出し、何となくいい予感がしました。こういう(偶然と思えるような)ことを丁寧にたどっていくと「やはり呼ばれたか♪」という嬉しい出会いがあるものです。

つづく。
船橋大神宮の続きです。
どうしても、その一帯の地形を見ずして帰れない。
一旦、参道を南に下り、外に出て、今度は東側脇を再び登ることにしました。

 これは東側の鳥居付近。

 道はゆるやかに登り坂。



歩いたところにピンクのドットをつけました。
北を目指すと、船橋大神宮の北側、東西を走る道にヒットします。帰宅後知ったのですが、これが「東金御成街道」。家康が東金へ鷹狩りに出かけるためにつくられた道です。ちょうど街道に出たあたりが、丘の尾根っぽい。でも、他にも少し高いところもあるようなので、少し散策してみました。

道をはさんで西福寺の奥がややこんもりしている。中に入って奥に進むと、そこは墓地でした。木々が茂っていなければ、ぐるりと遠方の山々が見渡せたはず。一旦街道まで下りて、また高地を目指しました。

頭の中で、この土地に雨を降らせ、水がどう流れるか、勾配はどっちに向かっているか、などなどイメージして歩き回りました。

高い。低い。高い。低い。
地べたを這うように、舐めるように、歩を進め、地面からのメッセージを聞き取ることに集中するのはとても楽しい。実は、地図なしで歩いていたのです。自分の感覚だけが頼りです。それも贅沢なことですね。



こんな上り坂が一番好き。向こうに何があるのか、考えただけでわくわくします。向こうからやって来た猫とガチンコ。相手はしばしフリーズしてたけど、まもなく屋敷に入って行きました。丘の上に見えた建物(左奥)は峰台小学校。

その後、突然畑が開けたり、細い道に迷い込んだりしながら、気づくとまた街道に戻って来ました。でも、東側にこんもりした山が見えたので、最後のチャレンジ。

ああ、もう当初の目的がわからなくなってきました(笑)。ただひたすら地形を把握したい。

着いたところは日枝神社でした。(地図の中に「浅間前」のバス停名が見えますが、ここから南にある茂呂浅間神社のことのようです)

つづく。
灯明台を正面から仰ぎ見る位置、南側に戻って来ました。目の前には、大規模な戦没者慰霊碑があるのですが、



その右隣に、ちょっと気になる石碑ふたつ。



この後方の山に灯明台があります。



ふたつとも太々(だいだい)講とあり、富士の文字はないのですが、富士塚によく見られるものです。太々講は太々神楽のことでしょう。各地に太々神楽はあって、いずれも天の岩戸開きの舞が中心になっている奉納芸能ですが、富士山信仰にかかわるものは、北口(富士吉田)の富士太々神楽。ここ船橋にも、独自の神楽があります(元旦に神楽殿で披露されるはず)が、この講は富士太々神楽のもので、富士講と同類の集まりだったのではと思われます。それにしても富士塚を訪ねると、神楽がらみの多いこと。

とにかく、それぞれ富士講の講碑によく似ています。碑の土台にはたっぷりのボク石。やはりもう少し歩いてみよう。

そう思って、このあと船橋大神宮の北側を通る「東金御成街道」へ向かいました。
そして、このあたりでもっと高いスポットはないかと歩くうち、素晴らしい出会いがあったのでした♪
それは年明けに書くとして。。。

今年は、本当に濃い年でした。富士塚に興味を持ってくださる方が増えたこと、御会いしたかった方たちにお目にかかれたこと、貴重な情報を下さったり教えていただけたこと、そして新しい出会いがた〜くさんありました♪ いろいろな方にお世話になりました。感謝しきれません。

また、メディアに取り上げてくださることも多く、本当に幸運だったと思います。残念ながらスケジュールが合わず、断念したTVやラジオ出演、雑誌取材もありましたが、ぜひまたそのうち!

1月はTV出演の告知があります。近いうちにまた。
これからも楽しくありがたく、かつ謙虚に、富士塚に登らせていただきたいと思います。富士山、皆様、よろしくお願いいたします。

では、どなたさまも、よいお年を!
当然、一番見晴らしのいいところに灯台は建てられます。
それが浅間山と呼ばれる高台でした。ちょうど江戸名所図会に緑色につけたあたり。

海老川のふもとから続くゆるやかな丘の上に、さらにこんもりと盛り上がりがあるわけです。ここは「覆宮塚」という名の円墳(「意富比神」の墳墓)だという説があるのですが、その塚に浅間神社が祀られ浅間山と呼ばれたらしいです。古墳だったところが富士塚に使われた(と言われる)ケースもありますから、不思議ではありません。



現在の境内見取り図(御由緒に記載)にも、緑色をつけてみました。これには浅間神社は記されていないけれど、宮司が「ある」というのであるのでしょう。



この記念碑は、大鳥神社のすぐ南側に位置しています。(横に通る参道を隔て)



しかし、この図(昭和27年作成。船橋中央図書館ロビーに掲げてあります)を見ると、その記念碑あたりもしくは大鳥神社の位置に浅間神社があった?

ナゾといえばナゾですが、考えてみれば、時代時代で人は土地を現世のため合理的に活用するものです。また、管理する神社や氏子衆の意図により、表記が変わる可能性もあります。古墳だったところが、のちにその意識が薄れたり、一旦忘れられることもあるでしょう。

仮説として。かつて古墳だった塚に浅間神社が祀られ、富士塚のように富士山扱いつまり浅間山とされた。その後、氏子である漁師たち(ここは漁師町でした)により、その頂上に建てられた常夜灯が立派な灯台に変わった。そして浅間神社は北側に移動した。

現在、浅間神社は大鳥神社の奥。玉垣の中で、通常は公開されていませんが、神社によって守られていることも確かです(毎年7月1日の富士山の山開きの日には例祭あり)。



大鳥神社は西向き。その前の参道を進むと閉ざされた門があり、手前右手に、先の看板(灯明台に関する)があるのです。



覗けばここまで見ることができます。う〜ん。浅間神社はあの中かなぁ。でも、見取り図には常磐神社とあるし。。。中に入りたいなぁ。

と、思っていたところ、幸運はやって来ました♪



門を開けて作業をする方たちに、ちょっとだけ見せてもらうことができたのです。でも、もともと普段は入ってはいけないところ。私も奥へは踏み込まず、入れただけでも有り難いと思い、ナゾはナゾのままにしておきました。

実は時々、マナーの悪い研究者の話を聞きます。調査とはいえ、地元の人たちが大事にしているところや品々を荒らす人がいるそうです。いや、決して壊したりするわけではないですが、お参りもせずにいきなり写真を撮ったりすることだって、地元の人にとっては荒らされた気持ちになるわけで。よくわかりますよ。

よかった。私は絶対そういうこと、ないですから。地元の方の気持ちを害するくらいなら、謎を解明しなくたっていいと思っています。

そのぶん、コミュニケーションから情報を得ることができます。
作業員のおじさん情報。
「昔はね、ここは見晴らしよくってね、筑波山まで見えたんだよ♪」
「灯明台祭?その前に初詣においで。上に登れるよ。中には4本の柱が斜めにあってしっかりした造りだ。灯台守の家族が住んでいた階下は和室だけど、灯をともしたところは六角形の洋室だよ。光は今のららぽーとまで届いたんだってさ」云々。

時間のある方は、お正月に是非!

つづく。。。
約2か月ぶりに、自由にブラつく時間がとれたので、船橋大神宮の灯明台に向かいました。

行きたい富士塚はいろいろあったけれど、ここを選んだのにはちょっとした理由がありました。少し前に、東京湾の灯台について調べることがあって、その際に、東京湾最古の灯台として知られている「船橋大神宮の灯明台」にふれ、それからずっと気になっていたのでした。

船橋大神宮の灯明台は、現在は使われてはいないけれど、その建築様式が魅力。そして、灯明台の立つ場所が富士塚かもしれない、というのが今回訪れた理由です。

私の予想では、稲毛浅間神社のような「浅間山」でした。でも実際訪れてみると、ちょっと違った印象を受けました。









今は、海岸線が遥か彼方にあり、昔の面影とはほど遠いはずですが、木造の灯明台は確かにライトハウスの雰囲気でした。宮司さんによると、毎年成人式前夜に「灯明台祭」があり、夜5時から灯りがともり、神事があるとのこと。次回は1月10日です。ちょっと気になるイベントですよ♪

で、浅間神社の存在はというと、普段は閉まっているけれど灯明台の隣に現存するそうで、しかも宮司の言葉「奥は山になっているんですよ♪」に、これはちょっと探検の価値あり、と思いました。



江戸名所図会にも描かれているこの船橋大神宮は、意富比(おおひ)神社ともいいます。左下の海老川を青く着色、麓にある鳥居と本殿を赤くしました。右下の鳥居から入るのが表参道。中腹には土俵があり(黄色)、奥に浅間神社(ピンク)。盛り上がったところに、少々強引に緑色をつけました。全体がなだらかな山なのですが。

つづく。


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ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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