▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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10月7日付の読売新聞に、十条富士の移転のことが記事になりました。



お山開きのこんな光景は、もう見られないんだな〜と思うと、やはり複雑な思いがします。

一昨年、富士講の方たちからお聞きした時の記憶が蘇ってきました。
「数年うちに、富士塚が削られるんです」
「えっ!?!?」
「目の前の岩槻街道の拡張工事が決まっていて、お富士さんの正面の石段半分までひっかかる」
「そ、そんな〜」

形あるものはいつかなくなる。なんて腹をくくってはいるつもりですが、毎年お富士さんのお祭りを楽しみにしている地域の人たちを考えると、とても残念です。移築されるとしても、その間はしばらく(約3年)祭りや神事が滞るとのこと。伝統行事が消えるのが哀しいです。

別の意味で、富士塚の取り壊しも残念です。
私も本の中で軽くふれましたが、実は、まだ調査結果の出ていないものがあったのです。

2008年のお山開きにここを訪れた時、講の方からこれを見せていただきました。



前の年に石段の修復をした際、段のひとつをひっくり返したら、「明和」の年号のある石祠の残骸だったというのです。
「もしこれが、富士塚の造られた年のものだったら、あの高田富士より古いことになるでしょう?あっちは安永だからね」

確かに、高田富士築造は明和の次の安永年間です。これがほんとならスクープです。

「だからさ、十条富士のこと本に書くならこのことも載せてほしいんですよ」
「でも、元和(げんな)って書いてある石碑もあるし、頂上の石祠にも。。。」
「そう。石祠にある明和の文字は、明治の文字も刻まれてあるから、信憑性はないってことだったけど、あっちがフェイクでこれが本物かもしれないし」
「う〜ん」



石祠の側面にある「明和」の文字と、奥宮の石祠正面です。
「元和(げんな)」とあるのは石祠の右下の小さな石碑と、塚の斜面にあるデカい石碑。後者は昭和に建てられたのがわかってますが。

結局、地元の研究者の方や学芸員の方たちともお話して、調査を待つってことにしました。

移転が決まったので、ウラ話をブログに書いたわけですが、おそらく今頃は西海賢二先生(←都内の調査は先生が担当されてます)たちが調査済みでしょう。富士講以外の石碑の可能性が大きいですけど。(よくあることだし〜)

ところで、私はあまり年代や刻まれた文字にこだわらないほうなんです(フェイクがあったり文字に振り回されることだってあるかもしれないし)が、専門家にとっては大事な資料ですからね。じっくり調べていただきたいところです。

そう言えば、発見された石祠の件をある若手研究者に相談したことがありますが、「そんなの(柵の中だろうが)どんどん塚に入って調べりゃいいんです」と言われ、驚いた覚えがあります。いくら研究のためといえ、講の方たちに対して失礼なことはいけませんね。

塚は信仰している方たちのもの。彼らに敬意をはらってこそ真実に近づくというものです。

今年は、富士塚そのものにもいろいろと変化がありました。
今まで閉鎖されていた2富士が常時公開となったり、その逆も2富士。そして、取り壊し(移築含む)決定が2富士。知っているだけでこんなにあります。
時の流れには逆らえません。でも、いいんです。
天変地異で人が傷つくのではないですから。
大事なのは人のココロ。

↓十条富士の最後のお山開きは、下の番組でも紹介されてます。
…………………………………………………………………………
ワンダーJAPAN TV「#9 東京の富士塚」

★ 9月29日(水) 24:00 〜 24:30(まよなか)
★ 9月30日(木) 09:30 〜 10:00(あさ)
★10月 1日(金) 15:00 〜 15:30(ごご)
★10月 2日(土) 20:00 〜 20:30(よる)
★10月 3日(日) 11:30 〜 12:00(あさ)
★10月 4日(月) 18:30 〜 19:00(よる)
★10月 5日(火) 24:30 〜 25:00(まよなか)
★10月 6日(水) 24:00 〜 24:30(まよなか)
★10月 7日(木) 09:30 〜 10:00(あさ)
★10月 8日(金) 15:00 〜 15:30(ごご)
★10月 9日(土) 20:00 〜 20:30(よる)
★10月10日(日) 11:30 〜 12:00(あさ)
★10月11日(月) 18:30 〜 19:00(よる)
★10月12日(火) 24:30 〜 25:00(まよなか)
…………………………………………………………………………
今年の富士山は、今までになく「山ガール」であふれかえっていることでしょう(笑)。

「元祖 山ガール」、私の母も現在富士登山中です。たったひとりで向かいました。
ブランクがあるものの、今回はたしか18度目。



以前の写真から。
頂上の「馬の背」を目指す母です。まだ富士山測候所の多面体ドームがありますね。馬の背ってホントにキツい!短い距離なのに何十分かかったことでしょう。母は私より元気でした。

サプライズ好きな母は、たいていひとりでこっそりと登っちゃう。こちらは、富士山から届いた絵ハガキを受け取って初めて「あら!行ってたんだ〜!」と驚くわけです。今回は、事前に(というか当日だったけど)バレてしまったけどね。

今頃どうしているんだろう。無理はしないとのことだったけど、大丈夫かしら。



富士山もずいぶん変わったでしょうが、自分の足と気力だけが頼りの富士登山は、やはり過酷なこと。若い山ガールたちも、途中から苦しくなり「これは修行かも?」とつぶやくでしょう。



馬の背を目指す母のように、堀江富士(浦安の清瀧神社)の斜面にも、頂上を目指す先達たちがいます。



蝉だって、頂上を目指し。。。



昔の富士講がやったように、私も母の安全祈願をしに神社と富士塚へお参りしてきました。

かつて代参講の性格を持っていた富士講は、先達と数人だけが富士に向かい、留守をあずかる講員たちは彼らの無事を祈ってお参りをしたのです。そして帰還の際には「サカ迎え」といって、提灯を持った村びとが一行を村の入口で出迎えました。

大丈夫と思っていても、祈願する。これは大事なことですね。気持ちはきっと富士山に届くはず。そして当人は富士山のサポートを得られるでしょう。とにかく無事に御帰還ください。

ところで、以前母と登った頃のことをいろいろ思い出しました。



伊豆大島の三原山に登りました。溶岩だらけの光景は私に何かを語りかけ、私はあらためて火山のすごさを知りました。ふたりが見ている先には、海を隔てて富士山が雲から頭を出していました。



バスに乗って見晴らしのよいところに立つと、富士山はもっとくっきりしていました。私はこの光景が忘れられず、この翌月に母と富士登山に出かけたのでした。



おまけです。
火山博物館で火山と溶岩の学習もしてきました。
入口にある巨大な塊。エアーズロックみたい?
富士塚が気になると、しばしばかかる病が富士塚病(笑)。

街歩きをしていて、目に入るものがつい富士山に見えてしまう症状です。一瞬の視覚的なことですから、たいていひとりで「ふふっ」と笑うだけですが、少しでも円錐や角錐の物体を見ると反応してしまう自分が可笑しい。客観的に可笑しいわけです。

すでにその病にかかっている方がいますよね♪

私もそうです。昨日は、ビルの先端にある西日を浴びた、



これが目の端に入り、笑ってしまいました。

そして、富士塚センサーというものもあります(笑)。

これは、もっといろんな要素がからんできますが、富士塚に近づく時に働いているものです。富士塚病を発症すると間もなくスイッチが入ります。富士塚と周波数が合うというか、富士塚の御縁に呼ばれる感じですかね〜。

この時は、富士塚ではなく富士山でしたが。

ビルを眺めていたら、うっかり道に迷ってしまいました。でも、不思議と不安もなく、流れにまかせようという気になりました。気づくと静かな一角に、小さな店が一軒。



そこで私を待っていたのがこちら。この素晴らしい絵画(!?)。



いえ、これは、古い帯を使って仕立てられたコートです。



裏地と同じ真紅の着物の古布で創られたドレスもある、アンサンブルです。
ため息がでました♪



平気な顔をしていますが、この服に手を通した時、鳥肌が立ちました。

空襲で焼け残った一画にある、大正時代の民家を改造してつくられたお店/アトリエは、隅々までセンスよく、服のすべてが新しい命を得て、輝いていました。

実はこの作者を、私は数年来探していました。以前あるところで服を見て、ホレこんだのですが、連絡先がわからなかったのでした。お店は某所にあったそうですが、何の情報もありませんでした。そして、ほんの数カ月前にここに移転して来たとのこと。これは御縁以外の何ものでもないと思いました。

古布を使っての制作ですから、もちろんすべて一点もの。しかし、この方の創作の姿勢が素晴らしい。

「もうこの世にはいない、これを創った人の(刺繍であれば)このひと針、(織りであれば)この絵を、当時どんな気持ちで手がけたのか、気持ちをこめて読むんです。すると、再生された服はひとつも宣伝しなくても、これに吸い寄せられるようにお客さまが訪れます。必ずいらっしゃるんです」

私が富士塚を目にしてよく感じることに
「塚を造った昔の人と、今ある塚を見て感動している自分は、コミュニケーションをしている」
がありますが、この方のお話を聞いていて、とても似た感覚だということがわかりました。

その後、お話は盛り上がり、素敵な時間を過ごせました。
この富士山の柄の服は、画像の百万倍もすばらしいものでした。私には手が出ない額ですが、この方に出会えたのはすごい御縁でした。また近い内にぜひ!

やはり呼ばれたのだと思いました。
狩野元信の作と言われている「富士参詣曼荼羅図」は、有名な逸品です。
教科書にも出ていたかもしれない。



帰国し間もない頃。富士塚が気になったことから曼荼羅図の実物を見たいと思い、1998年春、これを所蔵する静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社へ向かいました。

「あのう、『富士参詣曼荼羅図』についてお伺いしたいのですが」
「公開はしていないですね。それに現在はここにはありません」
「といいますと?」
「富士山に関する展覧会のために、名古屋に貸し出しております」

よく意味がわからなかったけれど、ひとつピンときたことがありました。

帰宅後、私は母に連絡しました。
「今、○○ちゃん(歳の離れた私の従兄弟)は名古屋にいるんでしょ?もしかしたら、富士山の展覧会に関わっているかもしれないよ」

間もなくして、その従兄弟から母宛てに、フライヤーと東京展の招待券が届きました。
「今度こんな展覧会をやります。富士山好きな叔母さんに観ていただきたくて」
「知っていたわよ〜♪」
母の言葉に従兄弟はびっくりしたそうです。
「なんで知っているんですかー? まだ公表していないのに」
「ふふふ♪」

 表

 裏

偶然知ったとはいえ、面白い展開でした。
これが、送られて来たフライヤー。まだ巡回先の東京展のフライヤーが仕上がっていなかったので、名古屋展のものです。「富士参詣曼荼羅図」を背後に「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」が中央に配された、目を引くデザインです。

私は、秀吉所用とされる「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」が大好き。このハデさ。この御神火のシェイプ。かなわないセンスです。そして、NY時代、本で見て興奮した「木花開耶姫像」がやって来る!ワクワク♪

また、同封されていた展示リストを見て、その多さに驚きました。あんなものやこんなものが一堂に!!!

東京展の開催場所は、当時池袋東武デパートにあった、東武美術館でした。何度か通いましたが、いつも大盛況の大入りでありました。会期は1998年12月5日〜1999年1月17日。

もちろん、富士塚の展示はなかったものの、富士講の遺物は数多く、図録にも富士塚に言及された解説がありました。

「木花開耶姫像」は、富士吉田の歴史民俗博物館ではまじかに見られますが、この時はかなり遠くに展示されており、コノハナさまのお顔を見るべく双眼鏡持参の人もいました。

それを思うと、先日放映された「美の壺」富士山特集でここまで寄れたのは快挙でした。このアングルではまず紹介されませんから。

ところで、その従兄弟の母親つまり私の伯母が、先日逝去しました。入院先の病室で、私が出るので楽しみにしていたという美の壺の放映に間に合ったとのこと、有り難いと思いました。

伯母さん、生前はお世話になりました。血縁という御縁に感謝いたします。身軽になった今、富士山の上空をひらりと飛んでいるのでしょうね。見晴らしはいかがですか?

合掌
字名が富士山といううらやましい住所をお持ちのK様には、いつも大変お世話になっております。彼女の七つ道具のひとつに、マグネット指し棒があります。「これを持っていると富士塚でボク石(溶岩)を説明する時に便利なんですよ」と1本くださいました。大変重宝しております。本当に感謝です♪



ふと、自分の持っている溶岩の磁力を確かめてみたくなりました。黒い溶岩より赤いほうがよく吸いつくようでした。丸い磁石の直径が13mmですから、この溶岩がけっこう強い磁力だというのがおわかりでしょう。



富士塚のオブジェをつくり始めた頃、溶岩と小石を集めていました。溶岩は伊豆大島三原山で採取。これらはほんの一部で、大きなものはまだまだあります(笑)。ヘリコプターや船も使って運んだのでした。小石は房総の海岸に通っては拾っていました。石碑や石段の表現に。



大きさや形で分類してますが、このへんは烏帽子岩用ですね。いいカタチのものはほとんど使ってしまったので、これらは予備軍。先日、打ち合わせの際ふとこれらのことにふれたので、帰宅後、久しぶりにひっぱり出してみたのでした。

最近渇望していることといえば、手を動かす作業。今は小石は使いませんが、これらを見ていたら無性に石拾いをしたくなりました。



えいっと出かけたのが、東京湾に浮かぶ人工の渚。葛西臨海公園内、海浜公園の西なぎさです。ぽっかり浮かんだ島なのです。臨海公園から橋を渡って到着です。

でも海を見ていたらそれで充分満たされ、石拾いよりもこのシチュエーションを味わうことにしました。そしてしばらくビーチにて、考え事を組み立てたりノートに書いたりしていました。

ちなみに、ここから見る東京湾はあまり日本を感じません。なぜだろう。(私はずっと南米の海岸のことが気になっていました)



ふと西を見ると、男性がひとり、やはり考え事をしているようなたたずまいで、波打ち際をゆっくり歩いていました。あの人がもし宮沢賢治だったらこの海岸を何と名づけただろう、なんて想像して楽しくなりました♪



渚の西端はこんなです。富士山はやや左寄りの前方です。日没ならば見えるはず。でも、ここは5時には閉園されるので、もう帰らなきゃ。



名前はわかりませんが、パンパスグラスのような、背の低いススキ科の植物が群生していました。心地よい風にふかれ穂先はまるで羽毛のよう。ふわふわとなびいて、淡く金色に光っていました。そして、それにしがみつくのはテントウ虫。驚くほどたくさんいました。

この光景は飽きません。何時間でもいられそうでした。



宮沢賢治もお帰りの様子。捜し物はみつかったでしょうか。。。

私もいくつか見つかりました。自分との対話、そしてフォーカスすること。それは時として広い空間(自然)の中でなければできないこともあります。最近こういう時間が持てなかったけれど、これはとても大事なことでした。



橋を渡って公園に戻り、東側を歩きました。目の前には「舞浜富士」であるプロメテウス火山の姿。浦安です。海から見るのは初めてかもしれない。

舞浜富士は、築造の途中をよく見ていました。今よりずっと富士塚っぽかった(笑)。でも、アミューズメントパーク内の人工火山とはいえ、実はとてもパワフル。先日、本当にそこにパワー(気)が宿っていると知りました。



こんなラブリーなポピー畑を歩いたり、



野鳥観察の沼から夕陽を眺めたり、かなり歩きました。

自然にふれるのは都会の中でもできます。車がなくてもできます。自分が、自然に対してある種の意識を向けなければなりませんが。。。でも早く富士山に行きたい♪



沈みゆく太陽は、ビー玉でした。
私の「メタル富士」を下山する人みたいな。
富士塚が好きでも、富士山に登っても、忘れたくない気持ちがあります。
富士山が見えて嬉しい♪富士山のある国に生まれてよかった♪。。。等の
とても素直な気持ち、と言ったら一番近いでしょうか。

ある富士講の先達が言った言葉に、印象深いものがありました。
「富士山は『征服』する山ではないです。有り難いと思って登るのです」
これには目からウロコでした。

一部の登山家にとって、富士山は「体慣らし」程度の山かもしれません。
でも、これほどまでに人々に愛される富士山は、やはり特別なお山です。
それは、スーパー聖なる山という特性からでしょう。

いくら富士山に登るといっても、「ありがたい」を忘れたくないですね。
そういう気持ちを持つことが、心を豊かにしてくれるような気がします。

有り難い気持ちはカタチにするともっと有り難い。
最近、お気に入りの富士山グッズは。。。


ある陶芸家が創った、ありがたい富士山の姿の箸置き。
(この中からひとつ選ぶつもりが、全部よかったのでいただいちゃいました)


ガラス製のお守り。長寸1cm強。背後にあるのは金箔。財布の中に。

なんと、縁起のよい姿でしょう。
まだアップしていない富士塚は山のようにあるけれど、それはまた追々に。

今日は久しぶりに日記らしく、半日の様子を書いてみまっす。
本日の富士塚はここ。



さて、どこでしょう♪


今はこんな姿。新馬場に滑り込む直前、京急の電車の中からカメラにおさめました。
上の古い写真は、大正時代の「品川富士」の様子であります。まだ第一京浜国道(15号線)が神社に食い込んでなかった頃。神社に上がる石段はゆるやかだし、富士塚の形も違う。この頃は海も近かったのですよ。


昨日、ユージン・スミス Eugene Smith のあの有名な作品「楽園への歩み The Walk to Paradise Garden」をTVで見たせいか、頭に焼きついていたので、ちょっと意識して画像加工しちゃった。何だかフェアリーっぽいけど。富士塚を登る少女たち。

さて、品川神社に来ると必ず行くのが旧東海道をぶらり。


この東海七福神に品川神社も入っています。東海七福神を考案したのが、郷土玩具研究家の「有坂與太郎」。彼の残した本を読むと、もちろん、富士塚のお山開きに見られる「麦藁蛇」のことも、出てきます。玩具の研究のため、祭りをめがけて日本中を歩いていたので、その記録があります。どこで何を求めたかが記されているので、何月何日にどこのお山開きがあったかもわかるんですよ〜。


旧街道を歩きます。途中、前回買いそびれた「品川縣麦酒」を買おうとしたら店がしまっていた。残念。友人が「旨い!」と言っていたので味わってみたかったのです。これは、明治始め、品川にあった日本最初のビール工場にて造られた幻のビール。2年前に復活したんです。


品川寺と書いて「ほんせんじ」と読むお寺です。が。入ってすぐに鳥居がある。稲荷です。私はここが好きです。異界が混ざりあっているというか。本殿の天井の梵字が見飽きない。役行者がいる。金生(かのう)七福神がいる。あっちこっちに仏像がいる。今日は、なぜか真っ黒な子犬(ラブラドール)になつかれました。


山門のすぐ外には、亀(玄武?)が歯を食いしばっていたり、大仏も座っています。


旧東海道はのんびり静かでした。鼻黒ネコも健在でした。なんとこの子の家族はみな鼻黒でした。


品川神社の氏子さんで「御神酒講」に入っている若い方がいて、その講のことでやって来たことがあります。名前がいいですね〜。これがあるのが「海雲寺」。偶然にも、ここで、以前から欲しかった「うすさま明王」のお札をいただき、その時に、ご住職に講のお話を聞いてたら、「もっとビックリのものがありますよ」




と教えていただいたのがこれ。「電燈講」。ご住職もナゾだと言ってました。でも、講なんて何でもアリですからね。「マッチ講」なんてのもあったし、「橋の欄干」だって講の対象になってたくらいだから。

散策は青物横丁までです。駅前に、激安のスーパー「OK」があるのでつい寄ってしまう。重いのにバーボン1本と1リットルのオリーブオイルを買って帰りました。

家の中は、金属破片が散らばってまだまだ片付きません。メタル富士の準備です。
うわぁ!イベントまで2週間切ってしまいました〜。


富士山のことを想いつづけると、やっぱりいいことがあるのかしら?

おかげさまで、富士塚ツアーの当日は晴れることになりましたよー♪

最近「想念」というコトバが頭をよぎります。
ちょっと前に書きましたが、私は「晴れ女」です。
そう言えば、私が晴れてほしい時には特別な想いを描きます。
それがどんなかはうまく説明つきませんが、「晴れてくれてありがとう」
って気持ちを込めることですかね〜(笑)。
はい。信頼をおくことです。ダイジョブダイジョブって。
直前まで雨が降っていても晴れてほしい時間には雨が上がっていた。
そんなことは何度もあります。ホントに何度もね。

画像は、私がいつも持ち歩いてるクリスタル。
暗いところで撮ったので、少々黒いですが、全くのクリアです。
でも中に紫色が見えますか?これはアメシストです。

これを手に入れた当初は、ぼんやりとしたカタチだったのですが、
今は綺麗な結晶になってきました。
これも想念のおかげかな?

ちなみに、昨年の10月、横浜での「メタル富士」イベントでは、
前日にメタル富士に向かって想念を飛ばしました。
コノハナさま……▲※*∋♢◎■☆▽♠∞●∵♡ってね。
おかげでこの時も、前夜の雨が嘘のように晴れましたよ。
昔よりも富士山が好きになったのは、正直なところ、富士塚のおかげと言えます。

富士山を嫌いになったことはまあない。遠ざけようとしたことはあるけど(笑)。でもフツーに富士山好きって程度だったら、こんなに富士山に興味はわかなかったでしょう。美しいだけとか登山するだけなら他にも山はある。何だかわからないけどココロに刻まれるその存在。その理由に向き合えたのは、富士塚のおかげ。富士塚に出会えたことで「ナゾ解き」が始まったからでした♪

↓これは10年近く前の富士登山で、頂上の奥宮でいただいたものです。



そしてこれ。金剛杖の先端にあるのは、頂上の山小屋で捺された焼印です。




来年あたり、調子がよければまた登っちゃおうかなー?(母と一緒に???)
富士登山を甘く見ているわけではないけれど、丸藤宮元講社の井田先達(今年1月に他界された)の言葉を思い出せば、そう辛いこともないでしょう。

「富士山は征服する山ではない。有り難く登らせていただくお山であります」

ではでは、どなた様もよいお年をお迎え下さい。
来年もまたたくさんの引き出しを開け、富士塚記事を書きますので〜。


富士山の姿が描かれた白いビルは、「山は富士♪酒は白雪♪酒は白雪、白雪〜♪」のCMが懐かしい、白雪で有名な小西酒造の東京支社。

近寄ってみると、富士山絵はタイル画でした。白いタイル壁面に墨色のタイルで細かく表現されています。強烈な印象はないけれど、町の中にはさりげなくあってイイ。一度、高速の上から車に乗って見てみたい。それも少し曇りの日がいい。おぼろげに見えるイリュージョンて感じじゃないかしら。なんてね。

日本最古の蔵元であるこの会社、本社は兵庫県伊丹市にあります。でもなぜ富士山が見えない土地なのに富士山を引き合いにキャッチコピーをつけたのだろう。(まあ、富士山に憧れる西日本の方たちの気持ちもわかりますが)たぶん富士山を「日本一!」という代名詞に使ったのかな、と思って何気なく調べてみたら

「寛永12年(1635年頃)、江戸へ酒樽を運ぶ途中、小西家二代目宗宅は雪をいただいた富士の気高さに感動、清酒に「白雪」と名付けました。」とのこと。

さらに会社年表には、
元禄7年 (1694) 江戸茅場町で生産者の出店として初めて酒問屋を開業(現東京支店の所在地)。と出てた。へえー!元禄の時代からここに酒屋があったんだな〜。などと感心してみたり。そういえば、日本で白雪を飲んだ記憶はないけど、カリフォルニアの日本食レストランではよく飲みました。もしかして「富士塚キット」の前身「初詣キット」を披露した時に日系人達と飲んだ酒が白雪だったかもしれない!

しかし、シンクロニシティというか。今日、来春伊丹市で行なわれるアート展に私も富士山の新作を出品しようと決めたところです。平面の小品ですがコンセプトは「ID」。自分で制作するパスポートという、アイデンティティをテーマにした展覧会です。私のアイデンティティはモチロン富士山と富士塚ですから、それを題材に作ります。展覧会は伊丹市の後、ヨーロッパをまわるそうです。

さて、話を戻します。正確に言うとひとつ前の記事に戻します。

「三峰」について。富士山を描けと言われると、大人も子供もてっぺんにみっつのギザギザかみっつの峰を描くでしょう?それはナゼかという話であります。これは奥が深いですぞ〜。

あ、でも書いてる時間がない!明日久しぶりにはじめての富士塚に行くので下調べしなくては。。。


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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