▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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昨日の出会いはコレ。
富士山センサーが働くと、向こうからやって来るようになりました。



お気に入りの骨董屋さんに飾ってありました。
古い皿ですが、ワンコインで購入。

「ヒビがあるけど普段使いできますか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「でも、一応継いでもらおうかな〜。友人の漆作家に」
「えー!?できる方いらっしゃるんですか?」
「頼めばやってくれると思いますよ。金継ぎ」

面白いと思います。

金継ぎとは、割れたり欠けたりした器を、本漆で接着し、
継ぎ目に金粉を蒔いて飾る日本の伝統的な修理法です。
でも、ヒビくらいなら必要ないかも。

とにかく、この柄との出会いはスバラシイ♪
こいつは春から縁起がいいゾ。
東金御成街道を少し東に歩きました。
(そのまま進むと「成田街道」と交差するのだと帰宅後知りました)



ほどなくして、街道に面して鳥居がありました。
一の鳥居。二の鳥居。奥に続く石段。これにはそそられます。



そして、それをたどると、神社が待っていました。



もちろん、地図なしで歩いていたので、ここに着くまで神社の名前すら知りません。



小高い山ですが、富士塚ではないようです。でも、





出羽三山の碑があることから、かすかな期待をぬぐえませんでした。
千葉県の富士塚には三山講の碑もよく建っているからです(富士講が三山講と関わっていることも多いのです)。

密かに思いました。「富士塚でなくてもよしとしよう。三山講があっただけでも手がかりになるかもしれない」

ところが、手水舎に目をやると



驚くものが目に入って来ました。(通常、神社に行くと最初に手水舎で御浄めをするのに、なぜかこの時は、先に三山講の碑に気づいたのでした)



それは、明らかに「山玉講」船橋のマネキでした。
山玉講は、浦安では解散したと聞きました。でも、船橋ではまだ?



存続していたようです♪
というのは、色褪せた古いものと新しめのものがあったので。
染め抜かれた「下」の文字は「下宿」のことです。(船橋大神宮で見た太々講は「上宿」でした)
ついに、現役の山玉講の証に出会ったわけです。

それにしてもフシギな気分でした。ここは浅間神社でないとすぐに気づいたものの、山の信仰の気配は感じました。そして奥に向かえばこのとおり。社殿の裏まで見てみたところ、山は富士塚のカタチではなかったですが、たぶん富士講の人たちにとってはある種の浅間山だったのでしょう。

実は、この近辺にはもうひとつ日枝神社があるということがわかりました。そこは船橋大神宮と深い関わりを持ち、小さな富士塚まであるらしい。でもさすがに、富士塚マニアもここはノーマークだったに違いない!(笑)

とにかく、もうひとつの日枝神社を訪れる楽しみが増えました♪
「流山・富士塚紀行」はまだ続くのですが、その前にまた割りこみ記事です。日曜日のことですけど。

青竹で囲いができてしまった「堀江富士」へ、ふらっと出かけました。

でも、神社まで行ったら急に鳥居をくぐる気分にならなくなったので、横道に回りました。ま、そういうこともあります。それもよし。散歩は直感や気分で歩くのが一番です。そのほうが発見が多いから。

神社に隣接するお寺に吸い込まれるように入って行きました。小さいけれど素敵な池があるそのお寺には、お気に入りの金色の鯉がいます。金の輝きは同じだったけど、前よりもちょっと大きくなっていました。

ふと墓地のほうを見ると、お墓参りの人が大勢来ていました。線香の煙がかぐわしくて、私はすうっとそちらのほうへ歩いて行きました。以前から、池を見にお寺に立ち寄ることはあったけれど、墓地までは入ったことがありませんでした。

花を供える人、墓石を丁寧に磨く人たちの姿が、とても気持ちよく目に映り、私は心の中で墓地に眠るすべての霊に「こんにちは」と短く挨拶をしました。そして、墓の立ち並ぶ間をあてもなくぶらぶらしておりました。

気づくと見覚えのある姓のお墓の前に来ていました。

堀江富士の講碑にいくつも名前の刻まれていた大先達の方の姓でした。周辺には、同じ家系らしい同名の墓石もありましたが、そのひとつにその方が眠っている気がして、心の中で丁寧にお参りしました。

富士塚に行こうとして急にお墓に足が向いたのは、とてもフシギな気がしました。私は堀江富士を作った「山玉講」の講員ではありませんが、よく手を合わせている私を何者かと、その大先達が思い隣の墓地から私を呼び寄せたのではないかと、そんな気がしてなりませんでした。

お墓は古いものでした。ふと見ると、一般的な墓石の左右にボク石(溶岩)が設置されています。「さすが富士講の大先達だ!」と感激しました。富士講の講祖である食行身禄の墓ほどではないけれども、墓石にボク石をあしらうなんてと。

ところが、ボク石を使っているのはこの家だけでないことがわかりました。よくよく見ると、あらら、あっちにもこっちにもボク石が!正確にはメインの墓石の左右に石柱が対になって建っていて、先端には家の形、根元にはたっぷりのボク石が使われていました。中には家の形が「中門造り(曲り屋)」と凝ったものもありました。

さすがに写真におさめられないので、イメージ画像を作ってみました。石柱とボク石はこんなです。



富士講に入っていたお宅のお墓なのでしょうか。それとも安価な石として流行ったのでしょうか。ボク石は関東で庭石としてポピュラーだけど、お墓に使ってあるのは身禄の墓以外で見るのは初めてでした。興味深いですね。

ちなみに「中門造り(曲り屋)」とは↓こんなカタチです。




燃えていた。大きな炎だった。

山の端(やまのは)を探すほどの強い輝きだった。



噴火に脅えているわけではないけれど、

いつも心の隅にある、この光景。



火山なのだ。火山なのだ。

封印が解かれないともかぎらない。



優美な雪山に憧れてはいても、

常に畏怖の念を持ちつづける。

神格化されるのは、その怖れが

あるからだろう。





いいレンズで撮っていたら綺麗な光線が写ったでしょう。

これも「ダイヤモンド富士」と呼ぶそうです。

でも、どちらかというと「琥珀」のイメージ。



太古の時間は地球の歴史。深い何かを呼び覚ます。。。




今年初めての富士は、浦安駅のプラットフォームから。

東京は日本橋地区、茅場橋の近くです。
高速のすぐ向こうに【三峰】の頂きを描いた富士山があります。

三峰であることに密かな喜びを感じました。

実はこのアタマ、流行ってました(笑)。老いも若きもです。おお、マツリヘッド!

祭のためなら浦安人はハンパじゃありません。小さい町に神輿が100基もくり出します。東京からも祭好きが押し寄せます。次は4年ぶりの来年6月。実は今からわくわくしています!

富士塚からまた離れちゃいますが、浦安三社祭の心意気が垣間見えるワンショット。

孫をおぶった粋な祭人。この人メチャ渋くて目立ってました♪

好奇心に逆らえず、もうちょっともうちょっとと先に行ってはいつも帰りが遅くなります。

必ず帰らねばならないのだから、帰路の時間も考えるべきなのですが、うっかりそれを忘れてしまうので、予定の時間の倍かかってしまうのです。この日の散歩は5km以上歩きました。

でも、それはそれでいいこともあります。

神社で富士塚には出会えなかったけれど、旧江戸川の土手に上がったら。。。
帰り道はずっと富士山と一緒♪(画像はコントラストをつけてます。実際はもっと明るい)

日枝神社を出て、そのまま旧道を北へと向かいました。
そう遠くないところに香取神社がある、というのを人に尋ね聞いたので。

香取は「かんどり」と読みます。千葉県にはかなりの数があります。江戸川区にも。

とはいえ、初めて歩く旧道はゆるやかにカーブしていて結構距離がある。まあ、まだ日は高い、休日の夕暮れをとぼとぼ歩くのも悪くない。日枝神社になくても、もしかしたら香取神社にはあるかも!

う〜ん。残念ながらありませんでした。富士塚は(笑)。

でも、日枝神社につづき、ここでも手水鉢が溶岩で固められていたのが印象的でした。背後から見るとホントに富士塚のようです。ボク石(溶岩)は庭園等に使われるポピュラーな石材(関東だけ)ですが、神社に入ってすぐのところでこんな素敵な姿に出会えるとは。ちょっと嬉しかった。


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関東各地に造られた「人造富
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地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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