▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
熱中時間のひとコマ。



日が暮れるまで頂上にいる私が映っていましたが、実は、地上から見上げた定点カメラも長時間私を追っていました。撮った映像を早回しにしたら、巨大な富士塚を登り降りする私の様子が面白かったのですが。。。

さて、この西宝珠花富士は、本には掲載せず見取り図も記録がなかったので、ロケの日に登拝しながらメモしていました。ところが下山してみると、



地域の方たちが待っていて、嬉しそうに私に見せてくれたのです。

「こんなのがあるんです」
「ひぇ〜!何ですかコレ♪」







そこには、この富士塚に乗っている全ての石造物の調査報告が記されていました。図版もあり。

立教大学の学生さん達による調査報告書でした。学芸員課の。
ふたつ前の見取り図はその中の一枚だったわけです。すごいや。サスガ!

もちろんこれは非売品ですが、地元の方の御好意により、しばらく拝借しております。感謝です!

いろんな石造物があるわけですが、地元の自慢はなんと言ってもこの歌碑。



中腹の登山道脇にある、板東三津五郎の歌です。

「釈尊も納受まします 宝珠華(花) 女人ものぼる 江戸川の不二(富士)」

実際は、文字が摩滅していてとても読めなかったので、これは有り難い!
富士塚のすぐ近くに「大凧会館」があります。このあたり、旧庄和村では、昔から
凧を上げる風習がありました。


東を向いたらこんな眺めです。江戸川の土手もよく見えます。
大凧は毎年5月、その土手の向こう側の河川敷で上げられます。
江戸時代からの伝統行事です。
百畳敷の大凧と呼ばれる、縦15m、横11m、重さ800kgの大凧は、
ここ大凧会館に保存されています。
そのため、建物はメチャクチャ高さがあります。
この画像はその最上階から撮ったもの。
野田市へと続く宝珠花橋も正面にあります。
右側には、西宝珠花富士もちゃんと見えます。


富士塚に寄ってみました。電線がちょっと邪魔だけど、頂上がよく見えます。
登山道はしっかりしています。

これは正面の道を上から見たところ。

でも、裏には、頂上から下りる道や他にもたくさん道があります。
いや、道でなくても何層にも段がついていて、結構複雑です。登りがいがある〜!

下山道とは違う、裏側の1本はこんな感じ。

そして、その途中には、コレ。
「是与里(これより)中道」って。。。

少し行くと、この経ケ嶽。

そして、その背後に小御嶽大神。

まだまだあります。

別の階層だったと思うけど、二十三夜塔。

古い二十三夜塔(大正10年)。

とにかく、探検が楽しい塚であります♪
亀岩のところから、いったん頂上に戻ってみます。

 
浅間大神の石碑のまわりは、ゆとりがあるものの、引いて撮るのは困難です。
頂上からは、背後の土手がこんな風に見えます。そうだ、裏から見てみよう!


いい形の富士塚です。
頂上の石碑がきれいなシルエットとなり、印象深い光景です。
まだ日が高いのに暗く見えるのは、西日を受けて逆光だから。
そう。この塚は、富士山の方角を向いています。
塚の裏側も、よく見ると幾重にも道があり、たくさんの石碑が置かれています。


塚から土手へは、こんな風に続いています。
魚勝さんで買ったのりまきをほおばりながら、しばし風に吹かれたりして。
抜けるような青い空、気持ちいい〜! 川原で凧上げをしている人もいます。

では、再び塚に戻ります。

すごく手の込んだ作りです。「亀の手」です!


これが全体図。頭と大きな甲羅も特徴的。傍らには「亀磐」と刻まれた標もあり。


私の足と比べて下さい。かなり大きいのがわかるでしょう。
位置は8合目付近。 本当に、富士塚には亀岩がよくつけられていますよ。

高さは約9m。太陽をいっぱい浴びて美しい富士塚です。


ここの鳥居には

 
こんな扁額がかかっています。「三国第一山」とは富士山のことであります。
富士信仰の歴史に重要な存在だった、小谷三志の書いた文字を型どったものです。
この富士塚の目玉でもあります。


ゆるやかな登山道をゆくと、すぐ左側に聖徳太子の碑があります。
聖徳太子のことは、以前ちょこっと紹介しましたが、こうして石碑にあるのは
珍しいです。


折り返して、右へ登って行きます。富士講に関係ないようなものもありますが、
道は続きます。
そうそう、この富士塚の特徴のひとつ、合目の道標は御神燈に刻まれたものです。

5合目

6合目

8合目

そして、頂上手前にある。。。

烏帽子岩と、頂上の浅間大神の碑。

頂上はかなり広い。浅間大神碑のまわりをぐるりと廻れるほどです。
でも、この塚で最もユニークなものが、烏帽子岩の手前にありました!

つづく。。。
ひとつ前の記事、マップに赤く記したところが、西宝珠花富士のある地点です。
バスで20分走ったらこんなところでした。江戸川沿いに走る街道。



土地の人が言う。
「古い家はもっとたくさんあったんだけどね」
「住宅の下には遺跡も多いんですよ」
この魚勝はよかったな〜。地域のコンビニです。
なぜか、鯨のベーコンがたくさんありました。私はかんぴょうののり巻きを購入。
左は種苗店。

この街道を東に曲がると、千葉県野田市に渡る宝珠花橋へと続く道路へ入ります。
その先には。。。


宝珠花神社があります。左奥にはもう富士塚が見える!


土手の上を自転車に乗った人が行く。ああ、なんて気持ちのいい神社だろう。


神社の鳥居もスッキリ。それをくぐって、後ろを振り返ると。。。


こんな具合。右が幸手(さって)で、左は春日部。西日が眩しい!


では、神社の中へ進みましょう。


社殿の左が「西宝珠花富士」です。デカッ!


左から2行目に、「江戸川舟運の繁栄」というくだりがあります。

「舟運」という言葉は、富士塚を知る上で欠かせないものです。

富士山信仰が伝播した条件や、ボク石を運んだ流通背景などが関わるからです。

でも、「なじみのない言葉ではないか?」と言われたことがありまして、

ちょっと控えていたのです。が、

現実はしょっちゅう出てくるのは確かです。ブログでは今まで通り使いますね。



さて、その江戸川の舟運がさかんだった地区に行って来ました。

埼玉県春日部。川の東側、千葉県の富士塚はいくつか知っていましたが、

埼玉県側にも数多くの富士塚があるそうです。

今回訪れたのはひとつだけ。「西宝珠花富士」。とてもいい塚でした。

つづく。。。


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富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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