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▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
私は、他の人ほど自分の過去の作品に興味がなく、すぐ忘れてしまいます(笑)。作ったものも大事だけど、これから作るもののほうが大事だから。
ところが、たまたま昔のコンタクトシート(密着紙焼き)が出てきたので、ルーペで見てみたら。。。驚きました。 90年代半ば、NYのスタジオで友人が撮ったものです。 手前の白い八角形の絵は、油絵具とエンコスティック(蜜蝋)に銀箔あしらい。月向台にインスパイアされて描いた築山です。ふたつ奥は、油絵に金箔。これは岩山です。 この頃はまだ富士塚を知らないのに、なんと小山を描き始めていました。理由はわかりませんが、山が気になっていたのでした。それもただの山でなく、儀式的な築山。 そうだった。そうだった。魂が山もしくは巨岩に入るという信仰がアジアにある、と知り、気になってしかたがなかったのでした。この頃はまだやみくもに、手が動くに任せて描いていました。オートマティズムに近い。でも、これが後の富士塚との出会いの下敷きになっていたとすれば、興味深い。 そう言えば、今年の春にある人から言われました。 「あなたはずっと昔から富士塚を知っていたはずです」 いえいえ、私は知りませんでしたよ。でも。。。知っていたような気もする。正確に言えば、富士塚というものは知らなかったけれど、それに出会う伏線としていくつか思い当たる感覚はある。聖なる山のイメージ、築山をつくるイメージ。。。そういうことですか。 たまには冷静に、自分の辿ったものを見つめるのも大切な行為かもしれません。ちょっとひも解いてみようと思いました。
花園神社境内の、芸能浅間神社の新宿富士の記事が続きましたが、最後にひとつ。
新宿富士って、知らないと見過ごすほどのちっちゃな富士塚ですが、かつては。。。 ド〜ン! こんなに大きかったのでした。立派ですね〜。 花園神社の町名は新宿5丁目。西側に隣接するゴールデン街が歌舞伎町なので、ついここも歌舞伎町にあると思ってしまいますが、この一角は新宿5丁目なのです。(ゴールデン街との境の道が町名の分かれ目) かつてはこのあたり、三光町と言ったので新宿富士も三光町富士と呼ばれることがあります。すでに新宿富士の名で定着していたので、私も新宿富士と呼んでいますが、一般的に富士塚の名は、古い町名をつけたものが多いので(もちろん混在していますが)本当ならこれは三光町富士。いや、町はつけないから正確には「三光富士」ですよね。だって、近くの鬼王稲荷神社の西大久保富士だって歌舞伎町にあるのですから〜。 まあ、通称は柔軟に受け入れています。 さて、昔の姿はこんなに立派ですが、今と同じ場所にあったわけではないそうです。かつては、花園神社拝殿の南側にそびえていたとのこと。おそらく現在の常陽銀行の裏あたりではと思われます。 とすると、写真の右奥の大きな建物は何でしょうね。ビルの上には看板の骨組みらしきものもついていて。 富士塚の位置が拝殿の南側だったとすれば、そのビルは境内越しに見えると思ったのですが、どうも不自然。現在の地図を見ると、位置的に第二分庁舎ですが、かつては新宿区立四谷第五小学校だったわけだし。それに、その手前の家屋は何? もしかしたら、靖国通りすれすれに富士塚があった? う〜ん。町史を見たらわかるのでしょうね。時間があったら調べてみたいところです。こうしてついハマってしまうのでキリがありません(笑)。 ちなみに三光町の名前のなごりは商店街にあり。ゴールデン街の北側が新宿三光商店街です。(ゴールデン街の中かと思いきや、一角だけ違う組合なのですと)
「酉の市フレンド」がいて、10月末には「そろそろだね。今年はどこ行く〜?」と連絡が入ります。今まであちこちの酉に市に出かけたけど、見世物小屋も目当てにするので、花園神社が一番多い。今年は行けなくて残念だったけど、見世物小屋はどうだったでしょうか。美しい小雪太夫は出てたでしょうか?
それにしてもさすが芸能の神様、花園神社は独特です。 宿場町としての新宿が栄えた江戸時代、大火で焼失した社殿を再建するため、境内に劇場を設け、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博した、それが芸能の神様のルーツ。だからこの境内にはありとあらゆる興行が似合うのです。 今年の7月、ふらりとここを通った時のこと。暗い境内で、大きな声が聞こえてきました。それも複数。でも言い合っている様子でもなく、発声練習か歌の練習か。とにかく張りのある声。 すぐに「芝居の練習だ!」と気づきました。近づくと小屋が建ってる。 これはラッキー!この日は、椿組の公演前夜の通し稽古だったのです。芝居の内容はわからないけれど、隙間から役者たちが見えたしセリフもよく聞こえ、野外劇の雰囲気にひたることができました。 私は野外劇が好き。数年前にここで観たのは、唐組の「泥人魚」♪(テント小屋は雑司ヶ谷鬼子母神でも観ました「ジャガーの眼」)。 公演前の中を撮るわけにいかないから、ちょっとだけ奥の幕など入れて。 山田まりやちゃんもいたな。 さて、こんな時の新宿富士はというと。。。 やはり違う。まるで芝居のセット。芝居に参加しているかのような雰囲気です。ケバく妖しく花園神社ならでは。たまりませんね。 鳥居の内側から見た図もぐっときます。向こうの小屋は楽屋です。
いくら忙しくても、ゆっくりでもブログは継続していきます。書くことが尽きないだけでなく、私は富士塚の「広報担当」ですからね(笑)♪ これはどうやら富士山にやらされている、つまり富士山からのミッションのようなので、有り難くつとめさせていただいております。だって私の名前は「芙蓉峰(富士山の別名)の子供」、ズバリ、富士塚なんですから〜。
さて、今日は酉の市。 今年は二の酉までと少ないこともあり、残念ながら私は行けないので、昨年の三の酉の花園神社の画像をアップ。 熊手もいいですが、 この雰囲気がたまらず、仲間と遅くまで飲んでました♪ 実はこの日、写真家の中里和人さんの個展で、中里さんとトークショーをした文筆家中野 純さんにお会いした後でした。中野さんとは富士塚つながりでもあり、積もる話もあったのですが、花園神社の酉の市が気になり、挨拶もそこそこに神社へと急いだのでした。そう言えば昨晩、偶然にも地上波のNHKで熱中時間に出ていた中野さんを拝見しました。彼はナイトツアーもやる「暗闇熱中人」なのです。 さて、もちろん記事のメインは富士塚です。花園神社境内にある「新宿富士」。 「三國第一山」とは、富士山のこと。富士吉田の北口本宮浅間神社の鳥居にも掲げられていますね。もちろん富士塚でもよく目にします。みっつの国は、中国、インド、そして日本。昔はこの三国で世界ができていると思われていたのだそうです。ですから、富士山は世界一の山ってことですね。 暗くても拝んでください。 酉の市で賑わっている日は、影の存在ではありますが、 私はこの日こそいいチャンスだと思っています。夜に登拝できるのはめったにないことですから。また、酉の市と富士塚は無関係ではありますが、この日に市の建つ神社に富士塚は結構ありますよ。 花園神社境内の「新宿富士」の他に、江東区富岡八幡宮奥の大鳥神社境内「深川八幡富士」。足立区鷲(わし)神社境内の「島根富士」、足立区花畑大鷲(はなはたおおとり)神社が管理する(そこから少し歩きますが)花畑浅間神社の「花又富士」。 他にもあるはず。ちなみに、花畑大鷲神社が酉の市の起源です。浅草でなく。 今夜酉の市に行かれる方は、熊手を買った後、ぜひ境内を歩いてみて下さい。
いろんなことに追われて余裕のない時でも、いや、そんな時こそ、時間を作ってでも散歩に出るのがいいですね。人間て、ついつい自分に課してばかりでつらくなるもの。先に進むため、それから一瞬でも解放されることが必要です。
歩くペースはゆっくりと。行き詰まった気持ちが和らぎます。行き先はやはりこの富士塚、猫実富士。あ、今日は人が多い♪ 思いきりオシャレをした(された)子供がいる。七五三だ! 豊受神社の本殿から、御祈祷の太鼓の音が聞こえてきたと思ったら、出て来た人たちも七五三のお参りでした。家族で楽しそう。そう言えば、自分が8歳になった時「これでもう七五三のお祝いもしてもらえることがないのだな〜。もう子供じゃないんだ!」なんて思った記憶があります(笑)。 巫女さんも玉串を抱え、富士塚の前を足早に社務所へと戻ります。お疲れ様でした。 ステキな情景を垣間見ることができて、私も和むことができました。解放済み♪ あっちでも解放された子供が、走り回ります〜。
時間は溯りますが、西谷富士を求めて歩いていた時です。
相模本線西谷駅北口を出て、八王子街道(国道16号線)を東に向かいました。 すると目に飛び込んできたのは、 ふじづかせいさくしょ??? どう読んでもそうですよね。 平日ですが、シャッターが降りているので詳しいことはわかりません。 でも、ガラス戸の奥に人の気配があり、休業でもなさそう。 アートとはいえ「富士塚つくってます♪」と豪語する私としては、気になるわけです(笑)。なあんだ、富士塚をつくる会社がすでにあったのか?それとも西谷富士が近いから、それから取った屋号か?名前にするくらいだから、主人は富士山信仰をしていた人か??? 数歩進むうちに、頭の中でいろんな疑問がよぎります。 あれ?確か横浜に富士塚と名のつく土地や屋号が多いけど、ここだっけ? 地名の由来は富士塚があるからだけど。。。いやいや、それは港北区のはず。 ここは保土ヶ谷区の西谷町だし。 (保土ヶ谷区にもここから東南の位置に藤塚というところがありますが) よほど店の人にお聞きしようと思いましたが、とにかく急いでいたのであきらめました。でも、横浜には富士塚とそれにちなんだ名前がとにかく多い。いろいろ調べてみると面白いことがわかると思います。 土地カンがないのと交通費がかさむので、私の調査は手薄です。でも富士塚に関して調べたいことはつきません。縁あって訪れる時は何かに導かれてのことでしょう。それも楽しみにし、ムリして歩きまわらないスタンスで♪ ところで、こちらの業務は何でしょうか。 階段、ガレージ、ベランダ、シャッターなどと書いてありますが、金属を使っていることは確かです。まさか、これは表向きの仕事で、実は富士塚づくりが裏稼業? やはりメタル富士を作ってる(笑)? 金属加工を生業としつつ、富士塚作ってるとは言えない、でも西谷富士にあやかって屋号だけ富士塚制作を臭わせるものにした? 実は密かにメタル富士信仰者が大勢いて、発注は常にある? な〜んてね(笑)。楽しい妄想でした〜♪ 案外私が「固定式メタル富士」をこちらに発注したりして。あ、でも溶接は自分でもできることが最近わかりました!
西谷富士の全景をちゃんと撮ろうと思って、少しずつ正面を見ていました。
浅間神社の碑に並んで、いくつかの神社があります。これは山神社だったかな? もっと寄ろうと思いつつ、西の空が気になって見てみました。 残念ながら西日は拝めず、富士山も雲の中。大山だけが形を見せていました。 すると、背後に人の気配を感じました。 坂を登って来た御年配の女性が、少し息をはずませながら近寄って来ました。 どうやら散歩の様子。手に巾着袋を持ち、にこにこ立っています。 私もつられてにこにこ。 「やっぱりダメ?見えない?」 「雲がかかっちゃいましたね」 「あ〜。午前中よく見えたって聞いたから来たんだけど。。。」 「あそこ、雲が分厚いですね」 「う〜ん。残念」 まるで知り合いのような会話からスタートしました。なんだか可笑しい♪ 女性が見たかったのは、もちろん富士山です。 彼女はいきなりおしゃべりを始めました。とても気さくに。 この土地のこと。家族のこと。自分が生まれた北関東のこと。。。 それはたわいないことばかりだけど、聞いている私は、とても楽しくて幸せな気分になりました。実はこういうの、富士塚をめぐっていて時々あるのです。嬉しいです。 「この富士山ね、昔からここにあってね。子供達はいつもこれに登って遊んでたものよ」 「道がぐるっとついてますね。私も登ってみたら楽しかった♪」 「そうそう。そこをかけ登って〜。うちの息子も、小さい時はここが遊び場だった」 このくだり、富士塚のそばでよく耳にします。浦安でも聞く話でした。 「でも今は、ここで遊ぶ子もいなくなった」 「子供は外で遊ばなくなりましたね」 「大人がいけないんだよ。危ないからダメってすぐ言う」 「塾もあったりして忙しい」 「そうそう。今の子はかわいそうだよ」 「小さい時に外で遊ぶのって、大事だと思いますけどね〜」 「どうせ大人になれば落ち着くんだから暴れてればいいのよ。うちの子なんか…」 そんな話が延々と続きました(笑)。 富士塚の前で、何十分立ち話をしたでしょう。だいぶ暗くなってきました。 話をしながら、私は内心「もっと明るいうちに富士塚を撮影しておけばよかった」などと思いました。 でも、富士塚はまた来れば見られるけど、この人とまた会うことはたぶんないだろう。そう思うと、この時間が有り難くなりました。夕暮れがくれたギフトみたい。 そして、女性が説明してくれる富士塚の裏側を見たりしながら、登って来た道と違う道を、ふたりで一緒に下山しました。今でこそ山の斜面には住宅がびっしり建っていて迷路のようですが、昔はだいぶ違ったようです。 楽しい散策でした。とっぷりと日が暮れてしまいました。 女性は私の帰路を気づかい、わざわざ国道まで見送ってくれたのでした。そして別れ際、私の手を取って言いました。 「すごく楽しかったわ〜♪」 私もです♪ ありがとうございました。
富士塚の頂上に到着しました。
西を望むと、右寄りの木々の間にとんがった大山が見えます。 頂上は、平らでかなり広い。転落防止のためか、ブロックをつなぎ合わせてエッジに沿って、丸いカコミが作られていました。 少し後ずさりします。頂上の中央にあるのは、 間違いなくコノハナサクヤヒメの姿でした。多少カケてはいましたが、素朴で味があります。ちなみに、コノハナが祀られている富士塚は意外と少ないです。音羽富士の御胎内、あとは、ええ〜っと、ええ〜っと。。。千葉の富士塚にあったかな。今は思い出せません。 東を向くとこんな感じです。右下は神社の社殿。遠くには、となりの丘の住宅街です。やはりここはこの近辺で一番高いようでした。 塚のパーツをゆっくり見ようと思いつつ、とりあえず下山しました。後でまたチェックしようと。しかし、すぐに見ておかなかったことに、この後少し後悔することとなりました。 つづく。。。
用事が長引き、焦りながら駆けつけたのは、相模鉄道西谷駅の近く。
横浜はホントに坂が多い!坂と富士塚の関係を考えるにもうってつけの土地です♪ 山(丘)のてっぺんにはこんな富士塚。カタチがよく、かわいらしい。 唐突ですが、この神社は「富士山神社」。あれ?東京清瀬市の中里富士のところも「富士山神社」でしたね。でも、清瀬は「ふじさんじんじゃ」と呼ぶのに対して、西谷のほうは、「ふじやまじんじゃ」と言います。間違えないようにしなきゃ。 塚の正面に数段の石段があり、丸金講の石碑が建っていました。比較的新しいものでしょう。掛軸のデザインが個性的です。赤い石もきれいです。 これは古い碑ですね。 裏斜面にはコミタケの碑も。 登山口は、富士山神社の本殿との間にあります。石段がつけられてます。その左には、ボク石が土留めのようにつけられていました。おそらく昔は、もっと他の場所にも配置されていたでしょう。 下から見上げると、螺旋の道が印象的。これは、横浜の富士塚の特徴です。池辺富士や川和富士を思い出しました。 そうか!メタル富士の下山道を螺旋にしたのは、長津田で建てたから横浜バージョンになったわけですね(笑)♪ やはり富士山に操られた感があります。 では、登ってみましょう。くるくるくるくる。。。斜面はきれいに芝生の手入れがされてます。 くるくるくるくる。。。あ、頂上だ。 つづく。。。
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………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。2008年末に出版 した【ご近所富士山の謎】も 私にとってひとつの作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ fuyo-ann●abox3.so-net.ne.jp (●を@に変えて入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★
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