▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
花園神社境内の、芸能浅間神社の新宿富士の記事が続きましたが、最後にひとつ。
新宿富士って、知らないと見過ごすほどのちっちゃな富士塚ですが、かつては。。。



ド〜ン! こんなに大きかったのでした。立派ですね〜。

花園神社の町名は新宿5丁目。西側に隣接するゴールデン街が歌舞伎町なので、ついここも歌舞伎町にあると思ってしまいますが、この一角は新宿5丁目なのです。(ゴールデン街との境の道が町名の分かれ目)

かつてはこのあたり、三光町と言ったので新宿富士も三光町富士と呼ばれることがあります。すでに新宿富士の名で定着していたので、私も新宿富士と呼んでいますが、一般的に富士塚の名は、古い町名をつけたものが多いので(もちろん混在していますが)本当ならこれは三光町富士。いや、町はつけないから正確には「三光富士」ですよね。だって、近くの鬼王稲荷神社の西大久保富士だって歌舞伎町にあるのですから〜。

まあ、通称は柔軟に受け入れています。

さて、昔の姿はこんなに立派ですが、今と同じ場所にあったわけではないそうです。かつては、花園神社拝殿の南側にそびえていたとのこと。おそらく現在の常陽銀行の裏あたりではと思われます。

とすると、写真の右奥の大きな建物は何でしょうね。ビルの上には看板の骨組みらしきものもついていて。
富士塚の位置が拝殿の南側だったとすれば、そのビルは境内越しに見えると思ったのですが、どうも不自然。現在の地図を見ると、位置的に第二分庁舎ですが、かつては新宿区立四谷第五小学校だったわけだし。それに、その手前の家屋は何?

もしかしたら、靖国通りすれすれに富士塚があった?
う〜ん。町史を見たらわかるのでしょうね。時間があったら調べてみたいところです。こうしてついハマってしまうのでキリがありません(笑)。

ちなみに三光町の名前のなごりは商店街にあり。ゴールデン街の北側が新宿三光商店街です。(ゴールデン街の中かと思いきや、一角だけ違う組合なのですと)
「酉の市フレンド」がいて、10月末には「そろそろだね。今年はどこ行く〜?」と連絡が入ります。今まであちこちの酉に市に出かけたけど、見世物小屋も目当てにするので、花園神社が一番多い。今年は行けなくて残念だったけど、見世物小屋はどうだったでしょうか。美しい小雪太夫は出てたでしょうか?

それにしてもさすが芸能の神様、花園神社は独特です。

宿場町としての新宿が栄えた江戸時代、大火で焼失した社殿を再建するため、境内に劇場を設け、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博した、それが芸能の神様のルーツ。だからこの境内にはありとあらゆる興行が似合うのです。

今年の7月、ふらりとここを通った時のこと。暗い境内で、大きな声が聞こえてきました。それも複数。でも言い合っている様子でもなく、発声練習か歌の練習か。とにかく張りのある声。



すぐに「芝居の練習だ!」と気づきました。近づくと小屋が建ってる。



これはラッキー!この日は、椿組の公演前夜の通し稽古だったのです。芝居の内容はわからないけれど、隙間から役者たちが見えたしセリフもよく聞こえ、野外劇の雰囲気にひたることができました。

私は野外劇が好き。数年前にここで観たのは、唐組の「泥人魚」♪(テント小屋は雑司ヶ谷鬼子母神でも観ました「ジャガーの眼」)。



公演前の中を撮るわけにいかないから、ちょっとだけ奥の幕など入れて。
山田まりやちゃんもいたな。



さて、こんな時の新宿富士はというと。。。



やはり違う。まるで芝居のセット。芝居に参加しているかのような雰囲気です。ケバく妖しく花園神社ならでは。たまりませんね。



鳥居の内側から見た図もぐっときます。向こうの小屋は楽屋です。

新宿ゴールデン街からも、するりと行ける花園神社です。ここに富士塚があるのを知る人は多いか少ないか。。。まあ、どちらとも言えるような気がしますね。移築され変形を余儀なくされた不憫な塚です。小さくて登山道もないです(石段は3段)。この時は、何か工事の為のトタン塀が塚の途中を分断し、講碑は塀の向こう側に隠れてしまった。立派な碑なんですが。。。

それなりに愛されている富士塚です。個性はこれ!芸能の神様ってことです。富士塚のある神社を「芸能浅間神社」といいます。

富士塚の入り口には芸能人の名前が連なり、藤 圭子の歌碑があったり、ちょっとフシギな取り合わせに見えます。でも花園神社自体、芸能の神様として知られていますね。神社のHPにはこう出ています。

「宿場町としての新宿が栄えるとともに、総鎮守として多くの人々の信仰を集めていました。安永9年(1780)と文化8年(1811)には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博しました。花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったものです」

私も富士塚の存在を知るずっと前から「芸能も芸術のうち」と都合よく置きかえ(笑)、この神様にお詣りしてました。また、唐 十郎の演劇を観に境内に設営されたテントに入ったり、地下クラブに行ったことも。酉の市で賑わうのも見せ物小屋が建つのもいいですね。

沖縄へ行く前日に撮った写メールが残っていました。

富士塚の頂上からの眺めです。やはりあやしいな(笑)。

さて、どこでしょう。(都心のどこかです♪)

いつもは人に気づかれないこの塚。

小さすぎるのと神社境内の暗い一隅にあるせいetc.

昨日の「二の酉」で大勢の人が来ても、暗がりの中でひっそりしていたはず。

私は浅草の酉の市へ行きましたけどね。。。


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っています。意外なところに
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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