▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
小さい松明が燃えつきると、しばらくして大きい松明での神事です。

「どうして2つの松明を焚くのでしょうか?」
「長くお焚き上げを続けるということでしょう」

円柱状の松明は、吉田の火祭りの松明に似ています。
吉田のほうは松が材料ですが、こちらは桑の木。この地区では、昔から養蚕業が盛んだったので、桑の木も豊富でした。

「でも今はこの松明を作るために、桑の木を確保するのが大変なんです」
清瀬の火の花祭りで見られる麦藁と同じ運命ですね。
「昔は、養蚕やってる家が200軒もありましたよ。各家から少しずつ集めてもあっという間に松明ができたけど、今はもう農家も少ないから。。。」

清瀬でも広瀬でも、祭りを存続するために材料を育てる畑が欠かせません。いずれも市の無形民俗文化財になったことで、材料確保のミッションも課せられたわけです。考えると複雑な思いがしました。祭礼の継承だけでなく、物理的な御苦労もあるのです。





大松明は、四角に仕切られた神域の中で点火されます。講の方たちは、注連縄すれすれの外側に位置し、拝みを上げます。



かつては、この細い注連縄に各家から持ち寄った富士山(浅間神社)の掛軸を掛け、お焚き上げの炎にかざしたそうです。

「お浄めですね?」
「虫干しみたいなもんだ(笑)」



四方を塩で浄める。火の中へも。
祭りは、昔に比べたらかなり簡略化されているとのこと。かつて、火にかざす掛軸は注連縄に隙間のないほど集められたといいます。拝みの時間もおそらく短縮化されているでしょう。行衣にしても昔は正式な出で立ちだった。

それでも祈願の要素は不変です。「豊作」「安産」「鎮火」のみっつ。



富士塚の下では、広瀬囃子で盛り上がる。そして盆踊り。ミニコンサート。

一方、頂上は。。。







老若男女で賑わっていました。
お腹の大きな女性もいれば、家族でいたわりながら登拝する人々、知り合いのために蝋燭をいただく人、また、安産のお礼にとベイビーを抱いて登る人々。登山道には列ができていました。その光景は、初山みたいで微笑ましかったです。



こちらの講は、広瀬のろを取って「丸ろ講」。
「ろという文字が万に見えますね」



講元のTさんが、庚申堂に掲げられてある板札を並べてくれました。
「○の中にいっぱい『ろ』と書く人とそうでない人がいます。自分はいっぱいに書きますが」

そうそう、この火祭りのことを「スイカマチ」と呼ぶ人がいました。
戦後、屋台ではスイカ売りがたくさん出ていたからだそうです。
今年、私はスイカ食べたっけかな?
「逢魔が時」が訪れると、人は静かな興奮を覚える。
それは、闇の一歩手前。「何か」が始まる予感。「あこうくろう」とも言うね。

ちょっとこわい? そうだよ。現世と過去が交じり合うときだもの。
でも、引き返すにはもう遅い。闇はそこまで忍び寄る。ヒタヒタヒタヒタ。。。

流れて行こう。山の上まで。



水富地区一帯、拡声器によって遠くまで拝みの声が語り響いた。
人々はそれを合図に、富士塚へと登拝を続ける。まるで天空に吸い込まれるかのように。

これはただの祭りじゃあない。過去から、もしくはあの世からやって来る何かとの出会い。
皆、そう心の中で呟いただろう。



声の主は、長老のYさんでした。齢89歳。
富士塚の頂上には、講員が10名。一心に拝みを読誦する。
まるで、呪文を唱えるかのように。



拝みの後、富士講は養蚕神社へ下りました。小さな松明に火が放たれ、ここでも拝みをします。

つづく。。。
地名は上広瀬と言いますが、このあたりは昔から「水富」と言われています。



襷坂の横に、富士塚の登山口があります。



河岸段丘は、長い帯になって続いています。富士塚はこの高台の上に土を盛られて造られました。
「その昔、じいさんのじいさんたちが土を運んで造ったんです」
と、富士講の方。結構古いです。



地形を見るために歩きまわっていたら、交通規制を担っていたガードマンが、ストレッチしていた(笑)。



以前から気になっていたこの広瀬富士は、こんな感じ。



左の中腹にある、養蚕神社の前に小さい松明。



右側には庚申堂があり、その隣に大きい松明が出番を待っていました。

いずれの松明も、桑の枝をくくってできています。吉田の火祭りの松明によく似たカタチですね。大きい松明は、注連縄で張られた神域の中央に。



空の色が変わり、無数の蝙蝠が飛び始めました。



塚の南側を流れる堀(水路)に沿って、色鮮やかなぼんぼりが回っていました。
と、拝みの声が聞こえてきました。

つづく。。。
ここは埼玉県狭山市。
入間川によって形成された、河岸段丘の上に造られた富士塚です。
富士塚の様子は後にして、まず頂上から。。。




頂上に立てられた幟が、沈みゆく西日を受けていました。都心の富士塚では見ることがなくなりましたが、昔はこうして幟は大切なアイテムだったのです。横浜の富士塚では、今でもお山開きで幟が立ちますけど。



「安産ローソクさし上げます」



奥宮では、長老が蝋燭の灯っているガラスケースの中の蝋燭をチェックしていました。燭台の見事なこと。上のほうが富士山型なのわかりますか?

つづく。。。


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っています。意外なところに
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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